風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

孫誕生

2010年11月28日 | 徒然に日々のことを
27日午後10時45分 女児誕生 2、880グラム
 母子ともに、元気です。

安産で一安心。




早速、面会時間が来るのを待って、病院へ出かけました。
「やっぱりお母さんが一番乗りだったね。」と、二児の母になってもそんなことを言う。

娘とは、いろんな機会に幸せをくれるものだ、それと同じくらいの寂しさも、無いわけではないのだけれどね・・・・・

あいにく咳が出ている私は、娘の入院中の予定していた積極的なお手伝いは出来なくなった。ほんとに申し訳ないのだけれど、嫁ぎ先には、ご両親と義妹と三人も手伝える人がいるのだから、お任せすることにしました。

退院したら、我が家に来るのだからそれまでに風邪をスッキリさせることに専念しましょう。


しばらくして、ご両親、パパ、お兄ちゃん、義妹夫婦にその赤ちゃんが、駆けつけてきた。

お兄ちゃんは、病院に着いたときは、お昼寝中で、ママと妹を見ることが出来ない。
ママだよと呼びかけてもおきないのでした。


私がいるあいだは、その調子で、帰った後、目がさめてママとの対面があったのかどうか。

妹がうまれて、全てを我が物にしていた世界が、がらりと変わって、それをその小さな心で、どのように受け止めるのか。

お姑さんによると、「ちゃんとわかって、我慢しているみたい」とおっしゃっていたのですが。

パパは、きりっとして、さすが、二児のパパと言う風情で、きっと娘は、彼のことを惚れ直したのではないかしらと思わせる表情でした。
ますます、幸せな家族になることでしょう。
よかった、良かったと思いつつ、一抹の寂しさを感じるのは、わがままでしょうか?




いまどきの妊婦は、体力もあり西洋医学の論理から、早々と起き上がり、シャワーを浴びる。

びょいひょいとあるいて、階下の新生児室に案内してくれす。さすがに、階段はいけないといわれてるからとエレベーターを使ったけど。

最近、知った整体の論理からは、ありえないことだけれど、今回の出産に間に合うほど、理論武装が出来なかったので、みすみす、完璧な体を作り上げるチャンスを娘は逃したことになる。残念。


一つうれしいことは、宿便が出てから、初めてのおっぱいを飲んだこと。
井本整体の「妊娠・出産・子育て」の初乳と宿便の章には、宿便を出してから、おっぱいを飲ませることの大事さが書いてあった。
全部出し切っていたかどうかは、まだ、わからないのだけれど。

こんなときに風邪引きしてしまって、娘のそばについていてやれない私が、あれこれ言えることではない。

娘が、3人目を産むことがあるとしたら、是非、この方法の助産院で産むことを勧めようとおもっている。
ただ、こればかりは、パパとご両親の考え方も有るので、娘が困らない程度のプッシュをするということで、うまくいけばメッケモノと思うことにしよう。


退院と同時に我が家にやってくる娘とおにいちゃんと赤ちゃんのこと、迎える体制は私の体調意外は完璧。
さっさと、風邪退治をしよう。

当分、忙しくて、PCどころではなくなることでしょう。



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ねえさんの出産間近

2010年11月27日 | こたろう語録
昨日は、2才半の孫に会いに出かけていったかあさん。

孫が、姉さんと話しているときに膝の上でいつの間にかねてしまったんだって。
その姿勢では、誰もが寝かしたことがなくて、しかもいつの間にか寝てたっていうのは、いままでなかったんだよって、ねえさんが驚いていたんだって。

かあさんとねえさんが、のんびり穏やかに話をしているから、安心して、眠りにすいこまれたんだねぇ。

おなかは、ずいぶん大きいけど、下がっている様子はなかったから、まだだねぇと言って帰ってきた。


そして、今朝、「10分おきなんだけど」と電話がかかってきて、いろめきたったんだけど、しばらくして、「どっかいっちゃった」と連絡。

パパは、あわてて帰ってくるところらしい。

ちょっと一段落。

かあさんは、なかなか、姉さんたちを迎える準備にエンジンがかからないって言いながら、毎日ほんの少しづつ何かしらはしていたんだよね。

練成会をきちんと終えて、できたら28日の中央会も無事出席して、役割を終えたいと思っているためで、準備が完璧に出来たら早めにうまれるかもしれないから・・・と、
たいそうな言い訳をしているけど、かあさんは、なんでも準備は、土壇場にならないとやれない人だからねぇ。

これで、スイッチ全開したかなぁ。
それにしても、とうさんは、メ[カーフェイスだけど、きっと、心中はざわめいているんだろうな。


ぼくはというと、入っちゃいけない部屋がしゅつげんしているので、来る受難の日々が近づいていることがわかっちゃって。  ぼくは、赤ちゃんの上にとびのったりしないんだけどな。
ゆーうつだなぁ。


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あったかぁー

2010年11月26日 | こたろう語録
ホットカーペットは、いいなぁ。

ぼくの毛がつくから、きょねんから、かーぺっとは、このタイプになった。

あったかければ、ぼくは、なんだっていいよ。

あ~~  ごくらくだぁ~









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イカ

2010年11月25日 | こたろう


  イカだぁー  かあさんちょうだいね。









こたろうは、イカが大好き。
玄関からかぎつけて、つきまとう。
つぶらな瞳で、下から見上げられるとねぇ~

イカは猫に食べさせると、腰が抜けると聞いてるけど、今まで一度もそんなことない。
こたろうが腰が抜けるほどおいしいと思っているのなら、なっとく。


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関吟東京支部秋季練成会

2010年11月23日 | 詩吟
瑞江東部区民館にて、恒例の秋季練成会が開催されました。

今日一番の興味は、4月に発足した夢青葉教室の新人三人の独吟です。
メンバー本人たちのみならず、他の教室の面々からも、行方をやさしい興味深深さで暖かくく見守っていただきました。

あまり頑張りすぎないで、楽な気持ちで、練成会とはこんなものなのねと観察するくらいの気持ちでいましょう、と言いました。

独吟ですが、私も一緒に壇上に並んで出場ですから、もし、頭が真っ白になって詩を忘れても、後ろから教えてあげるからと、みんなが支えてるよと、言い合って壇上の人になりました。

夢青葉の幸運だったことは、今年の練成会の取り組みとして、教室ごとに趣向を凝らして発表をするという方針になったため、私を含めて、4人そろって壇上に上がったことです。

全員独吟という例年の方針であったなら、舞台の袖から、一人で舞台中心に歩いてゆき、伴奏が始まるのを待ち、作者吟題を行ってから詩吟に入るのが普通の作法です。

一歩を踏み出し、マイクの前に至るまでに、ほとんどの気力を使い果たしかねません。

いろんな幸運と、度胸のよさで、見事な吟を披露して意気揚々と壇をおりました。

ほっとした顔をしながら、これで、ゆっくり、他の人の詩吟が聞けると、ゆとりで練成会初参加を経験したのでした。

さて、私の吟は、教室を持ったことで、第三部の指導者吟の部で、披露しなければなりません。
心から、好きになった詩の「山亭夏日」を引っさげての、登壇でした。

何時までたっても、上がり性からは魅入られたままで、それはとりもなおさず、実力以上に見て欲しいと言う欲からくるものと、頭ではわかりつつ、どうしても、ひらひらと心が地に付かず舞いを舞ってしまいました。

十分に練習したつもりでも、有史以来はじめて詩の誤読をしてしまいました。
と言うことは、十分に練習したと言うのは、「つもり」だけで、たりなかったということです。
十分に練習が出来ていれば、詩はするすると口をついて出てくるのです。
あとは、息が上がることとの戦いだけでよいわけなのですが、、、、

録音してくれたのを、後で、聞いて、大反省をすることにいたします。


ただ、「山亭夏日」は、今まで選んでいて行け行けどんどんタイプの詩情ではないので、新しい境地に足を踏み入れたことになります。
この詩を練習することで、呼吸法の練習をしたことが、大いに役立って、底で支える息から発せられる声と言うことの意味が少しわかってきたように思います。

私個人には大きな結実は実感されなかったのですが、三人会員さんたちの充実感達成感高揚感は、十分に有ったとの手ごたえは有りました。

何よりも、良かったのは、みんな、あっけらかんとして、舞台に上がることによって起きがちなトラウマを形成することがなかったのは、万々歳です。

三人しかいない教室で、本来ならば、時間は合吟一吟の割当のはずですが、温情で時間を長めに割り当てていただいて、一人一人があせらず、独吟に挑戦させていただけたことが、感謝です。

三人に対する課題は、なくて、このまま、夢青葉のモットー「明るく、楽しく、のんびりと」で、行けばよいことがわかりました。

私の、課題は、もっと、練習時間を確保すること。
さて、まもなく、バァバの仕事の始まる私には、自分の時間がなくなることでしょう。
大きな声を出す詩吟は、当分出来なくなります。

孫からのパワーを一杯もらって、練習が出来なくても、思いだけは、減らさないようにしようっと。

これから、夢青葉のメンバーは、諸先輩方にかわいがってもらえそうで、ほんとにうれしい。
物浮カしない、Nさんは、早速溶け込んでいたようです。

「同好の士」の意味をしり、ビジネスで痛みつけられたでしょうが、そんなかかわりとは地学物がここにあることを、そして、手を伸ばせば自分のものにできることが、わかったのだったらいいなぁ。








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すずめをねらう

2010年11月21日 | こたろう
テレビに映ったすずめを狙うこたろうであります。





ずいぶん前に、鳥の鳴き声に反応したのだけれど、今日は、画面のすずめの姿に身構えるこたろう。






真剣に見つめる、いつもならこの近さでカメラを構えると、目をそらすのだけれど。。。




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倉敷会

2010年11月17日 | 徒然に日々のことを
麹町のホテルで、倉敷会があった。

去年と今年で2回目の参加。

今年は、仲間が、司会をするので、応援がてら参加。

倉敷市長を始め、岡山出身の議員さん、市会議員のそうそうたる顔ぶれである。

立食パーティーを楽しみながら、名刺を片手に名刺交換に余念のない人たち。

倉敷の産業をいかに盛り上げるかの、あつまりだ。

名刺を持たない主婦には、あまり縁のない世界みたい。

何か倉敷にゆかりのあるもので、起業をくわだてる?

懐かしい味ーばら寿司(チラシ寿司)うどん ふうまん(大判焼き)マスカットのワイン えtcーを頂き、上品な一口ケーキをほおばり、みなよそ行きのかおをしている。

同窓会とは、ずいぶん違った雰囲気。

同窓会よりも、この雰囲気が好きで、こちらにだけ出席する人もいたなぁ。

そして、同じ倉敷の出身でも、おのずと出身高のランクによって相手の反応が違っている。

来年は、さそわれてもあまり気がすすまないだろうなぁ。

くじ引きで、大原美術館のショッピングバッグが賞品の一つとして出ていたが、それが、当たっていたら違ったかも。
会費7,000円は、市長と握手するより、欲しい京浜が当たって欲しい気分だなぁ。

一つうれしかったのは、名産のスイートピーのおみやげ。



スイートピーの開花時期に2~3日曇りが続くと花やつぼみがおちてしまうので、岡山の晴れの日の多い日照条件(降水量1ミリ未満の灯276日デ全国1位、日照2010時間全国9位、降水量1,141ミリで少ないほうから7位)が、ぴったりなのだそうだ。
そういえば、去年も花といえばスイートピーだけ飾られて、お土産に頂いた。
今日は、ちゃんと説明書賀付いていたので、やっと、岡山の名産と理解した。

ふるさとを、30年も離れて、お墓参りだけに変えるのだから、新しい産業のことは知らないで来てしまった。

ちなみに、スイートピーは花療法としてストレスの緩和をしてくれるらしい。
パステルカラーのやさしいイメージと甘い香りが癒しと心の栄養になるそうです。






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夢青葉

2010年11月14日 | 詩吟
夢青葉11月のお稽古
いつものメンバーに加えて、同窓会でいつもご一緒する玉高の先輩が見学に来てくださいました。

先月の同窓会で、話が出て、最小限の情報だけを得て、その気になった時、誰にも連絡せず突然東村山駅に現れました。みんなびっくり。

そして、一緒にランチをして駅からバスに乗り、教室へと向かいました。

今日は、吟詩日本の特別号があったので、ちょうどよかった。

彼女は夢青葉の話題が出ると、「私は音痴だから、詩吟はしませんけどね」と言い、私は「詩吟はしゃべることが出来る人ならできますよ」と毎度答えていました。

今日も一日、詩吟はしませんといいながら、楽しそうにしていらっしゃいました。
そして、最後に詩吟はしませんけど参加したいので、会費を払いますとおっしゃったのです。

いえいえ、初回は頂きません。次回からお願いしますと納めていただきました。

今日の練習は、練成会の練習で、姿勢のこと、マイクのこと、舞台での手順のこと。
そして、肝心の詩吟。
よく練習してあって、直す所はありません。
後は、舞台での自分と向き合ったとき、どんなことになってもそばでみんながいるからねと。
さながら、母親のごとく。
と、言いつつ、私が一番あがるかも。


さて、帰りの電車の中で、くだんの先輩。「私、詩吟ができるかもしれない」と、ぽつり。
私は、聞いたよという顔をすればよいのか聞かなかった顔をすればよいのか、迷ったのですが、聞こえたしうれしかったので、にっと笑いました。

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ぼくのライバル

2010年11月13日 | こたろう語録
Iam Maru

まるさんは、テレビにも出る有名猫。
ぼくは、とうさんとかあさんに有名な猫 だから、ライバル。

このまるさんは、ほんとに、おもしろい。
だから、かあさんがサイト見学をするのを許している。

あんまり面白いから、かわいいよ~とさそわれて、とうさんも動画をながめてる。
こんなふうに、さそわれてブログサイトをのぞくのは、孫が出来てからのこと。

けれど、いまだに、かあさんのことも書いているので、僕のサイトは、のぞかないんだよね。

わがやは、ねえさんたちも、いろんな意味で、相手に踏み込まないところがあるなぁ。。。



ウランバートル時代は、とうさんのことをここに取り上げて書いていたけど、それは超特別措置で、家族にあちらでの生活を知らせて安心してもらうという大前提があったから、いまは、どんなことがあってもとうさんのことは載せてはならんといわれてる。

でもねぇ、家族だから必然があれば、しょうがないよねぇ。

てことで、とうさんじょうほうは、また明日から、出張。
どうやら、知り合いがいるところへ行くらしく、それも母さんも知っている人がいるっていったら、あそこだよね。

きのうは、かあさんが、お土産も買ってきてた。
とうさんは、納豆も持って行きたいらしい。
あの人って、納豆好きだったかなぁ。

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トイレの神様

2010年11月12日 | 徒然に日々のことを
トイレの神様

今とても、話題になっている歌。

作者の花菜さんは、こんなおばあちゃんがいて、よかったねぇ。

母は、孫たちのことを心から愛しながら、あまりにストレートでぶきっちょだったので、この世にいるあいだは、孫たちに伝わらなかったなぁ。

母の最後は、私のことをお姉さんと言うようになってしまったから、印象は悪かったのだけれど、それは、私にあまりに余裕がなさ過ぎて、私自身もあまりにストレートだったから、オブラートに包むことが出来なかった。


この歌のような思いを孫が抱くようになるってことは、お母さんがいい感じであいだを埋めていたんだろうなぁ。


こうしてあげたら、こんな風に孫は思ってくれるんだろうなぁという、その先に何かが戻ってくるだろうってことなんか、ちっとも思わないで。
今、私は何を孫にしたら良いのかということだけしか考えてなかったのだろう。

それは、あまりに、エネルギーが強すぎた。

私がいなくなったら、こんな風に思い出して欲しいなんてことも、ちっとも考えなかったはず。

そして、なにかをして欲しいと決して言わなかった強い強い母は、ほんとは、どんな思いでいたんだろう。

こうしてあげたら、こんな風に思い出してくれるかもというくらいの思いで、孫たちに接していたら、母はもっともっと孫たちに、愛されて、生きているうちに優しい言葉をかけてもらっていただろうに。

ある意味で、肩肘張っていた母だから、ありがとうって言われて、怒り出したこともあったなぁ。
当たり前のことに、ありがとうを言うなんて失礼な!と思ったのは、明治の女でありすぎた母の切ない生き方なんだねぇ。母は、一杯わたしの心に宝を残してくれたね。
一切甘えることなく、何の要求もせず逝ってしまった。

そのことを、亡くなって8年を過ぎた今頃になって、わかる私の迂闊さ。
笑ってしまうなぁ。

これから、二人目の孫を迎えようとしているときなのでした。


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