風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ただいまデトックス中

2013年04月27日 | こたろう語録
二日間も寝込んだ風邪騒動も収束中。

到来物のハニーで、はちみつ大根を作り、エキスの抜けた大根は、干しあさりと煮て、父さんのつまみ、そして、時をおなじくして届いたノンフライのアーモンドをカリリと噛む。
父さんは、田舎風にたっぷり盛り付けるのが好きだ。そして、わしわしと食べるのが好み。

風邪は、薬を飲まないで、整体で教えてもらった温タオルと足湯で体の流れから自己治療。

咳がなかなか収まらないが、のどのイガイガはきえつつあり、かゆくなってきた模様。

喉に来た風邪は、電話がかかってくると、みんながかなりの重症と驚くほど、声変りがしていている。
かあさんは、暇だから話をしていたいのに、早々に電話を切られると嘆く。

その声じゃぁねぇ、聴いてて、苦しくなるくらいだから、誰だって遠慮をするよなぁ。。。

1週間を無駄にして、今、一番気がかりなのは、「本能寺」の練習。
この1週間で、かなりの自己練習ができると踏んでいたらしいが、ゼロどころか、マイナス。

この遅れを、取り戻すには、まず完全に声枯れを直すことしかないよ。
下手に、「ちょっとだけ」なんて思わないこと。

今日は、カレンダーに印があるねぇ。しばらくぶりのよその教室に行くつもりだったらしい。

でも、とうさんが監視中で、出かけることは出来ないみたいだよ。
それもあるけど、かあさんもわかってるよね、おとつい(25日)の夢松風をお休みにしたくらいだからね。


僕は、監視なんかしないよ。だって、面唐セもの。
最近のお気に入りの場所は、西向きの窓のそば、たまたま聡怩フために動かした椅子にすかさずのっかってみたら、なんと、いい気分だよ。ここから、外を眺めるのが良いなぁ。
たまにぼくの家来が下を通るのを睥睨するのも殿様気分で良いものだ。
    (こたろうが勝手にそうおもっているだけだけどね by 母)

おかげで、椅子を元の場所に戻せないと、母さんが、ぶつぶつ言ってる。
ちょっとの間だよ、我慢してよね。


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江戸川詩吟道場

2013年04月13日 | 詩吟
12時出るはずが、出そびれた。
この時間は、昼食の準備をするかしないかの迷いがあると、出遅れる時間だ。
30分前につくように時間セットだわ、と思いながら、詩吟に関してはノーチェックで送り出してくれる夫に感謝だね。

さて、江戸川は、十分に声を出せるので、いつもすがすがしくスコーンと抜けた感覚で、心地良いのです。
それが道場のゆえんであるが、人数が増えると、肝心の吟の練習が各自1回だけとなってしまう。

効率よく、吟力アップの場にするには、ある程度吟がこなれてから場に臨むのが良いのだけれど。
なかなか、このコンセプトが呑み込めていないようで、通常の教室では、当たり前の風景が行われているのを、不思議と思っていない方がいることを残念に思う。

教室の特徴をよく理解して、上手に使う方法は、まず、謙虚さかなぁ。
そのうえで、得たいものをむしり取って行く、そのために時間が割かれていくのは、ちっとも惜しいとは思わない。
それらを、他人事と見ないで、自分に引き換えて、よく聴くなら、最大の効果をあげ得ると思う。
同じに席を並べていても、効果の上がり方はそれぞれ。


そのためには、なんだろう?なにをしたらよいのだろう?

この教室は、もっと、人気が出るような気がする。このまま、参加人数が増えると、特徴が生きてこないなぁ。もったいないなぁ。

今日は、本数を上げることにした人がいた。十分に声が出るのに、出し切れてないのが惜しい。
体は、低い本数の時の声の出し方を覚えていて、意識では、音を上げたつもりでも、体は反応してない。

負荷をかけて重くなった車に今までと同じアクセルのかけ方では、スピードは上がらないのと同じで、頭が理解しても、体の反応が前のままでは、丘は登れない。
車の運転だと、後ろから追い上げられて、目で確かめながら、スピードを感じられるが、声は、事故につながらないから、体は、怠け者で反応が遅いから、わかろうとしないのだ。

頭だけが、高い音を出しているつもりなのだ。

体のメンテナンスをして、素早い反応の楽器に仕上げなくてはならない。

ここまで上達したら、一言で直せるような問題は、もうないのだ。
いま以上に上達したかったら、少し時間のかかるテーマに取り組む覚悟がいるのだよ。


その反面、私の言ったことに、敏感に反応して、練習後に質問が出た人もいる。
せっかくなのに、言葉で説明できることなら、いくらでも立ち話でできるけれど、声を出して説明したいことは、練習場を出たら出来ないのです。

せっかく出た質問も、時がたてば、その時の生々しい実感は失われ、言葉遊びになってしまう。
その温度の失われたテーマに、もう一度取組み、やったねと言えるまでに改良するには、どういう方法があるだろう。

今日の私は、ゲストである。
私が、この教室について考える立場にはないけれど、将来、何が起こるかわからないから、どれもこれも、目新しい勉強である。

そして、今日の私は、「本能寺」の合吟の練習をさせていただきに来た。
かなっくの時の相棒さんも出席。もう一人のメンバーは、来週の江戸川に来るそうだ。

二人で、合吟を一吟のみ。そして、何のチェックも入らない。不満。
これが、つらいのである。なんでも,言ってよ。と、相棒と私は思う。
自分の吟は、わからないのである。

さて、さて。来週は、もう一人のメンバーが来て、また半端な練習になるなぁ。
一人一人が、十分に練習をして、顔を合わせるときは、つなぎのタイミングと、三人で合吟する箇所の微調整をすることになる。
来月の、江戸川は、三人揃いたいものだ。


満足のいく練習後の反省会(?)は、楽しい。
十分な発声は、下手なアルコールよりも、体に回る。
練習を終えて、ご飯を食べる場所に移動するときから、酩酊とまではいかなくても、心は全開に解放されている。誰よりも先に、酔っている。
この、瞬間も悪くない。
そして、他の人たちは、お店に入り、アルコールを飲み干して、やっと、私と同じ開放度に追いついてくるのである。




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桜花の詞

2013年04月12日 | 詩吟
かなっくで吟じた桜花の詞を、友達が録音してくれていました。

この友達は、数十年の時を経て、再会し、同じく詩吟を続けていた友人です。
懇切な、詩吟をする立場の意見も書いてくださったのです。

到着した日は、孫たちが来た日、気になりながら、夜はバタンキュー、早起きな孫たちの朝食に続いて、聡恊Bそして、CDはプレーヤーにセットしたまま、動くことなく・・・

やっと、孫たちが帰り、さびしくて、うれしくて、体をのびのびさせて、寝具の後始末をして、時間はたっぷりあるのに。

CDが聞けなかったのは、単に時間がなかったのではなく、浮ゥったのでした。

確かに、やりきったとの満足感は、初めてともいえるくらいでしたのに。
音源は、飛びついて聞きたい気持ちと、幸せな気分で居たい気持とのはざまで、浮ウが勝っていました。

明日は、江戸川詩吟道場に行く日。
聞いておかねばと、恐る恐る聞きました。

聞いてみると、反省点がぼろぼろと出てきて、あの、やりきったという感覚はどこから出てきたのだろうかと思うくらい。

相棒さんは、さすがでした。脱帽。

松野先生のCDを聞いて聞いているうちに、自分の実力がそこまで届いたと錯覚をしてしまった感有り。

恐るべし。

こんなにぼろぼろの吟をしても、昨年のコンクール後の恥ずかしさはなく、やはり、桜花の詞は、やりきったと言い切れる。この感覚は、なんだろうねぇ。やはり練習。その練習も回数を数える練習ではなく、気を込めた練習であったかどうか。
それは、確かに、いつもとは違う気がこもっていたと思う。

また、次への課題を見つけて、意気揚揚の感有り。
誰よりも、先駆けて、音源を送ってくれた、後輩に感謝。

同じ流派だったらよかったのにと思ったこともあるけれど、詩吟のわかる芦孝会の外の友人というのも、また、良いものであるなぁ。

長年のうちに、離れてしまった友人もおおいけれど、こうして、共通の趣味を持って復活する友人関係というのも、あるのねぇ。

本当にありがとう。

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夢松風4月1回目

2013年04月11日 | 詩吟
今日から、二年目に入ります。
関吟東京ニュースの開催情報の夢松風の教室名に冠された「新教室」が外されました。

10年選手の他の教室と肩を並べる形となりました。

平和に順調にここまで来たのは、会員さんたちが大人で、私を先生として立ててくださるおかげと、感謝です。

今日は、太田道灌 愛敬四山作

よく知られた史実であることと、詩吟にも慣れて来たこともあって、吟じることと漢詩への理解度とのコラボで、いままでの漢字を追うのではない詩吟の世界が開かれたようです。

あえて、初心者は、内容を斟酌することなく、声を出しなさいと言い続けてきました。
素振りの練習を束の間お休みして、つたないながら、ゲームに挑戦といったところでしょうか。

テクニックで、聞き手を感動させることは、簡単ですが、声を出すことに慣れ、吟法をマスターしたうえで、自分の感動を詩吟に込め、さらには、聞き手にも感動を与えるのは、初心者、経験者を問わず、難しいものです。
しかし、それを天性として持っている人も中には、居るのです。

それでも、やはり、技術の習得をしつつ、時が熟成してくれることは、練習回数ではなく、どうしても、追い抜けないものがあります。


            倦まずたゆまず


今日の練習は、私の準備不足でした。
三半の音を出しそこなって、戸惑わせてしまいました。

練習に出る直前まで、孫たちが1週間余りの滞在していたので、座る暇もない、しかし、幸せな時を過ごしていました。

時間は作るもの、孫たちが居ても、課題詩の二回や三回は発声できたものを!

慣れで、教室に臨むものではないなぁ。わかりきったことなのに。
せっかく、二年目を迎え新たな気持ちで、始めようとしていたのは、頭と口先だけだったことになるねぇ。

反省、反省。
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