風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

顎の角度

2023年10月28日 | 詩吟
操法で教えて頂いた肩甲骨廻しで背中のこわばりが軽減した体で、
顎の角度を教えられたとおりにそーっと忘れないように、一目散に
カラオケへ。
先生の手の感触とその時の後頭部の感覚と、鏡に映したときの顔の
微妙な傾きを声を出しながら、再現してみる。
太い筒が体の中に生まれてくる感覚。
しっかりと腰がS字をかたづくりながら支えている感覚。
そして、発声した時、丹田がしっかり「要」となっている感覚。
喉を開こうとしなくても、ゆるゆると開いている感覚。

さらに、先生の両手で包まれた顎は、何を感じていただろうか。
体がちゃんと覚えて定着し、考えなくても再現できるまでこれから
何度も試行錯誤を繰り返します。
今、覚えたことは、明日になったら消えている可能性が有ります。
文字では表現しきれないことは、体が覚えるしかありません。
そう、自転車の乗り方を覚えるように、何度も何度も。
そうして、体で覚えたことは、忘れないで残ります。
しばらくぶりに自転車に乗っても、すぐにとりもどせるようにね。
これを、何とか記憶と言うのでしたね。

カラオケに行って、発声練習ももどかしく詠ってみます。
授けられた体で詠ってみると、今までなら何時間もかかってやっと
出てくる滑らかな喉が表れました。
格段に楽に声が出てきます。滑るけれど滑りすぎない声ってこれかな?
六山と七山の六と七の音がこんなに?と思うほど楽なのです。
どうしてそんなに難しかったのかと思うくらいです。
今は授けられた体です。これをしっかりと定着させ自分の体にして
いく。目指すところが明確にわかって、その可能性を実感したうえで
取り組むこんな楽しい宿題はありません。

コロナのため自宅での練習を自粛中で、声を出したいときに出せない。
ちょっと残念です。
井本整体の操法で身につけつつある姿勢は、いくらでも練習はできる
のだが、実際に声を出してみないと実感がない。
こんなに、声が出せる時を楽しみにするのは、初めてだ。
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時間は薬

2023年10月28日 | 徒然に日々のことを

 時間は薬。 でも、悲しみが癒えるには
 途方もない時間がかかるのも事実。
「無心」が、少し時間を忘れさせてくれます。

               「???」p128


   おかげさま、無心になれる時が私にはあります。
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顎の位置と肩甲骨

2023年10月27日 | 体を整える
肩甲骨廻しを習いました。
詩吟体操で肩甲骨を中に寄せる動きをしているとは言え、どの程度の
効果をあげているのか、先生はどのように受け止めているのかは、
お聞きしたことはありません。
先ず、その体操の一部始終を、耳と体の感受性を尖らせて一つも逃さ
ないぞと懸命に受け取りました。
先生が、手を添えて動き方をあれこれと指示して下さるので、その動
きの意味までも体にしみこむ感じがします。

肩甲骨回りの塊が取れて緩んでくると首が楽になりました。
あぁ、こんな風につながっているのねと、一つを改善すると二つ目
三つ目と連動して心地よくなるものだと、またしても感じました。

そして、最後に、顎の位置を直されました。
最近、後頭部と首の凝りが気になっていました。
その事は先生は、伸びやかな声を出すには正さねばならないことは
先刻ご承知だったようで、おそらく、今日の肩甲骨まわしでその周辺
が改善され受け取る準備が出来たと判断されたのかなと思います。
先生が両顎に添えた手の角度を示す動きはごくわずかです。
それでも、後頭部へのつながりが、ほんのちょっとでもこだわりを
産むか産まないかの大きな分かれ目となっているのを感じました。

ほんの少し角度を変えるだけで、喉が開き、頭から腰へと繋がって、
繋がるからこそしっかり支えることが出来る。
そして、丹田へと降りてくる感覚を容易に受け取ることが出来ました。

顎の角度一つで、無駄な力がかけることが無くなり、強張りを産む
ことなく伸びやかな声が出せそうでした。
帰りに一人カラオケに行ってその動きを確かめ声を出し期待通りに
詠えるかどうか確かめるのが、ほんとうに待ち遠しかった。
そして、その角度を先生の手が無くても再現できるかどうか、
心配でした。

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センター祭の練習

2023年10月26日 | 詩吟
本番は、11月11日です。私にとっては、都合で今日が最後の練習となる。
来週の最後のリハーサルには、出られません。当日、足を引っ張らないように
隣に並ぶ人のこと憶えておきましょう。きっと、指示してくださる人が居るでしょう。
今日の会場に到着すると、生徒さんへ個人練習が熱心にされている様でした。
ドアの外から、聞き耳を立てていましたら、ぎっしりとノウハウの詰まった
ご指導と、それに応えている女性の涼しげな声がきこえてきます。
先生と子弟の真摯に取り組むようすがドア越しにも伝わってきて、清々しい
思いでした。

コロナ前は、いっぱしのサポーター気取りで通っていた教場ですが、コロナ後
始めて通い始めたのは、センター祭の助っ人のためです。
1時の練習開始には、間に合わないので、失礼ながら遅れて休憩後の練習
に参加してきました。
今日は、少し早めに来たので、練習風景をうかがい知ることが出来ました。
コロナの間に、教場の様相がパワフルに全開しており、会員数も増えて、
何の心配もない様子がうかがえて、嬉しい限り。

その練習をして居る師弟の二人とも、選抜されて連盟の特訓を受けた方たちです。
先生の指示はさりげない言葉であってもちょっと高度で、ノウハウがいっぱい
詰まっています。
指導されている内容や意味を難なく受け止めて、すぐさま再現する小気味の
良いお稽古風景でした。
私もこの生徒さんに代わって、ご指導を受けたいくらいです。

そして、この教室の羨ましいところは、先生をサポートして、教場との運営を
スムーズにしている言ってみればお母さん役がいるというのも、強みです。
その日は、二けたの出席で、益々盛会となって、部屋が狭く見えます。
人数が増えれば、先生だけでは目の届かない所が出来てきますから、自然に
その手助けをする方が出てきたのは、先生とその方との良いコミュニ
ケーションが出来ているのにほかならないと思いました。

幸か不幸か、この教場とは練習日が重なっているので、特別なことがない限り
お稽古に参加はできませんが、ここまで、席が足りなくなりそうな状況を
みると教室所属の会員さんを差し置いて席を占領するのはご遠慮申し上げねば
いけないなと、しぶしぶ参加できない理由を挙げて自分に言い聞かせました。

それにしても、夢にまで出てきそうなそのやり取り。本当に羨ましい。

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スマホの伴奏曲を飛ばす

2023年10月26日 | 詩吟
アイチューンによって保存した詩吟の伴奏曲を発表会のプログラム順に並べて
編集し表題を付けて一つのホルダーにまとめてスマホ保存しています。
CDプレーヤーを使うことなくWi-Fiで同期したスピーカーから音を出して、
聴くことが出来ます。

Wi-Fi利用の良いところは、接続コードが必要ないので、スマホはオンオフの
作業のし易いところ、そしてスピーカーは、聞き手のよく聞こえる場所に設置
することが出来ます。
長いコードが不要ですから足元が安全でもあります。

または、編集された音源をCDにコピーして、会場の音響機器と繋いで、使用
することが出来ます。本数が変わるごとにCDの出し入れすることなく、舞台
の吟者の元へ伴奏曲が届けられます。 

今までは、総ての本数の伴奏CDを持参して、一曲ごとにCDの入れ替えを
する必要があります。
せわしない緊張が続きます。人手も二人が望ましい。

良いことずくめではありますが、一つだけですが大きな不安材料があります。
それは、音響機器によっては、加工したCDを受け付けないことがあり、
事前に使用可能かどうか確認する必要があります。

Wi-Fiで飛ばした音を拾うことのできる舞台用の大出力スピーカーがあると
良いなぁ。
Wi-Fiで飛ばすのだから、スピーカーは複数台数で使用できるので、必要な
音量を確保することも容易くできます。
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こたろうさんの椅子

2023年10月17日 | こたろう
鶏のゆかへ上がりぬあきの暮れ   
                                         正岡子規
(「子規365日」  夏井いつき より)

朝ドラが終わるころ東の窓の障子にやっと朝日があたりはじめる。
今日はその窓の前に椅子が置いてある。
いつのまにか鼓太郎専用となった椅子である。。。。。
  今も専用のままなんだから上がっておいでよ。
      鼓太郎さん。。。。。。。。

亡くなる日の最後のアクションは、南向きの出窓に飛び乗ろうとしたこと。
あさのひかりを浴びながら、日課のうたたねをしようとしたこと。
音がしたので、いってみると、この椅子の下に倒れていたこと。
数年前から、直接出窓には飛び乗ることが出来なくなったこと。
この椅子が窓のそばに移されて、手助けが必要にになったこと。
その数日前から、この椅子の下で「アーン」と呼ぶようになったこと。
最後の日は、なぜか呼ばれなかったこと。
にわとりの句から、去年のことが突然思い浮かんできました。
「どたっ」今もその時の音が耳に残っています。

抱き上げて、出窓のお昼寝用の籠に横たわらせました。
弱弱しくはあっても、頭をもたげて私と視線を合わせてくれました。
頭をなでながら、娘にいよいよかもしれないと告げました。
思い出話をして、感謝をして、褒めたたえて、一緒に泣きました。

  
     
     朝日の入るりの東向きの窓・こたろうさんの椅子 
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何も足さない、何も引き去らない

2023年10月17日 | 詩吟
「何も足さず何も引き去らない」で束縛無しに自由にどうぞと言い、その人の
伸びる力を応援し心から信頼してくださっている環境を頂いて本当にありがたいと思う。
自主自立、マイペースで進めるのは、大空を羽ばたくように自由奔放。
そんな環境は、幅広い個性を伸ばすことが出来る。

そのような環境を享受し、好き勝手に生きてきて、ここで、初めての挑戦を
しています。私には、足りないものがあると、気がついたのでね。
気が付いてしまったら、「何かを足すか、何かを引き去るか」をしたくなり
ました。
所詮、自分で自分に与える刺激なんてものは、生ぬるいものです。
それを承知で、無いよりはましと、テーマを決めて、進むことにしましょう。

学生時代のあの刺激を求めてはいけません。その頃の体力もその時の厳しい
師である厳照 睨照両先生は、ここにはいないのだから。

そういえば、厳照・睨照先生によく似た先生たちが居るなぁ、思えば思うほど
よく似ている。それは誰かの種明かしをせず、その似ている何かをこちらで
引き出してみることはできないだろうか。

お二人の先生は、あの頃どんなダメ出しをして居たかなぁ。褒められたことは
一度もなかったなぁ。
一人で行う切磋琢磨は、先生のいない寂しさばかりが募ってしまう。
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初めて外に出る和歌

2023年10月15日 | 詩吟
昨年の中央会和歌の講習が続いた時より自主練習していた和歌を一人カラオケ
から外に出る時が来ました。

センター祭の連合吟ともう一つの出番が、実はあったのです。
人様にお聞きいただくほどの仕上がりではないので、ほんとうはお断りした
かったのです。

二度ほど、お聞きいただいて、先生は大失敗とおもっていらっしゃるのでは
ないか、私は私で引っ込みがつかなくなっていると、練習の度に思います。
もうこうなったら練習しかない、一題200吟を目標にできる限り練習だ。
さすがに80回を超えるころになると、慣れてくるものですねぇ。
曲がりなりにも和歌のようになってきました。
これは、あくまでも、願望と自己満足に他なりませんけどね。
それで、今日はとうとう、江戸川詩吟道場へ和歌を持って向かいました。

さぞ厳しい批評があることだろうと覚悟を決めました。
前詠は、声が小さ過ぎるので、マイクを上手に使うこと。
後詠は、それに比して声が大きくなるので、少し離れてとの助言。
一か所譜通りではない所は、すかさず他の方からの鋭い指摘。

譜を変えて詠いたくなる人の気持ちがわかった気がしました。
実力がどうしても届かないのを理由にして、逃げの一手を打とうなどと
考えないことですね。
ここで厳しい一声が欲しいところだけれど、それを言わないと決めたらしい。

K先生はさすがに、大きな心で受け止めてくださって、よく頑張りました。
あまり細かいことに気を使わないでゆったりと詠って下さいとおっしゃり、
褒めて育てる方式で、みなまでおっしゃらず励まして下さいました。
Y先生は、和歌に挑戦するのはすごいと、吟詠でない所を褒めて下さいました。
ありがとうございます。吟詠以外のことに目を向けてくださって、背筋が
伸びました。
江戸川詩吟道場のマイクの前では、だめだめと卑下しましたが、実は、挑戦
することに喜びを感じています。
そして、自分もまだがんばれると、漢詩とは別の分野の吟詠に前向きに挑戦
して居る私を冷静に見つめながら、諸先輩たちのスキルアップしてきた道を
鮮明に思い出しながら、自分なりに分析もしています。

頼まれるとうれしくなってしまう私の良さ?は、頑張れるということか。
楽しんで詠うところまで、今一歩二歩。。

漢詩では無我夢中で来て困難を困難と感じる暇もなく楽しいばかりでした。
習う困難は、初めての体験。
これは、病みつきになりそう。

揺りかごで関吟の洗礼を受け、良き師に愛されて、欲するがままのまっすぐ
な時が過ぎて、いつの間にか、自在に詠っていた気がする漢詩です。

関東に来て、「何も足さず 何も引き去らず」と言う環境を得て、ここまで
来てしまったけれど、技を獲得するには、だれもが困難な思いをしてきたはず。

困難を感じず緩やかな坂道を年月かけてここまで来られたのは稀有な事です。
なだらかな坂道を歩んできた私には、到底急坂の上のてっぺんを極めようと
息をきらして進む人の本当の思いはわからないのだろうねぇ。
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今日は声が出る 二音の処理

2023年10月12日 | 詩吟
吟友草加のお稽古日には、事前の練習は、取らないで、お稽古を始めます。
にもかかわらず、今日は、楽器がよく鳴ってくれました。
そんな時は、何事もスムーズに期待以上の効果が上がるものです。

独吟発表の時、いつもは、先輩に敬意を表して、後から吟詠していただきます。
今日は、ビジターの先輩から吟じていただきました。
先輩の吟詠を聴きながら、胸に落ちていくものがあり、ゆったりと時間が過ぎて
いきました。

後輩さんは、先輩の吟詠をしっかりと聞きました。
いつもは、一番に吟じて、訂正され、心が波立っている時に吟じられる先輩の
吟詠は、あまり耳に入ってなかったようです。
今日は、よく聴くことが出来て、落ち着いて座っていられたとのこと。

また、先輩たちへの、吟詠を指導は、今日は特に耳に吸い込まれていくように
聴くことが出来て、すぐにでも取り入れられていったようです。

特に今日は、お二方が、良寛の「余生」を選ばれました。
あめ はれ くも はれ きも はる もの みな みを すて よを 
みごとに二音がならんでいます。

この発声は、投げ出すようであったり、捨て去る様であったり、なかなか漢字
読みが出来ず、ひらがな読みになり更にぶっきらぼうになっていきます。

二つ目の音の処理を突き放さないで、置くように、ていねいに、だからと言って
流されないように、たった二音の表す世界観をどのような音色で表現するか
手を変え品を変え説明をし、共に詠ってみました。

特に、出だしと転句に重点を置いて、明るい声を心がけます。
眉間の皺をなくし、眼を開き、腰のカーブを意識したら、自然と詩吟体操の
終わりの姿勢となり、胸がひらいて共鳴します。

あれだけぶつ切れでぶっきらぼうだった二音の言葉たちが、色を持ち意味を持ち
無駄にはねないようになりました。
わたしの声がよくでたこともあって、お手本で表現した音たちが楽しく
遊んでくれました。

声に伸びの無いときは、これ程飲み込みの早さはなかった。
もちろん、これまでいろんなところでご指導願って来てたどり着いた人は、
その積み重ねがあってやっと体が理解してくれたのだと思います。
そしてもう一方は、こんなに丁寧に教えてもらったのは、今日が初めてとおっしゃる。
それぞれが、「ほー」と言う満足の声を上げる。
もし、忘れたら、またここで一緒に声を出しながら、手を変え品を変えして
練習しましょう。
体は、覚えたら忘れないのだけれど、そこに頭がついてくると、誤作動を
おこしがちです。

これ程満足のいく、理解は、めったにないことで、みんなの目が見開いていく
のがわかり、頭の上に「ぴこん!」がついていました。

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乾杯の写真

2023年10月12日 | 詩吟
10日のおけいこの後、定例の飲み会に繰り出しました。
いつもの駅近の居酒屋さんではなく、先生の知り合いのスナックへと、
場所が変わったのは、一つ理由がありましたが、その辺は、後で。

その時、8日までに何件か続いて行われたコンクールに優秀な成績を納め
られたMさんの「乾杯!」も当然の流れとして、行われました。
喜びの乾杯は、いつであってもうれしいものです。
グラスに1センチほど注がれたワインに気持ちよく酔いしれて、賑やかでした。
ほんの少しのアルコールで、ほろ酔いになり、いろんなことに迂闊になっていたようです。
先生の教室外のお友達もその日がお誕生日と言うことで、別の乾杯やら
ハッピバースデーの合唱やらで、否が応にも盛り上がった数時間でした。
カラオケアリ、1センチのアルコールと3杯のウーロン茶、そしてお料理上な
ママさんのおいしい料理に盛り上がり、喜び、楽しみました。
間もなくくる、センター祭の上演も気にしながらも心地よく酔い詠う先生も
いつもの穏やかな表情を更にまーるくしていらっしゃいました。


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