例年、新年のご酒を頂いて、年の初めの会を乾杯で始めます。
関吟の公認会を目指して、100人越えの悲願が、達成されようとしています。
例年退会者があるのは、仕方のないことですが、できる限り在籍していただいて、100人越えを維持できるように、幹事一同、額を寄せて、考えました。
認証会から公認会へGO
今日は、大阪から引っ越してきた方の再入会者の初お目見えでした。
ご年配にもかかわらず、遠方からいらっしゃるのも心配ないほど足腰達者で、吟声もさすが5段の有段有資格者という女性でした。
中央会へは遠いのですが、教場の一つは、20分ほどで、通える距離にあることがわかり、一安心。
つつがなく、年初の吟詠練習も終えました。
昨年は、和歌が多かったので、悩み多き練習でした。今年の年頭は、漢詩がテーマだったので、古巣に戻った感じです。
レクチャーでは、新しい表記の方法について、秋季号通巻167号の吟詩日本の譜名表一部追加の記事内容についての、懇切な説明がありました。
吟法は変わりませんが、表記がかわります。という紛らわしいことが起こっているので、一部には勘違いを起こさせています。
以前のものは初心者向けには、適当な表記と思っていました。新しい表記は指導者がしっかり把握していないと、混乱が起こりそうに思います。
こういう広報は、中央の理想として掲げられたとしか思えず、とりあえず、お手本を示す立場の人が、ほぼ完ぺきに吟じられるようになってから、一般に告知していただきたいと思います。
副読本が出てから、経験を無視して、音感の良い人が分かった風なことをいう風潮があり、すべて公平な関吟のあり方が、負の様相を呈している場面に遭遇するとがあります。
指導者も、いったん資格を得てしまったからといって、うかうかとしていられません。
そして、「わたしはこう習ったんだから」と言ってはいられないなぁと、気持ちを引き締めました。
また、こういう変化の告知があったとき、わかりやすく説明できるように出来なくてはねぇ。
早い音の上下・ビブラート・揺り・それぞれの吟じ分けは、テクニックを要します。
そして、それぞれの個性の出る箇所です。
益々、高度なテクニックを要求されるようになってくるなぁ。
初心者には、やはり、きっちりと音をとらえて、踏み外さないことが基礎的な技術会得には大事なことだと思っています。
耳が育たないうちに、ニュアンスで吟法を大まかにとらえ、それが正しいとすると、大きな間違いが起こります。
音程をしっかりとらえたうえで、揺るというテクニックを会得したいものだと思います。
古き良き時代の懐かしい関吟の吟詠は、懐かしいという引き出しの中に押し込められる。
関吟の吟詠はどこへ向かっているのだろう。いつまで、それを捕えつづけられるだろうか。
佐藤鷺照先生の吟詠を聞く。
いつ聞いても、変わらない、世の喧騒を超越した吟詠である。
「何が問題なの?」と笑っていらっしゃる。
関吟の公認会を目指して、100人越えの悲願が、達成されようとしています。
例年退会者があるのは、仕方のないことですが、できる限り在籍していただいて、100人越えを維持できるように、幹事一同、額を寄せて、考えました。
認証会から公認会へGO
今日は、大阪から引っ越してきた方の再入会者の初お目見えでした。
ご年配にもかかわらず、遠方からいらっしゃるのも心配ないほど足腰達者で、吟声もさすが5段の有段有資格者という女性でした。
中央会へは遠いのですが、教場の一つは、20分ほどで、通える距離にあることがわかり、一安心。
つつがなく、年初の吟詠練習も終えました。
昨年は、和歌が多かったので、悩み多き練習でした。今年の年頭は、漢詩がテーマだったので、古巣に戻った感じです。
レクチャーでは、新しい表記の方法について、秋季号通巻167号の吟詩日本の譜名表一部追加の記事内容についての、懇切な説明がありました。
吟法は変わりませんが、表記がかわります。という紛らわしいことが起こっているので、一部には勘違いを起こさせています。
以前のものは初心者向けには、適当な表記と思っていました。新しい表記は指導者がしっかり把握していないと、混乱が起こりそうに思います。
こういう広報は、中央の理想として掲げられたとしか思えず、とりあえず、お手本を示す立場の人が、ほぼ完ぺきに吟じられるようになってから、一般に告知していただきたいと思います。
副読本が出てから、経験を無視して、音感の良い人が分かった風なことをいう風潮があり、すべて公平な関吟のあり方が、負の様相を呈している場面に遭遇するとがあります。
指導者も、いったん資格を得てしまったからといって、うかうかとしていられません。
そして、「わたしはこう習ったんだから」と言ってはいられないなぁと、気持ちを引き締めました。
また、こういう変化の告知があったとき、わかりやすく説明できるように出来なくてはねぇ。
早い音の上下・ビブラート・揺り・それぞれの吟じ分けは、テクニックを要します。
そして、それぞれの個性の出る箇所です。
益々、高度なテクニックを要求されるようになってくるなぁ。
初心者には、やはり、きっちりと音をとらえて、踏み外さないことが基礎的な技術会得には大事なことだと思っています。
耳が育たないうちに、ニュアンスで吟法を大まかにとらえ、それが正しいとすると、大きな間違いが起こります。
音程をしっかりとらえたうえで、揺るというテクニックを会得したいものだと思います。
古き良き時代の懐かしい関吟の吟詠は、懐かしいという引き出しの中に押し込められる。
関吟の吟詠はどこへ向かっているのだろう。いつまで、それを捕えつづけられるだろうか。
佐藤鷺照先生の吟詠を聞く。
いつ聞いても、変わらない、世の喧騒を超越した吟詠である。
「何が問題なの?」と笑っていらっしゃる。