風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ひばり会かな?

2013年03月30日 | 詩吟
ひばり会は、剣舞、詩舞の会。
そのひばり会の剣舞を習っている方お二人と、詩吟だけをする機会を、ワンタイムで頂きました。

お二人とも、気のいい方で、終始なごやかな練習でした。
お教えするといっても、別の流派で長年練習をなさった経験のある方たちですから、初心者と詩吟をするのとは、また、違った面白味がありました。

礼儀正しい方たちですから、年下の私にも、関吟としては先輩ですから、礼を尽くしてくださいました。
剣舞を長年続けていらっしゃるので自然に身についておられるのでしょう。
それがちっとも、堅苦しくないのは、女同士だからということではないと見受けました。

まず、最初は、体操から。
え?なぜ?と一瞬思ったようでした。
スムーズに、一通り終えたのですが、もう一度、始めからと所望され、ちょっとだけ説明を加えながら、二度目。

そして、発声練習を簡単に。
なんだかとても良い声を出されました。
日頃の声を知りませんから、今日が特によく声が出ているとは知らず、やり過ごそうとしたら、喜びの声。そして、相方も今日は特によく声が出ているとの指摘。

彼女の言うのに、「さっきの体操が良かった」と。
そこで、わたしの、「体は楽器」の講釈がはじまる。とても、興味深く聞いてくださいました。


さて、詩吟を練習するにあたって、今日は、指導者のピンチヒッターですから、今まで習った詩を思い出してやってみましょうという形に、自然となっていきました。

主導が私にあるような無いような、おもしろい運びです。
物事を、おさめてこられた方との、これもコラボといえるのだなぁと、感心しきり。

件の彼女、あまり、積極的に詩吟をなさらないと聞いていたのですが、「良く声が出てますよ」との相方と私の言葉にうれしくなったようで、積極的に吟じてくださいました。

そのうち、沈んだ表情が上気してきて、表情まで明るくなっていく様を拝見していて、うれしさひとしお。

こんな練習も有りなんだねぇ。

練習の終わった後のティータイム、席を外して帰ってきた件の彼女、小躍りしながら帰ってきた。
「手がうごいた!」と。
ちょっとしたけがで、右手にあざをこしらえており、動かしにくい状態だったのです。
それが、動いたと言って手を叩いて喜んでいます。

体操で、正しい姿勢に無理なく気持ちよく導いた後、気持ちよく声をだし、ほめられ、すっかり、滞っていた気や血流が動き出したからなのでしょうか?
その、因果関係は、素人の私にはわかりませんが、目で確かめられたことは、上に書いたように彼女の顔色がみるみるよくなったということです。

それで、元気になられたなぁと、転んだことから受けたショックからも解放されたのかなぁと思ったことです。

詩吟を奏でる楽器としての体を、メンテナンスすることで、喉の力みをなくしたら、心の力みまで、解消したのでした。

おそらく、彼女は、あと一息というところだったのでしょう。
体操というと、一生懸命力を入れて、というイメージがあるので、それとはちょっと違う体の動かし方ですから、何か適当な命名をした方が良いかもしれません。
いずれにしても、忘れていた、正しい姿勢は、腰にあるということ、剣舞をなさっている方ですから、きっと、一言の助言でうまく正しい位置に自分の体を補正することができたのだと思います。

そして、そのあと、心許した仲間と、好きなことをしていて、楽しくその姿勢を維持し続けて得られた結果なのでした。

日頃は一歩引いて控えめな方が、無邪気な笑顔ではしゃぐ様子を見せていただいて、本当にうれしい。

今日のチャンスをくださった、友人に感謝。




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夢松風3月2回目

2013年03月28日 | 詩吟
かなっくが終わって、初めてのお稽古。
感想をお聞きしようと思っていたのですが、お二人欠席。
Oさんお一人の出席でした。

当日発表して、終了となっているはずの、「半夜」まだ、納得のいかないところがあるとおっしゃるので、その、おさらいに余念のないことでした。

夢組は、いわばそれぞれが一人っ子の育てられ方をしています。
兄弟やオジサンおばさんのいる大家族で育ったほかの教室の会員さんたちは、学ばずして学んでいることがたくさんあるということ、それを、学ばずに来ていることがたくさんあることに気が付きました。

それぞれがそれぞれの高さで吟じていること。
自分の高さではない高さで、はやくから吟じる機会があるということ。
自分たちは、はっきりと上達していることを感じるチャンスがあること。
自分たちよりも上手な人も、間違ったり、あるいは、その時によって出来不出来があるということ。
それぞれの個性をもって、それぞれの取り組み方を垣間見ることができるということ。


一人っ子の良さばかりを、今までは享受してきましたが、物事必ず裏と表があるってことですね。

足りなかったことを悔やんでも仕方がないので、それはそれとして、次へと生かしていけばよいよねぇ。

今日の半夜は、6本に戻して、れんしゅうです。
やはり自分の高さで練習をすると、心地よく声が出るものです。
そして、手こずっている18番の「平引き揺り上げ」の吟法を何度もおさらいしました。

今日は、二人もお休みですから、先は進むことはせず、日頃、話足りないことがあるので、雑談めいた話にもなりました。

そして、Oさんが、かかわっている、施設の訪問へと話題が及びました。
夢組として、また、私個人としても、参加させていただきたいと申し入れをしました。

Oさんの習っているハーモニカと歌と詩吟のコラボが、話をしていると、自然と湧き上がってきて、あれこれとイメージが湧いてきて楽しみです。


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さくら満開

2013年03月26日 | こたろう語録
大仕事を終えて、のんびりしている母さんを見ていると僕も、のんびりして、気持ちよく昼寝ができる。

きょうは、とある都会の真ん中の知り合いのマンションへ、花見にいったんだ。
ぼくは、かあさんのイメージを読み取るだけだけどね。



4階の部屋のワイドなまどのけしきは、桜満開。

ふかふかのソファにすわって、花見なんて、しゃれてるねぇ。


かあさんは、このあと、ひばり会に行ったみたい。





今日の僕は、大改修が終わって、物置にになっていた出窓から荷物が出て行って、やっとぼくのものになった。のんびり昼寝ができるようになって、満足。

このところぼくのしゃしんは、寝ているところばかりだねぇ。
ま、いっか。
かあさんとぼくがしあわせってことだからね。










right ひばり会            byかあさん


久しぶりのひばり会は、相変わらず、愉快な仲間たちと、厳しい先生が出迎えてくれた。
先生の、安定した腰の位置とそこから繰り出される舞いのすべての所作が美しく、厳しい。

また、袴をつけて舞いを習いたいと気持ちが騒ぐ。

その、騒ぐ気持ちが剣舞の伴吟を決心させたのだが、何度も、練習のお供をさせていただくのが、小気味よいほどの練習になる。

詩吟だけに気持ちを注ぐのと、剣舞の動きを観察しながら、先生の目の動きを見ているのと、心地よい刺激となる。

律詩を5回も吟じると、汗ばんでくる。
こんな練習は、家ではなかなかできない。
一人カラオケでも、絶句はできても、律詩はできないだろうなぁ。

舞い方は、とても恐縮なさるが、とんでもない、絶好の詩吟の練習にもなって、お互いに、与え合っているわけなのであります。

お誘いいただいて、ありがとうございます。





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東京芦孝会中央会3月

2013年03月24日 | 詩吟
ビッグイベントの翌日、第4日曜日の今日は、東京芦孝会中央会。

さすがに、日ごろの出席数より大幅に少なく、また、出席した幹事さんたちに、疲労の色が濃く出ていました。

私は、詩吟の後にしては、珍しくちっとも眠くならなかったし、朝も早くに目が覚めてしまって、昨日の緊張の大きさを物語っています。

3時間ほどの睡眠でしたから、頭は靄のかかった状態で、ただ、椅子に座っているだけ。

それでも、いつもの練習の後、それぞれが出場する吟題の練習に取り鰍ゥりました。私は、三人での連合吟ですが、ほかの二人は欠席。
8行の詩を、睡眠不足で吟じるのは、まともにできるわけはないのに、一人で無謀にも吟じた私は、蛮勇でした。
ガス欠で息切れで、惨憺たる吟になったのは、予想した通り。

こんな時に、隣のベテラン女性二人にほかの二人のピンチヒッターを頼めばよいものを、一人でやってしまう私は、いつまでたっても、バカなことをしてしまうものだ。



昨日の、ある出来事から、切れそうになったものの、おかげで日頃中央会の人たちに、いかに大事にやさしく敬意をもって接してもらっていることを知ることができました。

そして、その感謝を伝えるチャンスももらって、今日は、昨日に次いで好き日となりました。

敬意と感謝とを常に忘れないのは、自分一人ではできないのです。
そして、いつも、まじめで、一生懸命でいる人をまた一人発見。
ぶうたらとぐちをこぼしたことから、瓢箪から駒でした。

なるべくぐちにならないように、思ったことを素直に伝えることは、大事なことなのねぇ。


さて、昨日書き忘れたけれど、詩吟コンサートを見て聞いて、詩吟を習いたくなった人は、いないかしら。

早く名乗りをあげてくださーい。ただいま、100人越えを目指している、東京芦孝会でありました。


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かなっく詩吟コンサート&ワークショップ

2013年03月23日 | 詩吟
とうとうやってきた「かなっく詩吟コンサート」&ワークショップ

チャンスの前髪をつかんだ東京芦孝会は、あっという間に、とんでもない大きな企画を練り上げ作り上げられて、今日の日を迎えました。

半年に満たない期日で、全く初めての試みを、組み立て、実行した委員会に、驚きと称賛の声しきり。


当日は、夢組からも4人が出席し、それぞれの担当の仕事に精を出し、それぞれ二回の出番をきちんとこなしました。

そして、私たちのメインイベントである「桜花の詞」の連合吟を相棒とともに、迎えることになりました。

コラボのお相手は、草月いけばな青棘会。

桜が、思いもかけず早い満開を今日迎えました。
まるで、私たちのために咲きそろってくれたかのように、美しい花を咲かせ、青棘会の方たちも6個の花器に詩を吟じ終える4分少々の時間で、活け終えたのです。

出待ちをしているとき、言葉少なですが、お互いの気持ちの交換があり、お互いに力を得た感じがしたのは、私だけでしょうか。

舞台の前面に花を生ける人たちが並び、吟者はその後ろ横で、吟じます。

桜の花がまるで力をくれたように、あがり症の私が、ドキドキすることなく、吟じ終えたのは、期待を込めて聞きに来てくださった方たちがいたせいか、観客と私の間に桜の花が居てくれたおかげか。

今まで、取り組んできた問題がすべて氷解したかのような、吟詠ができました。

これだけ今の私を出し切ったと思える吟詠は、学生の頃以来かなぁ。
特に、最近の5年間は、惨憺たる出来の吟ばかりでしたから、トラウマになりかかっていたところです。
終わったときは、手のひらにびっしょりと汗をかいて、いかに緊張していたかがわかるのです。

すべて終わって、振り返ってみると、わたしは、私の吟詠をすることにすべてを傾けていたようで、大事な生徒さん達には、「私を頼らないで、自立しなさい!」なんて、都合の良いことを言ったような言わないような。

会場から,開演の間のお客様の誘導を受け持った夢組は、それぞれの持ち場に散ったので、その働きぶりは、見ることができませんでしたが、どんな感想だったか、そして、出番の吟詠はどうだったのかしら。

学生時代の吟詩部の後輩で、今は違う流派で詩吟をしている人が聞きに来てくれました。
お見送りの時、「先輩の吟が一番でした、身がひきしまりました」との感想は、最上の褒め言葉でした。
ありがとう。

そして、せっかくのコラボなのに、花に隠れて吟者が客席から見えなかったのは、とても残念。と、吟者の身になっての感想をご家族からいただいて、とても暖かみを感じ、うれしかったのです。
ここにも、支えてくれている人がいることを発見。

長い長い休止期間ののち詩吟に返り咲いてから、低迷し続け、発声法の講習を本当にありがたく受講してから、何年たったのかしら。
講習の音源を何度も何度も聞き返すことしか、方法のない一人での試行錯誤は、今日、やっと実を結んだみたい。

整体の先生も聞きに来てくださっていたので、丹田に力が入っていたかどうか、お聞きしなくては。


一番拍手が多かったのは、空手少年とのコラボ。
「少年老い易く学成り難し・・・」の漢詩にピッタリと合った演武は、どれだけ詩吟を聞きこんでどれだけ練習してくれたのかと、感動しました。
その、力のこもった、少年の懸命さが、思わず拍手だったのでしょう。

友人からは、詩吟より野田 芦孝先生の書道に引き付けられ、習うんだったら書道を習いたいと言われたのには、笑うしかない。

そして、論語の学友?は、そういえば、私が何に出演するか言ってなかった、だから、あいまいな笑顔でよかったとの言葉、ほんとう?

ほんとうに、待ち遠しいような、来てほしくないような日々で過ごしていた昨日まででしたが、とうとう、完結する日がきました。

私個人は、深い満足と達成感のある今日のコンサートでした。それぞれが、それぞれの思いを胸に帰路につきました。

終わりよければすべてよし、そして、この大きな実が、さらに大きな実りにつながるよう、これからが、本当は、大事な時。




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おてつだい

2013年03月18日 | こたろう語録
かあさんは、いま脱力中。

なんでかというと、15日締め切りの関吟ニュースの開催情報の受け次の仕事がやっと終わって、最終情報を広報部長に今しがたメールをしをえたところ。

任されて、もうすぐ1年が来るようだけど、簡単な仕事ほど、漏れがあるようだよ。

以前は、新聞は野田 芦孝先生が一人でやっていたらしいけど、プロだったんだってね。

今は、広報部長が受け継いで、二面の開催情報の受け次ぎをかあさんが、ちょっとばかり手伝ってる。

むかし、銀行でパートの時、精査の仕事が回ってきたら、チェック漏れがあってよく叱られてたみたい。集中力がないんだねぇ。。。
かあさんは、生まれ変わっても、だめだと思うよ。


なんで、東京芦孝会の全部の開催情報を載せる必要があるかというと、東京芦孝会では、広く会員がすべての教室に自由に参加できる権利が与えられているということ。
自由っていうのは、別の不自由を生むんだねぇ。

公共の施設を使っての活動だから、場所取りが必要で、たまには、予定した日が取れなかったり、また、参加するときにどんなことをしているか知って参加した方が良いからね。

むかしは、(僕がまだ生まれてない頃 ぼくはまもなく12才)縮刷本という文庫本程度の大きさでボリュームの本1冊持参だけで、大丈夫だったんだけどね。
いろいろと、ゆとりができてくると、あれこれと物が増えてきたらしい。
それに、お茶も持っていくようになった。
これは、女性の負担を軽くすることになって、荷物が重くなっても心は軽くなったね。


おっと、話がそれた。
そんなわけで、自由のために、多大なエネルギーを使って情報を共有しているってわけ。

このどこの教室でも指導が受けられるシステムって、他にはないんじゃないかなぁ。
驚くよね。

ま、でもね、おかげで、教室の会員さんだけでなく広く知り合えるし、ということはいろいろと補ってもらったり教えてもらえるし、まだこれから伸びていく東京芦孝会だから、大いに大切なことだね。

これは、東京芦孝会のために便宜的にそうせざるを得ないというかというと、そうではなく、各会員のために広い広い心から、生まれたってことかなぁ。よくわからないけど。

だから、かあさんの夢組に所属登録をしている会員さんは6人しか(うち一人は、現在地方にいる)いないけど、いろんなチャンスで、その他の人たちとかかわりを持つことがあるみたい。

それで、昨日は、コンクールがあって、入賞者が何人かいたみたいだけど、そのうちお一人から、おかげさまメールが届いていたよ。次は、都大会だって。頑張ってね。

こんなしらせをもらうと、うれしいみたいだね。
これが、原動力になるんだろうねぇ。

だけど、かあさんさぁ、なにをしてあげたのさ。

ん?勝つための方法を語ったわけではないんだって?じゃぁ、何がよかったのかねぇ。

それは、かあさんにもわからない?  ふーーーん。







かあさんが、しあわせだとぼくも安心。あったかいひざしが、ここちよいなぁ。     おやすみぃzzzzz。。。・・














rightこの後、念のためメールチェックをしたら、添付がないとへんしんがはいってた!
あわてて、メールしたんだって。結局午前中には、終わらなかったようだね。

ぼくは、ふか~くねむってたから、かあさんのじたばたは、わからなかった。

もう大丈夫だよね。はいはい、がんばって。

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象山吟詠シーン

2013年03月17日 | 詩吟
佐久間象山が、自作の「漫述」を馬上で吟ずる場面の放映がありました。

日曜八時と言えば、NHK大河ドラマ「八重の桜」






「関西吟詩文化協会」と名前が出ましたが、さて、これが詩吟の流派だとは、気が付く人がいるだろうか。



2行の吟詠だけでした。
この後象山は、暗殺されてしまうのです。















right
http://www.kangin.or.jp/ginei_f.html
関吟HP 吟詠コーナー 日本の漢詩から、「漫述」をお聞きください。
模範吟は、女性の先生で、岸本 快伸先生が吟じておられます。


〈読み方〉
 漫 述  <佐久間 象山> まんじゅつ  さくま しょうざん

謗る者は汝の謗るに任す     そしるものは なんじの そしるに まかす
嗤う者は汝の嗤うに任せん わろうものは なんじの わろうにまかせん
天公本我を知る         てんこう もと われをしる
他人の知るを覓めず     たにんの しるを もとめず


〈字解〉
 漫 述  思いつくままに述べる
 謗    非難する
 嗤    冷笑、あざけりわらう
 天 公  天帝、天、宇宙万有を支配する神


〈意解〉
私を非難する者も、また、あざけり笑う者も、ともに諸君の意に任せよう。 天はもとより私のことを知ってくれているから、他人から認められようなどとは思っていない。


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夢青葉3月

2013年03月16日 | 詩吟
「かなっく」を前に、最後のお稽古。

ゲストお一人を迎えての練習。

今日の練習で丸三年になり、4月からは4年目に入ることになりました。
ガールズトークをしながらの練習は、2時間をみっちり声をだしてはないけれど、何しろ、しゃべりだしたら止まらない。伝えたいことがありすぎる。

それでも、至近距離で吟をするおかげと二人とも正反対の性格であるけれどまじめで相性が良いという点では一致しているので思いのほかの効果があります。


それで、うかうかと過ごす部分もありながら、着実に伸びてきたことを実感する今日の練習でもありました。
それは、大変申し訳ないけれど、初心者のゲストさんと、並んで練習を行うことによって、期せずして本人が互いに実感したことです。

バラエティーに富んだメンバーであれば、もっと早くに実感したことでしょうが、同じ歩みを進めている者だけだと、上達したという実感を得難いのです。

比べるものではないと言っている私がこんなことを言っては良くないし、ゲストさんには重々失礼かとおもうのですが、感じてしまったのは、本人ですから。


ここまで続けて無我夢中の時期をぬけだしてくると、詩吟と吟じることが何かの支えになるようになってきたようです。
それが、私の教える上での大きな支えであり、喜びであるのです。


せっかくそんな状態にまで来たのだから、もう一年、かみしめてもよさそうなのに、おっちょこちょいの私は、次の目標を瞬時に立ててしまいました。それは、コンクール。

さて、吟をする私は、コンクール嫌いで、避けられるものは避けてきたのだけれど、発想を変えたら、「肝試し」にとコンクール出場を勧めている教える立場で考えを変えた私が今日出現しました。

私に勧められてその気になったのですが、彼女は、何かに挑戦して跳ね除けたいものがあるようで、いいチャンスになればとも思ったようです。

ここにも、指導者の言われるままではなく、自分の意思がそこにありました。声をがむしゃらに出すところから、一歩前進したようです。


コンクールという数字であからさまな結果が出るもので、二人しかいない会員さんを結果的にたたかわせる形になるのは、望みません。
登録日が、書類提出の関係で2か月ほど先輩になる方に勧めたのです。

3年前、同時スタートで、始めたので、二人の女性は吟歴としては、全く同時スタートなのですが、準備段階で登録申請をしてくださっていた方と練習開始とともに登録申請をした方と、登録日の差が出てしまったのです。

要するに、二人のうち一人を選ぶについて、使った方便です。
最初の、挑戦は、7月のグローバル吟詠会のコンクール。
二人目の彼女には、秋の大会のいずれかにエントリーしてもらうこととしましょう。

グローバルのエントリーにあたって、課題吟はすべて習っていないか関吟のテキストにない漢詩ですから、4月の練習からさっそくコンクールのために練習をせねばなりません。

今年は、昇段試験が1年空く年です。コンクールのための練習をする一年となりました。

先にエントリーする方は、3か月しか準備期間がありません。あとの一人も同じに練習するわけですから、秋のエントリーはそれだけ長く練習をすることになり、強みではありますが、課題吟が何になるかが、一つのャCントになります。


二度の昇段試験をけいけんしていますから、その時、審査されたわけです。
「あなたらしく」を一番の目標としました。
今度は、さて、何をャCントに指導をしたらよいか、考えなくては。

今までは、確実に音程をとらえて、正しい吟法をするために、一つ一つの音を大事にしてきました。
音源に入れる時も、ゆっくり目に吟じていました。
二人とも、のびのびと吟じています。

せっかく、のびのびと吟じているのに、コンクールの約束事にこだわるようになっては、もったいない気がする。早まったかなぁ。。。。。

こんどは、2分弱で吟じられるようにストップウオッチ片手に詩吟なんて、ぞっとしないけど、「吟じる私の考え方」と、「教える私の考え方」と相反する考えがを私の中に混在することになる。

伴奏曲を使うことも、かなっくを機にはじまりました。


これを始めることで、壊れるかもしれません。浮「です。
どうして、もう一年安泰に過ごそうとしないのか、別の自分が叫んでいます。

まぁ、人数が少ないと、危険を察知しやすく、教えるャCントを絞れるのが、利点。
そこを生かして、避けうるものは避けながら、いこうかな。



「コンクール」「コンクール用」などという言葉が、夢組に出現するのは、思いがけず早かったなぁ。

ドキドキ。

さて、昨日の夢松風での練習に、大いに反省したけど、夢青葉できょう練習したら、吹き飛んだ。
難しいと思えたら、それが、上達するチャンス。
体得したら、達成感だよ!!

            がんばれ!

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夢松風3月1回目

2013年03月14日 | 詩吟
かなっく詩吟コンサートへ向けての練習 「半夜」と「題壁」

当日までに、覚えてくることが、宿題。

「題壁」は基本の吟法で、すでに習った「城山」と同じなので、なじみやすかったようです。
「半夜」は、転句の吟法に苦手意識を持たせてしまったようで、指導の失敗例となってしまった。

テキストに沿って練習してきたのが、急に、かなり後ろの方に出てくる漢詩を習うことになって、気持ちが、かなり難しいものという印象を与えてしまったのかもしれません。

そのような言葉使いをしなかったとしても、予想外な詩を覚えてもらわねばならないという潜在意識が、色濃く会員さんたちの心に反映したのだろうと思う。

この1年間の前向きのエネルギーが、どこかで削がれていたのを、今になって気付くのです。

さて、どうすれば。



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おかげさま

2013年03月12日 | 出会った人
夫にきっかけを与えてくださった方と今日は飲み会なのだそうだ。

国内の企業で仕事を得たおかげで、私は、のんびり詩吟と孫の世話に明け暮れている。

つらかったころのことを、最近は思い出すことも少なくなりました。
夫は夫で楽しげに専門の仕事に取り組んでいる。

どういういきさつで、誘っていただいたのか、具体的なことは何も語らない夫であるが、もちろん、夫の力量を認めてくださった上での結論だと思う。

それにより、経済的な安定とともに、心の安定もどんどんと増してくるこの頃は、何も心配がない。

本当におかげ様。
お目にかかることはないだろうけれど、感謝の気持ちを忘れません。
ありがとうございました。




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