風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

陽だまり

2020年01月30日 | 徒然に日々のことを
「縁側の陽だまり」に座る父の姿は、穏やかで、優しい顔をしている。

そんな陽だまりのような場所を、作りたいねぇと話したのは、高校の同窓会だったねぇ。
2007年12月のこと。そんなことを話した相手は、すっかりそのことは忘れていることでしょう。


この処、「裏日記」の整理をして居るので、そのあたりの書き込みを読みなおしています。
ずっと胸に持ち続けていたけれど、こんな風に、誰かと話題にしたことは、すっかり忘れていました。
その時も、ちゃんと「陽だまりの縁側」という言葉を出していたんだねぇ。

何でもかんでも、忘れてしまっているけれど、こうして、文字として残して、しかも私にしては、かなり冷静に書き残しているので、とても貴重な記録となりました。

このブログは、ブログ内検索機能があるので、キーワードとこのブログを検索にチェックを入れるとそのキーワードの含まれる日が、ずらりと並んで出てくるので、便利です。

やりたいこと、きっちりここに書いてあった!
胸の中には、いつも、在ったってことだ。ちょっと、自分を見直している。
                  


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ビャンバジャルガル先生

2020年01月29日 | 徒然に日々のことを
お世話になった先生と、今は、疎遠になってしまって、とても残念。

帰国したのが、2007年。そのころのモンゴルとの通信事情は、まだまだ、スムーズではなかったから。
言葉の壁も大きい。

何より、帰国直後の私の心の問題で、息を吸うのが精一杯だったから、通信事情のせいだけではなかったかもしれない。

滞在中でも、日本の友人との関係が、通信事情が悪くて、電話が通じにくいことを理解してもらえなかった。
こちらが拒否していると、誤解されてしまい、疎遠になった方もいたなぁ。

滞在中もはじめのころだったから(2004年)、相手の方は、携帯をもってなく、黒電話だけだったし、今は、引っ越しもしてしまったようで、連絡の取りようがない。

現地に行って初めてわかることが、生活面でも、自然環境にも、たくさんある。

「モンゴルは、緑の平原」と、写真からイメージしていざ現地に立ってみると、現実との大きな違いにとても驚いたもの。

「百聞は一見に如かず」の言葉と本当の意味とが、やっとつながった。

ビャンバ先生は、別れが近づいたとき、オルティンドーは、日本人の前では歌っても良いと許可を頂きましたが、モンゴル人の前では、歌わないでと言いました。

通訳の具合で、柔らかく聞こえたけれど、「絶対に詠ってはいけない」と言ったかもしれませんねぇ。

それでも、先生は、日本で歌手になると思っていた節があるので、もし思いだすことがあったら、笑っているのか、苦々しく思っているのか。...。

ふと、こんなことを思いだしています。

三枝先生も、熊本の地で、子育てをしながら、オルティンドーを聞かせられる機会を捉えて、歌手活動は、続けていらっしゃるようです。

こちらも、ブログを眺めているだけで、せっかくのご縁を生かしていないことに、歯痒さを覚えるのです。
目を合わせて、体温を感じられて、気持ちに添うことのできる関係でないと、続けることのできない不器用さを、嘆いたこともあるけれど、これは、私の流儀とさせていただこう。

体温とともに育ったものであれば、どんなに細くなっても、なくなったり、冷え切ったりしないものと思っています。



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ビャンバジャルガルとホンゴルゾル

2020年01月28日 | 徒然に日々のことを
ホンゴルゾルのことばが、三枝彩子さんのブログ「愛しのオルティンドー」に載っています。
2005年10月22日 http://blog.livedoor.jp/urtynduu/archives/50133101.html

今では、モンゴルの重鎮という位置にらっしゃるようですが、そのホンゴルゾルが、ビャンバジャルガルの友人として、練習場所のトゥメンエヒに遊びに見えた時に、私に投げかけた言葉は、その時私が感じた以上に実感が籠っていたことがわかる。

「こんな年寄り(私、当時58才)の人は、歌手には、なれない」と。

三枝彩子は、モンゴル人の前で詠っても、日本人とわからないというほどの名手です。
その名手の歌声を、すでに聞いていたのですから、日本人ということはハンデにならないとご存じで、余計に実感がこもっているはずですねぇ。

そのころ、私の通訳をしてくれていた日本語学科の学生さんも、ビャンバ先生も、「趣味」ということの意味を知らなかった。

そのころ、モンゴルでは、物事を習うということは、それで、身を立てるから習うのであって、収入を得る予定もないのに、大金を支払うなんてことはあり得ないから。

その時、ホンゴルゾルの言ったことを通訳の学生さんは、絶句して、私にすぐには、通訳をしてくれませんでした。

そうよねぇ、大好きなすみこをがっかりさせたくなかったよねぇ。かわいそうに。

「通訳はね、良いことも悪いことも、どんなこともそのまま伝えねばいけないよ」と、説得しなければなりませんでした。
それで、やっとのことで、その言葉が私に届いた。
はぁ~、ごくろうさん。


それから、ビャンバジャルガルについても、ちょっとだけ記述がありました。
http://blog.livedoor.jp/urtynduu/archives/52583662.html
2010年ですから、モンゴルからの情報もずいぶん増えてきて、ユーチューブにも映像や音が、増えてからのことですね。
私がジャルガル先生に頂いて持ち帰ったCDで、ジャルガル先生のボギンドーを知った三枝彩子さんでした。

帰国してからの1年あまりは、三枝さんにオルティンドーを習っていましたから、歌手としての固有名詞ではなく、三枝先生とお呼びしなければならないのかな?

ホンゴルゾルの言葉にある「喉の声」で、歌っていたのを、少しずつおなかのほうへと下がっていったことで、帰国直前のジャルガル先生にも、日本での三枝先生にも、たまには、褒めて頂ける声を出せるようになってきました。

井本整体にめぐりあって、体は楽器と考え、試行錯誤の末、今の発声になって来たのは、本当におかげ様です。

オルティンドーを習う前の、喉だけの発声をして居たら、おそらく、喉をつぶして、今の詩吟をする私は、いなかったと思う。

そして、「喉」と、「通訳」の二つのキ<潤[ドで、思いだすことがある。
2007年2月27日の当ブログには、こんなことが書いてある。

『風邪ですからというと、思いっきり、私も風邪を引いているけれど、声は出るといわれ、確かに、いつもと変わらない声が出る。
理論では、私も出るはずだけれど、やはり、入れてはならないところに力が入っていて、ひどい声らしい。

ビャンバジャルガル先生は、当然ながら不満足です。
前回はとても良かったのに、今日は、「モーだ。(《最》悪)」とジェスチャー付きで言われ、果ては、ヤギの断末魔の声だとまで言われてしまいました。

そういう言われ方は、初めてなので、よほど、練習をしていないことが腹に据えかねたのだろうと思います。

確かに、そうだけど。日本のお稽古事の先生のように、風邪なのに熱心に練習に来て偉いですと褒めて欲しいと思って練習に来たわけではないけれど、ちょっと、へこみそうになる。』

「ヤギの断末魔」の通訳も、すぐには、私には伝わらなかったねぇ。
「断末魔」という日本語の単語は、その時、通訳さんの単語帳に初めて、加わったのだから。

今思いだすとおかしくてたまらないけれど、通訳さんは、すみこにいいことだけを伝えたいと思い、私は、ずいぶん声が出るようになったと勘違いし。

そして、先生は、とんでもない生徒だと、嘆いた。

その時は、こんかぎり頑張ったつもりだったけれど、今思うと、やわだったねぇ。

三枝先生も、悩みの種だったかも。今は、九州に行ってしまったので、会いたくても逢えないねぇ。

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マンデイ コール

2020年01月27日 | 徒然に日々のことを
いつもはもたもたしているラインコールがあまりにす早く出られたので、慌てて切ってしまったぁ!

二人で、ワッ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

なんてことはない、失敗を、娘と2人で、笑い飛ばして、マンデイ コールの始まり。

なんてことはない会話だけれど、その奥深くに、母娘ならでは、通じるものがあり、胸にまた灯がともった。

先週末は、とても穏やかに過ごせたようです。
誰かと誰かが、いなかったことで、ことがすべてスムーズに柔らかに暖かかったそうだ。

そんなこともあるね。

母には、言葉に出せないことを、吐き出して、二人で笑って、一歩を踏み出す。

そうそう、母娘だから。





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年女の乾杯音頭

2020年01月26日 | こたろう
中央会は、毎月第4日曜日。

今年初めての東京芦孝会中央会。
例年、年の初めは、御酒で乾杯を習いとしています。

そして、その音頭は、年男、年女が努めます。
今年の中央会は、年男がいなくて、年女の私にお鉢が回ってきました。

こんなこともあろうかと、昨日は、言葉を考えていたのですが、すっかり忘れてしまって、
「20周年が終わって、気を抜かず、げんきでやりましょう!」なんて言葉になったしまって、あぁ、何て行けてない私と、がっかりする。

せめて、「25周年へGO!!!]くらいは、言いたかった。
まぁ、どっちもどっちか。。。

私としては、この20年、その前からというと30年を、マイペースに、毒にも薬にもならぬ、歩みをしてきたけれど、その、歩みにも一つの区切りをつけようとしています。

そのあたりのことを、ちらちらと、言葉にしながら、一番やりたかったことを、忘れないでいようと、思う。


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凝りその2

2020年01月25日 | 体を整える
ただただ、もみほぐして、柔らかくしてということではないことが、ソフトに撫でまわすことで、却ってよくわかったのが、昨日の施術でした。

力を加えて、パッと脱力するというのが正しい説明かどうかはわかりませんが、今の私には、腑に落ちる言葉です。

遠くからだんだんに近づいて、その場所を知ると、ダイレクトに動かすことができることがある。
その時、山田先生がそばにいるわけではないので、正しいのかどうか確かめるすべはないけれど、そこに至る体操が完結した時と同じ感覚があるから、違ってはいないのだろうと思う。

今面白いほど、左の肋骨を上げることができていると思う。
それなのに、右は、その感覚がない。

奥深い井本整体では、感覚がないのが良い訳ではなく、悪い訳でもない。

一つ言えることは、痛みがあることは悪いことではなく、「信号」であるということ。

その信号を過たず受け取って、どう、解決に導いていくか、その道筋が、とても大事なことです。


     不調を短絡的に解決しては
     いけないということです。




酷Sの棒が一瞬でなくなったのは、そこに至るまでのケアが、有ったからこそのこと。

いろんな角度から、体をなだめて、私へ投げかけて、そして、解決のための十分な支えを構築してくださったから、私に一瞬と思えるような、解決を見たということだと、確信しました。


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凝り

2020年01月24日 | 体を整える
「黙って座れば、ぴたりと当たる。」とは、言いすぎですが、膝立ちとなって、後ろから山田先生が、まず、肩を触ります。

すると、体の変化が手に取るようにわかるらしいのです。

そして、その部分の、凝りをほぐす、あるいは、更に力を込めさせて、パッと解放させる。

そして、そのための体操を手を添えて、教えてくださる。

先週、突然に解消した左の首筋から方にかけて、酷Sの棒が埋まっているかの如くの、凝りと痛みが、何だったのかを、解明していく。

その道筋で、私は、私のすべてを吐き出して、さらに、こだわりを脱ぎ捨て、爽快な体へと変身していく。

今回は、電話で届いた朗報を聞き終えた時に、その、変化が突然起こっていました。

不思議ではあるけれど、心身は密接につながっているから、直接、間接の物事が、体に影響を与えあっているということの証明となる。

今日は、体の中心に重心を置くことをやっと感じることができた。
おそらく、お臍の位置が、ちゃんと真ん中に戻っているはず。

単純な動きではなく、捻るように動かして、正しい位置に収まると、まっすぐに立っているつもりが、大いに違っていることがわかってくる。

この安定感を、しっかり憶えねば。




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松風

2020年01月22日 | 詩吟
松籟の聞こえる松風。

今日のお題は、「題壁」学生時代に嫌と言うほど吟じたから、体が覚えているという吟詠をしました。

この処喉の調子が悪く、会話の声が、ガラガラで、申し訳なくお持っていました。

先週あたりから、突然、体調が良くなり、喉にの良い影響が見え始めてきた上に、心やすらかに吟じられる「題壁」に、久し振りに体が喜ぶ吟詠ができました。

今日の練習は、一節目の出だしの譜№33≠Qの練習に終始しました。

高い六の音からの出だしは、頭ではなく体が覚えてほしい。
残りの部分は、基本の形ですから、いまさら、丁寧にしなくても、十分に対応できます。

その証拠に、一節目だけの練習の後、全員で合吟をしましたが、破たんは起きません。

だって、前回感動するほどの吟詠を全員がなさったのだから。

もう、手取り足取りの練習は、終了かもしれませんねぇ。

今日の、練習は、良い仕上がりでした。

昇段試験のお二人も、特に心配がなく、自習が進んでいるようです。

お一人は、三の音にきっちりと降りることを宿題としました。
きっとそれができたら、低音部分のアクセントが、正しくなるはずです。
アクセントよりも、三の音を先に、矯正しましょう。


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おもと

2020年01月18日 | 

  万年青 (白い線の入る’都の城’という種類) 
                        周沃
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その5

2020年01月17日 | 徒然に日々のことを
別の考えは、私の住まいの近いところへ、教場の引っ越しをする。

そうすれば、「夢青葉」の名前も、私についてくるんだけどなぁ。

たかが名前、されど名前。

最後になって、名前は譲らないと、言いたくなるかもしれないねぇ。

そりゃあそうさ。10年、どれだけの思いをして育んだと思いますか?

芦孝会のシステムからすると、教場の名前って、誰かのものではないんだろうねぇ。

こんなに大事にしてきた「夢青葉」なのに。

簡単に、渡せる?はじめは、渡せると思ったから、ぐいぐいと進めたんだもの。

「わたせるさ!」「いや、わたせない」「いやいや・・・・・」

    これは独り言、独り言・・・

まてよ、私が進めてきたことと、「名前」云々は、違う問題なのだよ。
一緒くたに考えては、間違い。
そのあたりは、「受けたいか受けたくないか」も、よく、気持ちを聞かないとね。


生来のんびり、のらりくらりのツンデレ猫は、精一杯背伸びして頑張ったねぇ!
もしかして、もっとガンバッたら、豹になったかなぁ。

いやいや、それは、有り得ない。

そろそろ、伸びやかにしなやかに、しっぽを振りながら、ゆったりと私らしく歩きたいよ。

もし、つっぱり猫が外れたら、ゆるくて、いい感じになるでしょうね。
きっと応援も増えることでしょう。

それでもあと少し、突っ張り猫が、頑張らねばねぇ。
                    独り言、ひとりごと。。。

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