風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

かたづけなさい

2005年10月31日 | チンゲル亭裏日記

朝から、モンゴル語の辞書を取り出して、「片付けなさい」という言葉を引いている。
階段の手すりに、上着がかけてあり、出勤する夫が「なんだこれは!」と目を向いた。

階段を挟む向かいの部屋は、2階と3階とでメゾネットになっているので、住居としてのドアは無いのですそして、今は人が居ない。
しかし、少し余ったスペースに小部屋をつくり我が家のドアと直角の突き当たりの壁面に小さなドアが有ります。
昔は管理人さんが居たのですが、今は、昼間こざっぱりした姿の女性が何人か出入りをしていて様子の分からない部屋です。
その部屋の人が、手すりに5~6着の上着を干しているのです。
夜の間だけのつもりかもしれませんから、少し様子を見ました。
10時半を過ぎても変わりが無いので、辞書を引いてメモを書くつもりになりました。

今までなら、バイガルさんに携帯でお願いするのですが、時間がかかるので、直接紙に書いて訴えることにしました。
夫にも相談なしです。

住人ではないことなどをあわせていろいろ考えました。
「かたづけてください」ではなく、「かたづけなさい!」にしたほうが良いと結論しました。
後味が悪いのは、分かっていましたが、多分そのほうが良いのです。

一度目を我慢すると、是正は100倍難しくなります。
一度目に、不快感をはっきり表すのが、その後、心地よく生活するための術と分かりました。
それで、過剰に異を唱えたとしても、モンゴルの人たちはあとくされがないのです。
「私の気持ちわかってくれないかなぁ」は、意思表示していないのと同じなのです。
それで、「ЭМXЭЛ!」と紙に書いて貼りました。
そして、少し強くドアを締めました。

おもいがけなく早く5分もしないうちに、隣のドアの音がして、また直ぐにしまりました。
ドアスコープから覗くと、上着も張り紙もありませんでした。
はぁ、良かった。

張り紙がはがしてあるということは、たまたま、服をしまったのではないということだとそして、言葉も間違ってないことと理解しました。
それにしても、早かったなぁ。
どうして?

安心したと同時に、やはり、気がとがめるのです。
モンゴル。。。異文化。。。

もう考えない、問題解決。一件落着。さっさと忘れよう。
コメント

ざざ

2005年10月31日 | チンゲル亭

 腕に抱かれて一緒に眠りかけのザザ(私の姿はお見せできません。。。)


ザザ

9月29日知人の依頼で預かることになった雌猫。
遊びたい盛りの子どもで、よちよち歩きをやっと卒業した頃のまだ頼りなさの残る女の子でした。
今日で一ヶ月を過ぎて、体も2倍くらいに大きくなりました。
もうそろそろ、大人になるのかしら。


寂しくて寂しくて、ソレで甘えたくて甘えたくてたまらない子猫は、ドアの閉まる音に敏感に反応します。
そして、しまったドアの隙間に鼻先を擦り付けて、哀れげに鳴きました。
まだ、部屋にいっぱい残っているのに、それでも、当分の間張り付いて鳴き続けます。

あきらめるまで、好きに鳴かせておいて、ドアを離れたら膝に乗ってきて体をすりつけて、今度はごろごろと喉を鳴らして甘えます。
抱っこされるのが大好きで、すきあらばと膝の上を狙っています。

名前の無いのは可愛そうですし、呼びかけても我知らず野表情は困ります。
それで、わが家だけの名前を飼い主に断りなく「ざざ」とつけました。
勝手につけられて名前ですから、はじめは無反応。
そのうち「ザザ」と呼ばれると、おいしいものをもらえるのが分かると、足元にすりよりにぎやかに「にゃー にゃー にゃあーー」と鳴くようになりました。

預かってくるとき、食器に残っていたのがソーセージでしたから、よく似たものを買ってきました。
ドッグフードはどこでも良く見るのですが、キャットフードはなかなかなかったのです。
メルクーリでキャットフードを見るようになり、UBに住む外国人が猫を飼う様になったことが分かります。おかげで、ザザもキャットフードを食べるようになりました。

しかし、肉の安いモンゴルですから、肉を上げればよかったのです。
日本で鼓太郎を養っていたときの流れで、猫にはキャットフードという図式を崩せなかったわけです。

鼓太郎は、フードを変えるときは少しずつ混ぜて新しいのになれるように気を使いました。
そのように、本に書いてありましたから。
生魚はさすがに三浦半島から来た猫だけに大好きです。お刺身やおすしを食べているときは、テーブルの周りで落着かないそぶりで、ニャーと催促をしました。
最後は、いつも食べ物をくれる私の横にちんまりと座るのです。そして、もちろん、新鮮な魚をほんの少しおこぼれに預かるわけです。
あー、生の魚食べたくなったなぁー。

さて、子どもの猫に生肉は、わたしのほうに抵抗があり、ソーセージかフードに落着いています。
どちらをあげても、食いつきは旺盛です。
魚の缶詰の汁をご飯にかけた猫飯は食いつきは良かったのですが、最初だけで、かなりの量を残しました。
鼓太郎は日本の猫で、ザザはモンゴルの猫でした。

知人から頂いて、日当たりの良い窓辺で生き生きと葉っぱを茂らせていたランとつたの鉢植えは、ザザの標的になり、葉を折り、歯型がつけられ、長く伸びていたツルがずたずたに切られ、とうとう手の届かない短さに切って整理されました。

もう一つ、フェルトのケースに入っているシャガー(羊の骨のおもちゃ)4個いりは、朝起きると台の上から落ち、シャガーは今のところ目に見えるのは1個だけです。
ジャガーは骨ですから、標的になり、人間からは猫の玉とリとか猫のサッカーと見えるとてもすばしこい動きで椅子やベッドの下に蹴りこんで姿を消しています。

直径3センチほどのジャガイモも袋から探し出して、サッカーのボールになり、妙な場所にジャガイモが一個だけぽつんと取り残されています。

モヘアの手袋はおもちゃになりました。

少し安定の悪いアイロン台は、ぶら下がっていた紐を標的にしている間に、おおきな音を立てて唐黷ワした。
その次には、アイロン台から飛び降りて唐キようになり、ソレは、偶然のことと受け止めていたのですが、どうやら、故意におもしろがってガしゃんと音を立てて唐オているようなそぶりです。

時々狂ったように部屋を走り回ることがあるのですが、台所からダッシュしてリビングへ駆け込むとそこにはソファの背があるので、勢いのあまり垂直に近い壁を平気で走り抜けます。
まるでくの一忍法です。書斎の机の後ろをまわりベッドの下に落着くのがいつものコースです。
猫の爪と筋肉の丈夫さに感心します。

ザザを見ても鼓太郎を見ても、もっと自由に青空の下で生きていくことを奪われているわけですが、連絡所で借りてきた「雨の日のネコはとことん眠い」加藤 由子(PHP研究所)を読んで、鼓太郎は鼓太郎の、ザザはザザの今の生活でよいということが分かり、ほんとに安心しました。

間もなく帰っていくザザです。少し、感情をセーブして接してきたつもりですが、もう後幾日も無いと思ったとたんに、ほろほろと涙が落ちできて、あわてました。
涙を落とすくらいなら、セーブしないで思いっきり育ててやればよかった。
いや、果たして、感情をセーブしていたつもりでほんとはできていなかったのかと、思いいたる。
だって、涙腺が緩みっぱなしで。。。

ほんとの飼い主の元に戻って、どのような育ち方をするのか分からないけれど、この一ヶ月夫と私とで可愛がったことがいじけないで育つことの手助けになっていてくれるといいな。
貴方のこと嫌いな人(モンゴル人は大体ネコが嫌いなので)もそばに居るようになるけれど、ソレはそれで貴方の持ち前の好奇心で遊びに変えてね。

犬ほどの記憶力の無いネコだから、私たちのことは忘れるのだろうなぁ。
ネコの嫌いな人から、せめて恐武Sだけを受けないような生活だといいなぁ。

しかし、ほんとの飼い主さんはネコの大好きな人で、かつても飼ったことのある人らしいから、目いっぱい可愛がってもらうのよ。
著者の加藤さんによると、「ネコは家付きの人につく」のだそうです。だから、心地よい家とその家に可愛がってくれる人が居ると安心して生活できるそうだから。大丈夫よね。

symbol4数日でおうちが変わるのも知らず、陽だまりでお昼寝中のザザへsymbol5
コメント

新作バレー

2005年10月30日 | チンゲル亭裏日記

昨日と今日とで、UBの新作オペラの発表がありました。

「チョイジッド女神」というオリジナルです。
曼荼羅の背景で、繰り広げられる天国と地獄。
死ぬまで踊り続けて亡くなったチョイジッドが、地獄と天国を見た後、白の神様に助けられて、「罪と寛容」を人々に伝えることを使命にこの世に戻される。という話です。

モンゴルのようなインドのような仏教のようなヒンズーのような。
不思議な舞台でした。

今日は新作でしたから、チラシのようなパンフレットが有りました。
その、英語の説明によると上記のようなものがたりだそうです。

そして、最後には舞台挨拶があり、指揮者や衣装、舞台装置などに携わった人にも花束の贈呈がありました。

チョイジッドとは、創作なのかそれとも古い民話のようなものから取ってきたのか、今度、チメグバータル先生にお尋ねしてみようと思います。
英語のあらすじも、訳し方と私の辞書からの意味の取りかたで、ずいぶんとちがった意味になりそうなきがします。

日本だったら、分厚いプログラムから、一瞬のうちにそのすべてが分かるのですが、UBには、まだそのようなものがありません。
作者から直接話を聞くしかないのですが、そのチャンスは今後あるやら、無いやら。。。
コメント

予防注射

2005年10月29日 | チンゲル亭
モンゴルでは、呼吸器系のと生活習慣病が多いと健康管理講習会で、医師から話がありました。
肉が多く、野菜の少ないモンゴルでは、年配者に限らず若い人たちにも高脂血症が少なからずあるのです。
寒さに対抗するには、脂肪を取りあるときは酒の力を借りなければならないこともあります。

エネルギーを炭水化物や脂肪に頼ることなく上質のたんぱく質でとるように。「上質の蛋白とは魚です。モンゴルでは難しいでしょうが。。。」
とのお話。
魚もなくはないUBですが、なかなか手が出ません。
川魚の大きいのが時々生で市場に出るようですが、まだ、料理して食べたことがありません。

そして、肉が食べたくないときは、ご飯と味噌汁を食べます。
すると、炭水化物と塩分の取りすぎに片寄ります。

なかなか、思うような健康的な食事になりませんが、主婦として来ているのですから、なるべく医師のおっしゃる理想的な食事に心がけたいと。。。

しかし、昨日は、突然お手伝いを頼んで家に来てくれた知人に、納豆と味噌汁の夕飯を出しました。
そして、納豆を食べない私が、ありあわせの材料でつくったおかずが、カレー味のキャベツとベーコンの炒め物でした。
納豆には、カレー味はあわないのでした。
ほんとに、ごめん。
私は、白いご飯にカレー味の野菜炒めは、おいしかったのですが。。。

何年主婦をやってるんでしょうねぇ。
コメント

馬頭琴の伴奏

2005年10月29日 | チンゲル亭裏日記

オルティンドーの練習に、本格的に馬頭琴の伴奏が付きました。
ビャンバジャルガル先生は,ピアノを弾きながらではなく歌の指導にのみ集中できるので、とても効率がよいと言っていました。

確かに私も、後半には馬頭琴の音に乗ることが出来て、おもったより声が出せたような気がしました。
途中で、モンゴル語の「ブス」を先生が楽屋から持ってきてウエストにきつく巻いてくれました。
ブスとは帯のことで、民族衣装のデールを着るときしっかりと巻くのです。
ちょうど兵児帯のような絹の布で3メートルくらいあります。

その帯を巻いたその下に、息を吸い込み、ハラではなくて丹田と腰に力を入れるのです。
帯を巻くと今までやっていた腹式呼吸で息をためていた位置を、帯できつくおさえられていますから、より、先生の言う下のほうに(ドシャ)息がたまり力を入れることができます。
すると、喉に負担がかからないオルティンドーの正しい発声が出来るのでした。
日本の歌謡曲の歌手がしっかりと帯を巻いた上で、ちゃんと声が出せるものかと常々疑問を持っていたのですが、きっと、オルティンドーと同じような複式呼吸をしていたのでしょう。
今まで、私の出していた腹式呼吸の声って何だったの?とおもいます。

そして、先生の馬頭琴の伴奏で練習すると上手になるというのも分かりました。

そのことがわかった上で、馬頭琴の伴奏に1時間10ドルというのはいかにも高い、と提案しました。

休憩のとき馬頭琴奏者は、私に、仕事は何かとたずねました。夫がTISで働いているが、私は主婦ですと答えました。
モンゴルの国家公務員の給料は、80ドルから100ドル、教授で300ドル位ということですから、夫がその立場に居る人と同じ条件だとおもったのでしょう。授業料を5,000トグに下げられたことを彼なりに、納得したようでした。

一流の技術者に対して支払う対価は、これで、正しいのかどうか分かりません。
チメグバータル先生は、高いと言いました。
一時は、バータル先生がビャンバ先生に会って話してあげるということになりかけましたが、それでは、ちゃんと通訳のいる私が情けなくおもったので、ソレは止めました。

誇り高いモンゴル人ですから、間にモンゴル人を入れて物申した形にしなかったこと。そして、私の言葉で単純に「高い」といったのが今になって、良かったのかもしれないと思うのです。
コメント

去年のいまごろ

2005年10月25日 | チンゲル亭裏日記

去年は11月11日の帰国を前に、いろいろと複雑な思いをしたり、送別会などの別れの会などがありました。

トヤーの別荘に行ってツァガナに会ったり、UB市内といっても水道が引かれていないところにたくさん人が住んでいることを知りました。
第四火力発電所の見学では、ここがライフラインの大元であることを知りました。
大学の送別会では、夫が如何に頼りにされていたかを知りました。
同僚たちとの送別会は、特に、仲良くしていた同期のひとたちの別れの言葉は、胸にしみました。

娘との会話では、日本に帰ってからのことを電話で話をしていて、ちょっと前だったら、帰ってからのことなど気になっていても話題に出せなかったよねと、彼女らしいデリケートな思いをしていたのねと、いまさらに思いました。
今年は、去年と違っていろいろとアクシデントやイベントのある留守宅を守る身にしたら、重いことばかりで、さぞ、大変だろうと思います。

最近は、この日記も忙しくて見る暇も無いだろうと思うので、帰国を話題に描いてしまいました。
目に触れたら、一段と寂しくなるかも。。。

まだ、こちらに来て半年。
これから先のほうがずっと長いのですから、去年の今頃の日記を読み返してみるなどは、しないほうがよかったなぁ。

              ☆

今日の、チメグバータル先生のモンゴル語の授業は、惨憺たるもので先生の頑張りが空回りしているようで、申し訳なかった。
言われたら、習ったことを思い出すのだけれど、そういえば、、、
ということが多く、もう少し、モンゴル語の会話をするチャンスを心がけて増やさないと、と思ったことでした。

次回からは、オルティンドーの解釈についての授業内容を検討しています。
古い言葉や言い回しを使うオルティンドーは、大学生にも分からない言葉なのです。
チメグバータル先生は、歴史や古い言葉について造詣が深いということを、初めて知りました。
せっかくの先生の知識を少しでも分けてもらえたらと思ったことでした。

少し、オルティンドーの練習に心を奪われすぎていたことに気が付いて、ゆっくり今は何をしたいのかを考えるチャンスだと思いました。
コメント

今日の気温

2005年10月25日 | チンゲル亭
UB時間午前10時30分現在

外気温 13度
室内  26度
室内湿度 38%
天気  うす曇り


コメント

オルティンドーの練習

2005年10月24日 | チンゲル亭裏日記

今日は、オルティンドーの練習日でしたが、明け方から空咳が出て、喉がイガっぽい。
乾燥のせいだと思い、湿度計を見たら30%を示しています。

そういえば今回UBに返り咲いてから、湿度を気にしたことがなかったなぁ。
30%になっていたなんて、気が付かなかった。
パールが稼動し始めたら、当然この数値を示しているはずで、うっかりしていました。
喉を潤して、乾かないようにしなければなりません。

前々回のオルティンドーの練習が終わったとき、先生が練習の後は喉が荒れているので帰りにおしゃべりをしてはいけません、まして、風の吹くそとではもってのほかといわれました。
そういわれても、練習が終わってほっとしているとき、女二人で居たら、年代が違っても国籍が違っても、話は弾むのです。

二人で、あっと口をふさぎながら、おしゃべりを控えるのが大変でした。
いつもお楽しみの練習後のお茶の場所に到着してお茶で喉を潤すまで、大変でした。

それで、少し時間が経過するのを待ち、体が温まってきたら、少し発声をしてみましたが、ちょっと、喉に負担がかかりすぎるようで、今日は練習にならないと、キャンセルをしたわけです。

変わりに、チョカさんかは授業が終わったら家に来て、日本語のこと、モンゴル語のことを話しました。
会話を上手に発音するには歌が良いと言われたそうで、ちょうど、SAVE THE CHILDRENで使う「こころうた」の風景の本を見ながらCDをかけて歌いました。
まず、「さくら」を習いたいというので、何度も何度も二人で歌いました。
CDの音程は高すぎて、私たちは一緒に歌えないので、私の声で覚えることになりました。

モンゴル人は、歌を覚えるにはテープかCDが無ければだめと思い込みすぎているようで、ウツカにしても、SAVE THE CHILDRENの職員にしても直ぐにテープかCDはないかと、たずねるのです。
私の肉声で教えるのがいけないかのような印象を与えるほど、CDにこだわるのです。
歌を誰もが教えられない、繰り返し繰り返し、何度でも聞かせて覚えさせるという方法がとられているようです。
音楽教育はまだまだのようで、ピアノの伴奏も限られているし、音符を読める人も少ないし、ということで、CDに頼るのでしょう。

先生の肉声と伴奏で練習が出来る私は、贅沢なことなんですねぇ。
コメント

餅よりパーティー

2005年10月23日 | チンゲル亭裏日記

友人宅で、持ち寄りパーティーがありました。
サラダ、きれいに盛り付けてあってさすが紳士の作品。
コロッケ、いつも娘に言われるのですが、大きすぎる。紳士の作品の隣に並べられると、田舎の実直さというものを感じる。これって、私がつくった。コロッケ自体が、お惣菜だものね。
牛丼、モンゴルの肉でも薄切りがあるのでちゃんと牛丼が出来上がっている。インターネットでレシピをひいてきて作ったそうですが、やさしい味がした。
彼女って、やさしーい人なんだなぁ。
明るくて、パワフルで、彼女が居ると自然と座が盛り上がり大笑いをさせてくれる人です。

えっ、これってモンゴルで売ってるの?と思うほどやわらかいスャ塔Wのロールケーキ、もう一人の彼女が持ってきた。「私がつくったの」としらばくれる。
彼女って、素敵。

みんな、私に無いものを持っていて、でも、一緒に居てちっとも違和感無く過ごせる人たちです。
このような人に、会わせてもらってほんとにありがとう。

そうそう、陶撃フときも私はどうあがいても、和食器が出来上がる。
一緒に行って作った彼女は、どう見ても洋風の垢抜けたラインを作り上げる。
少々前の私だったら、洋にあこがれていることもあって、自分を卑下したことだろう。
彼女は、彼女。私は私。どちらも良い。と思えることに喜びを感じる。
コメント

陶結ウ室

2005年10月23日 | チンゲル亭
久しぶりに陶結ウ室に行きました。
今日で,3回目なのですが、2ヶ月ぶりに土にさわりました。
モンゴルに来たおかげで、三次元のものを作り上げるなど考えもしなかったことを、やり始め増した。
ここに来るたびに、私がこういうものを作るなんてねぇ!と一人で感心しています。
理屈は抜きに形を作り上げていくのにすぐに夢中になってしまいます。
小さい頃、きれい好きの母の影響で、泥饅頭を作った覚えが無いのです。

娘たちが形のあるものを作れるのを、感動したものでした。
娘が、猫の形の鈴をつくってきたときは、閉じた中に音を出す玉が入っていることに驚き、どうやって作ったの?とたずねたものでした。

2回目に残った土を持って帰って家で思うままにつくったものの中に、りんごの形をした鈴をつくってみました。
鈴の本体を作り、中に入れる玉を新聞紙に包んで封じ込めるのです。
そうすれば、粘土が乾くまでに玉がくっつかないし、土を焼くと新聞は灰になるので、中で自由に玉が動き鈴となるのです。
15年前に娘に教えてもらったことを思い出して、つくってみました。
さて、ちゃんと音が鳴るでしょうか。

厚さ1センチの丸い板をつくります。
その板の上に、土の紐を乗せて外側は下から上へ、内側は上から下へ撫で付けて平らになるようにします。
うっかりすると外へ外へと拡がってしまいます。
あるところは厚く、あるところは薄くなります。
それでも、なんとか形が出来上がって来ると、嬉しいのです。

拡がるとどうにもならなくてお手上げなのですが、先生の手にかかると自由自在に大きくなったり小さくなったり、魔法のようです。
目で見ているとなるほどと分かっても、いざ、自分の手にそれをさせようと思うと、どうにもなりません。

ということで、最初に思っていたのとは程遠いものが出来上がるのですが、それはそれで、一生懸命につくったのですから、いとおしく気に入ってしまいます。

湯のみと小鉢とぐい飲みの3点を2時間でつくりました。
今回は、小物ばかりです。

余った土は、家に持って帰って暇なときにつくります。
こんどはなにをつくろうかなぁ?
コメント