風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ジャルガランさん

2005年06月30日 | モンゴルについて
一番頼りにしていたジャルガランさんが、日本に行ってしまいました。

去年は、彼女にもいっぱい時間があったので、あちこち遊びに出かけたのですが、今回は、日本留学が決まっていたので、準備に忙しくほとんど会うことができませんでした。

日本人と間違えられるくらい堪能な日本語と律儀さで、いつも安心してお付き合い願える方でした。

2年の留学を終えて帰って来たら、もしかしたら学長候補かもしれません。
そのような優秀なUBでトップクラスの方とお友達付きあいしていたのかといまさらに思うのです。
夫の専門職種にも関係があるのですが、日本人ということでいろんな人が回りに集まるのです。

その中で、専門の仕事も無く語学も堪能ではない私は、夫の人脈の中で泳いでいるわけです。

Wife of Mr.○○の肩書きに、時々おぼれそうになりながら、反対に偉そうになりながら、バランスをとって生活しているのです。

その、大きな支えが居なくなって、彼女の大親友のイチカさんを頼りにしてねといわれていたのですが、イチカさんは、日本語はできません。
私は、英語は挨拶しかできません。
どうやって、コミュニケーションをとりましょうか。

と、迷っているときに、おしゃれなイチカさんの出番が来て、ちょうどNさんがモンゴル語の通訳をしてくださるので、もう一人の知人と4人で出かけることになりました。

彼女は、ほんとに嬉しそうに友達だからいつでも電話をしてくださいといってくれました。
愛妻家のだんな様が居て、お孫さんがまもなくやってくるのを心待ちにしている彼女は、学者さんです。
微小化石の研究者なのです。

ジャルガランさんは、今日の別れを予想して、一番の親友に私を託したのです。

別れと、新しい出会いとしばし、感傷に浸っているところす。
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UB市内

2005年06月29日 | チンゲル亭裏日記

知り合いとUB市内めぐりをしました。

UBマート、皮コートの仕立て屋さん、UBで一番の貴金属の店、モンゴルで取れる石で作るアクササリー店。

買い物の好きな彼女には初めてのところばかりだったそうで、とても喜ばれました。

UBマートは、私のモンゴル人の友人から教えられたところ。
貴金属店とアクセサリー店は、夫の友人で今では私の友人でもあるイチカさんの案内でした。
以前から私を連れて行きたいといっていたお店です。

一緒に私も場所を教えてもらって、ちょうど良かった。
情報の多いIさんに私が教えてあげられるところがあるかしらと思っていたのです。

そういえば、UBマートは半年前にできているのに、なかなかUBの都会人にも認知されなくてお客が少ないといっていたそうです。
これだけ、狭いUBの中で、目玉とも言える場所が人に知られないまま、穴場として残っているのは、宣伝情報が少ないせいなのです。

住所表示だけではたどり着きにくいので、知っている人に連れて行ってもらわないとほんとにわかりにくいのです。

おかげで、日本では情報の後ろを着いていっていた私が、誰かに教えてあげられる立場に居るわけなのです。
それも、夫の人脈のおかげで知ったかぶりができるのです。

Iさんも、通訳をしてくださった日本人のNさんも私も面白い一日を過ごしました。
Nさんも、まもなく日本から友人が来るので、連れて行きたいといっていました。

あさってから、Iさんは、大キャラバンを組んで2週間のモンゴルの車のたびに出かけます。
その前に、ショッピングを堪能できて、さぞ満足したことでしょう。
めでたし、めでたし。
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今日は娘の大事な日

2005年06月28日 | チンゲル亭裏日記

予定によれば、今日は娘が入籍をするはず。
昨夜、友人宅で遅くなり電話を鰍ッられなかったのですが、のんきな親だなぁと思う。

今朝は、とりあえず留守電にメッセージを入れておいた。
今夜は、電話しなくちゃ。

KからOに名前が変わってしまうことを思う。
私は、嬉しいばかりで、親の気持ちを斟酌することも無く、今頃になって気が付いているのだけれど。

両親と結婚前におなじ時間を過ごさなくて、気持ちを肌で感じるチャンスが無かったとはいえ、自分のことしか考えてなかったなと思い至る。

挙式前、1ヶ月はともに過ごせるはずなのだけれど、引越ししてしまっているから、何日間帰ってきてくれるだろうか。

友人が、7月1日に来て8日に日本に帰るのに、一緒に帰りたくなるだろうなぁ。
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エステ体験

2005年06月27日 | チンゲル亭裏日記

UBでは、散髪屋さんと普通に日本語に訳されるところは、男女かまわず髪の手入れと、マニキュアまでをやってくれます。
ゴーサイハンといわれているのが、日本で言う美容院とエステとマッサージをするところになっています。

ゴーサイハンで、日本人が経営しているというところを教えてもらって友達と行ってみました。
初回は、50%オフというのが魅力でした。

いろいろと種類があるのですが、説明があいまいで、というより日本での考え方とちがっているので、内容より値段で見当をつけて選びました。
1万トグルク(約千円)を今日は5,000トグルクで顔のマッサージをしてもらったのです。

オイルなど何を使っているのか良く分からなくて心配なのですが、マッサージをしてもらえる心地よさに、あまりに乾燥してくると行きたくなってくるのです。
1時間あまり丁寧にマッサージをしてもらって、日本円で500円。
申し訳ないようですが、こちらの女性の仕事としては、かなりの高収入になるのです。

しばしの夢見心地を、体験し。満足しました。
ただ、いただけないのは、男性もおなじマッサージを受けるのですが、カーテン一枚隔てた向こうに横になっているのかと思うと、友達と一緒に来ているといってもちょっと気持ちが悪いのです。

今日行ったエステは、今回限りとしましょう。
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出会い

2005年06月26日 | チンゲル亭裏日記

来週来蒙するNさんからメール。
「行く前から楽しくていい時です。 ありがと!」
と、今から喜んでくれているのを読んでこちらまで嬉しくなる。
なんだか胸の熱くなる思いがした。彼女の数ヶ月前に会ったときの表情がとても暗かったからかもしれない。
彼女はいろんな思いを胸にしているようだけど、少しでも軽くする手助けになれたらと思う。

そんな思いをした今夕、誘われて陶結ウ室に行ってみた。
件p系の知り合いが多いという陶撃フ先生は、Nさんにとって願っても無い人だった。
ちょっとした興味から出かけた先で、これからモンゴルに来ようとしている人にとって、もしかしたら大事な人になるかもしれない人に出会うなんて、興奮してくる。

早速、Nさんの滞在1週間のうちにできそうなことを、陶撃フ先生と知恵を出し合ってみました。

今日は、体調が下り坂だったのですが、誘ってくれた人の屈託の無さで出かけること担ったのですが、キャンセルしなくてよかった。
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言葉遊び?

2005年06月26日 | モンゴル語
昨日はドギー、ムンフ、トヤのお誘いでピクニック。

彼らの心ずくしのバーベキューパーティーをしながら、若者らしい遊び心を交えながらほんとに楽しませてもらいました。

その中で、モンゴル語の言葉遊びを彼らに教えてもらいました。
頭のアルファベットをMに変えて言葉を2度重ねる。
ただし、元の単語の頭がMの場合はZに変える。

たとえば、ドギーの場合は Dogi Mogi
     ムンフの場合は Munf Zunf
     トヤの場合は Tuya Muya
という具合に、単純にことばをかさねて遊ぶのです。
そしてそのあとはふつうに会話が続きます。
これは、名前や名詞だけではなく動詞にも同じように重ねて言うのだそうです。
遊びということではないのですが、表現を色濃くするというのかなぁ、きょうちょうするのかなぁと感じました。

モンゴル語には、このほかにもいろいろ遊びがありそうです。


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ガチョルト

2005年06月25日 | チンゲル亭
日本語科の3年生3人が、ガチョルトへ案内してくれました。
UBから東へ車で30分ほどのところで、モンゴル城というドイツ人の経営するホテルのあるところです。

万里の長城や、ハラホリンや、ボクトハーン宮殿、ゲルを模した建物がホテルの部屋になっていて、超高級ホテルです。
値段も超高級でした。泊まっているヨロ<bパ人も居ました。
ここはホテルなのに、入場料を取っていました。

ハラホリンを見たことが無く様子を知らないUBの都会人、特に若い人には興味があるらしくモンゴル人価格の入場料500トグルクを払っていました。
もしかしたら、はじめて来た私のためでもあったのかな。

その見物を終えて、少しまた、車を走らせると、UBを流れているトーラ川に差し鰍ゥり、その川のふちの木陰でピクニックです。

石を集めてバーベキューの用意です。都会人の彼らはなかなか火がつけられず四苦八苦。
それでも何とか点火して、たれに浸してあった肉を串に刺し、漬物をさらに盛り、クロ茶なるものの準備も始めます。

ピクニックの準備はお手の物らしく、2人の女性はかいがいしく動いて準備が着々と整えられました。

3人の若者が日本人と話ができるというだけで、これほどまでに嬉々として私を喜ばせようとしている様子は、なんだかもったいないような気がします。

帰りの車中で、この1ヶ月日本語をしゃべらなかったから、いろいろ忘れてしまったけれど、これで9月の新学期に自信がもてるというようなことを聞き、日本語を日本人としゃべることがそんなに嬉しいのかと、驚いた次第。

ほんとに、素直な3人の屈託の無い笑い声に、一日中楽しく過ごしました。
帰りには、フェルトでつくった入れ物にシャガーが4個入っている民剣iをお土産にもらいました。

お土産までもらって、バーベキューも準備してもらって、ほんとにありがとう。
若い人にご馳走になるについては、少々抵抗がありましたが、この際、さっぱりと「ありがとう!」ということにしました。

また、9月になったら、会いましょうといって分かれたのでした。

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野菜つくり

2005年06月24日 | チンゲル亭
チンゲル亭の庭に、池ができたと思ったら、鉢植えがいっぱい出現しています。
あれこれ、知恵を出しているのは、誰なんだろうなぁ。
温室にも、野菜が植えられて緑の葉っぱを伸ばしています。

話によると、韓国人が出資してモンゴル人の気のいいおばちゃんがせっせと作業をしています。
彼女は、ほとんど野菜を食べないのに、野菜つくりをしているのだから、たいしたものだと思います。
彼女は、身振り手振りで「いつでもできた野菜を持っていっていいよ。
私が家で寝ているときでも、勝手に持っていって大丈夫よ。」と、いってくれました。

彼女は去年は、主人を介してしか話をしなかったのですが、今年は、おたがいに馴染んできたおかげか、オーバーとも思えるアクションを交えて直接私とコミュニケーションをとろうとするようになりました。

私も、少しずつモンゴル語を交えながら会話もどきをするようになりました。

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携帯のネグチ

2005年06月24日 | チンゲル亭裏日記

こちらでは、プリペイドカードの携帯を使っています。
携帯に、日本のFOMAのようなシムカードを入れて使います。
ですから、機種変更は何の問題も有りません。それは、とても便利です。
そして、期間保障カード(基本料金のようなもの)、ネグチのカード(通話を保障するカード)を買うと送受信ができるのです。
それと、カードは買いませんがナンバーディスプレイの保障をする料金と、3種類の料金を支払います。

ネグチは、ャCント式になっていて、カードの番号を電話に入力することによって電話料金が支払われて、かけられようになります。

先日、電話がかからなくなったので、ネグチのプリペイドカードを買いました。いつもお店で番号を入れてもらっています。うっかり、カードを受け取らないで帰ってしまいました。
そのカードの番号を入れたら誰でも鰍ッられるのですから、携帯に番号を入力したからといって、持ち帰らなかったら、早い者勝ちでャCントを使われる可能性があるのです。

翌日私たちは、ホスタイ国立公園へ行きました。電波も届かないところですから、電話も無用の長物状態でした。
そして3日間の後にUBに帰ってきて、さて、携帯メールを打とうとしたら送信できませんというメッセージが出るのです。

電波が混んでいるのかと思ったのですが、ネグチがなくなっていたのです。

あのときの店員さん、あなたなの?
証拠は有りません。ほとんど使ってないのに、ネグチがなくなるのって。
ほかに考えられないんだけど。。。
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飛行機は遅れるのだ

2005年06月23日 | モンゴルについて
昨日、友人が日本に帰りました。
1週間の予定で滞在し、彼女なりの楽しみ方をし、何事も無く無事に終わりました。

朝8時発の飛行機に十分の時間を見て、ボヤントオハー空港に送りました。
国際空港とはいえ小さいので、荷物の受け渡しから、出国手続きまでガラス越しに見て確認することができるのです。

最後に、手を振って待合室に消えていくのを見送って、ほっとして帰宅しました。
日本では、あまり丈夫ではなさそうだった彼女のことを、思っていた以上に気を使っていたらしく、夫が出勤すると、ぐっすりと眠ってしまいました。

昨日の便には、元寺尾もお相撲さん候補らしきモンゴル青年を伴って乗っていましたから、その姿を見ていれば、成田行きの飛行機に間違いなく乗れるから大丈夫などと変な安心感を持って帰ったのです。

ところが、夕方Kさんからの携帯メールで、飛行機が8時間以上も遅れたことを聞き、真っ青になりました。

一人で、その時間をどのように過ごしたことかと思うと出発時間を確認しないで眠りこけていたことのすまなさでいっぱいでした。

手を振って消えた先は、もうどうしようもない場所なので、遅れることを知ったところでどうすることもできなかったのですが、
もう少し、時間を一緒に居てあげたらよかった。
日本とちがってモンゴルはこういうことが起きると知っていながら、飛行機の出発時間を確認しなかったことを、後悔しました。

今朝の電話で、11時過ぎて自宅に着いたこと、日本人の家族に親切にしてもらったと聞き、そして寺尾の通訳さんも航空会社の不手際に怒っていたということ、思いのほか元気な声で話してくれました。

この便には、日本人がたくさん乗るのは分かっていたので、気さくな彼女のことだから、必ず話し相手を見つけるだろうという安心はありました。

でもねぇ。

最後で、どうしようもない事態とはいえ、冷や汗をかきました。

これに懲りずにまた来てくださいませね。
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