腕に抱かれて一緒に眠りかけのザザ(私の姿はお見せできません。。。)
ザザ
9月29日知人の依頼で預かることになった雌猫。
遊びたい盛りの子どもで、よちよち歩きをやっと卒業した頃のまだ頼りなさの残る女の子でした。
今日で一ヶ月を過ぎて、体も2倍くらいに大きくなりました。
もうそろそろ、大人になるのかしら。
寂しくて寂しくて、ソレで甘えたくて甘えたくてたまらない子猫は、ドアの閉まる音に敏感に反応します。
そして、しまったドアの隙間に鼻先を擦り付けて、哀れげに鳴きました。
まだ、部屋にいっぱい残っているのに、それでも、当分の間張り付いて鳴き続けます。
あきらめるまで、好きに鳴かせておいて、ドアを離れたら膝に乗ってきて体をすりつけて、今度はごろごろと喉を鳴らして甘えます。
抱っこされるのが大好きで、すきあらばと膝の上を狙っています。
名前の無いのは可愛そうですし、呼びかけても我知らず野表情は困ります。
それで、わが家だけの名前を飼い主に断りなく「ざざ」とつけました。
勝手につけられて名前ですから、はじめは無反応。
そのうち「ザザ」と呼ばれると、おいしいものをもらえるのが分かると、足元にすりよりにぎやかに「にゃー にゃー にゃあーー」と鳴くようになりました。
預かってくるとき、食器に残っていたのがソーセージでしたから、よく似たものを買ってきました。
ドッグフードはどこでも良く見るのですが、キャットフードはなかなかなかったのです。
メルクーリでキャットフードを見るようになり、UBに住む外国人が猫を飼う様になったことが分かります。おかげで、ザザもキャットフードを食べるようになりました。
しかし、肉の安いモンゴルですから、肉を上げればよかったのです。
日本で鼓太郎を養っていたときの流れで、猫にはキャットフードという図式を崩せなかったわけです。
鼓太郎は、フードを変えるときは少しずつ混ぜて新しいのになれるように気を使いました。
そのように、本に書いてありましたから。
生魚はさすがに三浦半島から来た猫だけに大好きです。お刺身やおすしを食べているときは、テーブルの周りで落着かないそぶりで、ニャーと催促をしました。
最後は、いつも食べ物をくれる私の横にちんまりと座るのです。そして、もちろん、新鮮な魚をほんの少しおこぼれに預かるわけです。
あー、生の魚食べたくなったなぁー。
さて、子どもの猫に生肉は、わたしのほうに抵抗があり、ソーセージかフードに落着いています。
どちらをあげても、食いつきは旺盛です。
魚の缶詰の汁をご飯にかけた猫飯は食いつきは良かったのですが、最初だけで、かなりの量を残しました。
鼓太郎は日本の猫で、ザザはモンゴルの猫でした。
知人から頂いて、日当たりの良い窓辺で生き生きと葉っぱを茂らせていたランとつたの鉢植えは、ザザの標的になり、葉を折り、歯型がつけられ、長く伸びていたツルがずたずたに切られ、とうとう手の届かない短さに切って整理されました。
もう一つ、フェルトのケースに入っているシャガー(羊の骨のおもちゃ)4個いりは、朝起きると台の上から落ち、シャガーは今のところ目に見えるのは1個だけです。
ジャガーは骨ですから、標的になり、人間からは猫の玉とリとか猫のサッカーと見えるとてもすばしこい動きで椅子やベッドの下に蹴りこんで姿を消しています。
直径3センチほどのジャガイモも袋から探し出して、サッカーのボールになり、妙な場所にジャガイモが一個だけぽつんと取り残されています。
モヘアの手袋はおもちゃになりました。
少し安定の悪いアイロン台は、ぶら下がっていた紐を標的にしている間に、おおきな音を立てて唐黷ワした。
その次には、アイロン台から飛び降りて唐キようになり、ソレは、偶然のことと受け止めていたのですが、どうやら、故意におもしろがってガしゃんと音を立てて唐オているようなそぶりです。
時々狂ったように部屋を走り回ることがあるのですが、台所からダッシュしてリビングへ駆け込むとそこにはソファの背があるので、勢いのあまり垂直に近い壁を平気で走り抜けます。
まるでくの一忍法です。書斎の机の後ろをまわりベッドの下に落着くのがいつものコースです。
猫の爪と筋肉の丈夫さに感心します。
ザザを見ても鼓太郎を見ても、もっと自由に青空の下で生きていくことを奪われているわけですが、連絡所で借りてきた「雨の日のネコはとことん眠い」加藤 由子(PHP研究所)を読んで、鼓太郎は鼓太郎の、ザザはザザの今の生活でよいということが分かり、ほんとに安心しました。
間もなく帰っていくザザです。少し、感情をセーブして接してきたつもりですが、もう後幾日も無いと思ったとたんに、ほろほろと涙が落ちできて、あわてました。
涙を落とすくらいなら、セーブしないで思いっきり育ててやればよかった。
いや、果たして、感情をセーブしていたつもりでほんとはできていなかったのかと、思いいたる。
だって、涙腺が緩みっぱなしで。。。
ほんとの飼い主の元に戻って、どのような育ち方をするのか分からないけれど、この一ヶ月夫と私とで可愛がったことがいじけないで育つことの手助けになっていてくれるといいな。
貴方のこと嫌いな人(モンゴル人は大体ネコが嫌いなので)もそばに居るようになるけれど、ソレはそれで貴方の持ち前の好奇心で遊びに変えてね。
犬ほどの記憶力の無いネコだから、私たちのことは忘れるのだろうなぁ。
ネコの嫌いな人から、せめて恐武Sだけを受けないような生活だといいなぁ。
しかし、ほんとの飼い主さんはネコの大好きな人で、かつても飼ったことのある人らしいから、目いっぱい可愛がってもらうのよ。
著者の加藤さんによると、「ネコは家付きの人につく」のだそうです。だから、心地よい家とその家に可愛がってくれる人が居ると安心して生活できるそうだから。大丈夫よね。
数日でおうちが変わるのも知らず、陽だまりでお昼寝中のザザへ