風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

13番 抑揚という名の「譜」

2021年11月28日 | 詩吟
今日の東京芦孝会中央会で、「抑揚」についてちょっとしたやり取りがありました。

この抑揚は、「抑揚」という名前だけあって、とりとめがなく、つかみどころがなく、その時の声の調子が、如実に表れるし、うまくいけば、その瞬間に何とも言えない「間」と「情緒」が生まれる。

ひそかにあこがれる「譜」です。

先日の和歌のzoom研修会で出てきた7番の平揺りはねの最後のはねの音も、古賀先生によると、のばしてもいけない切ってもいけない、コツとしては引くように声を出し、はねすぎないで声をはねる。
そう、「はねすぎないで、はねる」なんてね!

それも、微妙な声の調整のいる譜でしたね。

やっと届いたと思うとスイと逃げられて、また、追いかける。
掴んだと思ったら指の間を潜り抜けて、行ってしまう。

「詩吟」というものもそうなのだけれど、大わざの「大山」もそうなんだけれど、つかめない。
抑揚に、特に、それを感じるのは、小さいからかなぁ。
見のがしやすいけれど、ちゃんとそこにある。

なぜ、憧れるのだろうと考えてみると、初めて抑揚に出会った時の感覚が、今でも尾を引いているようです。
     「侮っていたら、とてつもなく難しいぞ!」

だから、憧れるのですね。




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詩吟体操 その2

2021年11月25日 | 詩吟
詩吟体操によって、「力が集約される」、それでお終いではありません。

体操をした結果、腰で支えて、他の部分が程よく脱力する。
脱力と同時に息をはぁーと自然に吐くことができる。

その結果
体の隅々にまで行き渡らせるほど、深く息を吸えるようになる。

ただ、がむしゃらに行うのではなく、理想の形に整えながら、回数を重ねていくと、何かがわかってくる。

何度も何度も、肩で手を止める時の位置は、後ろ過ぎると苦しい、前すぎると止まらないで、いくらでもさかっていく。
「肩で腕が停まる正しい位置」という言葉と、各々が理解し確信する「その位置」が、やっとつながった。

形を覚えるまでは、小うるさく聞こえたことでしょう。
わかったときの、ぱぁーと明るい顔、その顔を見たくて、そしてその先に起こるはずのうれしい変化を実感して欲しいから、早くそれを見たいから、いちいち小うるさいのです。

いずれ、「ろっ骨を引き上げる」がわかって、出来るようになったら、、、
想像するだけで、嬉しく、待ち遠しい。

どんなに大きな声を上げても、うるさくない声が出るようになったら、私たちを取り巻く世間も、穏やかになることでしょう。


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横浜ローズガーデン散策

2021年11月25日 | 詩吟
横浜の詩吟のお友達と、横浜ローズガーデン散策してきました。

暖かく風もない、散歩日和でした。
遠くて行くことが叶わないと思っていましたが、新線ができてかなり便利でした。
長距離を1回の乗り換えで、行けるとは驚きです。

みなさん横浜近辺の方ばかりなので、何度も足を運んだことでしょう。
こんないいところが、お近くなんで、いいわねぇ。お誘いいただいてありがとう!

気の良いなかまと青い空と、日差しを浴びながら、ゆったりと歩いていると、気持ちが和らいできます。
そして、楽しいときも、おいしい時も過ごしました。


おいしい時、ローズガーデン内カフェ ザ ローズの噂のソフトクリームで、ティータイム、至福の時。

ソフトクリームに目のない私は、ことにうれしく、はしゃぎました。


ゆったりと、散策しながら、日頃の練習時間内ではできないおしゃべりをして、遠慮がちな気持ちを少しずつ少しずつなくしていきました。







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詩吟体操

2021年11月24日 | 詩吟
練習が始まる前に詩吟体操について。

簡単なのですが、奥の深い体操です。
こんなちょっとの体操が、何の意味があるのか、きっといまだにわかっていない人が多いと思っていました。
それでも、すみこがやれっていうもんだから、悪いものではないだろうな。
というくらいの思いなのではないかなぁ。
それでも、やり続けることが、大事であると私は、分かっているから、続いています。

長年にわたって、少しずつ積み重ねてきて、「はい、体操から」と言われるままに、真似をして来て、今になって「だいじなのかも」感じるようになってきたらしい言葉を聞くことが出来ました。
それは、今日の夢松風でのことです。単純にうれしい。

この体操の一番わかりやすいところは、肩甲骨を寄せること。
その次に胸を開くこと。
最後に、分かりにくいのは、ろっ骨を上げること。
ことばではわかっても、いざ、実行するには、とりとめなくて、実感しにくい動きです。

この三点が、詩吟体操をすることで、確実に動いて、腰椎三番に向かって、力が集まっていくことが、大事です。

この表現で、人体力学的に合っているかどうかわかりませんが、私なりに感じた表現です。

私も、少しずつ積み上げてきて、「何だ、これかぁ、簡単じゃない」と思ったことがありました。
ほかにも、「だったら最初からここに持って来てと言ってくれればよかったのに、こんな回り道をさせて」と思いました。
でもね、直接そこに持っていくことはできないのです。

回り道であっても、一定の筋道を通ってこそ、目的地点に至り届くのですよってことが、最近ようやくわかってきました。

今日、体操をしながら、何だ簡単じゃんと思ったことでしょうが、それは、簡単なことを勿体つけて教えてあげなかったのではなく、そのように経てこなければ、実感できなかった。というただそれだけのことです。

今日の巻頭言は、とても声に張りがあって、滑らかに唱和できていました。
コロナ前に、迫力が増してきたと喜んだことがありました。
途端に、コロナでお休み続きで、折角の進歩が、後ろ向きになってしまいました。

けれど、今日、取り戻した感がありました。

それぞれの思考の経過で学んだものと、私自身が、身につけたこととが、相乗しました。

おかげ様。
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他流教場通い(大陽〇〇)からのつながり

2021年11月23日 | こたろう
2016年12月に始まって、29年9月6日まで、大陽〇〇教場に11回通いました。

20周年が迫ってきて、忙しくなったために、お休みをさせて頂きました。
そして、無事大会が終わって、お休みする理由がなくなりました。
ところが、お誘いくださった高校の大先輩だったI先生が逝去されたことで、行ってもいいのかなという疑問が。。。

お世話になりながら、そのまま、フェイドアウト。

しかし、その教場で知りあった別の先生のお誘いで、福祉詩吟の会には、続けて参加して居ます。
ここは、会社関係の教場ではないので、他流の先生のご指導とはいえ、参加しても良いような気がします。
そして、この会の趣旨に賛同して、メンバーで居たいと思います。
福祉詩吟は、2017年5月13日から、月に1回弱の参加で、今日まで来ています。
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体が楽器

2021年11月23日 | 詩吟
「体が楽器」という考えを、ディスカッションする日が来るとは。
なんてうれしいのでしょう!

先日のZOOMのウタモン同窓会で、やっと同じ考えを持っている人たちと体のメンテナンスについて、それぞれの現実と考え方をお聞きすることができました。

こんな日が、オルティンドーと馬頭琴で活躍している方たちとの会話で繰り広げられて、やっぱりなぁ、オルティンドーだものね。
そして、それを支えることのできる馬頭琴弾きだもの。

体を響かせて、詠うんだから、ビャンバジャルガル先生が、おっしゃっていたものねぇ。

久し振りの方と、息づかいの届かないzoomで、会話が途切れたらどうしようという心配は、最初の瞬間から、杞憂でした。

最初から最後まで、一瞬たりとも会話は止まりません。次から次へと、お話上手というのではなく、何と言ったらよいのかわからないのですが、同じ詠うということを目指している者としての興味が、一致したということなのだろうか。

とても充実した時間だったなぁ。。。

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オルティンドーの先生と仲間

2021年11月21日 | 徒然に日々のことを
今日は、zoomの日でした。横浜でもzoomの開通テストをし、帰宅して落ち着く暇もなく、zoomのご招待を受けて、かつてのオルティンドーの先生と生徒さんたちと、旧交を温め、情報を交換し合いました。

先日のコンサートを聴くことが出来ず残念な思いをしましたが、三枝先生の「ブーウェイ」(こもりうた)を聞かせてもらいました。

そして、一緒に習っていたころからご自身も演奏活動をしていた馬頭琴奏者、ブルガリアの歌を歌っている人とそれぞれの歌や演奏も聞かせていただきました。
私は、ちょっと大きい声が出せない環境なので、吟詠は聞いていただけませんでした。

それぞれの分野で、第一人者でいらっしゃる若手の活躍は、メジャーではない言語のため事前の準備や情報集めに大変ご苦労をなさっているようです。
音楽活動をしている人と、趣味で、行っている者との気持ちのかけ様が、違っていますが、そのご苦労ぶりを明るく楽しく語られるので、伺っていて楽しいことでした。

8年ぶりの邂逅ですが、あっという間に距離が縮まって、話は盛り上がりに盛り上がる。
体は楽器ということで、どうメンテナンスをするか、このメンテナンスをする前は、体がどう酷かったかとか、私と似たような道筋で、体つくりをしている話とか、モンゴル語やブルガリア語での検索が非常に困難だとか、話題は、多岐にわたって、終わりがないのではと言うほど、途切れることなく続きました。

演奏活動を続ける上での困難などについては、門外漢なのですが、一回り以上若い人たち、娘と同じ年の人と、何の障害もなく、楽しく聴くことができて、会話が途切れませんでした。

同じことをしてきた間柄では、過ごした時の長さではないことがよくわかる。

楽しい時間を過ごしました。 ありがとう。


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ウグイス吟詠

2021年11月20日 | 詩吟
ウグイス吟詠は、他流の先生のご指導のもとに、運営されていますが、事情で、先生がお休みになるので、会の幹事的役割をしている方と吟詠の経験者と私と三人で、ピンチヒッターを務めました。


他流であるので、私の節調でお教えできませんから、YouTubeの音源を使って吟詠練習をいたしました。
そして、こえのだしかたなどを、良い機会として、ちょっとお話をさせて頂きました。

お楽しみ会の相談有りzoomの接続テストありの2時間で、盛りだくさんの項目をこなさねばならず、幹事さんは、相当お疲れの様子でした。

他流であることと今回限りということで、出しゃばらず抑制が効いた練習だったと我田引水。
日頃先生は、わざわざ口にしないことを、敢えて、言葉にした部分もあります。
先生と同じことは、出来ないのですから。

次回の練習は、zoomが実現するのかどうかは、幹事さんとの相談によって決まります。

そして、25日には、横浜バラ公園散策のお楽しみ会も決まりました。どうやら、ソフトクリームも食べられるようです。
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私は侵略者

2021年11月14日 | 徒然に日々のことを
ここに引っ越してきたとき、住まいの北側は、ちょっとした林が残っていました。
そして、二階の我が家の出窓からは、鳥が卵を抱いているのが見えて、娘たちが歓声を上げました。
「都内で、この景色を見られるなんて!」と大人の私は、思いました。

やがて、悲しいことに、破れた卵の殻を残して、親鳥はいずこにか去って行きました。

私たちは、先住の鳥にとって、侵略者だったのですねぇ。

更に数年後、木は、健やかに背を伸ばしていました。
ある日、強風で揺さぶられた枝が、上の階の網戸をずたずたに引き裂いたため、根元から切られました。

快適な住まいを求めて、やってきた私たち家族は、侵略者だった。

もみじとエナガの絵を飾っている私は、そのことを思いだして、複雑な心境。

いつ何時、逆の立場になるやもしれず。。。残りの日々が、平安でありますように。


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行けなかった!残念。

2021年11月14日 | 徒然に日々のことを
昨日のオルティンドーのコンサートは、行けませんでした。

緊急に決まった説明会に出るため、同じ日の4時に集会室に三者で集まらねばならなかったからです。

今日は、ここに感想を書くはずだったのに。
三枝彩子さん、めったにない機会なのに、歌を聞くことが出来ず残念でしかたがありません。

なるべく早く次の機会を作って下さると、嬉しいです。

   三枝彩子さんのブログ ”いとしのオルティンドー”


申し訳なくて、いいわけしようとして、ツイッターやフェイスブックを始めて、訪れてみる。
グダグダと書く人がいなくて、私信のような文章はここに書くべきではないと、書くのが恥ずかしいと思いました。
潔い人のところには、そういう人が集まるのだ。

読み進むうちに、見つけたフレーズ。
「楽譜が難しいのは、知識がないとか慣れてないとかいうこともあるけど、オルティンドーに関しては、楽譜だけ見て再現するのは難しいし、細かい装飾音は「人それぞれ違う」し。
自分が真似したい人のを、自分なりのメモ的表現で書き留める。
細かくて好きなところを書くけど結局私にしかわからないと思う。

ボギンドーは、楽譜にしておくと人に伝えて仲間を増やすのに便利。
教えるとか共演するとか。
作っておけば後からしばらく取り組まずに曖昧になった箇所の確認がすぐできて便利。」


オルティンドーほどではないけれど、詩吟も声を延ばしたり、揺ったりするところがあって、それを楽譜に表現することは、難しい。
同じ流派でも、吟ずる人が違えばそれぞれの形があり、その微妙な違いは、楽譜では表しきれません。

はじめから、音符なしで、ここまで来た私には、今更いらないし、自分が聞き取れない音や揺らぎは、表現できるわけもない。

体を反応させるのが、一番良い。

体を反応させるには、しなやかで伸びやかで、滞りのない楽器(からだ)を創りだすことです。

その準備があって、微妙な心の襞が表現できるようになると思う。


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