風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

平均寿命

2006年12月16日 | モンゴル通信から
            =2006年12月10日No.33から=

モンゴルの平均寿命は、64.5歳 
   (国連「人間開発機構」による)

中国鉱山会社、採掘違反
   亜鉛の採掘権のみを持つ中国の会社が違法に原油の採掘を
始め800万米ドルの原油を中国へ輸出した。

(その記事の下に)
中国からガソリン輸入
   今までは、ロシアからのみ燃料を輸入していたが、
中国石油社と燃料救急条約締結した。
   その結果、1トン当たり100米ドル安価になった。
   ガソリン代の値下げにより、日用品の値上がり問題を解決する。

そのほかには、誰に賄賂を渡すかと言う副題のもとに、ワースト10のグラフが、
1位 教師(39.3) 2位 医師(37.6) 3位 公務員(34.3) 4位 警察官(22.7) 5位 税関吏 (9.6)

その理由は、1位 自分のサービスを得るため (69.5) 2位 手続き簡略化のため(25.8) 3位 相手に要求されたから (18.6)

日本企業がGOBI社 落札
   GOBI工場は日本技術経済援助によって1981年創立。
   モンゴル最大のカシミアの会社で、多額の納税をしてきた。
   Securities社・都市宗研インベストバンク株式会社協力コンソーシ
アムが落札

穀物収穫の増加
   前年比穀物収穫 160% ジャガイモ 130% 野菜 110%
   総需要のやさい40% ジャガイモ 100% 小麦粉32.6%の供給
   これは、「緑の改革」により補助金、小型トラクター至急によるため
   また、今夏は雨がよく降り、草がよく生えたことも関係している

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件pの神様は80さい

2006年12月06日 | モンゴル通信から
          モンゴル件pの神さま=ロブサンシャラブ=
  
11月23日作曲家のロブサンシャラブさんが80歳を迎えました。

「マーモー ナーシイル」(おいでよ あかちゃん)と言う歌は、彼が作曲してちょうど50歳になりました。
1956年、彼は、モスクワに留学しており、ラハマスレンがこの詩を持ってきたそうです。
ある日、彼の娘のハロオンスレンさんが6歳のとき、外で「マーモー ナーシイル、マナイド ホヨラートグロイ(おいでよ 赤ちゃん、一緒に家であそぼうよ)」と歌っていたのを聞いて、作曲したそうです。

この歌は話し始めた子供が必ず学び、しかもみんなが大好きな歌である。

同じ日、こども宮殿でこの歌之誕生50周年のコンサートが開かれたそうです。
最後にロブサンシャラブ氏は「この大歓迎が私を10歳若くした。私はまたこのような作品を作る。」と約束したそうです。

           ーモンゴル通信 2006年11月30日(第93号)ー


楽譜は、以下より参照させていただきました。

草原歌集~はじめてのモンゴル民謡ー  著者   横田 和子
                       楽譜監修 河井 英里
                       協力   のどうたの会



横田 和子プロフィール

 1973年生まれ 千葉県出身 早稲田大学大学院文学研究科修士課程終了(教育学)。
1995年から、2年間モンゴル国立大学留学(モンゴル国教育奨学生》。
2000年から、1年間、財団法人国際交流基金アジアセンターのプログラムによりモンゴルに研究滞在。
現地で、馬頭琴の双方を学ぶ。モンゴルの歌と言葉に関心を持つ。


  あかちゃん こっちおいで

赤ちゃん、こっちおいで    マーモー ナーシ イル
うちでふたりで 遊ぼ     マナイド ホヨウー トグリー
パパとママがくれた      アーブ エージ ホイリン
おもちゃがあるよ       アブチルサン トグロム ビーシュー
おうまにのってかけよう    モリ オナジ ダブヒヤ
車をうんてんしよう      マシン バリジ ヤウヤ
本や新聞を読もう       ノム ソニン オンシャ
草や木を植えよう       ノゴー モッド タリヤ

(モンゴル語は、日本語と同じことばの並びなので、一つ一つ言葉を照らし合わせて読むことが出来ます。)
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日・モ障害者交流セミナー

2006年09月24日 | モンゴル通信から
=2006年9月20日号「旬あの人・この人」より=

      日・モ障害者交流セミナーで体験を語る 
肢体障害者の笠羽美穂さん、障害児の親の三嶋由美子さんがゲストに招かれ、お二人の体験を映像を交えて紹介される。

モンゴルには6,000人くらいの障害児がいるといわれて居ます。このセミナーは2年間モンゴルの障害者施設で活動した隊員の企画によるものです。

<中略>お二人の体験談

「障害の軽い、重いは関係なく親同士が手を携え、子供が独立した生活ができるよう支援したい」と三嶋さんが語り、共感を呼んだ。

まだ、困難なモンゴルの障害者の環境。日本人が長年運動してきたように、モンゴル人自信も社会を変えていく力を持ってほしい。会場に広がった連帯の輪を感じながら、日本から来た二人はそう願った。



22日日本モンゴルセンターで、3週間にわたる、セミナー行脚の毎日に、お二人は疲れを見せることなく、笑顔で私の紹介を受けてくださいました。

このセミナー実施に当たって、たくさんの関係者が、ボランティアで支えています。
セミナー開始の時期に私は日本に居たため、お手伝いのローテーションに組み込まれなかったのですが、その中の一人が風邪で唐黷スと言うことで、急遽依頼が来ました。

お二人の、明るい表情と何よりもそのタフなところに驚きました。
お二人の公演を写すビデオのスイッチをオン、オフするだけの人差し指の手助けですが、お二人の話をつぶさに聞いて、私のあずかり知らなかった世界が展開していました。

そして、いつもながら、時間通りには集まらない聴衆ではありますが、熱心に静かに聴いていました。
その日の出席は、現場の先生を指導する立場の方たちだったようで、質疑の時間には具体的な質問は出ませんでした。
私の勝手な感想ですが、初めてのこういうセミナーに、驚きが先立ったように感じました。そして、また、こういうセミナーを開催してほしいとの要望が強いようでした。

電動車いすの笠羽さんが、「サンバイノー(こんにちわ)」と挨拶しただけで、オーッとどよめきが起こり、そのどよめきは何なの?と、そのことに私は驚いたのでした。

UBでも、杖をついた人、車椅子の人も見かけることはありますが、6,000人もいるとは思いませんでした。
障害者の施設に通える人はほんの一握りのようです。
我が家の、上の階に障害者が居ます、何とか自力で階段を上下できる程度、会話もおぼつかないながら、できているようです。
先日、立派な車から降りてくるのに出くわしました。
このような車を維持できて、送り迎えするゆとりのある人たちでなければ、まだ、施設には通わせられないのが実情のようです。

    セミナー情報追加
セミナーは、さまざまな会場で行われていますが、ある大学で行われたセミナーでは、とても熱心な質疑応答がなされたそうです。

ほんの少しの情報でも、大きな刺激と影響を与え続けているのがよくわかります。
モンゴルの障害児・者とそれにかかわる人たちの環境が、よりいっそう改善されるスタートとなりますように、そして、セミナー開催にかかわった皆さんの苦労が報われますように。




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1500キロを走って

2006年03月16日 | モンゴル通信から
3月4日、国費留学試験がモンゴルコツ率大学で実施された。
これを受験するため、UBから1,500キロ離れたホブド県の学生12人がマイクロバスに乗ってやってきた。
彼らは西モンゴルで唯一の国立大学、ホブド大学で日本語を学ぶ2年生6人と3年生6人。
車の中で寝泊りして2泊3日。昼夜を徹して悪路を走り続けて来たと言う。
 受験後の乾燥は、「勉強しただけの力はだせました」と晴れ晴れとした表情。
首都を始めて訪れた学生は、「街では泥棒に気をつけ、きんちょうしました」と頬を赤くした。
 この大学では、3年前、日本語学科が創設され、現在の学生数は68人。将来、ホブドを西モンゴル観光の拠点にしたいと、通訳ガイド、末フプロを要請する目的で日本語を教えている。
たった一人の日本語教師、木本文子さんは、8年間ウランバートルで教えた経験を元に、親身になって学生を指導してきた。
「地方でも日本語を習っている学生がいることを知って欲しい。街の学生よりまじめで熱心に学習するので、教師冥利に尽きます。」と言う。
 6日、学生5人と木本さんは日本大使館に一はしたい死を訪ね、面会した。学生たちは、「お金がないので飛行機には乗れません。地方でも受験できるようにお願いします。」と要請した。
突然の面会にも快く応じた大使は、「直ぐには無理だが、」と前置きし、「若い人にはチャンスがいくらでも開ける。頑張ってください」と激励。学生たちは7日の発表を見て帰路に着く。
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12月10日号から

2005年12月17日 | モンゴル通信から
12月7日 在モンゴル日本大使着任 市橋康吉特命大使がエンフバヤル大統領に信任状を手渡した。

横綱朝青龍に大相撲での活躍を賞賛し、モンゴル英雄の名を冠したスフバートル勲章を贈った。

モンゴル建国800年、チンギス・ハーン生誕840年のイベントに国家予算から90億トグルクを支出した。
また、「モンゴル建国800周年寄付基金」が出来た。総裁はエルベグドルジ首相。

MIAT社 建国800年で航空機レンタル。800周年のイベントで42万~43万人の外国人観光客が来ると言う調査を基に、来年の6月から9月までイタリア航空会社から3台の「ボーイングー747」を飛行スタッフと共に借りることになった。

鉱山鉱業分野の公開事情 「鉱山発掘分野の公開発提案の導入」プログラムにモンゴルが参加。世界銀行のコンサルタントが演説し相談に乗った。
(鉱山鉱業分野の不透明な部分を明らかにしようとしていると言う内容だと思います。)

女子柔道のエルデネト・オドさん
モンゴルでは、柔道をする人はサンボもするのが普通。サンボの世界選手権大会では金メダルを5個も取っている。
1988年にモンゴルで女子柔道の種目が認められた時からの草分けであり、かつ、柔道現役のトップとして後輩を引っ張る存在。
柔ちゃんを絶賛する同い年。
10年前は、朝青龍と柔道の練習をしたことも有る。彼は組んだ瞬間に才能があるのが分かったそうだ。
夢は北京オリンピックへ出場すること。 
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