風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

帰国準備その1

2004年10月31日 | チンゲル亭過去日記

ダンボールが十分にそろったので、それぞれに分類した箱にャCャCと投げ込んで、整理が始まりました。

ほとんど物ががないのに、すっかり忘れていたものが出てきて、物に対する記憶がいい加減になってきているのが判ります。

物は、たくさん要らないと思いつつ、やはり、物をためています。
それも、ためていないと思っていたのに。
これって、どうしようもないのかしら?

スーツケース2個分の荷物で、このチンゲル亭に来たときの状態に戻すのに、結構な数のものを買い込んでいました。
もちろん、無いと困るものもあります。
有ると便利と思って買った物で、その基準の幅が日ごとに広くなって買ってしまっています。

それらは、日本には持って帰らずどなたかに使っていただくのです。
無駄にはなってはいませんが、10分の1の価格にすっかり踊っている自分を見つけました。

さあ、こんな生活が二度あるかどうか分かりませんが、そのとき、少しは賢く生活が出来るでしょうか。

それにしても、ダンボールは便利で、ありがたい。
50年前に、父の転勤で、初めての引越しをしたときは、大きな荷物は、木枠に囲まれ、とんかちで釘を土付け、運ぶのにも重く女子供ではどうにもなりません。

小さな荷物は、木製のみかん箱に詰めるのですが、新聞紙をいっぱい使って、くるみ、つめるのですが、ちょっと油断すると木箱のとげが指に刺さって痛い思いをするのです。

ダンボールとガムテープ(こちらでは透明のスコッチテープ)は、なんて便利なんだろう!

昨日は、ひょっこり来てくれた隊員さんと一晩お預かりしたハナがいました。
なんだか、ボーっとしている二人に、活が入りました。

今週は、水曜日から、次々と帰国のための公の行事がはじまります。
その前に、荷物を作り上げたいのですが、あまり詰め込んでしまうと足りないものが出そうで、かといって、詰め込んでいないと帰国前日にあわてることになり、あれこれ迷ってしまいます。

とりあえず、もらっていただくものを選別することにしましょう。
コメント

手紙

2004年10月30日 | チンゲル亭過去日記
日本の友人から手紙が届きました。
自宅には届かないと聞いていたので、必要な場合は局留めで荷物を送るように指示され誰もがしていることです。

それが、帰宅すると門番に呼び止められ、手紙ををわたされたのです。
メールの送信が出来ず、最後の手段にてがみをかいてくれたのです。

UBでの、初めての手紙に、感激しました。
しかも、モンゴルに、はまったとの内容でした。

            ☆

荷物を送るための、ダンボール箱を買いに行きました。
タクシーで、往復4,500トグルクのUB駅の裏の辺りの工場です。

1616番で、問い合わせをして、タクシーで行ったのですが、そこはお店ではなく工場でした。
今日は、作業はおやすみをしており、留守番の人が、山積みのダンボールのところに連れて行ってくれ2種類の箱を選びました。
機械が動いていたら、さぞ、埃がすごかっただろうと思います。
ダンボールがこすった上着は、真っ白になりました。

みかん箱くらいの大きさが、1枚600トグルク、その4倍くらいのものが1枚2,500トグルクでした。
今回、帰国する人数が多いためいつもならJICAでもらえるのですが、もう1枚も残っていませんでした。
スーパーでもらうのは、なんだか胡散臭い感じがするので、購入することにしたのです。

言い値でかったので、もう少しはどうにかなったのでしょうが、タクシーも待たせていることだし、と値切りもせず買ってきました。
また、来いよと愛想良く送り出してくれたので、多聞、高い値段だったのでしょう。(笑)

衣類の、半分は初めからゲル基金に寄付して帰るつもりでした~、より分けて担当の人に連絡を取るつもりです。

プリントの不要になったものは、別荘のたきつけにしてもらおうかしら、紙の類が少ないので、もしかしたら喜んでくれるかもしれません。

郵便局で荷物を送るときは、中身を見せろと要求されます。
そのことでも、色々と腹の立つことを経験した人が多く、荷物を送るのには、多少の不快感はついて来るものと覚悟です。
コメント

歓送迎会

2004年10月30日 | チンゲル亭過去日記

11月に帰国するシニアと10月に来蒙されてこれから2年間活躍される方の歓送迎会が行われました。

今回帰国するシニアは13人とその随伴家族3人です。
それぞれ、3つのグループに分かれて帰国します。
そして、お迎えするシニアは2人でした。

夫たちの同期は、人数が多いせいもあってか、色々と交流があり最後の挨拶の言葉も色々な思いがこもっていてそれぞれがかなり長いご挨拶でした。
それぞれの個性を大事にしたお付き合いをしていただいたのを感じます。

少しずつ、帰るんだなぁという思いが膨らんできます。

            ☆

今日は、ウランバートルが365年前に作られた、記念日です。
コメント

久し振り花ちゃん

2004年10月28日 | チンゲル亭過去日記

オルティンドーの練習がこのところ無かったので、花ちゃんと会う機会がありませんでした。
練習が無くても、花ちゃんを呼び出したり、日本語科の先生の部屋に行けば会うことは出来るのですが、楽しみにしていた日本語科のゲストの話も今学期は依頼が無かったこともあって、なかなか行けませんでした。

いつでも来てくださいといわれていても、職場ですから用も無いのに訪れるのは、気がとがめるし、呼び出したりするのは出来るものではないのです。

そんなわけで、今日は、本を買いに行くのを口実に花ちゃんと会う約束をしたのです。
ほんとの理由は、10月31日が花ちゃんの誕生日でプレゼントを渡すためでした。
まず本屋さんに行き、モンゴル語の絵本と会話集を買いました。
そして、家に帰って、散らし寿司を花ちゃんと一緒に作って食べました。
乾杯もケーキも無い二人だけの誕生日パーティーでした。

夫もなかなか時間が取れそうも無いので、一緒にパーティーは断念し、誕生日前で友達との約束に邪魔しない日といったら、いつもは、オルティンドーの練習をしている時間と曜日なら大丈夫と思ったからです。

花ちゃんといるとモンゴル人といるという感覚がありません。
なんだか、静かなのです。
食後のお茶も美味しく日本にいてお茶を飲んでいるという感覚でした。
もっと度々こんな時間を楽しめばよかったと思ったことでした。

1月にUBに来て以来、花ちゃんに有形無形の手助けをもらいました。
日本に是非留学が決まって、再会したいものです。

ほんとに花ちゃん ありがとう
コメント

帰国報告会

2004年10月27日 | チンゲル亭過去日記

11月に任期を終えて帰国するシニアさんたちの帰国報告会が終わりました。
さすがに、ほっとしたようで、早々に帰宅して、お昼寝しています。

後は、帰国準備と4日の発表の心積もりをすれば良いのです。
他の用事は、もう入らないよねェ。

今、テレビのSTV3というチャンネルで、浜崎あゆみのコンサートを放映しています。
よっちゃんが、ライオン頭でギターの演奏をしたり、空手を取り入れた振り付けのダンスをしたり、目を楽しませてもらっています。
このチャンネルは、日本語のアニメなどをそのまま写してくれるので、NHKに飽きたら、このチャンネルを回して、日本語を聞くのです。
それが、子供向けアニメであろうと趣味に合うものでなかろうとかまわないのです。

ウランバートル スランプの今は、特に日本の映像は嬉しいです。

モンゴルは、とても好きです。
帰ったら、懐かしがることでしょう。

けれど、ほんとのモンゴルの田舎は、今の私の体力では暮らしきれない恨みがあり、ただ、あこがれることに終わりそうな気がします。

私は観光客として訪れるだけのモンゴル好きには、なる事ができるでしょう。
夫の願った、モンゴルの人になじみ、より多くモンゴルを知ることは、まだ、宿題が山積みです。

夫は、2年間過ごしたモンゴルにどんな思いを抱き、今日の帰国報告会でどのような言葉で締めくくったのでしょうか。
モンゴル風の帽子をかぶることで、モンゴル人と間違えられるようになったことを、本心ではどのように思っているでしょうか。

教授には、もっといて指導を続けて欲しいと思って頂いているようです。
そのように、思っていただける仕事と信頼関係をこの2年間で作ったということは、大変なことだったでしょう。
言葉、文化、環境の違うなかで、どんな苦労が有ったのか、マイナス要素は決して口にしない人から、ほんとのことをどうやって聞き出したらよいのかなぁ。

せっかくだから、聞かせて欲しいといったら良いかしらん?
とりあえず、起きてきたら、言ってあげましょう。

「ご苦労様でした」
コメント

第4火力発電所見学

2004年10月26日 | チンゲル亭過去日記

火力発電所で活躍されているシニアの計らいで、第四火力発電所を見学させていただきました。

巨大な設備に驚いたのですが、日本では、一つの企業(例えば、王子製紙のようなところ)が自家発電している供給量に等しいと聞き又驚きました。

50ヘルツの電力を39万キロワットの供給をしています。
その、供給はコンピューターせいぎょされているのですが、その、オペレーターはほとんどが女性で、24時間体制の仕事をしています。

日本からの有償、無償を含めた円借款が120億円を超えているそうですが、今年からその返還が始まったそうです。
昨年から赤字が黒字に変わり、更に今年は黒字が10倍に増えたということです。

そこには、まもなく2年間の任期を終えて帰国するシニアの大変な努力が、黒字を1億から10億に増やした原動力になっているのです。

この発電所から生まれる熱湯が、UBをめぐってパールという暖房装置の中をめぐり、給湯のための水を熱交換装置によって温めているのです。

昨年からは、発電所由来の停電はほとんどなくなったそうです。
私が、UBに来て何度か経験した停電は、配電会社の問題であったり、配線工事のためだったそうです。

今年の2月に重大な事故が有ったそうです。
3時間機械停止が続くと、UB中が停電となり、暖房が停止し人の命にかかわるほどになるのだそうです。

午後10時過ぎから、2時間半をかけて、マイナス30度の中を大変な復旧作業が行われたそうです。
生死にかかわるとなったら、モンゴルの人も深夜であろうが、極寒であろうが、文句も言わずに作業をするんだとわかりました。

この巨大発電所の石炭は、国内の生産でまかなっているそうです。
石炭を満載した、貨車が毎日発電所に到着すると、貨車ごとひっくり返して、地下の施設に落とされ貯炭場に運ばれ、備蓄分と粉炭にする分とに分けられます。

石炭は、蒸気機関車のように塊のまま燃やされているのかと思ったら、小麦粉よりも細かい粉状にされて空気で炉に送り込まれるのです。

燃やされた煙の95%は化学処理されて無害になります。
そして、燃えカスは人工池の中に捨てられます。

発電所のおかげで、テレビを見、パソコンでインターネットをし、明け方のマイナスの冷え込みを知らずにぐっすり眠ることが出来るのです。
ありがとうございました。
コメント

徹夜

2004年10月25日 | チンゲル亭過去日記

夫は、セミナーのレジュメを作るために昨夜は徹夜でした。
こちらに来て、徹夜だけはしないようにしましょうと決めたのですが、どうにも間に合わなくて、締め切りを延ばしてもらっので、頑張らざるを得なかったのです。

モンゴル語への末烽?るので、今日より遅くなると印刷が間に合わなくなるようで、仕方がありませんでした。
おかげで、胃の痛くなるような思いをして、提出し手帰宅したらばったりとベッドに唐黷アみました。

今は、ぐっすり眠っています。
夕食とカラオケのおさそいがあったのですが、お断りするしかありませんでした。
お誘いいただいた方には申し訳ないのですが、無理はいけません。

幸い、穏やかな顔と寝息ですから、睡眠不足だけのようで、明日はきっと気持ちの良い目覚めに違いありません。

この後は、もう何も急ぐものはありませんように。

                  ☆

さて、私のオルティンドーの練習は、このところ先生の方が忙しく、音沙汰がありません。
3曲目の「エンフ メンディン バイル」の仕上げと、4曲目の「オロムグイ ダライ」の、細かいところの直しが、残っています。

練習を始めたときは、1曲仕上げられたらいいとおもっていましたし、3曲目が始まったときは、4曲目が始まるとは思いもしませんでした。

4曲目は果てしない海という日本語訳ですが、日本人の私にとって海は懐かしいものであり、モンゴルの人にとっては憧れなのです。

その曲を、仕上げられないで帰国するかもしれないのは、少々残念です。
件p大学でオルティンドーを習っている日本人学生さんもいるらしいので、帰国後もその気さえあれば、習う可能性は無いわけではありません。

草原でたった一人になったつもりでと助言されましたが、とうとう体験することは出来ませんでした。
なるべく、その感覚を想像しつつ声を出すのですが。。。。。
想像しつくせないことがあり、難しいのです。

オルティンドーのちょっと違う発声を習って、声を出すのに変な力が入っているのがわかったのは、大収穫でした。

帰国して、長年習っていた詩吟のお稽古を復活する気になるかどうかは、帰国してみないとわからないのですが、7年以上のブランクはあまり気にならないで、再開できるように思えます。
コメント

2004年10月25日 | チンゲル亭過去日記


馬に乗ったとき、どうしても他の馬の後ろをくっついていってしまうのは、人の後をついていく私の性格のせいかと思っていたのです。
ところが、そうではなかったのです。

馬は、乗った瞬間にその人のことを判断し、ご主人様と思うか、荷物扱いをするかを決めるそうです。

荷物と判断されたら、まず、ほかの馬の後ろに続いて歩き、前の馬が走れば、
その馬も走ります。
そして、自分の歩きやすい道を歩き、木などの障害物があっても自分が通過できる幅があれば、そのまま進みます。

ご主人様と判断したら、障害物のあるときは、ご主人様が困らないよう迂回したり十分な幅を取って歩くそうです。

それをきいてから、荷物扱いされないには、どうしたらよいか考えました。
馬方が出発というまで、おとなしくじっと待っているのをやめて、乗ったらすぐに腹をけり、手綱をひいて馬の向いている方向を修正し、その場をちょっと動いて見ました。
馬方の心象を悪くしないだけの範囲で。

馬方は、馬と乗り手の安全には神経質になっていますから、あまりその場を離れすぎるといけません。
(と言うのは、観光地でのはなしです。牧民さんたちと同じように乗りたいときはそれ以上に、強い意志が必要のようです。)

すると、その馬はとてもよく言うことを聞いてくれました。

モンゴルに来て、自分は何をしたいか、どちらに進みたいか、明確にすることをたびたび要求されました。
それが、とても苦痛であったりするのですが、UBで心地よく生活するためには、物事をはっきりさせはっきり言う必要をとても感じます。

気がついたらそこにいたという生活は、今まではその必要もあったのですが、改めたほうが良いのかなぁ。。。

私らしさって、何なんだろう?
コメント

ゾーン・モドの別荘地 II

2004年10月23日 | チンゲル亭過去日記

この別荘地帯には、電気は来ていますが、水はちょっと先のボダク(泉、湧き水)まで汲みにいきます。
この湧き水は胃に良い良質の水なのだそうです。
広い草原のその先に見えるので、近くに見えますが、かなり距離がありそうで、歩いて水を持ち帰るのは、一仕事です。

しかも、そこにいくには、飛び越すには幅が広く、水を渡るには今の気候ではさすがのモンゴルの人にも冷たすぎるのです。
夏は、ジャブジャブ歩いて渡り、冬は氷の上を歩くのです。
今日でも、氷は張っています。渡ってと誘いかけられているようですが、石を落とすとぱりぱりと割れてしまいます。
それで、今日は、湧き水を汲むのを諦め川の水を汲んでバケツにためることになりました。

私たちが到着したときは、3日ぶりの訪問でした。
ここは、まだ、住人が定住していないので、3日おきくらいに聡怩笂_検にやってくるのだそうです。
バケツに汲み置いていた水は凍り、テーブルの上のトマトは見かけはしっかりしていても、中はぐずぐずになっています。

2階は、整備されてなくて、まだ物置状態です。
モンゴルの人たちが、大好きなタルバガンの肉が冷蔵保存されていました。
私たちのために、とっておきのタルバガンを振舞ってくれるつもりだったようですが、日本人には、食べるなと言われているものです。

タルバガンはペストを運ぶといわれています。モンゴルの人もそれは良くわかっていて、健康で元気なタルバガンしか撃たないのですが、見かけの元気さだけで確かに食べて大丈夫とわかるなんて信じられないので、せっかくですが、お断りしました。

日本人のことを良く知ってくれているトヤさんですから、気を悪くすること無く判ってくれました。

壁につながっているストーブに、じゃんじゃんと薪をくべて部屋と、室内にある煙突部分がどんどん暖まってきます。
薪が十分に燃えてくると、そこに石炭をくべるのです。
大きななべに水を入れ、お茶と食器を洗うための湯を沸かします。

モンゴルでは、湯という単語はなく、熱くても「オス(みず)」といいます。
あえて、熱いものといいたいときは、ハドン(熱い)を前につけ「熱い水」と表現ます。

こんな場所に来ると、癖の強いフルーツティーに砂糖をたっぷり入れて、薪のぱちぱちはぜる音をききながら、とりとめの無いおしゃべりをしながら飲むのがとても美味しかった。
コメント

ゾーン・モドの別荘地

2004年10月23日 | チンゲル亭過去日記

知り合いのモンゴルの女性(友人来蒙の際の通訳さん)の別荘に連れて行ってもらいました。
その、行き先は、「ゾーン・モド」
ガイドブックに載っているゾーンモドとは違うところです。

彼女の友人と4人で、白タクを拾い、料金の交渉をします。
途中で買い物をするのを条件に3,000トグルクで成立。

別荘に程近いお店で、石炭一袋、ドッグフード(なんとひき肉)を買いました。
低い柵でかこまれた、木製のバンガロー風の家が並んでいて、その一角が彼女の別荘です。

このあたりの別荘は、夏だけ、週末だけのものと、定住している家とさまざまな住み方をしているようです。

まもなく結婚を控えた二人が今夏、親兄弟の手助けを得て、自分達で立てたものです。
バンガローといっても、二階建てで20畳くらいはあったでしょうか。
中には、オンドル式のストーブがあり、テーブルと調理台、次の間にはベッドと小机があり、その小机の上には二人が完成したばかりの家の前で、中むつまじく移っている写真が額に入れて飾ってありました。
 
捨てられていた犬のツァガナ(白)ちゃんは、身をくねらせて私たちの到着を喜びます。彼女と一緒におとづれたためでしょうか、初対面の私にさえ腹を見せて、服従を示してくれたのには、驚きました。
その、ツァガナもそばをよその人が通ると激しく吼えついてちゃんと番犬をするのです。

柵をしてあるのに、牛が入ってかってにくさを食べています。
見事な糞があちこちにみられ、乾いたら良い燃料になりそうだと思いました。

しかし、牛は柵があって入らないようにしているはずなのですが、お隣さんの観察によると、出入り口用に差し渡してある木を上手に角で持ち上げてはずすのだそうです。
うーん、牛も賢いのねぇ!

それにしても、その巨大牛には黙って、草を食べるのを許しているのに、柵の外の小さめの牛には柵の外にいるのに吼えかかっています、しかも、子牛にはもっと強い調子で飛びつきながら吼えています。
さすがに母牛が怒ってツァガナを追い回していました。

ツァガナは、今夏8匹の子を産んだ母犬とはいえ、まだ遊び盛りの若い犬なのです。
つながれたまま餓死しそうになっていたところをトヤさんに助けられたツァガナは人が訪れるのをとても嬉しがるのです
コメント