山村庸子師の著書その1
顎を上げてはいけません。と、指摘されました。
顎を引く動作を極端にしたものですから、胸が痛みました。それで、胸にも筋肉があり、それで支えられているものがあることを知りました。
高い声を出そうとして顎を上げてしまうと、声帯に負担がかかり声も出にくくなるのです。
今日の中央会では、80周年に向けての練習が行われました。
男性の合吟は、せっかく声量のある人が集まっていながら、高音の伸びがなく出るはずの音がなんだかセーブされて到達感、抜け感がないのです。
それで、まだ、山村氏に教わったことの実践が自分の上でもまだまだの状態にもかかわらず、言葉に出してしまうのです。
「下がった頭をあげるのと、顎を上げるのとは違います。顎はさげてください!」と。
女性の合吟は今日の参加は4人しかいませんから、本当の練習にはならないのでした。
この少人数でも、細かいところは少し違っていて、指揮者が居たらもっと、確実な練習ができるねと、言いあったことでした。
練習後の指導者会議では、来年からの昇段試験の実施について、確認作業でした。
そして、また、練習の時の話に戻るのですが、今日のメインは、和歌の練習でした。
山村氏のレクチャーのおかげで、弱い音の出し方について、体の使い方を理解しかけたおかげで、和歌らしいものに近づいてきたのではないかなと、手ごたえを感じました。
2年前、指導者としては和歌も吟じられねばと、アイホンにいれた和歌を聴き、コンダクターで音を取りながら、声出しを懸命にした時期がありました。
その時は、和歌は手ごわすぎて、音階表が手放せなかったのです。
このところ、和歌の練習は沙汰止みになっていたにもかかわらず、今日の練習では、取りにくかったはずの音階がスムーズに取れたのです。
一つには、念の入った練習にあり。
一つには、苦労して練習したことが、今になって熟成されて出てきたことにあると考えます。
以前の練習は、しなければと思ってやった練習でした。そんな思いで練習しても、実りには通じないわけで、それでも、やったことは楽器としての体は覚えていたことになります。
心と体とのつながりの妙を感じました。
そして、体は楽器、奏でてあげたらそれに応えてくれるということも。
やっと和歌の入り口に立って、その一歩を踏み出そうとしているところですが、俵万智の「四万十に」にであって、心情を込めることのできる吟詠が出来そうです。
この「四万十に」の出会いは、ターニングポイントになったかもしれません。
ドラマのセリフ、「君はじぶんをみくびっている」のくだりに心揺さぶられています。
和歌は、別の分野の吟詠であり、その入り口に立った今、初心者なのだからと思い至ったことに、快哉だ。
まだ、漢詩の吟詠寄りの発声ですが、和歌の朗詠に対する拒否感、無力感からのとらわれからは、放たれたと感じました。
あがいても、どうにもしようがなかったことが、いとも簡単に解き放たれて、「気付いて出会う 出会って気づく」と言う山村先生の五行詩は、とても深い意味を持っている。
今日は、私と和歌の朗詠との出会いの日でした。
「四万十」は、マイ和歌にしようっと。
この本は、声を出すことすべての分野に悩みを抱えている人を救ってくれます。
詩吟だけでなく、日本語で仕事をする人にも、お勧めです。
日本語の発声と外国語の発声とは根本的に違っているのだから、ボイストレーニングにも気をつけねば、落とし穴がありそうです。
是非、声に興味のある方は、お読みあれ。
五行詩
出逢って
目覚め
目覚めて
出逢う
人のつながり 「声の道場II] p167
目覚め
目覚めて
出逢う
人のつながり 「声の道場II] p167