風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会中央会11月

2013年11月24日 | 詩吟

山村庸子師の著書その1

顎を上げてはいけません。と、指摘されました。
顎を引く動作を極端にしたものですから、胸が痛みました。それで、胸にも筋肉があり、それで支えられているものがあることを知りました。

高い声を出そうとして顎を上げてしまうと、声帯に負担がかかり声も出にくくなるのです。


今日の中央会では、80周年に向けての練習が行われました。
男性の合吟は、せっかく声量のある人が集まっていながら、高音の伸びがなく出るはずの音がなんだかセーブされて到達感、抜け感がないのです。

それで、まだ、山村氏に教わったことの実践が自分の上でもまだまだの状態にもかかわらず、言葉に出してしまうのです。

「下がった頭をあげるのと、顎を上げるのとは違います。顎はさげてください!」と。

女性の合吟は今日の参加は4人しかいませんから、本当の練習にはならないのでした。
この少人数でも、細かいところは少し違っていて、指揮者が居たらもっと、確実な練習ができるねと、言いあったことでした。

練習後の指導者会議では、来年からの昇段試験の実施について、確認作業でした。

そして、また、練習の時の話に戻るのですが、今日のメインは、和歌の練習でした。
山村氏のレクチャーのおかげで、弱い音の出し方について、体の使い方を理解しかけたおかげで、和歌らしいものに近づいてきたのではないかなと、手ごたえを感じました。

2年前、指導者としては和歌も吟じられねばと、アイホンにいれた和歌を聴き、コンダクターで音を取りながら、声出しを懸命にした時期がありました。
その時は、和歌は手ごわすぎて、音階表が手放せなかったのです。
このところ、和歌の練習は沙汰止みになっていたにもかかわらず、今日の練習では、取りにくかったはずの音階がスムーズに取れたのです。

一つには、念の入った練習にあり。
一つには、苦労して練習したことが、今になって熟成されて出てきたことにあると考えます。

以前の練習は、しなければと思ってやった練習でした。そんな思いで練習しても、実りには通じないわけで、それでも、やったことは楽器としての体は覚えていたことになります。

心と体とのつながりの妙を感じました。
そして、体は楽器、奏でてあげたらそれに応えてくれるということも。

やっと和歌の入り口に立って、その一歩を踏み出そうとしているところですが、俵万智の「四万十に」にであって、心情を込めることのできる吟詠が出来そうです。

この「四万十に」の出会いは、ターニングポイントになったかもしれません。

ドラマのセリフ、「君はじぶんをみくびっている」のくだりに心揺さぶられています。


和歌は、別の分野の吟詠であり、その入り口に立った今、初心者なのだからと思い至ったことに、快哉だ。
まだ、漢詩の吟詠寄りの発声ですが、和歌の朗詠に対する拒否感、無力感からのとらわれからは、放たれたと感じました。

あがいても、どうにもしようがなかったことが、いとも簡単に解き放たれて、「気付いて出会う 出会って気づく」と言う山村先生の五行詩は、とても深い意味を持っている。

今日は、私と和歌の朗詠との出会いの日でした。
「四万十」は、マイ和歌にしようっと。

声の道場その2

この本は、声を出すことすべての分野に悩みを抱えている人を救ってくれます。

詩吟だけでなく、日本語で仕事をする人にも、お勧めです。

日本語の発声と外国語の発声とは根本的に違っているのだから、ボイストレーニングにも気をつけねば、落とし穴がありそうです。

是非、声に興味のある方は、お読みあれ。


五行詩
  出逢って
  目覚め
  目覚めて
  出逢う
   人のつながり 
   「声の道場II] p167

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谷中教室

2013年11月23日 | 詩吟
今日の吟題は、四十七士と宝船。
谷中教室の先生は、時期を得た漢詩のチョイスをなさる。

四十七士は、はじめの4行が朗読と言う詩吟の手法になっている。
久しぶりの朗読なので、しっかり練習をしようと心に決める。
そして、宝船は、詩舞を習って十周年の舞台をにぎわせようと頑張ったのが、「月夜三叉江に舟を泛かぶ」だった、其のまま練習を続けて次の詩が「宝船」だったのだ。

確か転句まで習ってそのあとは、沙汰やみとなっている。

教室をもって忙しくなったためだったかなぁ、続けられない理由は。
あ、そうだった、娘のお産の手伝いがあり、その頃から膝の痛みが大きな苦痛となり始めていたころだったなぁ。

続けた居たらよかったとの後悔はないのだけれど、詩吟には詩舞と剣舞だと思うのだから、何かの形で、再チャレンジも良いかもしれない。

あ、そうだ!無理になった理由が一つあった。それは、夢青葉誕生だった!


さて、今日は、ひどくがっかりしたことがある。
練習は、いつものように行われ、女子は、結果的に私担当で、コンクールについてコメントが長く続いた。
初心者にとっては、今まで習った流派の決まりごとを、破るということに大きな抵抗があったようだった。
私もまことしやかに、減点になることは一つでも避けようなんて言っているのだから、面白いものだ。
自分は、コンクールにでたくない派なのだから。

さて、がっかりしたということは、熱心な女性会員さんから詩吟についてちょっとしたものをさしあげたら、立派なお返しが帰ってきた。

がっかり、あなたの頑張りに乾杯!そして、模範とする吟を数多く何回となく聴いてねという思いは、あなたの詩吟の頑張りで成果を上げることが、わたしの望みなのになぁ。

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足立論語基礎講座

2013年11月21日 | 論語と
基礎講座、今日の論語物語は、「一もって貫く」須藤先生の話を聞いているときは、なるほどそうだと、うなずいているのだけれど、話が終わり、書いたものから目をそらすと、雲散霧消。

まるで、初心者の頃の詩吟の先生の声と教え乞うていたときと同じ状態。

超初心者。

さて、今日は、かねてから提案のあった論語の会の後で、漢詩の鑑賞の後その詩を吟詠指導するという講座が、来年度からとりあえず1年間やってみようということになりました。
先生がチラシを作ってきてくださって、今日の講座の方たちにくばられました。




           ★=記=★

(足立論語の会)・詩吟の会 初めの1歩(仮称)
   講師 須藤明実 すみこ
   日時 2014年4月17日(木) 4時から5時
          毎月第三木曜日(受付3時45分)
   場所 生涯学習センター
   会費 一人一回500円 (施設料・資料代込)


    ★この会場では、同日2時から3時まで、一般「論語」
     (初心者のための講座)開設しています。 
      ご興味がございましたら、お気軽に参加してください。

     問い合わせ○○○ー○○○ー○○○○  須藤明実
                              
                           以上




いろんな人に引き立てられ、須藤先生と言う敬愛するお方と組んで、ささやかな詩吟の講座が開かれようとしています。

須藤先生だけでなく、詩吟の仲間が惜しみない協力と後押しをしてくださったおかげで、詩の解説からはじまる吟詠教室が生まれるのだ。

論語の方たちの中に興味を持つ方がいて、それからどのようにどこまで人が集まることやら。
うれしいやら、たのしいやら。

まっすぐに見つめてきたことが、今、卵の中で、その時期を待っている。
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関吟東京芦孝会芦孝会秋季錬成大会

2013年11月17日 | 詩吟
江戸川区小松川区民ホールにて開催されました。

今会は、ホールでの錬成会でした。ここでは、詩吟の発表だけで、飲み食いはほかの部屋へ移動せねばなりません。
いつもの、椅子と机を並び替えて、懇親会の会場への変身ができませんでした。

純粋に、詩吟の錬成だけの初めての形式でした。

今回は、皆さん詩を覚えて、ずいぶん修練なさったようでした。
今回は、初めてプログラムに段位 資格をきにゅうしました。その効果があったのかもしれません。

3月のかなっくでの経験もあり、ホールで気持ちを新たに、力試しができたように思います。

夢青葉の二人は、合吟の発表も初挑戦です。
せっかく二人がコンビを組んで挑戦ですから、他教室に習わないで指導者の出演は遠慮しました。
二人だから、合わないはずはないと思ったのですが、予想以上に仕上がっていました。

それぞれの独吟は、今の力をよく表していました、ほんの少し課題も見えて、次へとスムーズに繋がりました。

私の独吟は、発声法を習ったばかりの方法で試し、CDの伴奏に合わせる練習もしました。
その分、伴奏を聞くということに力が分散され、マイクにたすけられることも意識して、少し力吟をセーブしたつもりです。

朋友のコメントは、ちょっといつもと違っていたとのこと、もっとく細かく聞きたいのに、言葉を濁されたのには、がっかり。
吟詠直後の指摘は、何にも代えがたい進歩へのヒントがあるというのに。

思った通り、感じた通りを言ってほしかったなぁ。


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山村庸子

2013年11月10日 | 詩吟
山村氏は、声の道場を主宰する日本でも珍しい女性の能楽師です。

知人の紹介で、能楽堂で3人の吟友と教えを請いに行ってきました。

発声について、考え始め、いろいろと試行錯誤をしましたが、実際に手を取り足を取り、息をうかがう学びではないため、なかなか、思うような進展がみられず、手探りで自分なりの方法を見つけてきました。

体は楽器と自分で気が付いたとき、そう気が付いたとき、世の中を見渡してみると体は楽器といたるところでいたる人が言っているのに気が付きました。

そこから、いろんな糸口が見えてきて、そして、山村氏にたどり着いたというわけ。

能の発声と吟の発声とは、同じではないけれど、日本語で声を極めた基本の形は、詩吟と共通するものがありました。



日本語は,口の中で発する語り方で、無理に大きな口をあけてはいけないとおっしゃいます。

2冊の著書は、女性らしく淡々とそしてわかりやすい言葉でいてあり、どうかするとわかったつもりになって読み進みすぎるような文章です。

きっと、頭にはとどまらなくても、心に届いているはずと思いながら、母が子に対するように、もったいぶらずに、ありったけを出し惜しみせずに書き綴って有りました。


その著書の書き方の通りに、1時間と言う短い時間で、3人それぞれのテーマを明解に解きほぐしてくださいました。
本当に、出し惜しみせずさっぱりと丁寧に、心に届く指導法でした。

私の持っていったテーマは、弱い声をどう出すか。
能で言う強吟と弱吟とは、私の想像を超えたもので、詩吟の強い声は、能では弱吟に属し、音階ではなく息の通し方にあること、その説明の通りにすると、なるほど、弱くても、小さくても通る声が出そうです。

今日聞いたから今日すぐできるようになるものではなく、この感覚を忘れないで、日々練習。
物事の王道はないということでした。

まず大切なのは、姿勢。
体の力を抜き、腰にいつも注意が届いていること。
これは、私もたどり着いていたことで、やっとたどり着いたところに、背骨からと言う説明で声を出すという、もちろんその前に下腹の支えのさらに重要なことを解いてくださった。

それこそ惜しげもなく。

感動で、危うく落涙するところでした。

息を吐ききることを男声には特に言ってきましたが、その本当のところがわかっていなかったために、相手には届いてなかったことがよくわかり、生半可な到達点であったこと、それが今日の山村氏の言葉で到達点に至ったかなぁと思うのです。

その到達点から、スタートしてさらに身に着ける作業がこれから始まります。

そして、大事なことは、声を自在に出して、体を作ること。
それができていれば、その言葉の解釈が自分なりにできていれば、おのずと詩情は出てくるともおっしゃいました。

能や謡では、声の基礎は三年はかかるとおっしゃっていました。
昨今、女性のお稽古に来る方が多いけれど、音階派と呼吸派とにわかれると。
音階派(私が勝手にそう読んでみました。)は、音取りが出来たらそれで完成。それ以上のことは、望まない。
呼吸派(同上)は、先生のまねびをし、厳しい要求に耐える人たち。

まさに体育会系であるとおっしゃった。


いろんな、同じ考え方が著書にも今日の言葉の中にもたくさん出てきて、同じ方向を向いていたことを知り、そして、幼稚園生の私にも侮らず丁寧に上級のまねびに導いてくださった。

本当にありがとうございました。

紹介くださった方、一緒に行ってくださった方、ほんとうにありがとうございます。

嬉しくて、しかたがない。

さぁ、練習だ。さて・・・今までと違った環境となっている私に、どう取り組めるのか、これも宿題。
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五似ん会

2013年11月03日 | 詩吟
年に一回の五似ん会。
還暦以来五年ぶりに、S先生を交えて、倉敷で食事会となった。

本来なら、私たちが揃って整列する中を先生にお進み頂いて、敬礼なんて言うのが、現役の時の気分そのままの私達だから、当たり前なのだけれど、、、

歳を重ねて、先生がとても用心深く慎重になられたようで、私達よりも先に席に座って待っていらっしゃった。

今でも現役でお仕事に励んでいらっしゃるのだから、暇であるはずはないのだけれど、まるーく穏やかになられた先生には驚いた。


それ以外は、あっという間に40年の月日が逆戻りをして、あのころの先生と部員との間柄になる。

醸し出される空気とおいしい食事とご酒で、盛り上がり、「あのころは・・・」の昔語りではなく、今の、そしてこれからの話題続出するのは、いかにもS先生と私たちの間柄なんだねぇ。










今でも、続いているということなんだなぁ。

学生の頃は、5人の五番目を進んでいた私は、ついぞ先生に褒めてもらったことがなかったのだけれど、先日の合宿の件をお話したら、「それはいい」と二度もおっしゃってくださった。

「はじめてだなぁ!」と一人感激する。

それぞれ、個性的な五人だから、似てないの岡山弁の『似ん』を会の名前になっている。

今でも、ちっとも変わらず、歳を重ねてちょっとばかし角が取れてきたけど、相変わらず前を向いている面々なのだ。

18才から20才の2年間を共に吟詩部員として活動しただけなのだが、60才を過ぎてからは年に一度は、一泊で会うことが始まっているのは、その活動がはちゃめちゃであったのに、いかに濃密にしっかりとした基盤の上にあったかが改めてわかる。

一つだけ違ったのは、一次会だけで、先生は代行運転を予約して帰っていってしまったこと。あんなに楽しい会であったなら、二次会どころか延々と続いて午前様になっていたのに
私たちも、早々に宿に引き上げて、お風呂の後のアルコールの無い語らいをして、今日の内に床に就いたのでした。

お蔭で、翌日はすっきり目覚め、あいにくの雨も上がり秋晴れの空のもと、大原美術館周りの美観地区の散策をしたのでした。

小学生のころは、一番すたれていたころで、川は汚れ高瀬舟のかげもなかったのに、今は、川に降りる医師団も整備され、観光用の船が行き交い、柳のていれがよくて、細い葉を風になびかせているのです。

蔵の壁もきれいに手入れされ、一時は、下世話な観光地化しそうだった美観地区が、きちんと管理されて、整えられてきているのに、少し安心。

ここにも『朋』あり。
将来の安泰をこころから願って辛口の助言も一生懸命言ってくれる。
そうこうしながら、すっかり安心しきって過ごした一日半は、あっという間に過ぎた。

ジパング倶楽部のおかげで、3割引きの運賃で往復できるのが、ありがたい。




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