風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

会いたかった人に会う

2017年03月31日 | 徒然に日々のことを
今日は、さらに、偶然の出来事がありました。

兼ねてから、お目にかかりたいと思っていた方に、展覧会場の入口でばったりと出会いました。

日頃お世話になっていて、直接感謝を伝えたいと思っている方が、御夫妻お揃いで目の前に居らっしゃったのです。

なんてことでしょう。

慣れていたはずの大手町で、あろうことか、迷ってしまって、じたばたしたおかげで、絶妙のタイミングで、すれ違いようのない出くわし方をしました。

うれしくて、舞い上がってしまいましたが、孫の引き合わせかもしれませんねぇ。

こちらから、お礼をすべきところを、逆にお食事に誘って頂いて、ごちそうにまでなってしまって、なんて私は図々しいのだろうと、思いながら、お伝えしたかったことを、お伝えし、今後とものご縁をと特に奥様の方へお願いいたしました。


当初の予定なら、ここには来られないかったかもしれないのに、来ることができ、しかも、まどかさんと孫のおかげで、会いたかった方にお目にかかれて、今日は、何という日でしょう!

物事、思い続けていたら、こんな風に、自然なめぐりあわせが来るのですねぇ。

何に向かってしたらよいのかわかりませんが、感謝!

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蘇嶐窯

2017年03月31日 | 徒然に日々のことを
うなだれて池袋駅の雑踏を流れに逆らっていると、余計にわびしい思いにとらわれていたら、ピコンと電気が点いた。わぁ、思い出してよかった。

蘇嶐窯の涌波まどかさんからご案内をいただいていたんだ。
            
          そうだ展覧会に行こう!

そのご案内とは。




よかった思い出して。京都の情緒ある作品に出合ったら、気持ちが慰められるだろう。しかも、面識のある方が、いらっしゃって、お話を伺えるなら、これ以上のことはない。
孫の滞在によっては、せっかくいただいたご案内に沿えないこともあるかもしれないと思っていたので、重い足取りが軽くなりました。

先日の、飛鉋との出会いは、楽しくて、思わずブログに書かせていただいたのですが、今日は、さびしさをなぐさめてもらおうかなぁ。




ご案内のはがきにある作品の写真は、鉢というか鉢カバーというか、こんな器に入れられた花やサボテンたちは、うれしいだろうし、小粋な鉢に入っていたら、テーブルのおもてなしになるなぁと、思いました。

写真から受けたイメージそのままに、さらに、手にしてみると、細かい柄があったり、質感が違ったりして、面白い。

そのほかには、アクセサリー類、前にも見た色違いの五客の器は、大きさとしては、湯のみくらいですが、ちょっとした、あしらいに使ったり、洋食にも合うような、作品です。
前回にも出されていたものにさらに加わって、作品の幅が広がっているようです。

そして、涌波まどかさんは、前回お目にかかったときより、一回り大きくなった感じでした。
いえ、サイズの話ではなくむしろ、そちらは、すっきりとなさったように見受けました。

それほど間を置かずに、このような展覧会を持たれるには、やはり、それなりの評判を受けたのかなぁと、一人、想像をたくましくいたしました。


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帰っていった孫

2017年03月31日 | 徒然に日々のことを
予定は、4月3日のはずだったのだけれど、都合で、31日の帰宅となった孫。

今回は1週間の長い滞在で、その間、孫のリクエストを100%叶える一人旅でした。

両親から見るとわがまま放題の生活と思えたでしょうが、しっかり育ったおかげで、ちゃんと自己規制が働いて、妹たちとの摩擦もないおかげで、思いっきりのびのびと過ごすことができました。

全くストレスのない生活が、絶対に良いとは言えないのでしょうが、「おにいちゃんでしょ!」と言われない日々は、彼にとって、大変に居心地が良かったのではないでしょうか。



そして、あまりに、孫の言う通りに進んでいく日々に、ジィジもあきれ気味でした。
娘の子育て時期は、「おんなのこはわからん」と積極的関与を避けてきたジィジですが、孫になると、かかわりたくなるものの様で、今回の私のやらせたい放題を見て、思うことがあったようです。

それで、ジィジは、もっと積極的になるために、自分の思いや考えを相手にわかるように、伝える工夫をせなばならないと、気づいてくれました。

良かったねぇ。幸せそうなのを眺めるだけでなく、自分も当事者になったら、どんなに楽しいことか。
今から楽しみです。


予定が早くなったことで、彼自身は異議は唱えませんでした。
妹たちが合流して遊ぶはずだったことが急にキャンセルになったので、妹たちは、「泣いて怒ってるよ」と予想していました。

そして、「明日、もしまだ居るんだったら、生物園にいくんだけどなぁ」と言って、映画とゲーム三昧だった1週間をちょっと反省して、いました。

池袋駅のタッチアンドゴーは、どちらも遅れること無く、スムーズでした。
別れた後、泣くこともなくなり、ママとあったときも、ちょっとだけニッと笑い、飛び上がるような喜びも見せず、だんだんと大人への階段を登っていく彼は、それでもまだ、新三年生。

ママに手渡しし、当たり前の生活に戻っていく彼は、また、賑やかな生活が始まります。

3日の月曜日からは、新1年生の妹と、学童保育に行くのです。

新しいお友達もできて、担任の先生とも早く慣れて、サッカーにも頑張ってね!!!

あっという間に過ぎた1週間。帰りは、すごすご。今日は、夫はプレミアムフライデー。

一人でどうする。と、往生際の悪い私でした。



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三六と五六 その2

2017年03月30日 | 詩吟
先日も、三六と五六について、意見が出されました。

以前、ここでも、書きました。
その時、正しく吟じましょうというようなことを書いたと思うのですが、「譜」の部分と言葉の部分の音階については、厳しく守らねばならないのと、そうではないのとがあります。

問題にされた「三六 五六」は、言葉の部分で、「譜」ではないので、目くじら立てるほどのことでは無いのですが、吟じる本人が、ちゃんとわかったうえで、吟じているかどうかが、大事だと思います。

昇段試験の場では、教科書通りに吟じてほしいし、それができたら、100点です。

もし、違っていたら、100点ではないだけで、次への課題とすればよい。
そして、教室では、その直接の指導者が、ご本人と共に考え研鑽して、より良い吟詠へと、技術向上を図ればよいことです。

「五六」を多用することによって、柔らかい吟調になると思います。
「三六」は、音が飛ぶだけに、上級者になると「六」の音を気張らないで出すための、努力が必要となりますが、それが、きれいに発声できると、鮮やかで、力強い吟調が生まれます。

上級者になればなるほど、「三六」と「五六」を吟じ分けたら、メリハリの効いた吟詠となるはずです。


詩舞を習っている時、先生の美しいメ[ズを真似しようとすると、かなり、体に無理のある態勢であることがわかります。
それを、繰り返すことによって、一番美しいかたちへ持っていこうと練習を重ねるのですが、それでないと、不消化に思えるようになってきました。

それが、美しさを感じ、更に感動へと昇華していきます。
小西如泉先生のメ[ズの決めの美しさは、ホーッとため息が出ます。

ため息の出るような、「三六」と「五六」を出そうじゃありませんか。

せっかく恵まれた、声を、吟じ分け、さりげなく情緒が表せるように、なりましょうよ。



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春休み♪

2017年03月29日 | こたろう語録
   母さんは、孫の洗濯物を、一番端っこに干して
              「孫がきてるんだ~」アピール中

洗濯物の主は、春休み初日から、一人で、滞在中の、4月から小学校三年生君。


このアピールは、特別に誰かにというのではないけれど、孫の洗濯物を干せるのがうれしくて、ついそうなってしまうみたい。

小さいときは、遠目にもはっきりとわかる、小さい洗濯物だったから、余計に、ウキウキ~♪だったね。

今は、ほとんど大人に近いサイズに育って、そのロゴやアニメで、やっと子供用とわかるほどに大きくなってしまったと、残念がる。


体は大きくなったけれど、まだまだ、一人で留守番はさせたくないので、滞在中の所用は、連れ歩くことになっている。

ばぁばと一緒なら、嫌がりもせず、どこにでもついくんだから、甥っ子も相当ばぁばがだいすきなんだねぇ。


男の子でも一人なら、すべてが、阿吽の呼吸で物事が動いて行くみたいで、静かに穏やかに時が過ぎて行くから、僕はこの雰囲気は嫌いじゃないね。


母さんの母さんは、孫へもとても厳しい対し方やしつけ方をしたんだってね。
だから、母さんは楽だったみたいだよ。
反面教師として、孫たちに接していると、事が良い方向へ行くらしい。

今日は、一日うちにいたから、明日は、どこに行くのかなぁ。





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昇段試験とビッグニュース

2017年03月26日 | 詩吟
今日3月の中央会です。昇段試験が行われました。

夢松風の会員さんは、弐段を受験し、合格いたしました。
             おめでとう!


そして、ビッグニュースは、新人会員さんがいらっしゃったこと、若い女性で、吟の基礎もしっかりとして腕も確かな方です。安心して聞いていられる方です。


我が夢青葉の若いメンバーよりも更に若い女性です。
これを聞いたら、彼女は、後輩ができたと喜ぶことでしょう。

芦孝会のシステムは、どこの会場へ練習に行ってもよいという自由な決まりがあります。
こんな若くて、実力のある会員さんは、引く手あまたです。

どこの会でも、来てくれたら、飛び切り喜ばれることでしょう。

彼女の、通いやすい、相性の良い会が見つかり、安住の地を見つけられますように。
そして、その教室だけでなく、あちこち訪れて、会員さんの切磋琢磨のお手助けをしながら、ご自身も精進なさいますように。

もちろん、夢組にもぜひお越しくださいね。平日のお稽古ですが。。。
大歓迎いたします。


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東京芦孝会HP

2017年03月26日 | 詩吟
公益社団法人 関西吟詩文化協会 公認東京芦孝会ホームページが、正式発足しました。http://rokokai.sakura.ne.jp/

今日の中央会で、広く告知され、会員のページのIDとパスワードも公表されました。

私が、パソコンを始めて、HPの閲覧を始めたころは、検索エンジンに乗せますか載せませんかという選択肢がありました。
載せなければ、キーワードは引っかからなくて、見ることができなかったように思います。

今は、ネット上に乗せられたものは、言葉を載せて検索すれば、ほとんど物を見ることができ、簡単に調べられるようになりました。

目覚ましい発展ですが、見せたくないものも、どうしようもなく見えて、知られてしまうようになりました。


そんなわけで、もうすでに知っている人は、知っている、HPですが、改めて、お知らせします。

お楽しみください。
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ゼロではなくイチ

2017年03月24日 | 詩吟
今日の夢青葉はゼロではなく私が一人いるではないか!
         だから、ゼロではなくイチ

淡い期待を抱きながら、市民センターへ、一応ロビーを覗くけれど、ソファーは無人。

手続き支払いをして、1時になったけど、やはり、訪れる人は居ない。


鍵を開けて、はぁーーとため息をつく。

             今日は独り占めだ!

 
 
だから、ため息ではなく、いつもの練習を始めて、息を吐くことだ。

ただ、整体的には、ため息は、体をリラックスさせる良い意味をもっているのだから、いま、私は落ち込んだのではなく、スタートボタンを押したことになる。
 
 
発声練習をし、気を入れて、姿勢と、声の生まれるところをよーく確認して、体がだんだん温まってくるのを、感じながら、私だけのペースで進める。
 
これが、私の気持ちを引き出したようです。
最初は出にくかった声も、そして、何時までやれるかな?という不安もいつの間にか、吹き飛んで、結局、1時ちょっと過ぎから、4時半まで、中間で、小休止を入れて、テキスト順に吟詠また吟詠。

CD伴奏集「駱駝」をいつもの1本下にして、流しっぱなしにして、次々と。
吟題もテキストの順番に詠って行く。

1本下の音は、細かいところを頭の中に再現しながら、ゆったりと長く声を引いて発声するのには、ちょうど良い。
声を支えて、五言の絶句を吟じるときのように、間を取り、言葉をはっきりと言う。
滑らかさを忘れないで、はっきり言う。

最初はただやみくもに始まったのだけれど、吟じながら、それらのことを心がけながら、どう発声できているかを想像し感じ取っていくようになった。

吟詠も、哲学だわ。



気が付いたら、迷いと当惑がどこかへ飛んで行って、いつまででも吟詠し続けたいトランス状態となる。
そうなると、揺りはバンバン入るし、フェイドアウトもできるのだ。

私は、こんな吟詠をしたいと思っていたことがわかる。








三時間超えの練習は、学生時代はよくやりました。バンカラスタイルでね。

吟仲間が、一人カラオケで、何時間も練習をなさるという話を聞いて、すごいと思ったことがあります。
一人カラオケは、挑戦してみたけれど、1時間がせいぜいで、定期的には、気持ちの上で始めることができなかった。

バンカラ吟詠の矯正を始めて、何年たったかなぁ。。。
今日の練習で、声の嗄れがかなり軽減されて、発声も楽になってきたのを実感しました。
何よりも、結句の大山に、余力ができて、息が足りないことがなくなったこと。
律詩も、この調子で、スタミナが続くように、息の調整に取り組みたい。
すこし、トンネルの先が見えてきた気がする。

西のほうの人たちは、「今頃?」と言うだろうか。

やはり、私は、声を出しているのが好きなんだなぁ。

無心になれてとてもうれしい。

いつだったか、何がきっかけだったか忘れたけれど「もし、誰も来なかったら、自分の練習をすればよい」と言ったことがある。
実際にそんな日が来るとは、思っても見なかった時のこと。

カラオケ屋さんの暗い部屋では、一人でいると、空しくなるけれど、明るく広い部屋で、存分に声を出していると、いろんなことがわかってくる。

これで、自己満足ではなく、聞いてくれる人が居て、問題点を出し合って「侃々諤々」ができたらなぁ。

今日も、何度も繰り返すことで、見えて来た欠点は、転句から結句に至る低音部分の音色と構成だった。
今までは、高音部にのみ注意が行っていたけれど、この部分は、青葉の会員さんにも幾度か指摘してきたことだけど、自分自身がこんなにもできていないことが、わかり、われとわが身を振り返ることができました。


とても貴重な時間をもらいました。

この状態の二度目があるとしたら、もっと、有意義に使えると思います。
そして、もっと前向きなため息から始めよう。


4時半の定刻に、練習を終えて一人互礼をして、今日のお稽古は終わりました。

事務所へ鍵を届けた時、あまりに気持ちが良かったので、三人の事務の人たちに、満面の笑みでご挨拶ができました。なんとなく、事務方との間にフィルターのようなものがあったのだけれど、一気に消えた気がする。

これから、何かと相談することがあるでしょう。
此の気持ちの素通し感は、大事だねぇ。





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大変なことをわすれていた

2017年03月23日 | 詩吟
ここ何年も、探していた手紙だったのに、どうしても見つからなくて、、、
今日、ひょっこり出てきました。
いつもさがしていたファイルの中に。見えていたのに、見えてなかった。

それは、私が初めてモンゴルへ行く直前のことと記憶していたのですが、とんでもない、二度目のモンゴル派遣からのお正月の一時帰国の時だったことが、その日付で、わかりました。

10年間、一度もお稽古に行ったことがないと思っていたのに、何だこの記憶の大勘違い。
行かなかった、行けなかったとの思いが強かったか、忘れたくて忘れたんだろうねぇ。


平成18年1月の「東京支部東大島教室の新年初吟の集い」に出席なさった伊東鷺伸先生と初めて、おめにかかりました。
そして、先生から、後日「勅勒の歌」と「従軍行」を吹き込んだテープが送られてきて、「このテープがあなたの詩吟人生にお役に立ち、尚且つウランバートルの方たちと詩吟を通じての文化交流に役立てば これに増したる幸せはございません。」と結ばれていました。

そのお約束を実現できなかったことは、本当に申し訳なく思います。
せっかく、風邪を押して録音してくださり、ウランバートルへと帰っていくのに、ぎりぎり間にあって届いたというのに。
後ろめたさが、記憶の底に押し込めたのでしょう。


帰国したら、詩吟談義をとおっしゃっていただいたのに、今は、恐れ多くて、談義どころの話ではないことを、とても恥ずかしく残念に思います。
 
 
先生は、日本人とではなく、「ウランバートルの方たちと」と、おっしゃったのに。

オルティンドーを習って、私からは、詩吟を「日本のオルティンドー」と説明だけしました。そして、草原で「海を望む」を吟じ、結婚式で、「松樗~」を吟じはしたけれど、共に吟じる機会は、ついぞ作る機会がなかった。


伊東鷺伸先生は、故佐藤鷺照先生と深いご縁のあったことから、その門下生である私へ初対面にもかかわらず優しいお心遣いを、してくださいました。
 
 
今のタイミングで、出てきたこの手紙は、何を私へのヒントとして与えてくれたのだろうか。
物事の変わり目に、何かの言葉、何かのかかわりのあるものが、ひょっと出てきたりするということは、まだ、変わることができる、あるいは、今のことをもっと推進できるということだと思います。。

今は、まだそれが、何かわからないけれど。


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あしたゼロ人

2017年03月23日 | 詩吟
明日の夢青葉の練習は、全員欠席。
三人の会員さんと留学中の一人を入れて、全員で、四名の会員登録がありますが、今年になって、それぞれが、忙しくなり、とうとう、出席ゼロという日がやってきました。

今まで、一人ということはあったけれど、それを思うと、もともと人数が少ないのだから、ゼロの日も予想できなかったわけではないのです。

それだけ、今までは、みなさん時間にゆとりがあり、懸命に精進なさって、練習第一に考えていたということなのですね。


そんなとき、あっさりと、休会とならないのが、芦孝会のシステムであります。
もしかしたら、ゲストさんがいらっしゃるかもしれないからです。

いずれにせよ、明日は、会場費の納入など、窓口に行かねばならない用件もあるので、清瀬の松山市民センターへと向かうこととなります。


こんな時、ゲストさんがいらっしゃったら、通常の練習を取っ払って、リクエストにでも何にでも対応できるのになぁ。

今年一年、あるいはもっと長い期間、こういう事態が起こる可能性が予測されます。

あっさりと、日程を月に一日に戻すのは、簡単です。
せっかく気に入った会場なので、何か他の練習方法を考えることといたしましょう。

何かいい知恵があったら、お授けください。


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