風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

美容院

2005年01月30日 | チンゲル亭過去日記

ウランバートルのチカちゃんのページをのぞいたら、http://homepage3.nifty.com/takahashi5910/index.htm
美容院に行ったと書いてありました。

ちょうど私も昨日行ったばかりで、そのサービスの差を改めて感じて、去年の事を思いだしていました。

母譲りの若白髪なので、美容院には良くお世話になるのですが、シャンプーをしてもらう時がほんとに気持ちが良くて、母の介護中には、数少ないリラックスの場所でした。

昨日も、ほんとに上手にシャンプーをしてもらったので、危うく眠ってしまうところでした。

髪がきちんとできると、それだけで、気分が♪になるのです。

ウランバートルでは、個人の技術の前に、停電、断水が日常的に起こるので、大変です。
大変と思っているのは、日本人だけで、ウランバートルの人たちはなんとも思っていないのかもしれません。

シャンプーをし終えたとたんに、停電になってドライヤーが使えない。
断水中なので、ひしゃくでお湯をすくいながらのシャンプーで、すすぎをはしょって終了。
機器は、壊れるまで使って、メンテナンスはほとんどしない。

これが、普通に行われていることで、料金はちゃんと請求されます。
そして、日本円に換算すると格安なのですが、ウランバートルで普通に生活している人たちの感覚からすれば、今、日本で高い!と思っているくらいの値段でした。(ヘアカラー 8,000トグルク シャンプー 2,000トグルク)

モンゴルでは、人件費というのは無いも同じでした。
日本では、人件費、サービス料がその値段のほとんどを占めているわけで、それに対して払えるお金を持っている事が、”ブランド”を買いたい真理になっていくのかな。

天下の原宿で、カリスマ美容師にカットしてもらったら、どんな気分なんだろうね。そして、それに対して、何万円も支払う事が、当たり前と思うのはどんな気持ちからなんだろう。

私は、そのお金があったら、1泊でも良いから温泉に行きたいなぁ。
コメント

電話

2005年01月28日 | チンゲル亭過去日記

「ヒョウジケンガイ」と電話のディスプレイに表示されるときは、オーストラリアの夫からの電話である。

電話代が多分高いと思うのです。
先週末からの現地は、携帯の電波の届かないところに移動したので、ホテルの電話でしか、通信手段はありません。

その、電話もバーの中にあるため電話での話がしにくいようで、プリペイドカードを買ってパートナーに迷惑のかからないときに外の公衆電話からかけてきているようです。

ウランバートルよりも条件の悪いところです。
ファックスも、無いわけではないがあてにならない、しかも、ネットは不通という状態の僻地に居るわけです。

’73年に結婚したのですが、そのころは、日本国内でも直通でかからない場所がありました。
しかも、男社会の会社ですから、出張先から、家に電話をするのは、一番の若造だった事もあってかなりはばかられるのでした。

そのため、出張に出かけたら、音信不通が当たり前でした。
通信手段が無いのですから、私もあきらめていたのです。

今では、007の映画に出てくるような、通信機器が夢物語ではなくて、普通に使える世の中になってくると、だんだんに「待つ」「がまん」「あした」という言葉が消えていって、今すぐ確かめる野が当たり前で、却って、不安を増幅させてしまうようになっています。

仕事中であろうが、外出中の移動中であろうが、その場所に声を届かせる事が出来るのは便利なようで、不便なのではないだろうか。

今すぐ、瞬間に考えて答えを出さねばならなくて、「ちょっと待ってね」のちょっとが限りなく短くなっているのです。

心が同調しているときは、同じことを考えているから、すぐに答えは出るでしょうが、もし、そうでないときは、じっくり考えてから答えを出さねば、間違った返事になるのですから。

出した手紙が2ヵ月後に届き、そのまた返事が3ヶ月かかってという時代を経験している私たちは、幸福だったのかもしれない。

小さい娘を抱えて、不安もかなりあったはずなのですが、今となっては、離れてあれこれ想像したり、帰って来たとき娘たちが泣かないようにいろいろと工夫したり、とても、豊かに楽しい時間の事しか思い出さないのです。
心のスペースがひろかったな、という気がします。
コメント

マイナス30度とプラス40度

2005年01月27日 | チンゲル亭過去日記

ウランバートルは、2月のツァガンサル(お正月)の準備におおわらわ。
真っ白い世界で、戸外はマイナス20度から30度になっているはず。

一方、現在の夫の出張先であるオーストラリアのアデレイドはプラス40度だそうです。
テントの中では、半そで半ズボン、テントの外に出るときは手足が隠れるものを羽織るそうです。
日焼け止めクリームは、化粧品であって男が使うものではない、然もめんどくさいと思っていたが、そうではない事がよーく分かったようです。

今度は、どんな黒さになって帰ってくるのか、楽しみです。(笑)
コメント

合格発表

2005年01月24日 | チンゲル亭過去日記

22日ある合格発表が夫にありました。
いたずら電話の余波から抜け出たら、次のことを考えることになりました。
詳細は、夫が帰ってからになります。

昨日は、出先で雪になりました。
モンゴルの雪は、どう?と言う質問に、懐かしがりながら答えておりました。

モンゴルでは、ツァガンサルの準備に、大忙しの毎日のはずです。
お客さんに振舞うボーズをせっせと作るのです。
お客さんの多いうちでは、何千個も作るそうです。
そして、マイナスの戸外に出しておけば天然の冷凍庫ですから、早く作り始めても問題は無いのです。

夫は、最後まで羊の肉がだめで、二度目のツァガンサルの去年は、夫用に牛肉のボーズをわざわざ準備してもらったのでした。

さらさらの雪は、服にかかってもパタパタと振り落とせるくらいでした。
晴れた日に郊外に出ると、ダイヤモンドダストがきらきらと舞い、それは美しい景色でした。
コメント

オレオレ詐欺

2005年01月20日 | チンゲル亭過去日記

泣きながらお母さんと言って電話がかかってくると、自分の娘と完全に信じてしまうものなのかもしれない。
その声はそっくりに聞こえたので、胸がどきどきしてなかなか収まらないでいました。

人をはねたと言って娘が電話の向こうで泣き崩れていたのです。
車を運転しているはずが無いので、詐欺とすぐにわかったのです。
そして、ニュースで言っていたように「刑事さんと代わる」と言うので、頭の半分はパニックを起こしながら、冷静に「どうぞ」と応えることができました。
そしたら、電話はぷつりと切れました。
敵もさるもので、こちらが察知した事をすばやく理解したようでした。
それとも、いたずら電話だったのでしょうか。

詐欺未遂とわかっていて念のための電話確認のためと自覚していても、かなり動転していたらしく、電話の横にリストが貼ってあるのに、娘の名刺をわざわざ出して、それを見ながら電話をしていました。
娘も、母からの電話を取り次いでもらったときは、何事かと驚いた事でしょう。
元気な声を聞き、驚いたねぇと娘から慰めてもらいました。

さわやかに朝を迎えていたところに、娘の泣き崩れる声を聞かされたことで、ほんとに胸が苦しくなりました。

ニュースを見て、そんなに簡単に騙されるものだろうかと、他人事のように思っていたのです。
あれなら、騙されるかもしれないなと妙な納得をしてしまいました。

人の弱いところを巧みに突いてくるものだなぁ。
娘に、何事も無くてよかった。

安心しても、恐浮oえた体はなかなか収まらないもので、血圧がかなり上がっていることを実感したのでした。
驚き悲しんだ挙句に、脳梗塞で唐黷驍ニいうシチュエーションは、ドラマでは見るけれど、実際に自分の身にも起きるとはねぇ。

気分転換に自転車を走らせましたが、周りの景色は見えてなかった事を帰宅して気がつきました。
こんなときは、ゆっくり徒歩に限るのか、外出すら控えたほうが良いのか。
のんびりぬるいお湯につかるのが良いのか。
友達に電話をかけまくるのが良いのか。

とりあえず、ショックには甘いものですよね。
街が見えて無かったとは言いながら、ちゃんとおいしそうな甘いものを売る新しい店だけは見つけ出しました。(笑)
これから、一人3時をいたします。
お騒がせいたしました。
コメント

生花

2005年01月20日 | チンゲル亭過去日記

帰国後、部屋の総入れ替えをして、物を大幅に片付けました。
そのおかげで、かねてから長女の望みだった

           玄関に習ってきたお花をきれいに活ける

が、実現した。
水曜日がお稽古の日で、帰宅がかなり遅くなるのですが、新年になってからは、その日のうちに活けるようになった。

おかげで、木曜日の朝は玄関がすっきりして、美しい。
今朝はちょうど母からの宅急便の配達がありました。
荷物が重いので、中まで配達人が入れてくれるので、アイリスの紫の色がきっと目に入った事でしょう。

次女は、せっせと自分の部屋を自分らしく変えている。
インターネットで取り寄せた荷物が昨夜届き、嬉々としてダンボールを開けていた。やがて、電話をかけている声が聞こえる。

最近、電話をかけるとき部屋のドアを閉めなくなった。
幸せなんだなぁとおもう。
コメント

ベルリンフィル12人のチェリスト

2005年01月17日 | チンゲル亭過去日記

土曜日のオルティンドーの練習は、大森が会場である。
家から、約1時間かかる。
徒歩圏内にあったらよかったのに、と思う。
詩吟もあちこちに会場はあるのだけれど、どれも1時間かかる。

生活圏内にどちらも無い。
練習も滑り出してしまえば、1時間の所要時間はなんでもないのですが、どちらも滑り出すのに、大きなエネルギーが要る。

せめて、テープを聴き、自主練習をしようと思う。
それで、ヘッドホンではなくスピーカーから音を聞こうと思って、しまいこんでいたスピーカーを出してきて接続した。

まず、聞いたのは、オルティンドーでも詩吟でもなく、ビートルズ。

三枝成彰編曲の「哀しみのビートルズ」☆ベルリンフィル12人のチェリストたち☆
何度聞いても、言葉で言い尽くせない快感がある。
スイッチオンして最初の音が出るまでの、ほんの少しの時間が待ち遠しい。

ウランバートルにも持って行き、持ち帰ったCDである。

さて、これを聴いてしまったら、オルティンドーの練習をする気になるだろうか?
コメント

娘との週末

2005年01月17日 | チンゲル亭過去日記

天気予報で、寒いと知っていた次娘は、予定を入れなかったし、
お友達も、お休みではないため、部屋の片づけやら、お疲れ休めやら、外出なし。
長女は、土曜日の夕方までは、予定が無く家で過ごしたのです。

私は、土曜日にオルティンドーの練習のチャンスがありながら、娘たちとの穏やかな時間を選んだのです。
雨で出かけるのは、いやだからと娘には言ったのでしたが、

この先、どれだけの時間娘と共に過ごせるのかと考えると、この、ふかふかとした鼓太郎の抱き心地のような平和で幸せな時間を中断したくなかったのでした。

いづれは、このうちを出て行くことがあると感じ始めてから、娘たちが側に居る事が当たり前であった時と違って、娘たちとの時間がより大切に思うのです。
どこかに出かけるのではなく、何かをするのではなく、同じ部屋に居ていつものお茶を飲み、特別な料理を食べるのでもなく、ごく普通の会話を交わすことが、とても素敵な事のように思えます。

私の結婚前は、両親が兄のところに呼寄せられて、数ヶ月でしたが実家で一人暮らしをしていたのです。
そのときは、願っても無い一人暮らしに喜び勇んでいたのでしたが、結婚前のその時期は、母として娘としての大事な時間だったのではないかと、今になって思う事があるのです。

母として、娘を一人の大人として見ながら、それでも大事な娘として特別な時間が流れるような気がするのです。
特別に何かをしてやりたいというのではないのですが、一緒に居るだけでいいのです。

夫にも、帰国したら、娘との時間を過ごすチャンスが自然な形で訪れたらいいなと思います。
コメント

ページの表紙を変えたら

2005年01月15日 | チンゲル亭過去日記

早速、母さん(http://www.occn.zaq.ne.jp/break/)が、掲示板に書き込みに来てくれました。

新年になったのに、掲示板に何の書き込みもしてなかったから、覗いてくださっても、書き込みをしにくかったらしい。

母さんは、介護仲間というより、今はもう単純に親しい友達なのである。
このページを作ったのも、母さんの画期的方法のHPの下宿というやり方で、HPの面白さを教えてもらったのが下地になっているのです。

大きなページを運営するのは大変な事でしょうが、ちゃんと続けているのはなんといっても
えらい!

とりあえず、私も細々と続けましょう。

ウランバートルで「帰国したらメモ」に、いろんなことを書いたのです。
帰国の次の日から武道館に行って運動をする。
オルティンドーの練習は、その日からする。

そのどちらも、行動開始していないのです。トホホ
オルティンドーに関しては、先生のテープを聴くだけでもいいのに、恥ずかしい限り。

                。。。。。。。。。。。。。。。。。。

言い訳 家の聡怩オているもの。なんていうのは何の言い訳にもならんなぁ。
面白い年明けになったもんだ。
コメント

日記

2005年01月14日 | チンゲル亭過去日記

ページの表紙を変えました。
日記は後ろに引っ込みました。

あれほど刺激的な毎日が、今年はすっかりお家の人になって、聡怐A洗濯、料理と毎日が同じスケジュールですごしています。

ちょうど、1年前の今日は、初めてのお使いと日記にありました。
今考えると、1週間もたたないうちにアイスバーンの道を言葉もわからず、よくも一人で買い物に出かけたものだと、自分ながら驚きました。

マイナス30度を、20分近く歩いてスーパーマーケットに行ったのですが、ほんとに無謀な事をしたものだと思うのです。
行ってしまえば、荷物が重くても帰るしかなくて、頑張ったのです。

後になって、マイナス30度を10分以上歩いちゃいけませんよといわれて、驚いたものでした。
まだ、一人でタクシーに乗れなかったものですから。
転んだり、スリに出会ったりしなくて良かったぁ。

恐浮ノ縮み上がり、その後は一人で買い物をしたことなどすっかり忘れて、夫におんぶに抱っこの買い物生活になってしまったのでした。
しかし、知れば知るほど浮ウの募る買い物生活だったな。

逆に、浮ウを知ってしまえば、それに対処する知恵が湧くものです。
幼い子のように、わけも無く浮ェるのではないのですから、ずっと楽な気持ちになった事でしょう。

今日は、本格的に10年間の垢を落とすべく、腕まくりをしました。
モンゴルに行く前は、聡恚@が重くて仕方が無く、雑巾がきっちり絞れなかったり、窓ガラスの汚れは見なかった振りをしたり、すっかり聡恚藻ロ症に浸りきっていた私からの脱出だ!

ウランバートルのなつかしのアパートで、ボーっとしたおかげで、すっかり心の栄養をもらいました。

そういえば、帰国してから今日まで娘たちと、心からあはは、、、と笑っているなと気がつきました。
ほんとに、よかったなぁ。
鼓太郎が、落ち着いているはずです。

うれしいなぁ!しあわせだぁ!
コメント