風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

教室再開

2021年03月31日 | 詩吟
世の中は、まだ落ち着いていません。第4弾の声も聴かれる中、緊急事態宣言が解除されたのを機に、12月に決めた予定通りに教室の再開をしました。

昨年、戦々恐々とし始めたころから、決して、良くなっているどころか、数字は、悪い方向にむいています。

用心しながら、再開をしました。
頼みは、日本吟剣詩舞振興会HPのガイドラインなどを参考に、恐れずに冷静沈着に教室運営をいたしましょう。

これまで、周りの人たちに感染者がいないのが、幸いです。

久し振りのご挨拶と、もろもろの手続きを終えて、巻頭言のみのスタート。
今日の吟題は、「春夜」蘇東坡 です。

寒さから解放されて、昼間の宴の雅な様子を、スャbトライトのあたったブランコが、ひっそりと揺れているようすが、思い起こさせるようです。
値、千金と時刻という無形のものに与えたところに蘇軾の才のひらめきがあると、石川忠久先生は、おっしゃっています。

静かな吟詠で教室が始まったのは、喉には、ちょうど良いウオーミングアップになりました。
皆さん、ちょっと、大人になった感じがありました。



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新メンバー

2021年03月30日 | 詩吟
この、コロナの時期に、準備中の吟友 SOUKA 新田塾に、新人さんがいらっしゃるかも。
4月の第二木曜日に、見学にいらっしゃるそうです。

コロナには、かなり用心をしていらっしゃるようなので、ワクチン接種が終わったらいらっしゃいますかと申しました。


お話をしている内に、声を出したくなって来たみたいです。
最後の決め手は、「もう一つの松戸にある教室は、12月から今日まで、お休みして居て、明日が久しぶりの再開なんですよ。」でした。


期せずして、「安心」「安全」のアピールになったようです。

何が推進力になるか、わかりませんね。

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満開の桜並木をぬけて

2021年03月28日 | 詩吟
会場のさくらホールまでの道すがら、公園の桜が満開です。花曇りは、花のピンクを際立たせていました。    さくらとスカイツリー

今日は、昇段試験。
半日の帰宅は、返上して、全日参加をしました。

昇段試験については、審査員の協議の結果、全員昇段を認められました。
特に、初段の受験者は、確実に譜を捉えて、清々しいかった。
初々しい中にも、自信にあふれていて、さぞやご本人、指導者ともに達成感がおありだったことでしょう。

夢松風からは、二段の受験者が一人。この方も、教室お休み中にもかかわらず、自学自習で、頑張られました。
開かれた東京芦孝会のおかげでもありました。

いろいろな情報の中で、とても大きな知らせがありました。
二つの教場での大きな変革が知らされました。

最後の時間で、野田会長による吟詠指導を3か月ぶりに受けて、冷や汗をかきました。
さぁ、「吟詠」に励まなくてはと、しっかりと言い聞かせました。

31日には、夢松風の練習再開です。
再会を楽しみにしている会員さんたちに、がっがりさせないよう、気を引き締めてかかろう。

それにしても、練習は、楽しい、人と会うのもうれしく、交わす言葉も弾んでくる。
これだけ間が空くと、嬉しい変化を余計に実感します。

阿吽の呼吸で、意思を伝えあう場面もあり、吟友とはこれよこれと。
こんなかかわりを3か月も絶っていたなんて、よくぞ我慢したねと、思う。

今日がなかったら、まだこの先、我慢の二文字が続けられただろうか。

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吟詠の喉2

2021年03月27日 | 体を整える
体が整ってきたのは、とてもうれしい。
楽器のメンテナンスが、進み、いよいよ「吟詠」をするために、カラオケに行きました。

歌えても、吟詠とはいえないなぁ。

そういえば、昔、復帰した時も、声にパワーがなかったなぁ。

練習を重ねるにつれて、ただの声が吟詠にもなり、それなりのパワーが出てきたのだった。

冬眠したのだもの、すぐに詠えるわけじゃない。

声は出してないとだめだよと言われても、今声を出したら、喉に負担をかけるだけだからと、「出さない」と、決めたんだから。

リスクがあるのは、当たり前。
楽器が整ってきているのだから、吟詠の音色を出すには、練習を重ねるのみ。


5月の春の会に向けての練習が、ちょうど良い、習練の場となりました。

あー、浮「。



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お誕生日おめでとう

2021年03月26日 | こたろう
鼓太郎は、今日で、二十歳です。
             おめでとう!
2001年3月26日に生まれて、乳離れしてから、我が家に来ました。
ちっちゃい体で、あどけない表情は、家族を鷲掴みにしました。

それ以来、20年、母を見送り、モンゴル生活のお留守番をしてくれた娘二人のお伴を勤め、帰国した日は、「おう、おかえり」と、ごく自然に迎えてくれて、その日から、私の布団の裾で眠るようになり、二人の娘がそれぞれに嫁ぎ、孫二人の誕生をみまもり、静かに、おだやかに、連れ添ってくれました。ずっと、長生きしてね。


      見守り中、鳥の動き、ご近所の猫の来訪を、素早くとらえます。

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吟詠の喉

2021年03月26日 | 体を整える
山田先生のおっしゃるのに、「喉のつまりは、なくなりましたね。」
肩に腕の重みがかかって、肋骨が下がっていますから、胸がふさがれます。
心して、重い腕をぶら下がらせないようにしましょう。
喉が開いてきたことは、大きな収穫です。
ふり絞る様な発声の仕方を改善できるには、あと一歩?二歩?

内側に巻き込むような形は、もうなくなりました。
そのおかげで、猫背から脱出できそうです。
お肉の付いた腕の重みを支え且つ、ろっ骨を下げないためには、どうすればよいのだろう。

贅肉を取って軽くすればよいという問題ではなく、支える力を強くすると言うことです。
それに、一番良いのが、雑巾がけかもしれないと、思いつきました。

膝をつくのが痛かった時は、とんでもないことだけれど、今ならやれるかもしれません。
便利な物は、体の持つ能力を下げるねぇ。
フルタイムのお休み中なんだから、モップを捨てよう。

今日は、その次に、股関節の問題点を解き明かして、違うバージョンの体操を教えてもらいました。
腿の後ろ側を伸ばしながら、踵の曲げ伸ばしをさらに加えて、股関節のこわばりを滑らかにに持っていきました。
少しずつ、股関節が滑らかになり、最近では、膝を曲げて、足の裏をピタリとつける姿勢が取れます。
もう少ししたら、胡坐をかけるようになり、正座も夢ではないかなぁ...
いやいや、焦ってはならぬ。



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遅れていたことが進む

2021年03月22日 | 徒然に日々のことを
問題提起を、いちゃもんとしてマイナスエネルギーとして受け取るか、推進力としてプラスのエネルギーとして受け取るか。

手助けをする能力がない、そして、手助けを拒否されている時、それでも、置き去りにせずどうしても前に進んでほしい時、注意喚起をせざるを得ない性分だから。やっちゃうのよね。


マンデイコールにて、娘は、明快な回答をくれる。
「お母さん、それはね、推進力になったとだけ考えればいいのよ。」と。
「動いたということは、そういうことなのよ、その他のことは、考えてはいけないのよ。」
なるほどね。
「考えなくても良いのよ」と言わないところに、たくさんの思いがある。

柔らか頭の娘は、母の思いに、上手に応えてくれました。
仕事を続けている娘は、いろんな体験をして、母をどんどん超えていくねぇ。

ただ、大事にそっとしておくだけが、応援ではない。

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林英哲のしなやかさ

2021年03月21日 | 体を整える
和太鼓奏者の林英哲の映像がとてもきれいでクリアなおかげで、すみずみまで、見えて、演奏を心から楽しみました。
そして、録画のおかげで、別の角度から見ることで、いろんなことがわかった気になりました。

軸がまっすぐに通っていて、筋肉が盛り上がっているのだけれど、堅そうな感じはなく、とてもしなやかに、撥を操っているように見えます。

傍らの、若い奏者は、筋肉は、英哲さんよりたっぷりあり、姿勢もまっすぐなんだけど、頑張ってまっすぐ、頑張って力任せという風にみえてしまいます。


英哲さんの左右の足を前後にした構えは、安定感があり、その上に載っているというより、その上に伸びた上半身が、揺るがない。
伸ばした手のバチの先は、どこまでも空のかなたに飛んでいく感じ。
大器は無限であるか?という須藤先生の言葉の『大器はならず』が思い浮かぶ。


こんなに安定して、ちからづよいのに、硬い訳ではない。あくまでも強い。
伸ばした撥の先は、そこにとどまらず、永遠に宇宙へとつながっている。
大きな大きな器は、何物も包含してしまうから、クラシックの奏者が、英哲さんは雲の上の人と言いながらも「太鼓なのに」と大変失礼ないいまわしをしても、笑顔でした。


力任せではないのに、これ以上もない、すごい音が出ているらしい。
(映像では、音の本当の大きさ、響きがわからないから、過去の記憶から。)


英哲さんの体の真ん中は、どうなっているのだろう。

さらに、YouTubeの映像を見てみると、腰がよく回っているのが見えました。
キチンと支えるということは、動かないのではなく、良く動くから支えられている。そして、よく支えられているから、良く動くということが見えました。
この、支えは、すべてに通じると思う。

詠うにしても、舞いにしても、演奏するにしても、真ん中の支えは、それぞれが持っているのだけれど、動いてしまうために、確たる手ごたえを感じることが難しいのです。
英哲の演奏のように動き回らないから、長時間映像で見せてもらったことで、素人の私にもじっくりと伝わり、見えてきました。
やはり、現場に行って、その全体像をみて、響きの伝わりを味あわなくては、と、切に思う。

ジャンルの違う若者たちが、一瞬で、魅せられるほどのものを放っているのだから。

それで、クラシックの演奏家とのコラボが実現したのだけれど。
「英哲の太鼓には、メロディーがある。」と、言わしめたのは、きっとそういうことなのだろう。

若いころ、小澤征爾に発掘されたのは、さもありなん。

「題名のない音楽会」また面白くなってました。(英哲の出演している回は、3月13日と3月20日)

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少し見えたら

2021年03月16日 | 徒然に日々のことを
わぁ、どうしよう!心が揺れる。

リラックスして、先のことが少し見えてきたら、喉もちょうしが良くなってきました。
途端に「冬眠」の心地よさから、もぞもぞと動きだすものがある。
もう少し、待ってね。起き上がるのは、ちょっと、浮「かもしれないから。

「へでもねぇよ I dontn't give a fart」と歌おうか。

「もうええわ」「もうええわ」のメロディーが、頭をめぐる。
この「もうええわ」のメロディーラインと微妙な音程の変化は、ぐいぐい引き込まれるなぁ。

そして、一か月ぶりの教室幹事さんや会員さんのお元気そうな声を聴いたら、電話の声でも掻き立てられるものがあります。

「風はあるべき場所に連れて行く」その場所は、元の場所らしい。
傾いた体でも、胸張って、しっかりと二本足で、立つのだよ。




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左の方へ傾いている体

2021年03月14日 | 体を整える
「左に傾いている」その言葉は、山田先生から始めて聞きました。

これまで、続けてきた体操と施術は、そこに向けて行われていたようです。
ちっとも知りませんでした。
「傾いている」の整体的な意味は、私の認識するのとは違っているのかもしれません。
鏡を見ただけでは、分かりません。無意識に、鏡を見て修正しているのかもしれませんね。

その傾きは、左の支えが弱いから起こった事です。ふんふん、それは、分かります。
支えが弱いのは、力が抜けているのだから、そこを起点として、あらゆる方面に向けての不調が連鎖して起き、ひろがっていきます。
その弱いところを、強化していくための体操が、効を奏して動き始めたので、先生は、言葉にしたのだろうなと、想像する。

山田先生は、施術の時、その時の私の心身の状況に応じて、操法の手順が違うようです。
毎回、状況を読んで、そのたびに、必要な手当てをしていたということです。
井本整体は、オーダーメイドで施術が行われるとは、このことです。


「左に傾いている」ことを、最初に私が聞いていたら、つじつま合わせの行動が起きて、いたことでしょう。
土台からゆっくり積み上げていく整体に対して、その先を知ったつもりになって先回りをしてはいけません。

傾いていることの意味、弱いということの意味、それを踏まえて、私の心の癖を読み取って、今、一番ふさわしいところに手を差し伸べる。
それが、山田先生の施術すなわち井本整体の操法です。

この一年で、ゆっくりさせてもらったおかげで、時間をかけて、体と向き合いました。
おかげで、気がついてなかった首から上のこわばり、こだわり、苦しさ、痛みが軽減されました。

ゆとりによって、ゆっくりとその原因に向き合えたからです。

すっかり解決を見たと思っていても、長年の癖は、ひょっこりと顔を出します。
体の癖は、熱タオルと体操で、積極的に修正していきます。
心の癖は、柔軟になった体が、優しく受け止めてくれれるはず。

それでも、何かのキーワードで、突然訪れる心の痛みは、もうそれは傷を負ったとの記憶でしかないのに、あたかも今も、血を流しているが如くに大げさに感じてしまうことがあります。
一度覚えてしまったものは、なかなか、忘れ去ることができないようです。

それは、弱さからくるものですか?と問うてみたけれど、答えはない。

 ”泣くくらいじゃったら、笑ったるわ、アハハ・・・
                 「もうええわ」by藤井 風


時間がかかっても、遠まわりでも、基礎から修正していくことを、今、習っています。
ただやみくもに言われた通りにするというところから、一段登ったかもしれない。
心身の柔軟性がもう少し戻ってきたら、風君のように、笑ったるわ、アハハとね。
ふるさと言葉は、いいね。
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