ホーミーの故郷
映画チャンドマニ〜モンゴル ホーミーの源流へ〜
渋谷駅で待ち合わせたのはTさん。
先日このブログがあったおかげで、音信不通だったモンゴルの女性と連絡が取れたのはつい最近のこと。
整理券を受け取り、始まるまでその建物の中のレストランでお昼を食べながら、積もる話をしました。
そして、1時「チャンドマニ」のスタート。
モンゴルの懐かしい景色が、奥行きも広さもよく撮ってあり、言ったことの無い人にも創造できそう。
オルティンドーを習っていたトメン・エヒの懐かしい赤い扉、薄暗い客席、古いピアノ、先生だった歌手のビャンバジャルガルのオーハエ(発声練習のことば)が聞こえ、別のシーンでも、オルティンドーの歌声がきこえた。
残念ながら、映像には出てこなかったけど。
ホーミー、民族舞踊、オルティンドーの劇場の練習風景が移され、毎週通っていたあの場所ではあんなことが行われていたのかと、今頃になって映像で見せてもらった。
ホーミーの歌手をしている男性と、親がホーミーの歌手だった男性が、くしくも同じマイクロバス(モンゴルではミクロという)にのりこんで、2日がかりで、ウランバートルからチャンドマニへと向かう。
その社中での、見知らぬもの同士の心の交流が、うんうんそうだろうなぁと描かれていた。
私たちは、ミクロでの長旅はしなかったから、でも、大学のバスの日帰り旅で、同じような事が行われ交流があったから。
二人の男性は、ミクロで乗り合わせたけれど、お互いホーミーのことは会話に出さな買ったのだが、きっとホーミーをしに帰ってきたと感じているところが、モンゴルなのかなぁ。
あちらに住んでいる間は、よく「モンゴルには、守り神が身近にいて、望みをかなえる力を与えてくれている」と、感じることがよくあった。
それがかなえられてみると、日ごろ一番やりたいことと思っていたことではなく、一番やりたかったけど、思いの表面に浮かんでいなかったことだったりするのだった。
でも、実現してみると、これが一番だったのかもと、実感するのだった。
そんな守り神の援助を、日本では、受け取る力を失っている人がいっぱい居る。
モンゴルは、そんな不思議な思いを、確信するようなことが起こった。
去年から留学していたTさんは、何かの調べ物をしていて「風のこたろう」にであったそうだ。
続けていてよかったなぁ。
きっと彼女は、半分は退屈だっただろうけれど、コンサート最後の昇る朝日は、口ずさんでいたようだった。
馬頭琴のバトオチルさんの力はすごいなぁ。
馬頭琴で、いつもおどろくのは、独奏者としても腕があるのに、オルティンドーの伴奏をすることだ。
そして、暖かく強く包み込みながら、オルティンドーの邪魔を決してしないこと。
歌手の気持ちをほぐし、最大の力を発揮させることが出来る。
そして、他の共演者に対しても、競いながら競わず、暖かく見守る。
まるで、理想の父親像そのままだ。
モンゴルでも若者は、伝統券\から心が離れがちですが、こんなちゃんすにモンゴルのことを思い返し、大切に思う気持ちが芽生えたら、とってもよいなぁ。
しかし、会場を見回してもモンゴル人らしい人は居なかった。
おなじモンゴロイドをしているから、モンゴル人の彼女にも東京ですんでいるモンゴル人の見分けはつかないことが多いというから、居たのかもしれない。
主演の男性は、彼女の同級生だということだった。なんという偶然。
土曜の午後半日を、モンゴル色一色ですごしたのでした。