年明け、鼓太郎の体の無い誕生日が近づいてくる。
どんどん強くなる悲しみ制御できないときがある。
誕生日当日は、第4日曜日。
中央会、しかも、昇段試験の日です。
何かをきっかけに、泣き崩れるのではないかと言う思いに囚われていました。
案ずるよりも生むがやすし、いままでもこれからも、詩吟には休むことなく
足を運べるのがわかりました。
気持ちがくるりと切り替わって、憂さを忘れることが出来ました。
少々過激になったのは、主のいない誕生日のせいではなかったようです。
無事、今年のこたろうの誕生日が過ぎ去り、嵐にもまれることなく、終了。
これで、鼓太郎は、無事三途の川を渡ったのだろうか。
無くなりはしないけれど、少しづつ薄らいでいくんだろうなぁ。
就寝中にこたろうの重みを感じることは何時の間にか無くなったなぁ。
一時、胸の上で眠ったことがあり、その頃は体重が5キロくらいあったので、
もう少し私の体力が落ちたら、心臓に悪いなぁと思ったことがありました。
そんなこと思わなければよかった。
無くなる前は、2キロくらいに体重が落ちていましたから、胸の上でも
一向にかまわなかったのになぁ。時々、湿った鼻の先の冷感を感じて
嬉しかったのになぁ。
鼓太郎は、私の気持ちをよくわかっていて、嫌だと思うことは、叱らなくても
すぐに止めたからなぁ...
鼓太郎の重みがなつかしい。
お前の変わりなんてないから、もう、誰もつれてこないからね。
本当にありがとう。幸せを一杯もらいました。
猫の吾子母の宝であった青嵐
(夏木先生の句をまねて)
こたろうのきたるらし 落ちたお供え 麦の秋
(孫の折った折り紙のお供え、風もないのに落ちました。)
薫風に聴く かすかなニャーン まだいるね