今日の東京芦孝会中央会で、「抑揚」についてちょっとしたやり取りがありました。
この抑揚は、「抑揚」という名前だけあって、とりとめがなく、つかみどころがなく、その時の声の調子が、如実に表れるし、うまくいけば、その瞬間に何とも言えない「間」と「情緒」が生まれる。
ひそかにあこがれる「譜」です。
先日の和歌のzoom研修会で出てきた7番の平揺りはねの最後のはねの音も、古賀先生によると、のばしてもいけない切ってもいけない、コツとしては引くように声を出し、はねすぎないで声をはねる。
そう、「はねすぎないで、はねる」なんてね!
それも、微妙な声の調整のいる譜でしたね。
やっと届いたと思うとスイと逃げられて、また、追いかける。
掴んだと思ったら指の間を潜り抜けて、行ってしまう。
「詩吟」というものもそうなのだけれど、大わざの「大山」もそうなんだけれど、つかめない。
抑揚に、特に、それを感じるのは、小さいからかなぁ。
見のがしやすいけれど、ちゃんとそこにある。
なぜ、憧れるのだろうと考えてみると、初めて抑揚に出会った時の感覚が、今でも尾を引いているようです。
「侮っていたら、とてつもなく難しいぞ!」
だから、憧れるのですね。
この抑揚は、「抑揚」という名前だけあって、とりとめがなく、つかみどころがなく、その時の声の調子が、如実に表れるし、うまくいけば、その瞬間に何とも言えない「間」と「情緒」が生まれる。
ひそかにあこがれる「譜」です。
先日の和歌のzoom研修会で出てきた7番の平揺りはねの最後のはねの音も、古賀先生によると、のばしてもいけない切ってもいけない、コツとしては引くように声を出し、はねすぎないで声をはねる。
そう、「はねすぎないで、はねる」なんてね!
それも、微妙な声の調整のいる譜でしたね。
やっと届いたと思うとスイと逃げられて、また、追いかける。
掴んだと思ったら指の間を潜り抜けて、行ってしまう。
「詩吟」というものもそうなのだけれど、大わざの「大山」もそうなんだけれど、つかめない。
抑揚に、特に、それを感じるのは、小さいからかなぁ。
見のがしやすいけれど、ちゃんとそこにある。
なぜ、憧れるのだろうと考えてみると、初めて抑揚に出会った時の感覚が、今でも尾を引いているようです。
「侮っていたら、とてつもなく難しいぞ!」
だから、憧れるのですね。