風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

パグの甲斐ちゃん

2009年05月17日 | 風のこたろう裏日記
ウランバートルで里親をしたことの有るパグの甲斐ちゃんが、逝ってしまった。
それも、昨年の6月のことだと言う。

甲斐ちゃんのママは、何度か知らせようとしてくださったらしいのだが、いろいろと心理的ブレーキがかかっていたという。

私は私なりにウランバートルでの事件以来、心に鬱積するものがあり、いざ帰国してみると、環境の変化で閉じこもり状態になってしまっていました。

UBにいる間は、帰国の暁には日本中に散らばっているUBつながりの知人を訪ねる行脚に出るつもりぐらいの勢いだったのだが。。。

親族にさえ会いたいと思わず、縁さえ切っても良いくらいに思いつめたり、ぎっくり腰を理由に母の法事にさえ欠席をするというかなり強い欝傾向になりました。

そんなときに、彼女からどんな内容のお手紙を頂いても、返事をすることすら出来ず、失礼なことになっていただろうし、私にとって、UBで大きな励ましやら慰めともなっていた愛すべき甲斐が亡くなったことを聞くのは追い討ちをかけるだけだったかもしれないと、かえって、連絡を頂かなかったことにほっとしているのでした。

それは、私のほうの一方的な状況で、彼女はあずかり知らなかったことです。いろいろと私のことを心配しながら、甲斐を掻き抱いて悲しみに沈んでいたと言います。

こんなとき、こんなことを知ったとき、母親に等しい年上の私としては、何と慰めてあげてよいやら、一緒に涙を流してあげたらよいのか、ぐっとこらえて抱きしめてあげたらよいのか。。。
お酒のために少し弛緩していた感受性のおかげで、思いが至らず、えへらえへらとしていたように思うのだが。

今、思うのは、過ぎたことは結果オーライにするしかないってこと。

私自身も、帰国直前に気持ちのゆとりの無さから、甲斐にしてあげられたはずのことを、拒否してしまった気持ちの負い目があるので、それぞれが、それぞれの持ち重った出来事に懸命であったことで、チャラにしてはいかがとおもうのだが。

チャラにするなんて軽々しい言葉を使ってしまったけれど、ごかんべん。

懸命に答えを出すあまりに、相手方に冷たく響いたり、誤解を生ずることは多々あることで、今までどれだけの人にどれだけの傷を負わせてきたことかと、改めて思ったことでした。

甲斐の冥福を祈るとともに、ママの復活を願ったことでした。
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