風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ハワリンバヤル2007

2007年04月30日 | 日本から
ハワリン バヤルとは、春の祭りというモンゴル語。
もう8年も続いているらしい。
日本に住んで長いモンゴル人の友人にまだ、UBに居るころから誘われていて、2日目の今日、夫とともに、見物に行き彼女たち親子に会って旧交を暖めました。

場所 東京都練馬区光が丘公園
目的 在日モンゴル人留学生が、母国のモンゴルを日本人に紹介し、モンゴル人と日本人が交流できる場とする

10時10分から始まるモンゴル民族音楽で、三枝綾子さんがオルティンドーを歌うというので、朝、9時前に家を出て会場に向かいました。


テントでは、モンゴル料理、モンゴル岩塩の販売、面白いことには、血圧測定コーナーに、岩塩が敷いてあり、ここに素足で立つと、血圧が上も下も10は下がるといって、実際立っている人が何人も居ました。

モンゴル相撲を楽しむコーナーもあり、モンゴルの力士が応援に来ていました。
朝青龍、白鳳、旭天鵬、なども応援に来ていて、賞金が彼らから出されていました。



受け取ったパンフレットに「わたしたちはこれからもモンゴルを『蒙古』とよびません」とあって、知らなかったことを驚きました。



  =パンフレット引用=
モンゴルを「蒙古」と呼び始めたのは、今から1000年も前のことです。
当時は異なる民族や集団の名前に、悪い意味の漢字を当てた時代でした。
「蒙古」には歴史上、「蒙昧で古い」という、差別的なイメージがあるのです。
日本も鎌倉時代の昔から、長い間モンゴルを「蒙古」と呼んでいました。
近年になって、多くの有識者たちによる地道な呼びかけが実を結び、今ではほとんどの場合、モンゴルを「蒙古」と呼ぶことはなくなりました。
公式にはカタカナで、「モンゴル」や「日モ」と表記するようになったのです。
しかしこうした歴史や上記について、残念ながらあまり知られていません。

わたしたちは、モンゴルと日本がともに21世紀の新しい未来を作るために、
モンゴルを「蒙古」と呼ばないこと、表記しないことを、あらためて広く呼びかけます。



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ゴールデン ウイーク

2007年04月28日 | チンゲル亭裏日記

今日から最大10連休の取れるゴールデンが始まった。
早速出かける人の様子がニュースに出ていました。

モンゴルって祭日が少なかったなぁ。
周りの人たちは、自由にお休みを取っていたから、祭日が少ないなんて気にしているのは、お休みの多い日本人だから。
却って、みんな一緒が好みではないモンゴル人は、土日だけがお休みでも、ちっともかまわないみたい。
学校の先生でも、夏休みが終わったとたんというのに、田舎に用事が出来たとおおらかにお休みをとる様子が良く見られました。

日本中一斉にお休みを取って、道路や交通機関が満員の様相を呈するのは、きっと、モンゴル人の趣味にはあわないことだろう。

以前は、テレビから旅やグルメの様子が見られ、わたしも行きたい、食べなくっちゃと焦り気味に観ていたのだけれど、その祭り騒ぎをどこか白けた気持ちで眺めています。

庭に美しく手入れされた鉢植えの花を見ると確かに美しい、さぞ世話が大変だったろうと想像するけれど、感動がない。
今頃、モンゴルの草原に咲き始めた花を思い出すと、その冬の間の過酷さのゆえに神々しいくらの美しさを観てきたわたしにとっては、今、このような思いにとらわれるのは仕方がない。
今、おおきな振幅の真ん中にあって、少し宙に浮いた感覚で居るのは、いま少しの間のことだろう。

30日には、ハワリンバヤル(春のまつり)2007 を見に行く予定です。
モンゴル人の友達とモンゴルで友達になった人と会い、オルティンドーを聞いていきます。

その他は、今日が何曜日かわからない(笑)日々をすごすことでしょう。

娘たちの楽しそうな様子が、伝わってきて、それが喜びであり、鼓太郎ののんびり安心した様子で寝そべっているのが、今のわたしの様子をよく伝えているなぁ。
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久しぶりに日本でも馬に

2007年04月26日 | 日本から
電車で30分のところにある乗馬クラブへ行ってきました。

10頭あまりのサラブレッドが、レッスン用の馬として厩舎で世話をされていました。
馬のお試し乗りを10分ほどさせてもらいましたが、『馬に乗りたい』と心が騒いでいたのを収めることは出来ませんでした。

何よりも、お試し乗馬は紐をつけその先をインストラクターが握って、その紐の長さの半径で小回りするのではちっとも面白くない。
お試しのときは、どなたでもこの紐をつけて乗っていただきますとのこと。
ビジターとして参加するのであれば、自由に走ったり、外場といって、せまい馬場を出て、周りの林や外のコースを歩いたり走ったりすることが出来ます。

コースの外回りには、桜の並木があって花の時にはさぞ美しいことだったでしょう。
それでも、テレルジで乗ったときの爽快感は望むべくもなく。。。

乗りたい、乗りたいと思いつつ優雅なサラブレッドの背に揺られていました。

お試し乗馬の後、突然の雷と土砂降りの雨。
幸い、建物の中で、持参のおにぎりを頬張っているときだったので、ぬれることはありませんでした。
モンゴルでぬれることはちっとも浮ュなかったのですが、日本では浮「。
しかも、時ならぬ夕立雨!

ここは、まだ乗りに来るところじゃないよという何かのしるしかなぁ。

命を懸けてというのは大げさだけれど、瀬戸際に居て緊張と達成感とのハザマで乗っていたモンゴル馬の乗馬は、無事に終わると達成感と充実感と深い安堵を感じる週末でした。

ユニゾンでは、馬の上でリラックスしてくださいといわれました。
モンゴルでも、リラックスをして乗っているはずでしたが、馬が完璧に調教されているわけではありませんから、心地よい緊張があったのです。
週に一回の乗馬で、体力、気力がずいぶん上がったのを感じていました。

家に帰ってから、テレルジ乗馬のビデオを見返してみたら、楽しそうな私たちが写っていました。
緊張もしたけど、結構楽しんでいるじゃない。
たぶん、今だったらサラブレッドはお行儀良すぎて、私を満足させてくれないだろうなぁ。

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娘夫婦

2007年04月22日 | チンゲル亭裏日記

娘夫婦が、遊びに来た。
夫が、携帯を手にして、メールを娘に送った。
『・・・・・・・・・・風邪が治ったら、遊びにいらっしゃい。』というメッセージを送り、「遊びに」というくだりに大いに気に入って、しばらく「いいね、いいね」と言い言いしていました。

風邪も治り、二人で最近買った新車に乗ってやってきた。
結婚して1年半、相変わらず仲が良い。
見ていて気持ちの良い二人である。

今日は、私の手料理ではなく、ご近所の信濃川さんというすし屋さんに行くことに。
友人でもあるご主人は、とても喜んでくれて、娘の連れ合いの来訪を自分の婿殿のように遇してくれた。

夫からも、「しあわせだねぇ」という言葉が、二度も出てきた。
良かったねぇ。

食事の後は、娘たちからのお土産のハーゲンダッツを食べながら、お土産の選定。
お父さんには、銅の杯は決まっていたのですが、お母さん妹さん弟さんには、娘たちの意見を聞きながら、決めました。
スリッパは、思った以上に好評で、4足とももらわれていきました。
ほっ、良かった。
一応車に積んでもらって、来月ご挨拶に伺うときにお届けの予定。
婿殿が、車で連れて行ってくれるつもりらしい。

12時になる前に家に着く時間になると、夫がそろそろ帰りなさいと、娘には無粋な言葉。
婿殿は、ほっとしたかも。。。

また、今度彼の泊まりの日にゆっくり遊びに来るからと、言って帰っていきました。
良いねぇ。娘夫婦の来訪。こんな喜びもあるんだねぇ。
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友達に会う

2007年04月22日 | チンゲル亭裏日記

娘の高校生のときに縁ができて今でも続いているグループがあります。
その高校の近くの懐かしい喫茶店で、会いました。

古い木のインテリアのバーカウンターのある喫茶店です。
メニューを見て、コーヒーをすっ飛ばして、どうしてもこれと選んだのが、パフェ。
軽い生クリームの食べられなかったUBでの後遺症(笑)で、生クリームをたべたかった!
うーん、おいしい。
これじゃぁ、やせられないぞ。
と、思いつつ(帰ってから2キロもふえたのに)おいしくてたまらない。

そして、都合をつけて一人、二人と集まってきて、4人になりました。
このメンバーの良いことは、愚痴になりそうなことを前向きに捕らえるので、話が暗くならないこと。
いつも先を考えているから、話が明るいことです。
いつもと変わらない、様子が伝わってきて、「私モンゴル流になって、人がかわってない?」と、思わずたずねそうになる。

もし、変わっていたとしても、初めて知り合ったときの気持ちは今も変わらず持ち合わせているから、それで、この友人たちとの関係が変わるとは思えず、話を続けたことでした。
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日本復帰リハビリ中

2007年04月21日 | 日本から
毎日、母親しています。
隣に大きなスーパーがあるおかげで、日々の食事を作ることには何の支障もなく、毎日、娘の幸せそうな顔と「おいしい」という言葉を耳にする幸せを感じています。

日本復帰の足がかりとしては幸せなスタートを切っています。

荷物の片付けに関しては、ただいま膠着状態。
一段落して、次は細かく使いやすくするために、熟考中ということにしておきましょう。

まだ、プチ引きこもり状態で、積極性にかける生活をしています。
いつもの私でしたら、帰るなり電話をかけて、、、という段取りなのですが、来週の水曜日の予定は、相手様の強いプッシュで、約束が出来上がりました。

みんなに会って話をしたいのは山々なれど、なぜか、気持ちが前向きでないという通常の私ではない様子です。

さて、友達と会って、うれしい、楽しい再会になるんだろうか、心配です。

しかし、ありがたきかな、相手様から呼びかけていただいて、再開が実現するなんて。
持つべきものは友達。感謝。
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潤い

2007年04月18日 | チンゲル亭裏日記

湿度60%の昨日今日は、特別肌の潤いがあって、私ってこんなに肌が潤っていると大喜び。
あのモンゴルの日射しと乾燥に耐えてきたのだから、これほど潤う日本では、手放しで肌のお手入れを怠り、ノーメイクで隣のスーパーへ平気で出かけています。

お肌に水分を補うことは、ほんとに大切です。

乗馬のときは、ばっちり日焼け止めを塗っていっても、汗でサングラスが滑り、すぐに剥げてしまって、肝心の頬はほとんど効果をなさず、キャンディキャンディ状態。
来年の、そばかす?の浮き上がりが浮「。くわばら、くわばら。

スーパーでは、みずみずしい野菜や果物がずらりと並び、お菓子売り場にはチョコレート以外のおいしいそうなものがいっぱい。
あまり沢山で、どれに手を伸ばそうか、思案投げ首。

夕方急に思い立って作りたくなっても、食材があっという間にそろってしまう。しかも、必要な量だけ買うことが出来る。
なんて、贅沢なことだろうか。

そう、思いつつ、モンゴルに惹かれる思いがあって、これはなんなんだと一人で自問自答。

いろんなものが足りない状態にあると、人は、優しく鷹揚になり、小さいことにこだわらなくなるもののようです。
完璧を望まなければ、楽ちんで楽しく、豊かに過ごせるのでした。

日本に居たら、知りあえなかった人。物理的心理的に遠くに居るはずの人が、にわかに距離を狭め親近感を持つのも、モンゴルマジックなのだろう。

モンゴルの強烈な乾燥は、汚れがこびりつくことがほとんどなくて、パタパタと払えば落ちてくれた。
雑菌はほとんど繁殖しないから、いろんな好ましくないにおいも感じられなかったし。
雑巾は、軽く洗うだけで真っ白になった。
だから、ゲルの生活が成り立つのだなぁ。

肉は、塊でしか買えなかったけれど、ハーブという自然食を食べてきた牛や豚は、羊ほどではなくても固有のにおいを発散して、元気な肉だった。
よく噛んで食べるとエネルギーが沸いて来る気がした。

パックにきれいに並べられて売っている肉にはないエネルギーがあったと思う。
薄切りの肉は、短時間で火が通り、ほんとに便利なんだけど。

ほんとに気持ちが潤ったのは、モンゴルだったのかもしれない。
そう思うのは、長年の母の介護で、心も体も干からびそうになっていたときだったから余計にそう思うのかもしれませんが。。。

内からの潤いと外からの潤いと。
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本当はハンサム!

2007年04月16日 | 日本から
先日の鼓太郎はちょっと無様でした。
ハンサムに撮れた(親ばか)写真をご披露(^^♪


           鼓太郎6才 働き盛り
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2007年04月16日 | チンゲル亭裏日記

7日に帰国してから、初めての雨。
部屋の温度は23度ですが、UBのアパートの温度と変わりはないのですが、冷え冷えとした感じがあり、足が冷たく感じます。
湿度は、65%を示しています。
UBでは、たぶん40%くらいでしょう。

一日中どんよりとして、灰色の空の下に、さまざまに色を変える緑や、花の色は、モンゴルにはないものです。
息を吸うだけで力の入った毎日が、帰ってきて、穏やかな静かな毎日を過ごせることにほっと一息つきました。

そうとは思わずに緊張した毎日を送っていたことに、わずかばかりの名残惜しさを感じています。
そして、UBでは、耳になじまなかったホンゴルゾルのオルティンドーを、ネットサーフィンの最中に偶然耳にして、とても懐かしく、心にしみるものを感じて、驚いています。

同じものを聞いてこうも感じの違うものかと、そして、それが、心を揺さぶるものだっただけに、不意打ちを食らったように、ちょっと動揺しています。
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モネ展

2007年04月13日 | 日本から
帰国後、初めての外出は健康診断。
行く先は新宿。



帰りは、一人で六本木へ。
目的は、国立新美術館の『モネ展』

巨大な美術館では、展覧会が二つも開催されていました。
両方を観るなら割引に惹かれたわけではない(いや、ひかれたのかも)けど、この際だからとモネとパリの異邦人の二つを見てしまった。

帰ったら、決めていたことがあったのに、早速、破ってしまったなぁ。。。
モンゴルには無い、二つ買えば安くなる、、、、、
つまり、サービスに惑わされないということを。

でも、これは良かったかも。

UBの美術館の絵は、描いて間もないということもあるけれど、伝わってくるエネルギーが半端ではなかった。
モネの絵は、静かであった。
光と色のモネは、白い色にもさまざまな表情があることを始めて描き分けた。
ひとつ、カササギを描いた絵は、モンゴルでよく見かけたチャーツガイを思い出した。


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