風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

新越谷素読論語の会

2016年01月25日 | 論語と
新越谷素読論語の会混年最初の会が、新越谷で開かれました。

訳あって、遅刻して、大変にご迷惑をおかけしました。
そんな時、先生は、鷹揚に臨機応変を発揮して、語る内容を瞬時に判断して、対応して下さってました。

年の初めの須藤先生のそれぞれの会で、「あらたしき」大伴家持と、富士山を吟じさせていただきました。


皆さん本当に、喜んでくださるのが、うれしい。
一番前の席で、どうかすると、須藤先生が、一番喜んでいらっしゃるように、見える.


遅刻は、私の時間ではなく、私以外の人の時間を奪うということ。

小さな、わだかまりで、動揺をする私の小さな心は、可愛いこと。

揺れは、少し待てば、収まるでしょう。

コメント

東京芦孝会1月中央会

2016年01月24日 | 詩吟
東京芦孝会会1月中央会

中央会の新年初の会が、開かれ、これで、15の会場のすべての初吟の終了です。
そのめでたい会に、懐かしい先生ご夫妻がお越しくださいました。

芦孝会の一つの役目である、すべての関吟会員の東京転勤時の活躍場所として、完全に開かれた形で、会が提供されています。

転勤で、東京に来ていらっしゃる方が、10年余り前は、結構いらっしゃいました。
いずれは帰る元の所属を変えないまま、もともとの芦孝会会員と何の制限もなく同じように活動、活躍できるシステムのおかげで、柴谷先生には、存分に力を発揮なさいました。
先生にお世話になった会員は、たくさんいます。

今は、大阪で、三つの会場を保持し、その一つの会場はご自宅を解放して、奥様が幹事として活躍なさっています。
奥様も名吟家で、よく夫婦吟詠にも出られる、おしどり夫婦です。

奥様とは、もう一人ご夫妻で東京に所属し幹事としても活躍なさった方の奥様と三人で、東京観光をしたことも何度かありました。
そのメインイベントは、皇居の鬼さ散策をしていたら、能楽堂へと向かわれる美智子様、雅子様、紀子さまが黒塗りの車で、お出かけになるところに出くわしました。
それはそれは、感動的な瞬間でした。
三人の内のお一人は、早々と逝ってしまい、残った二人は、それぞれ東と西で、詩吟。


失礼ながら、モンゴル行きを機に、賀状も途絶えていましたが、懐かしさがあふれて、懸命に練習をしたことを思いだします。
80周年大会で、お目にかかったときから、胸のうちで膨れ上がっていった、「また、お稽古を付けてほしい」が、さらに大きくなりました。


柴谷先生が在京していて教室も運営していらっしゃる間は、遠慮があって、今はなくなっていますが、東陽町の会場で、夜の練習会がありましたが、その練習だけお世話になっていました。
他の会場にも、しっかり通って、私が休止状態になった後も特訓を受け続けていた、私の後輩さんたちは、その特訓で、はるかに先輩になっていらっしゃいます。

芦孝会の誇るべきところは、それが、先輩をたっとび、敬う気風が特に、上級者の中に脈々と流れていることです。

「実るほどこうべを垂れ」なのです。

このような環境で真摯に練習に取り組んでこられた方たちは、私があんなに長いブランク後も、先輩として一歩引いて、立ててくださる方たちばかりで、申し訳なく思うことがたびたびです。

野田先生を始め、縁あって教えていただいた先生方の、関吟魂が、吟詠にだけでなく、その人となりにまで、浸透しているのを感じます。

そういう環境にいたから、おかげ様で私は、妙に、肘を張ったり、イライラしたりしないで、過ごせたものと思います。幸せな、高尚な気分。

関吟東京芦孝会会員の上に栄光あれ。


コメント

夢青葉1月初練習

2016年01月22日 | 詩吟
松山市民センターに、部屋をお借りして、初めての練習。
どんな部屋か、楽しみにして行きました。

まず、建物にはいると、左手にロビーがあり、飲み物の自動販売機と軽い飲食をしても良いソファーのスペースがあります。

早めに来て、ランチをここで済ませて、お相手がいれば、語らいながら、時間が来るのを待つことがでます。念願のコピー機もあります。


いざ、2階の会議室の鍵を幹事さんと開けて足を踏み入れると、「わぁー」と声が出ました。

20席ほどの椅子と長机がたっぷりとしたゆとりをもって、ロの字に配置してあり、大きな白板と木の壁は、落ち着いた雰囲気です。

大きな窓の三分の一は、大きな木に葉が茂った小さな森が見え、その隣は、高校でした。

気になっていた隣の部屋は、民謡教室。お互いに、声を出すグループですから、大いに安心。
どのくらい声が聞こえるのだろうと、気にしていましたが、私たちも声を出しているので、隣からの声はほとんど聞こえてきませんでした。

今日は、出席は二人なので、それぞれのテーマ吟題をみっちりと練習し、新しい吟題には進みませんでした。それで、十分に声も出すことができました。

① 大山の特に七山の三から七への音の上りについて。
② 段差がりのどこに注意すれば、きれいに下がれるか。そして、最後の音が安定するか。
③ 同じ音が三つ、四つと続くとき、浮力を与えながら、力まないで維持するには。
④ それぞれの、注意点をさらに強化。
⑤ 問題が起こるのは、そこだけが問題なのではなくて、その前に原因があること。
  そこに、注意を払えば、問題解決はとても楽にできること。

いつもと違う練習の展開は、4段受験、師範代昇格を見据えて、基本に立ち返ること、そして、それが、新人のゲストさんに対する練習にもなっていることを実感。

まさに、螺旋。


初めての部屋のせいか、ちょっとした緊張もあり、いつもよりおしゃべりも少なく、集中できました。
集中できたおかげで、上の五つの解決に対するノウハウが瞬間に浮かんできたことは、自分でも驚き。
しっかり書き留めておこう。

お休みの方たちが、それぞれの体調やご家族の都合から解き放たれて、みんなの顔が揃うのは、暖かくなるころでしょう。



青葉教室は、5年余りの間、会員さんのお店を解放していただいて、教室運営をしていました。
家庭的な雰囲気で、のんびりとした空間を提供してくださり、場所確保のわずらわしさから解放されていました。
持前の、おもてなしの気持ちは、ずっと変わらず続いて、良い雰囲気を醸していました。

初めての教室が、この空間のおかげでゆるゆるとスタートして、無理のない成長を遂げられたのは、彼女のおかげです。

新メンバーが加わり、ゲストさんもいらっしゃるようになって、教室のあり方を考える時が来ました。
それと時を同じくして、ご都合で、何回か、お休みしたいとの申し出に、場所を探すことになりました。

それが、今日、松山市民センターへとたどり着いたのです。

気持ちよく使える場所とわかり、ここでお稽古するのはお互いに気楽になると思いました。

彼女が当たり前と思ってきたことから、解放されたら、大変な義務感と責任感を背負っていたことに、始めて気が付くのではないでしょうか。

彼女には、感謝の表しようもない恩恵を受けました。


彼女の避難場所でもあり、生きがいでもあるこのお店ですが、住まいとは離れているため、いずれの日にか、閉じる予定と、はじめからお聞きしていました。
それがいつになっても良しと、覚悟は常にしていました。

閉じるその日まで、使わせていただいてよいのか、予感したその時がよき日なのか。
責任感が強く決めたら、決して譲らない彼女の、満足のいく日と、私たちが甘えすぎないで、進退をわきまえた上での良き日と、そのエックスデーを、決定するには、まだ決め手がありません。

ただ、今日、お稽古をしてみて、とても良い場所なので、逃さず確保しておきたい気持ちも、どんどん膨らんでいます。

さて・・・・・

この件は、予測していたことで、青天の霹靂ではないのが、救いです。
長年続けてきたことに区切りをつけるのは、一抹の寂しさを感じることでしょうが、卒業、進級ととらえれば、先へと大きく羽ばたくための希望の一歩ととらえたら、良いのだと思います。


彼女のご家族の都合がついて、練習に来られた時、顔を合わせて、相談をいたしましょう。

そして、体調を崩している会員さん、焦らず療養して、復活をされることを待っています。


コメント

菜根譚

2016年01月21日 | 論語と
学びピアから場所を変えて、二度目の住区センタ―にて、菜根譚とはじめの一歩。

今日は、これまでの復習です。
一度習ったことも、毎回フレッシュに聞くことができる。と言うのは、祖の章句を文字通りにしか受け取ってなくて、須藤先生のお話が、そのたびに胸に染みて、少しずつ理解が進んでいるようだと言っていいのかな。

今日の初めの一歩は、一番熱心な三人の方が残り、そのほかは、芦孝会メンバーと尺八の先生を加えて、9人。

焦点を三人の女性にあてて、お稽古を始めました。
前回まで習っていた吟題をおさらいした上で、独吟をしましょうと言ったら、二人が挑戦。
お一人は、頭高のアクセントの発声がとても美しいので、思わずおたずねしました。
出身は、関西(であるはずがないとおもいつつ)ですか、関東ですかと。「東京です」

なるほど、私には逆立ちしてもできない頭高のアクセントでの読み。
生まれた時から、そのような体の使い方をしていて、言葉に意識のある方は、本当に美しい。

私の詰まった頭高の発声は、根本的に強制せねばならぬ。と、思いつつ、なかなか、成し得ない。
この方の美しい頭高の発声を、私の吟詠を真似することで、濁らせないようにするのは、コーチとしての仕事だと思う。


関西の下から持ち上げすくい上げて発声するアクセントで、物心つく頃から、ゆるりとした体の使い方をしている私には、羨ましい限り。

吟詠のアクセントは、標準語のアクセントで吟詠するには、関西出身者には、難しい人も多いことでしょう。

さて、もう一人。秀逸のの吟詠。良く、練習してくださっているのだろうか、よく、おんげんをきいてくださっているのだろう。
正確で、何より良いのは、楽しげに詠われること。
ありがとう、こんなに熱心に練習してくださって。

4月から、教室の場所が変わっても、参加なされるとのこと、頼もしいなぁ。

もうお一人は、まだまだと、遠慮なさった。
この方は、教室の場所が遠くなると、参加できないとのこと。せっかくだから、何かの蚊の形で、続けたいが、はてさて。
お気持ちの負担のないように、続けるには?





コメント

お稽古は甘露飴の味と

2016年01月20日 | 詩吟
3月22日の夢松風のお稽古日は、幼稚園の春休みになる孫娘を預かることになっている日の真ん中です。
暮れの冬休みにすでに経験済みだから、一人で來るのも問題はないでしょう。
楽しい、いとおしい数日が来ることでしょう。

次回の松風の日に、会員さんたちにお願いして、お稽古に連れて行くことを了承していただこうと思います。

娘たちとのラインで、練習に孫を連れて行くことを告げ、ママに了承を得た上で、「野田先生と4人で練習したのを覚えてる?こんな日が来るなんてね。」と書いたら、さっそく返事が来た。
「おぼえてるよー。お母さんがおばあちゃんになっちゃったけどね。」

そして、孫娘の母親で妹の方は、「詩吟で出る甘露飴の味を覚えてるsmile」だって。

そうよねぇ、甘露飴は、毎回出たわけではないけれど、野田先生がお持ちくださったものです。めったに食べられないおいし~い飴の味と共に詩吟の練習が記憶に残っていたのは、思いがけず嬉しい。

女の子をを連れて行くのは、変わりはないけれど、今度は、私が教える立場になって、お稽古をする。
どんな感じがするでしょうねぇ。
この日は、私の誕生日でもあります。




コメント

江戸川詩吟道場

2016年01月16日 | 詩吟
今年は、自分の練習も大事にとの目標を携えて、ご無沙汰をしていた江戸川詩吟道場へ向かいました。

丁寧な発声練習をした後で、合吟の多い練習だったため、最後に一吟させていただいたときは、すっかり喉が仕上がっていまして、「弘道館に梅花を賞す」が、7本で、ゆとりで吟詠で着ました。
今年は、吟詠は、音源に取るつもりだったのが、スイッチオンを忘れてしまいましたから、ゆとりで吟詠できたのは、幻となりました。。。

久し振りのみなさんの吟詠は格段の進歩を遂げられていた方がほとんどで、たまに、こういう機会に巡り合うのも、良いものだと思う。

日頃の、指導者さんたちのご苦労も偲ばれますし、そのご苦労に報いるのは、進歩を誰かに指摘してもらうことがその一つかと。

江戸川の特徴は、懇切な指導です。
自分の持ってきたテーマを独特の指導法で、ご指導いただくことに、それぞれが感謝の気持ちをもって、確実に進歩を遂げていることに、実感を持つこと、そして、感謝すること。
それぞれの、上達を心から応援し喜んであげられること。

心優しい、江戸川さんたちが提供してくださる教場で、切磋琢磨して、素直に反応して、評価を得る。
その評価は、決して、コンクールの順位だけではない。手っ取り早いのは、入賞そして一番でも少ない数字を得ることだが。

それだけではないことを見つけて伝える、そして、その思いを受け取る。

江戸川詩吟道場の機能を、さらに発展させて、上位を目指すものだけではなく、初心者対応にも、心を砕けるようになるといいなぁ。





コメント

浅草からエアーまで

2016年01月15日 | 徒然に日々のことを





























久々にスカイツリーの写真。やっぱり高いねぇ。雲の上にてっぺんが出ているもの。

浅草のこの位置でツリーの写真をとるときは、整体へと向かう道すがら。
毎回、上へ上へと延びていく写真をついでに撮ってアップしてたっけねぇ。

今日の整体では、膝の真ん中を延ばす、あるいは空間を作るつもりで、足を延ばす。

二三回やっただけで、効果が表れ、最初に姿勢を見て、チェックの入ったところが、俄然修正されていて、先生も驚いていました。

今までになく、達成感を感じる出来上がり。
体操に達成感があるなんて言うのは、少々表現として無理があるのだけれど、表すとしたらこれしかない。

多少なりとも、井本整体の体操のコツが身についてきて、矯正もうまくいっているからかもしれないと思うのです。

六三四が出来上がる前から、飽くこと無く続いた山田先生の施療は、功を奏してきた。
これからも、順調に改善されるであろう我が体は、良き楽器としての体でもあるのだから、まだ、まだ、捨てたものではないと、思う。

そして、えあーとは。ソフトバンクエアーのこと。
導入しました。
サクサク早い。
光回線が始まっていち早く導入したものの、マンションであったために、光回線の速さを一度も享受すること無く、会の払い続けた料金は、何だったんだと思う。

お試しをしてから、契約をすることができないからねぇ。
まして、集合住宅は、それぞれの状況によって、変わるのだということが、変えたいと思いはじめたころにやっとわかってきた。

エアーは、本体を買ってきて、コンセントに差し込んだその時から、パソコンのちょっとした設定だけで、使える。
一戸建てで、光回線を使用しているのと、どう、早いのか遅いのかはわからないが、わがやでは、格段に早くなった。

私は、遊びだが、家に持ち帰って仕事をする夫は、その心地よさをもっとも感じているようだ。



コメント

夢松風新年初稽古

2016年01月13日 | 詩吟
夢組は、新年初とはいえ、いつもの練習形式で、変わらず行いました。

今日から、3月のお稽古までは、昇段試験の吟題を練習をいたします。

吟題は「江南春望」「華城春望」「近江八景」です。

みなさんすでに、その気になって、きりっと引き締まって、練習が始まりました。
私が、前のめりになるよりも、会員さんがその気になってくださる方が、どれだけ、成果があがるのかを実感する。

毎回新しい吟題に取り組まない方式の夢組は、気楽といえば、気楽だけれど、完成をどこまでに定めるかが、悩みとなる。
一生、一つの吟題を続けるという方法もあるのだから。

油絵を習う友人にも、いくらでも描き加えられるから、これで完成というのはないと聞いたことがあります。

ゆるい締め切りで、決めていくことかなぁ。
松風さんは、いまのところコンクールには興味がないので、締め切りといえば、昇段試験と秋の練成会となる。
松風の会員さんの雰囲気を考えると、小刻みの締め切りは、似つかわしくないしね。

新年に当たって、今年もしっかり練習し、前向きに取り組みますとの、異口同音の言葉に、明るい日差しが当たった気がしました。

今年は、私自身の、練習をせねば、去年は特に、夢の如くに過ぎた感があった。
年が明けて、そのことに初めて気づく。
「ゆるゆると」のなかにも、ある程度の気持ちの引き締めが必要だと、当たり前のことに気づくのでした。
             ☆ 初心 ☆



コメント

東大島教室初吟会

2016年01月11日 | 詩吟
   公益社団法人 関西吟詩文化協会公認 
        東京芦孝会 東大島教室初吟会



毎年野田 芦孝先生ご自身が書いて、お持ちくださる
            健吟献上寿
縁起の凧と七福神の手ぬぐい。
その意味は、健やかに吟じて長生きをしましょう。

「健吟」とは、野田先生が創った言葉です。これから、みなさんで、ひろめましょう!
「上寿」とは百歳(中寿 八十歳、下寿 六十歳)

御酒剣菱で、新年の乾杯。
昨年、85才の長寿で逝ってしまったKさんへの追悼もいたしました。
好んで、吟じられていた「静夜思」を思いだします。

初吟会なので、講習はなく、いつもより多い出席者が一言述べて、一吟。
そののち、一月に行われる当センターの成果発表会の打ち合わせ。

新年となって、所信表明の時が来ても、昨年来の混沌から抜け出せてなくて、自分にはよくわかっているのですが、聞く立場になると支離滅裂の一言でした。

今までは、何事も感覚的に、深く考えず吟と連れ添ってきました。
昨年頂いた大きな大きな贈り物をきっかけに、また、須藤明実先生からの学びによって、多少はものを考えるようになっています。

珍しく、前日から、明日の初吟に備えて、何にしようか、それにつける伴奏のCD番号はと、選びました。

けれど、今日になってみると、そのどれも、今日の私の思いにふさわしくないと感じて、みなさんのコメントは、しっかり聞いて、吟詠の時に、テキストをひっくり返して、選び直し。

結局「中庸」を吟じることと決まったのは、私の順番の三番前。ちょうど、休憩に入ったので、一呼吸置いての吟詠になりました。
せっかく昨日練習した吟をさて置いて、不出来な吟詠をすることに決めた私ですが、今の思いといえば、これなのよねぇ。

やっぱり、思いとか心意気というのを受け止めてくださる方々がいるという安心感からこういうことをしてしまうのだ。
懇親会で、思った通り、私の思いを十分汲んでくださって、今日は力吟をしたかったんだねと、どうしても「中庸」だったんだねと、言ってくださる方がいました。

そう言えば、今日の乾杯の時も、小さなカップに程よい量のお酒が、前におかれていました。
配ってくださった方の心配りに、お酒を飲む前に胸が暖かくなりました。
お酒はことのほか、胸がどきどきするので、いつも、お隣の方にもらって頂いていたのですが、今日は、配られたそのままを飲み干すことができました。ありがとう。

今まで、頑張らねばという思いで、体を固くして、心まで固くしていたかもしれない。
ものを考えるようになって、迷いが生じ、隙ができることによって、相手の言葉や、しぐさに敏感になってありのままに受け止められる時がきたのだろうか。


この感覚もよいなぁ。


そうそう、私の前に吟じられた、新教室の会員さんと指導者さん、想像以上にしっかりとみなさんの前での初独吟をなさり、連戦錬磨の吟詠家であっても、その方の先生としての初独吟。
「初」と言うのは、いつどんなときでも、ドラマがあり、美しい。

こんなことが、詩吟には、一杯あって、ずいぶん長くになるけれど、いつも新鮮に感じる場面がある。
どなたかがおっしゃっていたように、これも「初心」だ。

嗚呼、いいなぁ。こいつぁ春から縁起がいいわい。





コメント

孫BOY

2016年01月08日 | こたろう語録
昨日は、論語講座の一時間目の受講中、甥っ子君は、学びピア4階にある荒川ビジターセンターで、遊んでいたらしい。

その前5日に、3月分の施設予約をするときに、30分ほど待っていた場所で、生きた川蟹を触ったり捕まえさせてくれるのが、いたく気に入ったらしい。

母さんは、授業の隣の席に座らせるつもりだったが、その気に入り様をみて、あそこで一人で待っていられるか尋ねたら、よろこんで、受け入れてくれたらしい。

それで、安心して、二コマの内前の一時間だけを受講して、迎えに行ったら、蟹遊びは終わって、施設のお姉さんと凧つくりをしていた。
ママとの待ち合わせ時間から逆算すると、1時間以上時間があるので、かあさんは、凧つくりを完成するまで、ここで過ごすことを決めた。

ご機嫌よく、のんびりと凧を作っている様子を母さんは、嬉しく見守ったのさ。

窒ミごに、タコ糸を結びつけるたどたどしい手つきも、この年齢にしては器用だそうだ。
体が大きいから、誤解されることが多いけど、お姉さんは、ちゃんと年齢確認をしていてくれたらしい。

測ったように出かけたい時間に凧つくりが終わった。
お姉さんの提供してくれたビニール袋に丁寧に収納して、穴をあけて、持ち手を作り大事に自分で持った。

駅ホームで、ママを見つけた時のうれしい顔。ママも、これから帰宅ラッシュになる時間だけれど、その、凧の荷物を嫌がりもせず、受け入れた。
エスカレータで下る親子を見送って、母さんは、ほっと肩をおろす。

すると、数分後に、家族ラインが入る。
母さんは、何事かと、素早く携帯を見る。しおれた甥っ子の写真、そして、コメント。
さっきまで、楽しそうにしゃべっていたのに、急に静かになって、うつむいた息子の顔を覗き込むと、涙がいっぱいだったんだって。

わかれたばかりの母親の気持ちを思いやって、混み始めたはずの地下道から、メッセージをくれた。母さんは、娘と孫の気持ちをいっぱいもらって、とぼとぼと歩きだしたのを、風を切るように歩き始めたはず。

そして、また、夕食後。明日から始まる学校の支度をしながら、また、涙「こたろうにあいたくなっちゃった」だって!

すっかり、親しんだ僕のこと、思いだして、会いたくて、泣いてくれるんだ。
これは、嬉しいということなんだよな。







コメント