風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

芦紅先生挿絵

2019年05月31日 | 詩吟
挨拶状につける挿絵この一年間  
         平成30年7月号~令和元年6月号
   
  ☆ 芦紅先生から譲り受けたスケッチブックから ☆


        いつもありがとうございます




             おかげさま

たいせつに使わせて頂いています。明日は、この挿絵の載った挨拶状をセットして、KANGIN TOKYO NEWS6月号を投函します。
             復帰を心より願っています。
コメント

芍薬

2019年05月31日 | 徒然に日々のことを


昨日、届いた12本の芍薬。
蕾ばかりだったのに、一日でここまで開きました。
気温がたかいせいか、思ったより、花が開いたので、少し混雑してますね。


例年、配送されるため、固い蕾ばかりで届くので、花を咲き切らせられないこともありました。
花屋さんで手ごろに買ってくる花は、あっという間に咲いて、あっという間に終わりを告げますが。

咲かせ方のガイドを見ながら、年ごとに、学習しています。
その四苦八苦振りを見て、娘は、年々本数を増やしてくる。
「お母さんだいすきだよ」と、日頃は口にしない言葉も、芍薬を間におくと、真っすぐに届いて来る。

固い蕾がほころびやすくするためには、水をスプレーしたり、しますが、今年は、どうやら気温が高いので、花がどんどん開いて行くようです。

毎日の変化をお互いに気にかけながら、メッセージを送り合い、会話が続くのが、嬉しい。
きれいに咲いてくれるのを見守ることは、年に一度の母と嫁いだ娘のお楽しみとなっています。

今年は、箱を開けた時、堅い蕾が、多かったので、不安がよぎる。
一夜明けて、花は、思いっきり水を吸い上げて、咲く気満々。



先日、形見となった備前焼の花瓶を、ご主人自ら我が家に届けてくださいました。
その花瓶に、芍薬を活けて、母娘のこと、友人のことを考える。。。。。


使いにくいと思っていた独身時代の花ばさみは、気持ちよくすぱっと切れます。
はさみは使いようと言い続けていた母の言葉がよみがえる。
本当に必要と思ったら、何とか使えるようになるものだ。

だんだんと手に慣れてくると、愛着も湧くものですねぇ。
数か月しか使ってあげられなかったはさみは、50年を経て、やっと、手になじんできました。
母は、それを見て、笑っていることでしょう。 
これも母と娘。




コメント

小西如泉先生のこと

2019年05月29日 | 詩吟
11年前、10周年の実行委員会が、中央会の後、着々と計画が進んでいるころ、遅れて入った実行委員会で、書道とお花とがあって、もう一つ、「舞」があったら、舞台が映えますね。と、発言したことから、舞をプログラムに入れることになりました。

その当時、「舞」のできる人は居なくて、言いだしっぺの私が、習いに行くことになった。

何の素養もない私が?と思いながら、実行委員はそれぞれ役割があり、遅れて入った私には、何も役割がないことから、ただそれだけで、決まった役割でした。

周りの人たちに心当たりの師匠はなく、どうしようと、途方に暮れかけたら、目の前を着物で、駆け出していく人がいて、声をかける。

そこから、近所の新舞踊の教室へと道筋がつきました。
先生は、詩舞の経験のある師匠のところへ、吟詠のテープを持参して、習ってきたのを、先生の自宅の教室で、教えてくださいました。

あらかた、振付が頭に入ったころ、T先生から、広い会場で、踊りの練習ができるよと、お誘いを受け、剣詩舞を習うの方たちとご指導にあたっている小西如泉先生へと、導かれました。

それからの1年足らずの間に、「月夜三叉江に舟をうかぶ」を死に物狂いで、伝授されました。

無事、10周年で、瑞江教室の方たちの伴吟で、三叉江を舞い、好評を得ました。

それから、続いていくご縁で、小西如泉先生は、15周年にお弟子さんを差し向けてくださり、9月の20周年には、みずからも「富士山」を舞ってくださることとなりました。


芦孝会とのご縁は、それだけですが、私が、ご指導いただく前から、T先生との剣詩舞と伴吟との関わりは、長く続いていました。

そんな長い時間をかけて、育て上げた縁は、やがて、芦孝会の一教場へとつながり、そこから、吟と舞とがつながり、練成会の舞台を盛り上げました。

小西如泉先生が、踊りも習ったこともなく、基礎もない私に、いきなり、絶句の舞を教えねばならなくなって、大変なご苦労をかけました。

当然私は、死に物狂いで取り組みましたが、後になって、先生も死に物狂いだったそうです。

そんな先生のご苦労も知らず、恩返しもしないまま、10周年後に生まれた教場で、教えることを始めた私は、膝の痛みもあって、舞のお稽古を中止いたしました。

舞を続けて、先生のご期待に沿うことが、唯一の先生への、ご恩返しなのに。

それから、数年の中断の後、今度は、剣詩舞教室の伴吟メンバーとして、お声がかかり、わずかばかりの協力をさせていただいて、今日に至っております。

最近では、5月18日に新座市のふるさと会館での伴吟をさせて頂きました。
もっと、まともな吟詠がしたいと、そのたびに思います。

そんな時に、小西如泉先生の伴吟で、20周年の舞台を飾れるお話を頂き、この上もなくやりがいと喜びに震える思いです。

こんなチャンスを与えてくださった、演出担当の方たちに、心からお礼を申し上げたい。

今度こそ、会心の吟詠をしたい。そのためには、わき目も振らず切磋琢磨です。

どうか、この富士山に集中させてください。

だから、ほかのことに心を迷わせてはいけなかったのです。

この、10年にわたって、狽「盤石な結びつきを作ってきた先生お二人のことを、そばで、見てきて、無理なく積み上げることがいかに大変か、時間をかけて、積み上げてくることが如何に強いものなのか、やっと、知りました。



本番に至るまで、練習を繰り返し、相手の気持ちを知り、私も理解していただいた上での伴吟がどれだけ、意義があり、幸せなことか。

通り一遍の、「テープを送って、はい、本番」とは違う強さが、あります。

お互いに支え、支えられて、より高い完成度をめざしたい。
コメント

準備不足

2019年05月28日 | 徒然に日々のことを
準備不足は、自分自身のせいであって、何かに対して、腹を立てて、もし、たらを言い募っても、せんないこと。

あれだけ波立っていたのに、魔法の呪文でも浴びせられた如くに、気持ちが落ち着いて、先のことを考えられるようになりました。

一人で、考えることは、無理があり、近視眼的になることを、身に染みました。
いろんな角度から検討し、いろんな人がかかわってこそ、人様にご披露できるものになること。
わかっているつもりでも、ちょっと角度が変わると、まったく異なるものとなります。


やはり、素晴らしいと思えることは、人と分けあって、裏付けを取り、周到に準備すべきで、決して近道を行こうと思ってはいけない。

学生の時のアプローチは、大人には通用しない。
若くてしなやかな学生の時は、一旦型にはめ込んで、型を外すというやり方が、手っ取り早いものなのだった。
大人になると、一人一人が、納得して、そのかたちにし挙げていくもので、それには、周到な計画と時間をかける必要がある。

まだ、学生の気分が抜けてないのか、初めに習い覚えた方法から、脱皮してないのだねぇ。


今回は、独り相撲だったなぁ...

実行以前に、薄っぺらさを露呈してしまった。

そして、大人になると、それぞれがお互いに優しくなるものだから、反対をしないからと言って、賛成ではないというスタンスを忘れていた。

昨日は、ビジターで訪れた教場の練習後に、会話として穏やかに話すことによって、こんなに柔らかな気持ちになれるものかと、同朋の有りがたさを思う。
            
心が平らになり、無謀を無謀という言葉を使わないで、時間をかけようよのことばに、なんだか凝り固まっていたものが、溶けていく感じがあって、こころの平和が、訪れた。

            おかげ様


コメント

声の定期便

2019年05月27日 | 徒然に日々のことを
月曜日の声の定期便

娘には、今、特にいっぱい元気パワーをあげたいと思う。

何気ない言葉から、ふと、気持ちを吸い上げるから、飾らず、思いをまっすぐに出すのが、一番のこと。

娘とのこのやり取りが、何よりの私のパワー。

電話を切るときのことばのない「ま」に、すべての思いが詰まっているように思う。

今日は、娘をいつになく元気づけたいことがあって、ちょっと力んだかもしれない。

その力みがどこから来たのか自分では気づいてなかったけれど、逆に娘から、「やっちゃったねぇ!あるある」と、笑い飛ばされた。

本当は、私が、娘に言ってあげたかったことなのに、言われてしまった。



似たもの母娘だから、同じ経験をして、同じ思いを抱えて、瞬時にわかるらしい。

なんだ、励ましているはずの私が、娘から励まされている。

コメント

せっかくのチャンスを 2

2019年05月26日 | 詩吟
そう、この七人には、はじめから、私は入っていません。
冷静に、合吟を聞いて、良いものに仕上げるには、コーチで居たいと思いました。
吟道大学で、学んできたことを、伝えたい気持ちもありました。
それは、不遜だったのでしょう。

吟にかかわる様々な運営は、出演者が裏方も兼ねて運営されます。
コンクールも、予選などは、出場者が様々な役をこなします。
そのストレスを、経て、力強く、大きくなるんですねぇ。

裏方は、出場しない人がやればよいのにと思う私は、甘ちゃんですか。

それが、出来なければ、出るに能わずとはいわないまでも、暗黙の了解なのか、当たり前のことなのか。

20周年では、私は、伴吟として、「富士山」の独吟の出番があります。
それで舞台に上がるのが、精一杯十分です。

もうそれ以上は、ゆとりがない。
ただ、私は、吟詠のプロデュースやコーチは、チームにいたのでは、十分にできないと考えました。

プロデュースにかかわるなら、出演者たり得ない。

それは、間違っていますか。

とは言え、コーチとしても、プロデュースとしても、誰にも認められていない私が、意見を言うのは、誰しもが、反旗をあげたことを予想するのだねぇ。

何を当たり前のことをと、いわれるね。

「花月吟」の出演者であるとリストアップされたことで、最初から、下ろしてほしいとお願いしているくらいだから、それは、「物申さず」であるべきなんだろう。

共に、吟詠をして、そして、意見を言い合うのが美しいのだね。「仲間」ということか。

もし、どうしても八人目が必要なら、出るべき人がいると思う。
吟力は、落ちるが、積極的に取り組む姿勢が清々しい人だから。是非、そうしてほしい。
あ、これも、言う資格なしか。

反旗を魔キなど、有り得なく、どうしたら女子チームが活かせるかに、一生懸命なだけ。
それが平和なところでは、凶器たりえるということか。

もうそろそろ、冷静に周到にことを図るという技を身につけなさいということの学びでありました。

周りの方たちは、そのようなことができる方たちばかりなのに、学んでないなぁ。

あわてるようじゃぁ、物を言う資格なし。

顔を洗って出直しておいで。

こんな時、父の写真を見る。
明治生まれの頑固じじぃだったけれど、私が生まれたのは、50歳。
溺愛され、父の膝の中で育ったようなものだったらしい。
陽だまりの縁側 ここは、倉敷だ。父60才くらい。



コメント

せっかくのチャンスを

2019年05月26日 | 詩吟
あぁ、なんて馬鹿なことを!
ここ数か月温めてきた、女性連合吟のプレゼンのチャンスだったのに。
何で、あの時、自分のことを先に言ってしまって、場の雰囲気を悪くして、その上、出演の女性たちにも、つまらないことをして恥をかかせてしまった。


欠席の三人に代わって、立って頂く人員もいたので、まず、七人の勢揃いをすればよかった。

声の調子の悪い方も居たので、八本が無理なら、素読だけでもよかったのに。

それをしないで、六本に落としての合吟をやってしまったから。

構成吟をしめくくるトリの吟詠だから、女性の華やかさとチームワークの良さをあらわしながら、後半に向かって盛り上がる演出は、吟詠をしなくても、イメージだけでも膨らませて戴けたのに。

なんてお粗末。なんて、無礼な。思いだしても、自分自身に腹が立つ。

その上、意図したこととは、逆の受け取り方をされてしまって。

どうしてこうなんだ!


先月の、別の場所での出来事は、私が逆の立場だったけれど、そこで、腹を立てるだけに終わらないで、学ぶことをしていたら、今日のようなことは、起こらなかった。

少なくとも、2か月前にこのような形でやりませんかと、投げかけた時に好意的に受け取ってくださったN先生に対して、本当に申し訳ないことでした。

それでも、まだ気が付かなくて、何もできなかった自分を恥じるどころか、腹を立てて、幹事長に物申したりして。

この吟詠は東京芦孝会の20周年の構成吟の最後を飾るもので、会長の書道と女性八人の生け花とで構成される趣向吟です。

たとえ会長の書道があっても、詩吟の会なのだから、吟詠が主役です。
その吟詠「花月吟」は、将来への発展をイメージできるものにしなくてはいけません。
そして、女性のあでやかさの中に、芯の強さを、魅せねばなりません。

顔ぶれは、今や、芦孝会を背負って立つ方たちばかり。コンクールに積極的に参加するだけではなく、好成績を収めて、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの方たちばかり。

その力をいかんなく発揮して、将来へ羽ばたいて行くイメージをさらに膨らませるような構成にして、しなやかな強さを持つ吟詠でありたいと思いました。

一節ずつの連吟は、大人になったらまずやらない手法ですが、敢えて、勢いとチームワークを養うために、試みました。

出だしは、I先生。
和歌には定評があり、しなやかな吟詠をなさいます。
芦孝会の顔となるべき人材です。
いつもは、低い方ですが、出だしのこの部分でしたら、大丈夫でしょう。
私は、声が低いからと辞退されるかもしれませんが、それはあり得ません。
出ないで良いことはありませんから。

次の二節目は、ナレーターに変更になった方のあとを勤める方が入りましたが、八本の方です。
願ったり叶ったり。
声の質や、音量を考えながら、それぞれの聯の初めは特徴を出すようにとしました。

顎聯の一節目は、芦孝会花形のN先生。あでやかにやっていただきましょう。
続く二節は、9本のお姉さま、低音部分が、この処良く出るようになってきたので、きっと、嫌がることでしょうが、華やかに決めてもらいましょう。
三節目は、若手のホープ。
頸聯の一節目は、二人目の若手のホープ。この二人の順番には、頭を悩ませました。
N先生の助言を入れて、Oさんに。
そして、この二人が頸聯の二節目の合吟へと続きます。三節目は、首聯の二節、三節を吟じた二人の合吟。

さてこれで、クライマックスへの助走がおわり、尾聯の一節目は、四人で、二節目はそれに二人が加わり、吟詠の最終節には、出だしのI先生が、加わって、引き締めてくださることでしょう。


せっかくの構成を、その思いも、その予定の姿も、まったく伝えられなくて、不快感だけを残してしまった中央会の練習でした。

だれに頼まれたわけではなく、始めたことですから、自分の抱いているイメージを伝えようと思ったら、「数か月前から、温めてきたことですから、お聞きいただけますか?」から始まって、少々時間をかけても、聞く耳を持って頂いてから始めるべきでした。

そして、新しくメンバーになってくださった方には、まず、ウエルカムをせねば。
とてもうれしかったのに。全然伝わってない。

必要な手順を踏まず、いきなりでは、殴り込みをかけたのと同じで、たたき落とされるよねぇ。

こんな状況で、「あなたの考えることだからさぞすばらしいでしょう」と迎えてくれるとでも思ったのだろうか。

それにしても、あの場面で、頭が真っ白になっていては、七人を率いる資格はない。

大事に育てた、この思いは、生まれずして、死んでしまうのだろうか。

一つとして、良いものが、伝えられなかったのだから、生きかえることもないだろう。

奇しくも、同じ吟題で、連合吟コンクールに出場するメンバー三人が、この構成吟のメンバーでもあります。

それが決まった2か月以上前に、インスピレーションを得ました。
この三人が、とても熱心にコンクール出場に向かって練習を始めたので、これは、骨組みになってくれると、思いました。

この、しっかり練習したという人が三人もいれば、なかなか、練習に顔を出せない人が居ても、巻き込んで、くれるだろう。
コンクールのチームリーダーが、コンクール後には、構成吟のチームリーダーとなって、けん引してくれるだろう。

そう期待していたのだけれどなぁ。。。

プレゼン失敗は、大きな可能性をつぶしてしまった。

馬鹿だなぁ。。。。。

中身を見ていただかないままに、トラッシュ缶行きなんて、最悪。

それ以上に悪いのは、気分を害する人がたくさんいたということだ。
修復できるだろうか。

あぁ、情けない。



コメント

脱力って?

2019年05月24日 | 体を整える
今日の山田先生の見立ては、かなり喉が詰まっているとのこと。

先週の、出吟前に行った体操は、勘違いで、間違っていました。
「もし、まちがえなかったら」と思っても、あとの祭。

今日の、体操は、膝の後ろ伸ばしと、肩甲骨の中の塊をほぐすこと。

先生がそばにいると、「そう、そう」と褒めて頂ける体操ができるのですが、先生のサメ[トから離れると、気持ちもャCントも離れてしまいます。

なるべく、体の中の塊を見つけた時の、感覚を記憶し、先生のサメ[トなしでも、ャCントを外さないで、体操ができるように、頭をフル回転。

そして、いつの間にか、お腹にたまった憂さを、吐き出して、すっきり。

「脱力」すると言うのは、「脱力」を作る(?)ということなのかなぁ。

「作る」は、違うなぁ。力を入れるのは、簡単だけど、「脱力」は、一筋縄ではいかない。

考えるほどに、力が入って来て、遠く遠く離れてしまう。


「本来のからだにリセットする人体力学」新刊紹介

「各部位を正しい場所に戻すだけで、
フワフワで疲れないからだに」
3日で本来の体に戻す人体力学体操。
体型が変わっていく(全体が下がる、
曲がる)のは、日常の体の使い方が
原因。
6つの体型別人体力学体操で、3日で
本来の体に戻す。


予約した本が届くのを今や遅しと待っているところ。


コメント

2019年05月23日 | 徒然に日々のことを
教場の名前に冠した「夢」
はがき一葉にも、「夢」の字を書きました。
ネット検索で、お手本を手に入れて、筆ペンで、新聞に何度も何度も締め切り間際まで、おさらいをしました。
なのに、結局提出用の白い紙に書くと、どれも気に入りません。


新聞に練習したなかで、一番良く書けたこの字くらいに、書ければ、よかったのになぁ。。。



今日の、「なつぞら」に出てきた言葉は、
  悲しみから生まれた希望は、人を強くします。
  喜びから生まれた夢は、人を優しくします。



纔かばかりの技術と知識を、教場で、ご披露して、そのままに受け取ってもらえるうれしさと、共に、良かったねぇと喜びあうことのできる夢組は、まさに、その言葉の通り。


喜びあえない苦しさに、あがいているときは、優しくなんてならない。
それどころか、人を糾弾し、その刃が取って返して、自分の心に突き刺さる。

どうしても相入れないことが起こった。

今までは、起こったことや、起こした人に腹を立てているだけだったのだが、助言を得て、上手にいなして、激突しないことだ。

まじめに、素手で受け止めるから、怪我をするんだから。

いい加減、学習して、受け身を覚えなさい。いなしなさいと、夫に散々言われてしまった。


何度目かに「受け身」という言葉が、やっと私に響いてきた。
腹立ちは、抑えられたが、今回は、避けることができなかった自分を責めて、落ち込む。


次に起こったら、さて、今、肝に命じたことを思いだして、身をかわすことができるだろうか。

もう、直撃はごめんだ。痛いのは、嫌だ。

最初に直感したことを、甘く見たことへの、しっぺ返しだったんだねぇ。


自分で捲いた種だったのか。


コメント

娘とお茶

2019年05月19日 | 徒然に日々のことを
原宿のとあるお店で、コンサートの後で立ち寄った珈琲店。

最近珍しく、喫茶に入りました。


ひと時、楽しく語らって、名残惜しみながら、帰りました。




コメント