桐の箱は、主役とはならない。
どんなに素晴らしい技術が込められていようが、控えめな色、本当は強いのに軽いこと、見かけは、楚々としているから、いろんな良い機能をもっているのに、それ自体は前面にアピールしない。
そして、箱は、中身がしっかりとしていて初めて、箱の力を発揮するのだ。
だから、高価なものは、桐の箱に収められ、墨で箱書きがなされ、絹の紐で縛られる。
中身あっての、桐の箱。
中身あっての、桐のたんす。
それでも、装飾の施された箱は、箱だけでも存在を見せるんだよねぇ。
彩があるってことは、「売り」があるってことか。
緻密に組み立てられ、しっかりとした技術があっても、桐の箱のような吟詠は、誰にも認められず、打ち捨てられるのか。
箱が、ぐずぐずでもパカパカでも、彩色や模様を施されてさえいれば、目を惹いて注目されるようになるのは、仕方のないことなのか。
端材を合わせた木目の合わない箱でも、同じ大きさであれば、同等以上に認められてしまうのは、それでよいの?
中身のしっかりと詰まった伝統の技で、囲われた、それでいて、軽くても丈夫で力強い。
ほど遠い吟詠をしているけれど、私の表現したいことのお手本みたいだ。
桐の箱との出会いは、ちょっとした気づきにつながった。
先日の山田先生との会話にも、この桐の箱が出て、私の思いを十分にわかってくださった。
さっそく、箱長https://www.hakocho.com/さんに、行ってみるとおっしゃっていました。
言葉足らずの表現でも、山田先生には、ボディランゲージが加わって伝わるから、ことばの意味よりも、深い思いを汲んでくださって、行動を起こす気になったみたい。
こういう関わりだから、敢えて飾らないことへの理解が届くのだなぁ。
どんなに素晴らしい技術が込められていようが、控えめな色、本当は強いのに軽いこと、見かけは、楚々としているから、いろんな良い機能をもっているのに、それ自体は前面にアピールしない。
そして、箱は、中身がしっかりとしていて初めて、箱の力を発揮するのだ。
だから、高価なものは、桐の箱に収められ、墨で箱書きがなされ、絹の紐で縛られる。
中身あっての、桐の箱。
中身あっての、桐のたんす。
それでも、装飾の施された箱は、箱だけでも存在を見せるんだよねぇ。
彩があるってことは、「売り」があるってことか。
緻密に組み立てられ、しっかりとした技術があっても、桐の箱のような吟詠は、誰にも認められず、打ち捨てられるのか。
箱が、ぐずぐずでもパカパカでも、彩色や模様を施されてさえいれば、目を惹いて注目されるようになるのは、仕方のないことなのか。
端材を合わせた木目の合わない箱でも、同じ大きさであれば、同等以上に認められてしまうのは、それでよいの?
中身のしっかりと詰まった伝統の技で、囲われた、それでいて、軽くても丈夫で力強い。
ほど遠い吟詠をしているけれど、私の表現したいことのお手本みたいだ。
桐の箱との出会いは、ちょっとした気づきにつながった。
先日の山田先生との会話にも、この桐の箱が出て、私の思いを十分にわかってくださった。
さっそく、箱長https://www.hakocho.com/さんに、行ってみるとおっしゃっていました。
言葉足らずの表現でも、山田先生には、ボディランゲージが加わって伝わるから、ことばの意味よりも、深い思いを汲んでくださって、行動を起こす気になったみたい。
こういう関わりだから、敢えて飾らないことへの理解が届くのだなぁ。