風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

関吟東京支部中央会

2011年07月31日 | 詩吟
今月は、会場の都合で、第5日曜日に開かれました。

筑摩河 頼山陽作 同じ作に、4行絶句の川中島は、詩吟といえば川中島と誰でも知っているくらい有名です。



(意解)
 そのとき謙信は西條山に出陣、対する信玄は筑摩河に陣していた。峡公が長蛇であれば越公は猛虎である。「貴様が螫しに来れば俺はってやる。」
 謙信軍は八千騎の兵に枚(ばい)をふくませ、暗にまぎれ筑摩河を渡った。朝靄(もや)の晴れた時、かの軍勢の大旗は信玄の陣を圧して立っていた。これまで幾たびか機を逸した謙信は、この度こそ信玄と雌雄を決せんものとせまり、あわや一撃の下に彼をきろうとしたが、信玄はからくも鉄軍扇でこれを防ぎ、果すことは出来なかった。
 かく猛虎と長蛇が死力を尽くして戦っている時、その傍らにほくそ笑みつつ、そのき唐黷驍フを待つ毒龍(織田信長を指す)が、わだかまっていることを知っている者があったろうか。時に永禄4年9月のことであった。


関吟独特の吟法で、「突入」という形がでてきます。
三段上げと大中山が組み合わさった形です。
少し複雑になると、なかなか正確に吟じることは難しいようで、三人三様の吟じ方でした。


「突入」は、めずらしく、おもしろく、おきにいりなのです。
誰よりも正確に吟じているつもりなんだけど、誰もそうとは、言ってくれない恨みの吟法でありました。






コメント

かゆいということ

2011年07月26日 | こたろう
かゆいということは、人間とって痛いよりもつらいというけれど、こたろうにとってもそうなんだよね。

きのう、かゆみ止めの注射を打ってもらって、一寝入りした後のこたろうの目の力強いことといったら、それに、よく見ると澄んでいて、余計にキラキラとひかってみえる。

注意力散漫だったことを思う。

一緒に住んでない娘にさえわかった傷を見落としていたなんて、母じゃないね。

それに、この目の明らかな違いが、わかっていなかった事に、反省。

せっかく、10才にしては健康で、きれいな体をしていると褒められたのだから、すこしでも長く維持してあげなければねぇ。

夏だから、食欲は落ちるし、体力消耗を避けて、いつもよりも寝てばかりいる様子は、判断を誤ってしまった。
今日は、早速、お茶目を発揮して、タオルケットの下にもぐりこんで、目をきゅるきゅるさせて、中から覗いていた。

こたろうと呼んで近づいていくと、首をくるくるっと振って、甘える様子は、胸キュンメ[ズだ。




コメント

かあさん、走る

2011年07月25日 | こたろう語録
かあさんは、昨日の夜あまり寝てない。
あさ、診察時間が変わりないことを電話で確かめたら、ぼくをキャリーにつめこんだ。

今日は、寝込みを襲われたので、気がついたらキャリーの中に入れられて、鍵が閉まったところだった。
いつもだったら、大格闘なんだけどね。

重いから、自転車にのせて、えっさかほい。

僕は、狭いのが嫌いだ。ほんのちょっと前に、1年に1度のワクチン注射を打ったばかりだから、これに閉じ込められて運ばれるのは、1年先だとおもっていたのに。

大きいお姉ちゃんが、右頬に毛のはげたところがあるって言ってたところを、たいしたこと無いすぐに治るって、かあさんは思っていたんだ。
昨日、僕が痒いものだから引っかいて、血が出たものだから、とたんにかあさんは、心配になったというわけ。

いつも、キャリーで運ばれるときは、「何だよ、何処いくんだよ、だせよ、・・・・」と、さわぎまくるんだよね。
猫のすきな母さんの友達が家の前を曹「ていたのに出くわして、ひとしきり立ち話。

そのあいだも、僕は、恥ずかしげも無くずーーーっと、わめきっぱなし。
なんだかなぁ。。。大人気ないけど。僕は、声が子供のままなんだよね。だから、すれ違う人は、微笑むんだ。
僕の、6キロの体が見えたら、違う反応をするだろうけどさ。

1年に1度しか会わない先生と看護婦さんに、今年は二度目だ。
かあさんは、いままで、予防注射だけだったのになぁ・・・残念だぁと、思い。
看護婦さんは、カルテを見て、りっぱなものねぇ、ワクチンのシールだけよと、ほめてくれた。
10年間のカルテが、たった1ページだもんね。

これで、この、いまいましいほっぺのなんだかわからないもののおかげで、ついに「一度も治療をしてもらったことは無い」記録更新はならなかった。
たいしたこと無いんだから、かあさんは、もう少し、我慢して様子を見て居たらよかったのに。

<script language="JavaScript" src="http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=8750-1311644934-178-319"></script>


僕は、賢いから、痛い注射を打たれてかあさんが会計を済ませる頃になると、とたんに、静かになる。
どうやら、家に帰るらしいなぁとわかるからだ。

帰りに、また、母さんの友達に会った。また、立ち話だよ。
しばらく我慢してたけど、一声鳴いたら、猫好きなおばさんは、早くカゴから出してやらなきゃねといって、話を終わりにしてくれた。ありがとう!

10年間、一度も、病気や怪我をしたことのない僕の記録は、更新されず残念だったけど、母さんは、たいしたこと無かったのでほっとしたようだった。
子供を育てるときの方が、おたおたしてなかったなぁ・・・と言ってるのが、聞こえたよ。

僕は、閉じ込められるのが嫌いだ。狭いところに自ら入るのは、好きだけどね。
どうも、キャリーっていうのは、好きになれない。嫌いだよ。
かあさんや、別のものを買っても無駄だよ。

それに、僕は、年をとっても、そう簡単にクリニックの御世話にはならないからね。あんしんしてよ。



はぁ~、つかれた。
母さん、タオルケット洗い立ては、気持ちいいねぇ。
おさきに~
コメント

ネットサーフィンしてたら

2011年07月24日 | 徒然に日々のことを
今でもネットサーフィンって言葉をつかってるのかしら?
最近あまり聴かないから、何かほかの言い方がありそうだけど。
母の介護中、夫に無理やり勧められて、いやいやながらはじめたパソコンだったけど、ネットのあちこちを訪ねて、面白いものはないかとさがしたよねぇ。

あのころは、今のように、検索は楽ではなかった。ヒットする単語の選び方によって、何も出てこないこともあり、まして、その気も無しにやっていては、見つかるものも見つからないよね。
何とか、介護のページを見つけて、同じような介護仲間を見つけたら、楽しくなったんだった。

今日、娘と孫の体調もよくなり、7ヶ月の孫には幸い伝染しなくて、ほっとしたところ。
いつもなら、第4日曜日は関西吟詩文化協会東京支部の中央会の日なのだが、今月は都合で第5日曜日になっている。欠席を余儀なくされるところを、危うくまぬかれた。

特に目的も無く遊んでいると、いつの間にかというか自然と詩吟関係にサーフィンしてきて、懐かしい言葉を入れるとヒットするものがあった。

学生の頃、けじめを教えた先輩が、みつかった。学生の頃と変わりない様子の後輩の写真も。ずっと続けていたんだなぁ。

もし、あのままふるさとに居たらきっと、詩吟はしてなかったかなぁ。

先輩として、部室を訪れ、合宿に参加したり、時には叱責までして、かなり激しく取り組んでいたから。
その姿は、本来の私ではなく吟詩部の指導をしてくださった鈴木先生だったらきっとこういうだろう、こうするだろうと自分で決めたお手本の通りに先輩というものを演じていたのだから。
あのままつづけていたら、きっと、てづまりになり、息切れして、やがては続けることが出来なくなってやめていただろうなぁ。

結婚、引越しでふるさとと詩吟から離れることで、冷却期間があったことで、詩吟に自然と帰ってきた。
今では、子育ても終わり、理解ある夫のおかげがあって、続けられているのだと思う。


ネットのおかげで、思いがけないふるさとの今の様子を知ることが出来ました。
いろんなことを思い出し、懐かしい気持ちになり、みんな何かの形で頑張っていたんだなぁ。
そして、この私が、今も続けていることを本当に不思議な思いで見つめています。
その彼女たちが、今の私のことを知ったら、どんな風におもうだろうか。
学生時代以来だから、もう40年になるのだねぇ。

そのときの、同期の仲間は、「五似ん会」の名前で今も続いていて、秋には旅行に行くことになっている。

有り難いことと思う。大切と思う。
今度あったら、何が最初の話題になるだろう。

コメント

孫と娘 発熱

2011年07月21日 | こたろう語録
昨日、おおきいおねえちゃんが、お花のお稽古にあわせて、やってきた。
久しぶりだから、かあさんは、うれしくて、ご飯を張り切って作って待っているはずなのに、帰ってこなかった。

そういえば、昨日の朝、電話がかかってきたと思ったら、家の中をあたふたとして、それから、ベランダの物を部屋の中に運んで、なんだか、台風仕様に・・・といってたみたいだったなぁ。

それで、そのまま帰ってこなかった。

おねえちゃんは、冷蔵庫とレンジをあれこれやりながら、お風呂に入ったら、話し相手が居ないから、テレビ三昧だったよ。
その間、僕のお気に入りのブラシで、丁寧にブラッシングをしてくれていた。
あら、あごのところどうしたの?って言ってたけど何のことだったのかな。

そして、朝、仕事に行った。

夕方になる前、母さんは、帰って来た。
ぼんやりしてたから、快速に乗ってしまって帰ってくるのに疲れたと言ってた。

そしていきなり、また、明日も、行くねって。

なんなんだぁ。




    こたろうへご説明                 by 母

昨日は、娘から発熱の電話をもらって、台風接近のため、あわててベランダの風に飛ばされそうなものを中に入れて、戸締りを入念に確認して、出かけました。

娘と3才の孫が発熱し、7ヶ月の孫は、まだ無事と電話。
すぐ来て、というので、泊まる準備をして出かけたのです。

ヘルパンギーナという菌に感染して、喉が痛く高熱が出るのだそうで、今は、風邪でもいろいろと名前が付いているものですねぇ。

熱が出て、よれよれになると、お姑さんに世話になるのは、気が引けるようで、私が呼ばれたわけで、呼ばれれば喜んで飛んでいく私でありました。

熱と聞いても、風邪だしねとそれほどあわてていたつもりは無いのですが、朝食べるつもりでレンジに入れたご飯を置き去りにして、出てしまったようでした。
留守に来た姉娘は、レンジの中にご飯が残っていたよと。(笑)
そして、大丈夫そうだったから、そのご飯と冷蔵庫の中の納豆なんかをかき集めて夕飯にしたよと先ほどの電話で言ってました。
ごめんね。せっかくの、「娘時代に戻る時」をすごせなくて。

最近は、毎週のお稽古に来られないくらい忙しくなって、久しぶりにお稽古に来て、帰りはお泊りだというのに、会えなくて残念。
鼓太郎のえさとブラッシングと、ゴーヤの水遣りをしていってくれました。

妹娘は、熱が上がったり下がったり、本当は、薬で抑えないで熱を出し切って欲しいのだけれど、子供二人を抱えて、健康保健の効く医学至上主義の家族たちに囲まれていたら、無理も無い話。

こんなとき、目の前の症状を抑えるのでなく、長い将来のことを考えた体のサメ[トができないことを残念に思う。

家事と孫の世話を取って代わるだけで、終わってしまうのが残念だけど、嫁にやったのだから、近くに住まないめたのだから。

とはいえ、私も子育てのときは、娘と変わりないことをしていたことだし。
自分の体のことを考えて居れば良い状況になって、違う方法が有るって事を知ったのだから。

娘時代は、反発していたけれど、子育てに関しては、素直に意見を聞くようになったところだから、こと、自分の体のことになると、まだ、聴く耳を持つまでには行かないよねぇ。
しかも、周りは、すぐに医者に飛んで行けを推奨する人たちに囲まれて居たらね。

そういえば、出かけるとき、こたろうにちゃんと説明して出かけなかったなぁ。
特に、帰らないって事をね。

そのせいかしら、おとついには見えなかった、あごの下に1センチほどの毛のはげたところがありました。
娘に言われて、気がついたのだけれど。
1日で、できるものかしら? ストレス?ごめんね。
誰かの、何かを肩代わりしてくれたのかもねぇ。

明日もまた、出かけるけど、大丈夫かな。
そして、週末も、所用でパパが出かけるので、また、留守をする予定だからね。
娘の最寄り駅のコミュニティバスは、回数券の期限が区切られてないというので、回数券を買いました。


そんなわけで、こたろうさんや、ちゃんと出かけるとき、説明して、出かけるねから。
心配しないで、いつものように昼寝をしていてね。

              こたろう ごめんね




コメント

台風接近

2011年07月19日 | 徒然に日々のことを
台風のニュースは、あわただしく、騒がしくテレビから流れるのだが、一番知りたいところの様子は、わからない。

こちらは、今は静かに雨。
少し前に激しく降ったので、このまま嵐になるのかと思ったら、あっという間に小雨になりました。

台風銀座といわれたところに住んでいる義母は、一人暮らし。
住み慣れたところで、すこしでも長く生活が続くことを願い、夫は好きな仕事をすこしでも長く続けたいと願い。
今は、危ういバランスで何とか、あっちとこっちで日々を送っているのだが、、、

台風接近の報が入ると、いち早くデイサービスの施設から、緊急宿泊のお誘いが来る。
何度か、お世話になったのですが、今回は、ベッドが満床ということで、職員が断りに来たそうだ。
その代わり、戸締りその他のお手伝いをいたしますといって、4人で来てくださったとか。

幸い、隣に、何かと頼りにし合っている親戚の女性が居て、昨夜はその家に泊まりに行くことになった。

連れ合いをなくされたばかりのその方は、寂しくなくてよいと、喜んでくれたそうだ。
律儀な義母は、迷惑をかけに行くのではないとの思いがあったのと、久しぶりにゆっくり話が出来そうだとの思いから、不在をしらせる電話の声は、弾んでいた。

母が、台風の心配をするより弾んだ声を出しているということで、台風はたいしたことがなさそうだと、予想できた。

台風に関しては、程よく折り合いをつけ、決して侮ることは無く、毎年、対処してきたから、浮ェりながら、ちゃんと処置が出来て予想がつけられるはずだから。

義母の声の調子から、言葉より多くの情報を得て、あまり心配はしなかったのです。

と、言いつつも、遠く離れている私たちには、安心材料を探すしかないので、自分をなだめるために、安心材料を探し、無理やり安心させるのです。
自然というのは、どのように変化するかわからないから、親戚の家にご迷惑のかかることが起こらないように、本当のところ祈るしかないのでした。

今朝、電話をすると、とっくの昔に自宅に帰っていた。
今日は、定期健診の日だから、2時間も前から、支度をして待っているのだそうだ。

ということは、朝食はおろか、お茶さえも頂かないで、帰ってきたということらしい。
義母のことだから、手間を取らせたくないのと、一刻もはやく家にかえりたいと思うのは、わかるので、驚きもしなかったけれど。

昨夜は、久しぶりにいろいろと話に花が咲いたらしく、声に元気と張りがあった。
取り留めの無いおしゃべりは、元気の源。
しかし、昨夜がどんなに楽しくても、しっかりとけじめをつけて、帰ってきてしまう義母でした。
そんなところは、昨夜が楽しければ楽しいほど、相手には、潔よすぎて寂しい思いをさせるものだと、義母は知らないのでした。

まずは、無事で何より。感謝。

さて、私はといえば、友人との約束が、地震で延期になり、また、この台風で、様子を見ようと明日の予定が変更になった。
なんと言うタイミングなんだろう。二度までも大自然に・・・と言いそうになって、困難な状況にいらっしゃる人のことを思い、首をすくめる。

先日の大阪での、再会も、ほんとに手放しで楽しく時をすごせたし、今度も、どんなにか楽しいことだろう。

やっと、自分から誘いたいと思うようになって、そしてその相手というのは、気心が知れている特別な友達からだねぇ。




              雨が降ったね、ゴーヤ君
コメント

コンポステラ5周年おめでとう!

2011年07月12日 | 徒然に日々のことを
ナチュラルカフェ コンポステラ

               5周年おめでとう!

星空音楽会 `usica en Compostela

      ナチュラルカフェ コンポステラ 5周年記念ライブ

出演: 中尾勘二・関島岳郎DUO
     中尾勘ニ(サックス、クラリネット), 関島岳郎(テューバ)

    NRQ
     吉田悠樹(二胡), 牧野琢磨(ギター), 服部将典(コントラバス)
     中尾勘ニ(パーカッション、サックス、クラリネット)
     ゲスト 関島岳郎(テューバ)


聞いてきました。

いつもは、後ろの方の席でひっそりと聞かせていただいているのですが、ブログを見て3人さんが来てくださるというので、ちょっとだけ気を使いました。
何しろ、徒歩圏内ですから、普通に行っても時間前に到着。先着順でよい席から座れるので、関島さんの息遣いが聞こえる席に陣取りました。

いつもながら、一瞬の心の交流のあるような、音楽のうねりに包まれているような、しかし、落ち着いた雰囲気の、ここコンポステラは、なんて良い空間を作ってくれるのだろうか。

一人遅れてきた職場仲間の彼女は、音楽を趣味としていて、たまたま、関島さんのアレンジした楽器をそれと知らずに吹いていたらしい。
良い機会だと、その楽器のことについて質問することが出来たと喜んでいました。

ライブの後も、彼女と店の前で心地よい風に吹かれながら、立ち話。
いろいろと鬱憤がたまっていて、職場ではいえないことを思い切りしゃべっていった。

ほんの少しの遅刻でよかったはずが、残業になって、遅れてしまった。一部をまるまる聴くことが出来なかった。
それが、引き金になって、良い音楽を聞いた後なのにと、いいわけしつつ、止まらなかったのです。

帰りは、スッキリした顔をしていたので、音楽を聴いたことと吐き出したことで、軽くなったのでしょう。

マスターと奥様は、5年たっても何時までも初々しい接客で、さわやかな風がふきぬけるみたい。
オーガニックのおかげかなぁ。

別の二人は、おそらく、こういう機会がなければ、関島さんのチューバを聴くことは無かったことでしょう。
いい音だから、眠ってなんかいられないよと、言っていたのが印象的です。

近いから通ってくる素人の私にも、優しいライブなので、ありがたい。

NRQの二胡を弾く方は、前回よりも体の動きがしなやかになっているように感じました。
精進なさったのですね。

いい時間をありがとうございました。
夏のひととき、涼風が吹きました。
コメント

グリーン カーテン

2011年07月11日 | こたろう語録
ふむ、ふむ、とうさんの丹精したグリーン・カーテンがずいぶん伸びてきたね。

隣の部屋からベランダ伝いに、こっちのリビングに侵入するのが、僕のちょっとした遊びなんだ。

かあさんは、ゴーヤが伸びたから、入れなくなったねぇ、と心配してくれた。

こんなとき、僕は猫をおもいだす。

ぼくは、頭さえ通過すれば、何処にも触らないで、潜り抜けることができるんだよ。








                    ほらね!


コメント

夢青葉 7月のお稽古

2011年07月10日 | 詩吟
一ヶ月に一回のお稽古が、13回目を迎えました。
めでたく、1年分のお稽古が終わり、二順目をめぐり始めました。

久しぶりに、お客様を迎えて、賑わいを見せた夢青葉です。
特に一人しか居ない男性にとって、願っても無いお客様で、二人の合吟では、学ぶことが多かったようでした。

日ごろ、辛らつにものを言っている私と違って、初心者のガッツで飛ばした吟を支えつつも引っ張ってもらって、違和感を覚えるところと、声が共鳴して、快感を味わえる場面もあったようでした。

是は、何よりの体験で、女声の私では、味あわせてあげられない練習です。

ほんとにありがとうございました。さりげない、フォローは、みんなのやる気を育てます。


さて、二人の女性ですが、
一人は、練習をしなかったといいつつ、復習で行った二度の合吟で、ちゃんと掴んで、独吟をなさいました。
もう一人は、声に幅が出てきて、吟声になりつつあります。
吟法を訂正したら、何度も出来るまで食いついてきてくれて、頼もしい限り。
人数が少ない利点を生かして、今できることを丁寧にやり直せるのが、うれしい。

そのうちの一人、いつもは別の帰路をたどるのが、所用で電車を使うため一緒に駅に向かいました。ずいぶんと話がはずんで、お稽古とは違う話題も出て、女性の二人が仲良くなっていくのを見るのは、安心します。

将来合吟に挑戦できると面白いと思っています。

夢青葉は、4月で二年目を迎えたのですが、昨年は都合3回お休みをしています。
ですから、実質の二年目は今月からになります。
去年は、8月はお休みにしましたが、今年は、お休みにしないで第一土曜日に練習することにしました。

3人しか居ないことで、お稽古日を流動的にやってきましたが、そろそろ、第一日曜日に定めていきたいとは思っているのです。
ただ、その日に出られない人があまりに残念そうな顔をし、それを見て他のメンバーが、日にちを譲ってくださるので、やはり、三人がそろう日にお稽古をすることになっています。
ありがたいことです。

今日も、体操は胸を開く、すると、自然に腰が力強く体を支える。
ちゃんと支えられた体は、ちゃんと支えられた声を出す。
その証明をしてくれたのが、Yさん。
今日は、あいうえおの詩の朗読の先導をやってくださったのですが、声に力が入って、響きが出てきました。
ほー、こに一ヶ月で何があったの?

何かしら、毎回喜びを運んでくれるわが生徒たちよ、ありがとう。
初心者とともに進むことは、こんなにも毎回うれしいことがあるのかと、指導者の初心者は、うきうきするのでした。

そして、吟の練習については、お客様が良い資料を下さったので、それをもとに、大山の一つ一つの音を、紙面にあらわされた高さと長さを指で押さえながら、声を出す練習をしました。

先月は、六山と七山をしたので、そのつながりで、正しい大山の音を発声するというシリーズになりそうなお稽古でした。

4行の絶句は、二度は出てくる大山は、かなりの比重を占めてその詩吟の性格、表情、水準をあらわします。
その、大山を自然な形で、身に取り入れられたら、そして、そのうちその人らしい個性を放つようになったら、すごいなぁと思う。

さ、来月は暑さに負けず、声を出しましょうね。


今月の課題



〈読み方〉

 中庸  <元田永孚> ちゅうよう <もとだ えいふ>

勇力の男兒は勇力に斃れ ゆうりょくのだんじは ゆうりょくにたおれ
文明の才子は文明に酔う ぶんめいのさいしは ぶんめいによう
君に勸む須く中庸を擇び去るべし きみにすすむ すべからくちゅうようを えらびさるべし
天下の萬機は一誠に歸す てんかのばんきは いっせいにきす


〈意解〉
あまり勇気をたのみ、腕力にたよる男は、かえって自分の力で自分がたおれるものである。また、あまり文明かぶれして自分の才能に溺れる者は、世の中の華美に酔うて事を誤ることが多い。
 だから皆さんにお勧めしたいことは、右にも左にも偏らず、常に中道を選んで進んで行かれることである。そして世の中のことは何事にも誠心誠意でやれば間違いはないのである。

                        関西吟詩文化協会HPより
コメント

湊川神社

2011年07月05日 | 詩吟
所用にて神戸に行きました。それにあわせて、旧交を温めることも出来ました。

おかげで二人の友人に会えて、取り止めの無い会話でしたが、それが、なんともうれしくて、懐かしくて、優しい気持ちになれたのでした。


有馬温泉に宿を取ったので、そちらに向かう電車の路線には、湊川神社があるのを発見して、急遽下車。
親切な駅員さんが、湊川公園と湊川神社は一駅ほど違うと教えてくれた上に、出来ないはずの切符の差額を払い戻ししてくれました。
夕刻であったため、やむなくタクシーで、湊川公園から湊川神社に向かいついたのが社務所の人が片づけを始めた頃でした。

おみくじを買い、楠公さんの墓参りをし、ろうそくをともして、ほぼ片付け終わった窓口で、楠公さんの話をしていたら、詩吟をしたらどうですかと言っていただいたので、思わず「はい」と答えて、墓の前に戻りました。

何の準備も無くいきなり始めたので、声は震えて、思うような吟は出来ませんでした。

私が手にしていた、縮刷本を見てあの方は、詩吟をなさいませといってくださったのだなぁ、あの方も吟をなさるのかもしれません。
おみくじを買うときは、威厳のある気難しい顔をしていたのですが、詩吟をなさいと言う頃には、優しい顔になっていましたから。



  〈意解〉
豹は死して皮を留め、人は死して名を留めるという諺があるが、人が名声を後世に残すのは決して偶然ではなく、必ずそうなるべき原因がある。南朝の忠臣大楠公が戦死を遂げた湊川の遺跡に来てみれば、川の流れが天に連なって今も昔も変わりがない。
 人の一生には限りがあるが、立派な人物の名声は、永遠に尽きることがない。大楠公のように純粋な忠義の精神は、いついつまでも伝わって、忘れ去られることがないのである。
                     関西吟詩文化協会HPより




良い経験をさせていただきました。
ありがとうございました。


ふるさとの友人と、もう一人は、お互いが介護で駆け抜けていた頃の友達です。

ベンチで座っている姿を見つけて、互いに気がついて目を合わせると、そのまま、普通の会話が始まり、久しぶりの邂逅とは思えないなじみ方でした。

一番つらい介護の時期に知り合った友人で、ある部分は深いところまで知り合っているから、久しぶりの挨拶などもろもろはすっとばして、伝えたいことをいきなり話し合うのでした。

今は、二人とも介護を卒業して、それぞれバァバの道をまっしぐら。
私は、近くに居ないので、毎日は会えないけれど、彼女は同居こそしていないけれど、毎日のように世話をやいている。

その忙しいさなかに、1時間もかけて会いに来てくれた。
ありがたいこと。
うれしいこと。
やっぱり彼女だわ。
また、会おうね。


コメント