風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夏納め

2017年08月31日 | 詩吟
夏のお稽古は、1回のみにして、今日は、夏の納め。

一番安いという猫さんマークのカラオケ屋さんで、持ちこみフリータイム。

ずいぶん長い時間おしゃべりと、歌。

今日は、ダムじゃなくて、ジョイサウンドの使い方についてレクチャーを受け、私のキーがわかりました。
いまさら?と言われそうですが、カラオケは、ほとんど行かない。

詩吟の練習に使うときは、機械は一切使わないからねぇ。

長年、キーについて知りたいと思っていたのが、簡単にわかって、そして、ガイドに従って、キーを調整すると、何て歌いやすいんでしょう。

心安らかに詠うから、余計に、乗りが良くて、本当のカラオケの楽しさを知った次第。

大体私は、カラオケに行くとしたら、詩吟がらみで、今日のように、マイペースで、詠ったのは、初めてかもしれませんねぇ。

これなら、一人カラオケも楽しめるかもしれません。

せっかくメモしたのをなくさないようにしなくては。

次回は、いつだろう。
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予定がなくなってそして

2017年08月28日 | 徒然に日々のことを
術後の受診は、ほぼ問題なし。

少し目がゴロゴロしていますが、これは、縫ったのだから徐々に改善するとのこと。
視力は、1・0です。

点線も繋がって直線に見えること無く、ちゃんと点線で見えます。

私のすぐ後に手術をなさったご婦人と、待合室でちょっとだけ、お話をしました。
何と、彼女は、目のゴロゴロ感などなく、すっきりしたものらしい。
個人差があるのですねぇ。


それにしても、1日4回、三本の目薬は、続けて注さないで、必ず5分以上開けるようにとの指示。
この五分は、ただ待っているのでは、長くて長くて、かといって何かができるわけでもなく。

さしずめゆっくりと律詩を口ずさむかなどと、思ってみるけれど、こんな楽しくもない時間を計るために詩吟はねぇ。

今日は、何時もなら、新越谷論語素読の会の日なのですが、あいにく先生の体調不良で、休講になりました。
おかげで、講座を欠席すること無く眼科受診に行くことができました。

先生も早くお元気になられて、11月に予定しているいつもと違う会に精出しましょう。

その場所は、もう決まっていて、野田の古民家レストラン「たるふじ」です。

そこは、初めて須藤先生と出会い、始めてにもかかわらず、詩吟を生徒のみなさんに聞いていただいた大事な場所です。

先生は、何を聞かせてくださるだろうか、私たち吟詠チームは、どの漢詩を選ぶだろうか。

考えるだけで、ワクワクします。

少しの間、講座はお休みにしていますが、先生の体調が整って、これが、お休み後の幕開きになることを心から願っています。

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昇段試験

2017年08月27日 | 詩吟
8月27日東京芦孝会中央会にて、昇段試験が行われました。

朝の幹事会だけ出席して、以下の行事は、欠席したため、審査の様子がわかりませんが、わが、夢松風のお二人は、満足の行く吟詠ができて、合格したとの、お電話を頂きました。

練習の時の堂々とした様子を見て、何の心配もありませんでした。

おめでとうございます。

また、幹事会では、先ごろの昇格試験の結果も本部から届いており、野田 芦孝会長から、お手渡しいただき、正式に、夢青葉の三人の昇格が決定いたしました。

これもまた、おめでとうございます。


今日は、ドクターの指示と休日で自宅にいる夫の厳しい監視があったので、書類提出と、出吟料、昇格申請料の払いこみだけはしなくてはと、出かけました。


午前中の涼しいうちに、出かけたのは、幸いでした。

通いなれたはずの乗換駅で、とんでもない改札に出てしまったりして、高々15分の手術で、二日も安静にしていなければならないなんてと、高をくくっていたのは、間違いと思いました。

部屋を急いで走っていると、I 「はしっちゃだめ」と目配り気配りを頂いたりして、事なきを得ました。

自分では、何も変わらないと思っているのですが、ハイになっている部分と、ローになっている部分とが混じっているものだから、却って、異変に気づかなかったようです。
ほんのちょっとしたことですが、いつもならしないようなことをして見たり、人の目が気になるはずのことも平気で流したり、危ない状況だったようです。

マイナス要素が二つ重なったら、事故にはなったかも。
落ち着いて、考えてみると、家を出てから帰るまで、頭が揺らめいていたようです。

医師の指示は守るべし。



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手術

2017年08月26日 | 体を整える
昨日、白内障の日帰り手術を受けました。
手術は、15分ほどで、終わり30分ほど体を休めてから、帰りました。
担当の医師の説明も、うまくいきましたとのことでした。

眼帯をして、帰宅して、翌朝、眼科に行って、眼帯を外し、検眼をして、すでに視力も出ていて、何の問題もないとのお墨付き。

一日4度の目薬だけは、くれぐれも欠かさないようにと、注意点を頂きました。
よし!今日一日ゆっくりしていれば、OKと、思いきや、「入院していると思って、今日と明日は安静に過ごすこと」と、医師に申し渡されました。

「えっ、明日は、大事な会議(中央会)があるんですけど。」と、言ったら、一喝されました。

「日帰り手術だからと言って、手放しで、安心してはいけません。」


迂闊だった、どうしよう。

あれこれ考える。

考えたら、私しかできないことは何もないと気が付いて、お願いするところはお願して、すべきことをすればよいと。

とりあえず、手元にある明日締め切りの申し込み用紙とお金を届け、朝の会議だけ出席したら、帰ってこよう。

そして、持ち帰るものだけ、受け取って、明日からの作業に困らないようにしようと、結論。

全面欠席は、したくないので、涼しい朝の移動をして、持ち帰るものは、リュックに入れて持ち帰ろう。それだったら、ドクターも許してくれるだろう。




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昇段試験おさらい

2017年08月23日 | 詩吟
昇段試験四段の受験者が二名、おさらいが続いていましたが、今日で、終了です。

27日(日曜日)の中央会がその昇段試験日です。

とても熱心に練習が続き、なかなか、せっかく購入した新Aその2のテキストへと進むことができませんでした。

それでも今日は、最後の練習とあって、お二人とも気を入れて練習をして来ていました。

練習してきたでしょう?と聞くと、即座に「はい!」と返って来たところを見ると、本気のその気で、お稽古をしたようですね。

だって、律詩の吟詠体力が、しっかりついて、最後の2行を盛り上げられるほどだったのですもの。
もともと、姿勢の良いお二人ですから、コツがわかると、どんどん伸びやかになっていくのが、手に取るようにわかります。

そして、吟題を言うときの、自信のほど。
それが、嫌みの無い自信と言うのは、お二人の人柄にもよるのでしょう。
ほんとに、積み重なりましたねぇ。

その様子が、年上の方なのに、とても可愛くて、つい笑顔になりました。
やはり、詩吟に関しては、私は、年下のお姉ちゃんなんだわ。

夢組会員さんたちの新人の頃は、自分での練習は、お薦めしていませんでしたが、4段受験者ともなると、自己レッスンは、功を奏するようになったんですねぇ。
ただ、練習をやったのがわかるというほどささやかなものでは無かったのです。
そんな、ガッツをいつの間にか身につけていたのですねぇ。

わぁ、なんだか、嬉しい、感動ものです。


今日は、始めてのゲストさんもお迎えしました。
事前にご連絡を頂いたので、お二人が復習をするはずの4つの吟題のコピーも準備できました。
何しろ、この会場には、コピー機がありませんから、事前の連絡は、嬉しいです。

私自身、荷物がなるべく軽いのがうれしいと思うこの頃です。
まして、新人さんで、テキストがまだでそろっていない方には、、できる限り、コピーをして差し上げたいのですが、無駄は省きたいものですから。諸般お察しください。


さて、来月からの通常のお稽古は、今日もさわりの部分だけはやりましたが、新A-2のテキストに入ります。

B号の律詩にも、定期的に入れていくについて、少し迷いがありましたが、今日の様子では、何の問題もないことがわかりました。

予定通り、新A-2と律詩B≠Pを順調に続けられそうです。


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転勤

2017年08月20日 | 徒然に日々のことを
お見送りに行きました。

孫たちのパパが転勤です。2年間の赴任です。

2年後は、小6 小4 小2になって帰ってきます。

最近は、カメラを向けるとスイッと横を向くようになった3年生男子。

飛行機に乗るという浮かれ気分の中にいながら、なんとなく、その先を察知しているようでした。

「笑ってね」と言ったら、何と、照れながら、ばぁばのために笑ってくれました。
最高の置き土産です。




いってらっしゃーい。元気でね。遊びに行くからね。
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律詩体力

2017年08月19日 | 詩吟
律詩を吟ずる体力について。

力任せに、8行の詩を吟じるのも一つのやり方ですが、必要なところで、給水を行い、休憩を入れながら、走るマラソンのことを思うと、そんなに、大変なことでは無いのです。

大きなかぎかっこで、キチンを息を吸い。疲れてしまう前に、休憩をとる。
吟詠の場合の休憩とは、「間」を上手に取ることです。
絶句の時も、転句句の前では、十分に間を取りながら、息を吸いました。

この息を吸うというのは、大変な曲者で、大きく息を吸えばよいというものではありません。
十分に機能する息は、大量の息ではありません。
ちょうど良い息です。

ちょうど良い息とは、次の息までに使いきることのできる息です。

息って、そんなに簡単に調節でいるものではありませんが、もし息が余れば、吐けばよいのです。

息を吐くと、脱力もついでにできて、頑張ってこわばった体のリラックスにもなります。

なに?「吟じている途中にリラックス?」
そうです。絶句であれば、特に、承句の終わりから転句が始まるまで、律詩であれば、頷聯の終わりから頸聯が始まるまでは、ゆったりと間を取ります。

その間は、詩の情緒を呼び、次への新しい興味を惹く大事な空間です。
その大事な音の無い空間で、大事なことをするのです。

息を吸う前に、息を吐き切ること。吸わねばならぬと思う気持ちに反して、吐くことをするのです。
これで、体も脱力して、良い再スタートが切れるのです。

行間や、間を上手に使えるようになると、自在に言葉や声を操れるようになります。

「無」を大事に有効に。

力は、抜くから、入れることができるのです。




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菜根譚

2017年08月17日 | 論語と
人有字の書を読むことを解して
無字の書を読むことを解せず。
有絃の琴を弾ずるを知って、無絃の琴を弾ずることを知らず。
迹(せき)を以て用い、神(しん)を以て用いず、
何を以てか琴書の趣を得ん。      ≪菜根譚 後集 161≫   

「無絃の琴」についての私感をお聞きしたあと、T 先生による「飲酒  陶淵明」をご披露いただきました。


皆感動をもって、吟詠を聞きました。

陶淵明は、無絃の琴を携え、酔えば、その琴を愛撫して、心の中で演奏を楽しんだという逸話があります。

文字や言葉で遊んでいるうちは、人まねであって、物事を本当に会得することはなかなかできるものではない。

日頃、言葉を多用している私には、耳の痛い言葉である。

「天籟」に続いて、「無絃の琴」は私の、いまだわからずの単語帳に登録あいなりました。
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降りる

2017年08月13日 | 詩吟
降りること、「階段を降りる、音を降りる」のは、登りより困難が付きまといます。

降りることは、登りよりも気を使います。

同じように気を使いながらも、難なくやってしまう人と、例えば、膝のいたい人が階段を降りるには、勇気をもって痛みをこらえて、よっこらしょとタイミングを計らねばならないので、時間がかかります。

音程を降りるのも、音程の取り方に問題のある人も、登りより、下りに手間がかかります。

「大山の七、六、止めの三半、三」考えなくてもできる人、苦労してできるようになった人、苦労しても、時間をかけても、どうしても「降りる」ことに間延びしてしまう人。

根気よく、声の出し方、下りていく先の高さを確認をしなければなりません。
予想の上手な人、直感の正しい人は、困ることがありません。
手探りで、その先を見極めねばならない人は、ちょっと困る。

登りよりも下りが大事で、困難と言うのは、人間の体の特性なのだろうか。
ひざに痛みを抱える私は、登りは大丈夫なまでに回復しているけれど、下りは、やはりつらい。
確かめながら、ゆっくりと、着地面を確認しながら、支える力がないから、どん!と降りてしまう。

声も支える力がないと、すいすいと登って降りることが難しい。
間延びするし、着地が不安定になる。

音程は、私は、まだ大丈夫だけれど、体に故障を抱えると、困難な人への思いが至るようになる。

そして、下りだけではなく、音程が飛んで上がらねばならないときも、やはり見極めが苦手な人には、不安定になり、次へと続く音がさらに、ふらついてしまう。

コンダクターやCDなどの機械音のサメ[トで、音がとらえられる人は、まだ、幸運。
機械音で、とらえ難い人は、やはり、そばにいて、口移しで、繰り返す、繰り返す、繰り返す。

一度できたら、つぎからは、たやすくなる人が多いけれど、時間を置くとリセットされてしまう。
リセットされてがっがりするけれども、年が経ってみると、意外にも積み重なっているのに気がついて、無駄ではなかった。
これはこの人の特性なのだと、気が付く。

その、遅さに、ちっとも臆さず、歩み続ける強さはどこから来るのか。
そして、成功した時は、子供のように喜ぶ。

その笑顔に、またしても、取り込まれてしまう。

そんな人だから、たまには、自分勝手だ!と、むかっ腹を立てることもあるけれど、憎めないのである。
意外にと言ったら失礼だけれど謙虚で、適切な感謝の思いが、きちんと伝わってくるから、また、手を貸したくなる。

面白い人だ。

だから、また、手を変え品を変えて、手助けをするアイディアをひねり出そうと思います。



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今日もゲスト

2017年08月12日 | 詩吟
練習時間を短縮しての、納涼会。
ここでも昇段試験の練習真っ盛り。

いつもながらの、指導者先生の熱心で、緻密なご指導が、続きました。

ここまで、丁寧に指導をなさっても、まだまだ足りない方もいて、延々と特訓が続きました。

私としては、もう十分と思えるその先まで、妥協を許さないご指導には、頭が下がりました。

その会員さんの様子がわかったつもりでいましたが、ここまで、食い下がってやれば短時間でもできるのですねぇ。
もっともその会員さんだからであって、他の方だったら、ここまで食い下がらないと、思います。

それぞれの持前があって、それぞれのノウハウがあって、どなたがいても、すべてつまびらかにする指導法は、あっけらかんとして、潔い。

また、あらたな学びがありました。

「ここまで」と、決める線引きは、それぞれのできる範囲で、それぞれの個性で、また、受ける側の考え方、受け取り方によって、違うのだと思いました。
今日の受ける側は、誰のせいにも、何かのせいにもしない、強さがあり、いつまでもあきらめないところがあり、つい、ほだされて、手助けをしてしまうというところがあります。

それで、一応の成果が得られるまで、時間を延長しながら、特訓が行われました。

先生もご本人も、お疲れ様でした。
それをそばで、見ていて、すっきり納得し、清々しい思いで、帰路に着きました。

あきらめない、きちんと責任を持つという先生と会員さんでした。



体の芯が太くなり、こだわりを捨てて、しなやかになると、もっと、手に入れることのできるものが、増えるなぁ。

足の裏全体で、立つこと、何時も山田先生に言われること。それは、たやすいことでは無いのですが、それができるということは、芯がしっかりしてきたということなのです。

しっかりと大地を捕まえて、すっくと立ち、揺るがない。理想の形、理想の心境。



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