風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

膝の痛み

2005年08月31日 | チンゲル亭裏日記

娘の不在にちょっと、わびしさをかみ締めながら、アレッと思ったら、数年来かかえていた膝の痛みが、ほとんどなくなっているのに気がつきました。
椅子から、ことさら体重をかけるようにして立ち上がっても、突き刺すような痛みがなくなっています。
わぁー、なんてうれしいのだろう。
このところの不機嫌の理由をこの痛みのせいにして居たのだけれど、痛みから開放されたとなると、自分の本当の気持ちに向きあうことになるなぁ。
それは、さておき、先週から、服用しているホメオパシー(http://www.homoeopathy.co.jp/)のレメディーが効いてきたようです。

来月、UBに戻るについて、常備薬をそろえて購入する必要があります。
それで、義妹と話していてホメオパシーという考え方があるよと教えられ、HPを読み、本とレメディーを取り寄せたのです。

これから、マイナスの冬を2シーズン過ごすわけですから、寒さ大嫌いの私は、寒さに対する強い心を養う必要もあります。
今、私に一番必要とされている心と体を健康にする考え方であると思うのです。
少し本を集めて居ます。これからのモンゴルの夜長に最適な教材を頂きました。精出して読みたいと思います。

娘は、昨日の段階では、怪しげな目で見ていましたが、今日の痛みが消えた話を聞いたら、少なくとも怪しげな目では見なくなるのでは無いでしょうか。
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出かけた長女

2005年08月31日 | チンゲル亭裏日記

きょうは、長女と買い物の予定でしたが、出かけてしまいました。
「岐阜で何だかの世界大会が有って見に行きたい。週末の決勝には行けないので、世界大会を見るチャンスはこれを逃すとめったにないから」と、あれこれと言い訳をして、申し訳なさそうにしていました。
約束を、キャンセルせねばならない一番の、理由は婚約者に誘われたからなのですが、それを最後に言うのが、娘の優しさと言うか、なんと言うか。。。
そんなに、身を小さくしてまで、申し訳ながらなくてもいいよ。行ってらっしゃーい。

私へのいたわりを見せるようになった長女を見て、数ヶ月の不在で、娘が何かの区切りをつけたのを感じました。
子供が育っていくのを見るのが、喜びであり、楽しみでしかなかったのが、ちょっぴりわびしさを伴うようになってきた事を、どのように受け止めようかと戸惑っています。
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あっ、来週。。。

2005年08月28日 | チンゲル亭裏日記

明け方、目が覚めて、今日は日曜日。
ん?とすると、あっ、来週だ!娘が行ってしまう。
寝ぼけた頭で突然胸に浮かんだ言葉。
「行ってしまう」なんて思ったことも無いのに。
うれしくて、ちょっと申し訳なくて、でも、娘が思い通りにやれて、よかったなどと思うだけで。

あと1週間とおもっただけで、わけも泣く涙がぽろぽろ。。。
自分でも驚いて、この涙は何?と戸惑うのでした。

昼過ぎ、長女から、電話で衣装の最終サイズあわせで、妹がほんとに美しかった、写真ではちょっと懐疑的だったのだけれど、実物を見てよく似合っていて、安心。それにしても細い!と驚いていました。

その後、二次会の打ち合わせに回るそうで、いろいろと盛りだくさんの準備に婚約者の彼も大活躍のようでした。

式に出られない友人のために、式と披露宴の様子をスライドで見せるのだと、彼が頑張っているのです。
式場から二次会の会場への移動とスライドの作成を、開始時間までに間に合わせるのにぎりぎりの時間だとあせっていると言いつつ、ゆとりが感じられるのは彼女たちの性格なのかしら。

私たち親族は、お式と披露宴の間に別室で自己紹介の形で顔合わせをするそうです。
新郎のお父様がたいへん内気な方なので、お父様が紹介をするという形にはしなかったのでしょう。
夫は、何も挨拶をしなくてよいと言う事に、ちょっとがっかりそして安心したのでした。

1週間前になってやっと、少しずつ当日の様子が見えてきました。
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モンゴルからメール

2005年08月27日 | チンゲル亭裏日記

ウランちゃんから、メールが届きました。
9月から、歩いて5分の小中学校に、日本語教師として採用されてと言ううれしい便りでした。

お母さんの血圧が高く、時々お世話をするために家に釘付けになることもあって、若いのに大変だなぁと感じていたのです。
UBでは、まだまだ、一般家庭では、洗濯物は手洗いしているし、料理は一から始めなくてはなりません。
夕飯よりもお昼に重点の置いた食生活ですから、家事を任されると、なかなか自分の時間が持てないのです。

私の知るUBの若い女性はみな家事が上手で、手際がよいのです。
よく働くし、よく気がつき、優しいのです。

お母さんに心配の種のあるウランちゃんが、家から近いところに職場があるというのは、ほんとに安心したことでしょう。

これで、私といっしょに楽しむ時間が少なくなったと嘆いてはいけません。
UBでは、高学歴でもなかなか仕事が見つからないのですから、彼女の実力もさることながら、幸運を祝ってあげましょう。

そして、日本語の事で、助けてあげる事があったら、惜しまず知恵を出しましょう。判らない事は、日本語教師をしている知り合いに助力を頼みましょう。

ほんとによかった。ウランちゃんおめでとう!

しかし、大阪に勉強に来ている花ちゃんと、なかなか連絡が取れません。
きっと、元気にしている事でしょう。
彼女も、望みを達成するように祈る事にしましょう。
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オルティンドー ディナーショー?

2005年08月27日 | チンゲル亭裏日記

モンゴル料理の店(浅草橋 モンゴルタウン)で、オルティンドーを聞きました。
日本でたった二人のオルティンドー歌手の一人、伊藤麻衣子さんと馬頭琴奏者のゆうこさんのライブでした。
会費3,000円ワンドリンク、モンゴル料理付。
演奏を聴いたあと、飲みながら夕食だから、ディナーショーだよね。

モンゴルで知り合った人たちと、久しぶりで会いました。
小さなお店がいっぱいでした。
私たちのほかには、モンゴル語の学生、馬頭琴の練習をしている人、日本で働いているモンゴル人女性。
今、UBで日本語教師をしている方の知り合いが居て、伝言を頼まれたり。
以前、UBにいたのと同じときに、わたしもいましたよ! ほんとにぃ!
お名前は? そういえば聞いたことがありますよ。お目にかかるチャンスがありませんでしたね。
などと、ボーズやホーショールを食べながら、話が盛り上がりました。

数年ぶりにあった友人も始めてのモンゴル体験のため、誘いました。
はじめてのオルティンドーとボーズを楽しんでくれたようでした。
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つくばエクスプレス開通

2005年08月25日 | チンゲル亭裏日記

おかげで、わが住まいが駅3分になりました。かねてから、開通の日にあいましょうと約束していた友人2人と待ち合わせをしました。

一人は、モンゴルに来たので、2ヶ月ぶり、一人は半年振り。
何が食べたいかといえば、浅草だったら蕎麦でしょう。
と言う事で、老舗の蕎麦屋さんに入って積もる話が始まりました。

じろじろ眺められることなく、日本語が聞こえるところで外食するのは、落ち着いておいしく頂けます。

同じ職場だった人たちの近況をひとしきり聞き、二人のその後の様子を聞き終わる頃、さすがに居ずらくなって、店をでました。
長居しても居づらくならないのは、モンゴルのよいところだったなぁと思いました。

せっかくの浅草ですから、浅草寺にお参りをして、仲見世をひやかし、うちわが欲しいと言っていた女子学生さんにお土産を買いました。

きっと彼女は、欲しいものはうちわと言ったのですが、ほんとは浴衣だったのじゃないかしらと気がついたのですが、浴衣一式となるとトグルクにすると莫大な金額になるなぁ。。。
我が家に有るものを、チェックしてみましょう。

そして、歩きつかれて、お茶にしようと和菓子喫茶に足を向けたら、残念ながらお休み。
ゆっくり出来そうな店を、探して、こんどはモンゴルの話。
来年も来るつもりにしている彼女と私とで、かわるがわるモンゴルのよさを聞いて、もう一人の友人は心を動かされたかもしれません。

体調を整えておくねと言ってました。
私と同じ年代の彼女は、いま、変調時期らしくちょっと元気がありませんでした。
モンゴルの風を、私たちのおしゃべりで少しでも感じてもらえたかしら。

娘の結婚、それに惜しみない協力をする長女についても惜しみない賞賛の言葉を頂いて、親としてもうれしく、ほろ苦い会話もありました。

ほとんどゆれないあたらしい車体に乗って、あっという間に駅に着き、駅からはバラ公園の中を通って、帰宅。
駅からバラ公園への通り道は、春には桜のアーチになります。
とてもよい環境になって、次に帰国する時はどんな表情をしているのかなぁ。
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気持ちは挙式準備

2005年08月23日 | チンゲル亭裏日記

90%は、挙式に心を奪われながら、体のほうは、することが無くて、あれこれと用事を作っては、日々追われています。
居なければ、しなくても良い事も、いざ家に居ると結構用事って、次々に出てくるものなのね。
長女が世帯主として頑張ってくれていても、やはり、まだ、私は現役なのよねとほっとするのである。

今日は、次女が会社の帰りに来るという電話。
とたんに、今していた雑用が楽しい作業に変わり、頭の隅で夕飯の献立を考え始める。
暑くて重かった体が軽くなってくる。
ほんとにおかしなものだ。

長女が3才、次女がお誕生前のテープを聞いていると、夫も長女も「お母さん、優しい声をしているねぇ。」と言う。
この頃は、子育てをしながら、こんな幸せを味わっていたのがよく判る声だった。
思い出す、思い出す。

そして、次女の赤ちゃんの時の声。オー、とかアーとか単純な音にも微妙な感情がある。
それを、頭ではなくて感覚で受け止めて娘の世話をしていたのよねぇ
何が言いたいか判らないと思ったことが無かったように思うのだけれど、それは今、いい事しか覚えていないせいかもしれないけれど。。。

さて、今日は、娘が来るまでにあれとこれとする事がある。
一本の電話のおかげで、軽くなった体で、さっさと片付けてしまおう。
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娘の同級生

2005年08月17日 | チンゲル亭裏日記
4年ほど前に行っていた美容院で、娘の同級生が修行を始めました。
美容師が好きではじめたのに、何かの事で中断して、また、始めたところですと言っていました。
ですから、そのころはシャンプーしか出来なかったのです。
ひとり立ちしたら、あなたを指名するからねと約束していたのです。

そのうち、私が電車で仕事に通い始めてその美容院には行かなくなって、そして、モンゴルに行って。。。
約束から4年たってしまいました。

今回、帰国して、駅の外でその店のチラシを配っていたので、約束を思い出しました。
果たして、彼女はちゃんとその店に居て、5つのランクの真ん中のランクの腕前に昇格していました。
早速予約して、今日髪染めと毛先のカットをしてもらいました。

そうそう、彼女の指の痛々しく貼られたばんそうこうで、思い出した。
皮膚が弱いので一度断念して、やはり好きだから復活したと言っていたのでした。
だから、4年前に見習いをしていたのは、人より遅いのですと、恥ずかしそうに言ってたっけ。

UBでは、韓国の美容院が進出していました。
それにしても、断水、停電が日常的にあるので、ャbトに汲んだ2杯の水でシャンプーが終わったり、さて、ドライと言うときに停電になり、散々待たされて、髪が乾いてしまったり。

こんなに心地よいシャンプーは久しぶりでした。
日本の技術とサービスはほんとに高い。
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モンゴルは7℃私の心は寒暖差大

2005年08月17日 | チンゲル亭裏日記

モンゴルの友人のメールとHPから、今、モンゴルは気温7度で、セーターを着ているそうです。

秋のモンゴルから夏の日本に来て、来月帰ったら冬のモンゴルです。
去年の初雪は9月16日でしたから、ボヤント・オハー空港は真っ白かもしれません。

今、先のことを考えるほど余裕はないのですが、気温が一桁になっているのを聞いて、今はまだ8月なのにと思います。

夫と1週間遅れの便でモンゴルへ戻って行く予定ですが、帰りたくなくなったらどうしようと真剣に思います。

娘と待ち合わせをして、さようならと分かれる事態に、気持ちがついていけません。
やはり、前々から思っていたように、結婚前はどうしてもいっしょに居なければならなかったのです。
いっしょに住んでいる娘と、どこかで待ち合わせをするのはうれしくてわくわくします。
そして、次の予定がそれぞれに有って、さよならと分かれても、それは、ひとまずの分かれであって次の日は、おはようと言い合う生活だったのです。

それが、数ヶ月ぶりに帰ってきて、気がついたら、さようならが当たり前の関係になっていることに、驚きあわてている私です。

娘たちの社宅が決まって、手続きにの必要から、籍をいれ、挙式前に家を出ると決まったときに、ウン、うんと返事をしただけで、自分なりの気持ちの切り替えをしなかったなぁ、そういえば。。。

何かの節目のたびに、あれこれと儀式めいた事はしない家族だったけれど、気持ちのけじめはちゃんとしてきたのに。

今回は、大事な事なのに、しそびれていた。
大したことではないと、思うことで目くらましをしていたかも。
あぁ、なんだか大きな不覚を取ってしまった。ちょっと、気持ちが寒い。

娘の結婚は、ほんとにうれしい。期待通りの時期に結婚してくれる事に彼の娘への気持ちを思うと胸が熱くなるのです。

挙式の手配の煩雑さを娘にすべて任せてしまって、娘を嫁がせる親の気持ちにどっぷりつかりこんでいる私です。
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花嫁の母

2005年08月16日 | チンゲル亭裏日記

娘と待ち合わせをして、ドレスの小物を選びに行きました。
入り口からしてチャペルを思わせるような白いドアのお店で、青山に有ると言うだけでも気持ちがわくわくしてきます。
花嫁の夢を実現するお店です。
鏡張りの部屋には娘の選んだ白いドレスとカラードレスがかけてありました。
「あ、メールで見たのと同じだ」と、ひとごとのような私。
平面写真で見たのより現実味を帯びてきて、すこしずつ波に乗ってくる母でした。

これで最初から、係わっていたらもっと前向きで、もっと強く意見を出したのかなぁ。
初めてここに来たのは、彼と二人だったそうです。
そのとき試着した時の写真もファイルの中にきちんと入っていたり、いろんな資料や表が順番に整理されていて担当の人が喜んでいました。

さすがに仕事をこなして来た娘だと変なところで感心しました。
娘が大人になったことを、きちんと整理されたファイルで知る事になりました。
これなら家庭を経営していけるなぁと、ほっと胸をおろした事でした。

それなのに、幼いころどちらも選べないと言って、大粒の涙を流していたときのイメージが一瞬目の前をよぎりました。

大きな予算を動かしつつ、細かい点を詰めていくこの作業は、これからの二人の生活を運営していく上で、大きな自信となることでしょう。

わたしたちの式は、会費制人前結婚式と言う当時では非常に変わった形を選び、すべて恩師と友人に任せてしまったのでした。
ですから、彼女の本当の困難や悩みをわかってやれず、想像することしか出来ません。
娘は、もう既に私を超えているなぁ。
もう、同じ主婦として肩を並べたのねと思ったのでした。

娘が就職したときから、もう既にそれは芽吹いていたのですが、気がつかない振りをしていただけなのかもしれません。
確実に、母を追い抜いていく娘を頼もしく思い、この思いをうすうす感じていたから、モンゴルへ旅立てたのかなぁと思う。

娘を抱きしめて、目と目を合わせていたのが、いつの間にか独り歩きを始め、後姿を見送っている私のイメージが、見えた。
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