風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

新聞ニュース

2005年04月30日 | モンゴルについて
UB POST によると、モンゴルオペラの[チンギス・ハーン]と[僧侶の涙」が来年日本で公演が決まったそうです。
日本から、俳優を選ぶために23日に日本からチームが来たそうです。
その具体的なチームの構成は書かれていませんでしたが、エルデン・ブルガン監督との契約が終了したそうです。

トップ記事に、アメリカ大使館がUB在住のアメリカ人に対して、最近ウランバートルで外国人に対する犯罪が増えていると、警告を出しています。

夫も、リュックをやめて、軽くて丈夫なかばんを買いました。
とはいえ、置き引きに逢うような不注意をしては何にもなりません。
注意を怠り無く、たとえ被害にあっても、青ざめるような大金を持ち歩かないように、二人で注意をすることにしましょう。

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すぐれもの

2005年04月23日 | チンゲル亭過去日記

ウランバートルのホッティンフン(都会人)も、馬鹿にするという100トグルクのハンドタオル。
これが、ほんとに優れものなのです。
ガーゼのように向こう側が見えるのですが、ガーゼより生地がしっかりしていて、しかも吸水が抜群。

とりあえずの間に合わせとして買ってきたのですが、毎日、台ふきんとして愛用しています。
一つ難点は、ブルーとピンクの色がつけてあるのですが、色落ちして最初は手が染料で染まってしまうことです。
今度からは,白を買うことにしましょう。

4月21日  ☆出戻り品?

昨年帰国のとき、不用になったものを、いかようにも扱ってくださいと知り合いにお渡ししていたものを、帰って来たのだから必要でしょ?といってお返しいただきました。

ほとんどが、衣類と食器ですが、新聞はぱりぱりと音がするほど乾いているし、衣類も、一冬しまってあったときの湿気を含んだ重たさとにおいがさっぱりと無いのです。

この乾燥状態が、ゲルでの生活をささえているんだなぁ!
これらの品物をもう一度手にするとはねぇ!

新しくウランバートルにきたつもりが、去年の生活の延長にふわりと降り立った気がします。

また、来たことを心から歓迎し、不在期間をちっとも感じないモンゴルに住む人たちの心の広さや、温かさを感じます。
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ボーズつくり

2005年04月23日 | チンゲル亭
お友達のうちで、モンゴル語の先生にボーズのつくり方を習いました。
そして、そのあと、飲みながら食べながらおしゃべりです。

 
今日は、日本人向きに肉は豚肉を使いました。
肉は、ナイフで細かく切るのがおいしいのです。
たまねぎは、かなり少なめ、味付けは塩とコショウーのみ。
小麦粉と水のみで作る皮は、先生の手でいいぐあいのやわらかさにまとめられます。
イルドゥールという両端が細めになっている麺棒で伸ばします。
お正月には何千個もつくるという彼女の手際はすばやく確実です。
私のようにもたもたしていたら、皮は乾きすぎて、薄く延ばせません。

中に3段の虫かごのついたボーズ用のおなべが活躍して、6人分のボーズ画15分で蒸しあがりました。

写真は出来が悪く、よいのが取れたら、そのうちアップすることにします。
乞うご期待。
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チンゲル亭到着

2005年04月20日 | チンゲル亭過去日記
http://sky.ap.teacup.com/kazenokotarou/

風のこたろうという仮称でブログを借りました。
とりあえず、見ていてください。

この日記も、表面に出そうと思って居ます。
見つけている方も、見つけていることを遠慮している方も、どうぞ遠慮なく参加してください。


2016.02.21(日)加筆
  最初のウランバートル生活は、HPチンゲル亭便りで楽しんでいました。
そのうち、「さるさる日記」という便利ツールをみつけたので、日記は、こちらで更新していました。
それは、Hpの隠し頁として、帰国後もずっと続いていました。
やがて、さるさる日記のサービスが終了したので、パソコンの中で深く沈んでいたのです。

ネット環境を長年使用していたDTIからソフトバンクエアーに乗り換えたため、DTIのHPサービスを受けられなくなりました。
この際、お引越しという形をとらないで、私のパソコン上にだけ残すことにしました。

しかし、さるさる日記に書いていた日記は,風のこたろうの前に張り付けることにしたので、風のこたろう登場以前の日記も付け加えることになりました。

2005年4月20日より前の日記は、当初は、ブログになかったものです。
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再びチンゲル亭へ

2005年04月20日 | チンゲル亭



(写真には、肝心のチンゲル亭の東屋が移っていません。
残念ながら、3階の窓からは、おなじ景色が撮れませんでした。
もっと、工夫してみようと思います。)

十数軒のアパートをみて回って、やはり去年住んでいたチンゲル亭に舞い戻ってきました。
去年は2階部分の部屋でしたが、その一つ上の3階に部屋が空いていて、眺めも、騒音も、室内の装飾についても、良くなっていて、満足です。

何よりも、またもどってきてくれたということで、皆さんが大喜びしてくれたことです。
それが良く分かったのは、あれこれ壊れているところがあって、その修理を頼んだら、取って返してやってくれることです。
こんなに、彼らって反応が良かったかしらとうれしい驚きを感じています。

このアパートは、大家さんの家族一家で管理していて、日本語の分かる留学経験のある窓口担当のバイガルさん、その兄のツォモさんは修理関係、お姉さん夫婦が大家さん、そのほか大工仕事、共有部分の聡怐A庭の管理や門番さんなどは雇われた人のようです。

門番は、24時間交代なので、数人居ますがそのうち二人は、顔なじみの人です。

去年は、修理を頼んで彼らが部屋から出るまではおっかなびっくりだったのです。
今日は、平気でこの日記の下書きをしています。

浮ゥったのは、私だけではなく、彼らもそうだったということがわかりました。
なぜなら、彼らも、呼び鈴がなって、私がドアを開けたときは笑顔で向こうに立っているからです。

少しずつ居心地が良くなっていく部屋で、明日、日本からの荷物を郵便局へとりに行ったら、本格的なチンゲル亭での生活が始まります。

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明日旅立ち

2005年04月05日 | チンゲル亭過去日記

区役所に行って、海外転出の届出とともに、保険証も使えなくなるので、明日旅立ちという日になって、なんだか膝の痛みが気になり、整形外科に行きました。
思っていたとおり、「膝の内側の痛みは年のせい」との診断でした。
看護婦さんに腹筋と太ももの筋肉の体操を教えてもらい、シップと痛み止めをもらいました。
この痛み止めは、頭痛などの痛みのときも飲めるよといわれ、1日3回2週間分出ているけれど、痛いとき飲めばよいから、これから海外に行くのなら、持って居たら良いよとの指導でした。

娘が知り合いで膝の手術をした人が居て、心配していたので、これで安心するでしょう。
少し体重を落として、足の筋肉をつければ、痛みが治まると思います。

さて、そんなわけで、保険証を最後まで使って、手続きに行ったら、明日の転出だから、明日までの期限の保険証を新しく作ってくれました。何だ、そうなんだ。

オリエンテーリングでは、間際になってから転出の手続きをという指導だったので、明日出発という気ぜわしい日に区役所に出かけたのです。
2週間前でもよかった訳だったのになぁ。
国民年金の支払いも、強制から任意に切り替えました。

オンラインになっているから、住民票、課税、納税、健康保険、国民年金の窓口に行っても、話は早いのでした。

紙でしか証明できなかった時は、この作業は、何時間かかったことやら。
もう少し、進化すれば、それぞれの窓口に足を運ばなくても、自宅のパソコンから、ワンキーですべてが行われるようになるのだろうなぁ。

それぞれの場所でそれぞれの担当者の目でチェックが行われて、間違いがチェックされそれぞれの人の言葉で、少しずつ知恵を授けてもらった感があったので、のんびり一日かけて、手続きが出来るのも悪くない。

それは、今、私が、時間だけはたっぷりあるからいえることなんだろうなぁ。

これで、今私たちは、日本国籍を有するけれども日本のどこにも住んでいないという宙に浮いた形で居るわけなのです。
事務所で、オフィシャルのグリーンのパスメ[トを受け取ったとしても、ウランバートルに到着して、手続きが終わるらないと、足が地に付かないのです。

考えたら、きりが無い。
無事ウランバートルの住人になるまでしばし、休止です。
あちらでは、とりあえずホテル住まいなのです。
ネット環境、その他どうなっている事やら。
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婚約

2005年04月03日 | チンゲル亭過去日記

次女、婚約!
急転直下の展開に、娘も私たち夫婦も驚きと喜びの渦の中に居ました。

彼は、去年から考えていたようですが、娘にいつ言ったらよいか、よい機会を考えていたそうです。
「彼なら」と、考えていたので、大賛成でした。

彼が私たちの出国前に、話をきちんとしたいということで、昨日と今日とで、彼の私たちへの挨拶、両家の顔合わせを急いで済ませました。

昨日の午後から、うれしい渦に巻き込まれて、悲鳴を上げていたのですが、夫も私も、大きな元気をもらいました。

親であるだけで喜びをもらっているのですが、こんな大きな喜びをもらうとは思っても見ませんでした。
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腕時計

2005年04月01日 | モンゴルについて
婚約時代におそろいで買った腕時計。
自動巻きで、電池切れの心配の無い物が長い間眠っていた。
見つけた娘が、1年ほど私のを使っていたのをこのたび返してきた。

30年余りほったらかしになっていたのに、何とか動いている。
モンゴルに持って行こうと思って、近所の時計屋さんに、分解聡怩オてもらうことにした。
それが、今日出来上がってきた。

二人だけの生活がまた始まるにあたって、あの頃を思い出すものを持っていたら、気持ちが萎えそうになったとき支えになるかな?





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