風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

まだいるよ、もう、いない?

2023年03月27日 | こたろう
年明け、鼓太郎の体の無い誕生日が近づいてくる。
どんどん強くなる悲しみ制御できないときがある。
誕生日当日は、第4日曜日。
中央会、しかも、昇段試験の日です。

何かをきっかけに、泣き崩れるのではないかと言う思いに囚われていました。

案ずるよりも生むがやすし、いままでもこれからも、詩吟には休むことなく
足を運べるのがわかりました。
気持ちがくるりと切り替わって、憂さを忘れることが出来ました。

少々過激になったのは、主のいない誕生日のせいではなかったようです。

無事、今年のこたろうの誕生日が過ぎ去り、嵐にもまれることなく、終了。

これで、鼓太郎は、無事三途の川を渡ったのだろうか。
無くなりはしないけれど、少しづつ薄らいでいくんだろうなぁ。
就寝中にこたろうの重みを感じることは何時の間にか無くなったなぁ。
一時、胸の上で眠ったことがあり、その頃は体重が5キロくらいあったので、
もう少し私の体力が落ちたら、心臓に悪いなぁと思ったことがありました。

そんなこと思わなければよかった。
無くなる前は、2キロくらいに体重が落ちていましたから、胸の上でも
一向にかまわなかったのになぁ。時々、湿った鼻の先の冷感を感じて
嬉しかったのになぁ。

鼓太郎は、私の気持ちをよくわかっていて、嫌だと思うことは、叱らなくても
すぐに止めたからなぁ...

鼓太郎の重みがなつかしい。

お前の変わりなんてないから、もう、誰もつれてこないからね。

本当にありがとう。幸せを一杯もらいました。

  猫の吾子母の宝であった青嵐
          (夏木先生の句をまねて)

  こたろうのきたるらし 落ちたお供え 麦の秋
        (孫の折った折り紙のお供え、風もないのに落ちました。) 

  薫風に聴く かすかなニャーン まだいるね
        

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風になった鼓太郎

2023年03月26日 | こたろう
2001年3月26日(月)鼓太郎 三浦半島の漁師さん宅に産まれました。
ネット上でもまだ珍しかった里親を探すボランティアさんの手で、はるばる
高速を走って乳離れしたばかりの小さな猫(こ)が届けられました。
ボランティアさん宅では、ゴンザレスと呼ばれていたそうです。
次女の命名になる「鼓太郎」は我が家の三番目の子供として登場。

2023年3月26日(日)の今日は、鼓太郎の22歳の誕生日をむかえるはずでした。
21歳の誕生日は、スリムになりながらも、元気で、先の異変など想像も
出来ないくらいの、元気さで、出窓やベッドに飛び乗り飛び降りていました。

ところが、去年2022年5月1日(日)夕刻、静かに私の腕の中で身罷りました。
身罷るいう漢字は、身籠るという漢字とよく似ているんだねぇ。。。


食欲が落ち、大好物も半分、三分の一になり、そっくりそのまま残ってる。
やがて水も飲まなくなる。
スポイドで、口に水を含ませるまでとなり、ついには、スポイドを持つ手を
やんわりと退けました。
最後まで自力でトイレに行くことをやめず、粗相をすることは一度も
ありませんでした。
最後の日の二日前まで、ベッドに自力で飛び乗っていました。
翌日、ベッドからの飛び降りが負担になると感じ床に布団を下ろしました。
床に置いた布団でも同じように布団の裾の方で、私の足に体重を
感じさせながら夜を過ごしました。
位置が変わっても、私の布団であればよいのだねぇ。あぁ、良かった。
一晩だけ床に敷いた布団で過ごし朝を迎えその夕刻、枯れるように、静かに
私の腕の中で逝きました。

骨壺に収まったのに、そばに居る時のように、いろいろな信号をいまだに
送ってきていました。


「もういいかい?」と言っているのか、「いつまでもそばにいるよ!」と
言っているのか、時により感じ方が変わります。

私は、「もういいよ」と言えないでいました。

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関吟華州会 山口華雋先生

2023年03月26日 | 揺り
T先生に教えて頂いたYouTube、華州会の山口先生の詩吟教室が、最近
教えて頂いた情報の中では、飛びきりです。

すぐに、見ることが出来なかったのは、探し方が下手だったからです。

やっと見つけました。

芦孝会にお越しいただいて、ご講義を頂いた時と変わらぬ若々しい声で、
そうそう、そんなことを教えて頂いたなぁと、嬉しくなりました。

いつ聞いても何度聞いても飽きずにお声を聞き、何度でも納得する内容で、
初心者にも、経験者にもあり難い講義です。

何よりも、関吟流の先生であることが、飛びきりです。

おかげ様です。ありがとうございます。

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助言

2023年03月26日 | 詩吟
今日は、中央会会議、昇段試験、吟詠練習と何事もなく進行しました。
コンクールに出場するチームの吟詠練習には、珍しく会長から私にご指名が
あり、感想・意見を伝えさせていただきました。

三人ともかつての教場仲間です。その気安さがあって、厳しい物言いに
なったかもしれません。
そこまで厳しかったのは、かつて、「教えたことがあるからだよね」とは、
さる方の言葉。

私には、そうだったのか、そうでなかったのかは、よくわかりません。
今の生徒さんであれば、お稽古前後の生活や気持ちなど日頃の様子も知り
つつ言葉選びができますから、それに添って、緩急を考えています。
今は、共に練習をして居ない方たちは、中央会に出席する他の会員さんと
同じで、様子がわからないのですもの。
それでも、かつてのご縁というものは色濃いのかもしれない。
そう考えると納得するところもあります。

ただ、コンクールとなると情状酌量の余地もなく、たったいまの一吟で、
すべてが判断されます。言い訳の余地はありません。
日頃を知っていれば、良きにつけ悪しきにつけ、偶々であったのかどうかが、
手に取るようにわかります。

そんな時、心に沿った言葉を選べます。人それぞれへの言い方は違います。
気持ちに寄り添いながら、一番良い助言をすることは、とても難しい。
なら、淡々と、お稽古を進めればよいのです。
それができればどんなにか楽な事か。

まず、止めなくてはならないのは、現場に居なかったのに、コメントをする
事です。
日頃(中央会)の様子で、壇上での吟詠に対する憶測は止めなくてはいけません。
コメントするなら、ちゃんと応援に行くことです。

ただ、日頃の様子で、解決すべき点を見つけたら、チャンスの到来を待って
行動に移すこと。チャンスの到来を待つのが肝心で、今すぐじゃないと
勿体ないと言う気短さをを止めよう。
聞く耳を持った時に、永遠に来ないかもしれないが、、、ささやこう。

きょうのように、指名されたときは、遠慮なく意見を言わせてもらうね。

だって、あの指摘は、どなたもが心に思ったことだったと、「グッドです」とまで
言って頂いたのですから。
その言葉が、どんなにか拠り所になるか、言った当人はご存じ無いことでしょう。
いずれにしても、いい気分で帰れます。


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歯科治療の日

2023年03月20日 | 徒然に日々のことを
ただいま、根っこの治療が終わり白い歯をかぶせる段階に来ています。
きょうで、三回はが無くなった後に仮の歯を入れてくれます。
昔は、治療中は、歯が抜けたままにしていたんじゃないかなとおぼろな記憶に
残っています。
ねっこにも、細心の注意を払い菌が入らないようにゴムのシートで覆い、水を
かけながら、喉に落ちて行かないように至れり尽くせりの方策が講じられます。

街の歯医者さんでは、ここまでやってくれるのでしょうか。
来年国家試験を受ける先生の治療の後、指導教官の助言を受け、
必要であれば、教官みずから、仕上げの治療をして下さっています。

教官のチェック、確認を得るために、治療の作業と作業の合間の待ち時間が
結構長い。
椅子に座ったまま、あるいは、平らになったままで、ひたすら待つ。
健康であればこその治療体制への協力です。
待ち時間の過ごし方は、今では、頭の中での作業をすることにしました。

今日は、昨日提出した生徒さんの原稿を思い出しながら、22か月後の次の
順番では、私が書いてみようかなぁなどと思いました。
もし、22か月後に書くとしたら、25周年がとっくに終わっているので、
そのことについては忘れていいから、その頃には何が起こっているかなぁ。
彼らはお名前を頂く準備の頃になりそうで、話題はいくらでもありそうだな。

あるいは、私の好きな一詩一吟だったら、どの詩を選ぶだろう。
「好きな」が付くと、意外と少ないけど、思いが強すぎて、400字では
書き上げられないだろう。その次に、好きな詩は、意外にたくさんありそう
一つを選ぶとなると、うーん、難しい。
あれこれ考えていると、時間はあっという間に過ぎていきます。
M先生は、明るくて小柄な女子です。去年は、男子の先生で、個性もそれぞれ
孫のような先生とのやり取りは、楽しくて、屈託がない。

あぁ、今日もまた、3時間が過ぎようとしていました。
会計を待つことなく済ませられるのが、ストレスフリー。

駅までの、パン屋、文具店、書店、廉価版のCD屋、臨時テントの骨董屋
自然食品売り、これらを冷かしながら行くのも楽しい。
これからは、暖かくなるので、その冷やかしにもじっくりと出来るなぁ。


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言葉にしない約束

2023年03月19日 | 詩吟
言葉にしない約束をしたのに、始まったころは約束したとも思ってなかったのに
いつしか、力足らずになり、苦しくなり、あがき始めると、言葉にしたくなる。

弱い奴め。

幼稚園生は幼稚園生なりの約束がある。
社会では、一定期間幼稚園生をしているといやおうもなく卒業させられて、
小学生にならなければなりません。
幼稚園生としては、立派にやり遂げられていても、順調に小学生に成長できる
そんな人ばかりではなく、私なんかいつも初期段階で打ち破れてしまうから、
幼稚園生として約束したことは守れても、いつの間にか周りの期待もあって
力もないのに小学生、中学生と昇格していっている現実に慌ててしまう。

黙って出来ていたことが、何の苦もなくできていたことが、違う日が
やってきてしまう。

もうそうなると、言葉にしたくなって、情けなくなって、自分を追い込む
ことになる。
続けていれば、やがて、大学生になり社会人になるってのは、誰でものこと
ではないのだよ。

自分にその時がやってきたことがあったなぁ。
黙ってやっていたことが、黙っていられなくなって、言葉にしたら、
自分の小ささを知ってしまって、とんでもなく空しくなったあの日。

それでも、何とかやり続けていると、悩んだ分ちょっとだけ進歩して、
また、黙って続けることができている。。。よね!

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詩吟のお稽古

2023年03月19日 | 詩吟
先日、流派の違うウグイス吟詠教室に参加しました。
後ろに控えていなくてはと思いながら、ちょっともったいないと思うことを
請われるままに言葉にしました。

指導者さんの基本方針に沿わないこともあるかもしれないと思いつつ、かなり
控えめに私の思いを言葉にしました。

でも、やっぱり請われても、褒め言葉のみにした方が良かったなぁと、反省。
親しさの余り、勿体ないと思う余計な一言でした。
親しき中にも礼儀ありで、慎みを持って参加することが大事です。

「行って来い」の練習は、私の教室でだけ行えることでした。
たった一点だけ直したらとても素敵になるのに、今、それをこの場でやって
暮れたら、よくなるのに、私は言いっ放し、お相手は言われっぱなし。
「来い」の部分を良い結果に導く自信はあるんだけどなぁ。
指摘されて、出来た時、「わぁ」と喜ぶ機会を作るのを望んではいけないでしょうか。
その日は、いけませんでしたねぇ。

「なるほど」とか「わぁできた!」と言って喜ぶところに持っていく自信は
あったんだけどねぇ。
それは、私だけの設計図であって、私の教室だから通じることでした。

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夢松風土曜日教室

2023年03月18日 | 詩吟
夢松風の教場は、火曜日と土曜日の練習日があります。
フルタイムの仕事を持っている方の参加により昨年、土曜日教室が生まれました。
初心者には、ゆっくり丁寧にと言う方針なので、土曜日教室は時間の告知を
しないで、1年が過ぎました。

現在4月号のKANGIN TOKYO NEWSの作成中で、先ほど開催情報欄の
締め切りとなり、その夢松風の土曜日欄に14時から16時の時間帯を記入、
更に、「土曜日教室についてはお問い合わせください」の記述を削除しました。
当分は、同じ吟題を何度も続けて行く練習法となります。
そのような形でももしよろしければ、新人さんへの応援においで下さいませ。そして刺激を頂けましたらうれしいです。

今日は、ニュースの「キラリ!教場トピックス」のための写真を撮りました。
原稿は、とっくに頂いているので、写真が撮れたら、早速広報部長に送信の
予定です。
「キラリ!教場トピックス」は22か月ぶりに順番が回ってきます。
夢松風では、ちょうど新人さんが入ったばかりのタイミングで、前々回も
新人さんに書いてもらいました。
今回も、土曜日教室のちょうど1年目に当たりましたので、その新人さんに
お願いをしました。

初心者に特化した練習を詠っている教場としては、ちょうど良いタイミングに
なったものと喜んでいます。

今日は、四題目となる「涼洲詞」の二回目の練習です。
思いっきり大きな声を出して、自分の楽器(身体)のコントロールができる
ようにと心がけています。

きょうの進歩は、最初に発声するときの「音探し」が無くなりました。
そして、音階が下がっていくときに不安定になっていたのが、解消しました。
もともと、声を出すことに抵抗がないので、助言したことが、面白いように
改善されて行きます。

今日は、私が詩吟を始めて以来初めての賛辞「先生は、褒め上手なんだもの」
という称号!?を頂きました。
大笑いしながら、格別に喜びました。

いつもと同じように接しているつもりなんだけど、どこが違うのかな???

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他流の指導者とごいっしょすること

2023年03月15日 | 詩吟
今まであまりなかったことですが、他流と一緒に練習をすることが、私自身も
含めて、新しい例が出来上がりそうです。

基本の基は、吟詠と言うことで共通ですが、節調は、その流派の決まり事を
尊重せねばなりません。
音符の付いたテキストがあれば、コンダクターで音を出して、サポートを
することが出来ます。

できる限り,テキストに添って流派の節調を守って行く必要があります。
出来れば、その流派の練習場に出向いて、新人として習いたいと思いました。

しかし、吟詠をお聞かせ下さい。無理をして、習う必要はありません。と、
軽くいなされてしまいました。
自宅から近ければ、練習に参加して、その節調を自分で聞きとって身につける
ことが出来ますが、果たして、長時間をかけて出かけて行って、吟詠を
聞いていただくだけに他流の教場に出入りすることは、良いことなのだろうか。

節調の点は置くとして、詩吟をする仲間として協力し合うことは、とても
良いことです。
まだ、私にできることがあるとしたら、元気なうちはやってみたいと思います。


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今までの苦労は何だったのかなぁ

2023年03月14日 | 詩吟
グループ練習が、スキルアップを阻害している顕著な方が居ます。

自分とはかけ離れた音程で、習うことに特別に苦手な方の、困難さと苦しみを
目の当たりにして、とうとう、正規の教室ではなく、補習教室のみに
参加をなさいませとお勧めしました。
ビジターさんだから、お薦めできる方法です。

正規の教室の方たちと入口ですれ違って、挨拶をしてから、補習の部屋へ
入室されました。

きょうで4回目ですが、ご自身の課題とする吟題を決めてきて、その、
問題点の解決を図ります。
通常の教室では、できにくい、細かいけれど時間のかかることに根気よく
取り組むことが出来ます。
教室では、一人だけ長い時間かけるわけにはいかず、しかも、一見小さな
ことには、メンバーも良しとはしないことでしょうから。

前回、とてもいい吟詠をなさったのは、グループ練習で自分のとはかけ離れた
音程で吟じることを一切排除したおかげです。
音程の違う吟詠をしないから、体の中の混乱が避けられました。
その方の習ってきた蓄積が良いものであったことを実感できる見事な吟詠
でした。

出だしの音のいかにも不安という声を、自信を持って前に押し出すことに
心がけましょう
真っ直ぐな声を出しましょう。

一度の助言で、それができました。

すばらしい!本来の声の吟詠でした。

自信のない迷いっぱなしの後ろ向きの吟詠は、消えました。

本人は、静かで穏やかな声と思って出している声は、弱くて自信無げな声で
あることを知りました。
もっとパワーを込めてと言った声は、ご本人には、気に入らない強すぎる
声と誤解されていましたが、それこそ吟声であるのだということを、理解。

弱くて優しい声であっても支えられた声でないと吟声とはいえません。
濃くて太い声を出すことが出来て、初めて、たおやかで芯のある優しい声
が出せるのです。


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