風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

喝の入った日

2017年02月26日 | 詩吟
今日は、中央会 ゆとりのある練習だったので、野田 芦孝先生から、女性会員さんの吟詠へのコメントを求められました。

我が夢組ではとても出来ない練習風景が繰り広げられ、白熱いたしました。
ちょっと頑張りすぎたかなと思いましたが、滑り出した列車は、止まりません。
都大会出場が決まったばかりのご本人には、これくらいは言ってあげねばとの思いは正しく伝わったかしら?
何度か試した音が、理想の形に近づきました。うれしくて、胸がすっとします。



まず、三段上げについて、私の理想とするのは、以前、コメントをしましたねぇ。

六山の、六の音程が、オーバーランになっていること。上目の晴れやかな音ではなくそれよりも上目の六の音程が出る箇所があったこと。
七山の七の音が美しいだけに、残念なので、申し上げました。

そして、「エ」の音が扁平で寸詰まりであること。このことに、一番時間をかけました。

音楽に堪能で、音感がよく、もしかしたら、ボイトレを受けたかもしれない方なので、遠慮せずはっきりとした表現で、最短時間で実現するような言い方になりました。
その内容に、気を悪くするのではないかと思いましたが、思った以上に、食いついてきてくれたおかげで、いい音が取れてきました。

忙しい方だし、中央会の練習形式とも相まって、次にこんなチャンスはないはずだから、中途半端で終わらせない。
満足の結果が出ないと、ゼロどころかマイナスの結果になってしまう。
だから、とても前のめりになりました。


こんな練習は、彼女だから、出来たのよねぇ。強い人だ。
彼女のことだから、おさらいをして、もっとバージョンアップして、次回はいつになるかわかりませんが、耳を楽しませてくれることでしょう。

もう教室指導者になった彼女に、これからは、あまりものは言えないよねぇ。
これで、最後かな?


おかげで、私には、喝が入りました。


詩吟には、いつも、助けられます。

中央会後の、いつもの懇親会では、彼女からのさらに重ねての質問と会話のやりとりから、「横隔膜を下げる」というキーワードで更に理解が深まったのは、大収穫でした。

二分ないし四分間横隔膜を下げて、お腹の壁を同じ位置に維持するのは、コツを掴めば伸びやかに声がでるし、出だしの音が必要以上に強い音になることがありません。


言葉のジョイント部分について、つまり、フェイドアウトし始めてから、音が消えて、そして次の言葉の発声までの、「間」の部分にどこまで、気をコントロールできるかを、もう少し言いたかったけれど、飲み会の喧騒の中では、伝わりにくかったのです。

次の機会に、お話できるといいなぁ。

次は、どんな吟詠を聞かせてもらえるのだろう。


ウーロン茶と副流煙ならぬ副流アルコール(私の命名)で気が大きくなり、声も大きくなって、大いに気焔を吐いて、さらに、さらに発散したことでした。

これで、私の服喪期は終わったようです。





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喪中おわり

2017年02月26日 | 徒然に日々のことを
1月17日からの、服喪と称する落ち込み期間は、詩吟によって入れられた喝により、あけました。

今までの空白部分の出来事は、フレッシュな感動から時間が経ちすぎて、ここに書くのは、もういいかな?記憶を呼び戻して、メモでもしておきましょうか。

1月27日(金) 夢青葉
2月 1日(水) 非公式他流お友達詩吟の会
2月 2日(木)足立論語
2月4日(土)~5日(日) 吟道大学受講 大きなお土産を頂きました
2月 8日(水) 夢松風
2月 9日(木) 夢青葉
2月16日(木) 菜根譚とはじめの一歩
2月21日(火) 八重洲画廊  野田芦孝書鑑賞
2月22日(水) 夢松風
2月24日(金) 夢青葉
2月25日(土) 東大島文化センター成果発表会見学
2月26日(日) 中央会



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和ぁ。久しぶり

2017年02月02日 | こたろう

昨日は友人と会食。

場所はおととしまで勤めていた職場の隣のビルのレストランでした。
毎日通った道筋をたどっていると、私って働いていたのよねぇと思い出した。
結構充実した毎日だったなぁ。
地下道を10分ほど歩くと、地上への出口に到着します。

レストランは28階で夜景がきれいでした。
2年余り通ったところなのに、そういえば忙しすぎて、プライベートではレストランに行く事も無くて、こんな素敵なところがあるとは知らなかった。

予約の労をとってくれた彼女は、こんなお店の情報を数多く持っていて、何か集まりがあるというと情報をもらうのでした。

6人のフルメンバーで集まれるはずが、一人がインフルエンザの疑いがあるとの事で、5人になりました。

問われるままに、モンゴルのことウランバートルでの生活をかたり、彼女たちの近況を聞き、旧交を温めたのでした。
おばあちゃんになったり、息子さんが独立したり、10年前に始まったころは今のこの様子を、思いもしなかった。
目の前の事をこなしていくのが精一杯で、過ぎ去った事を思い直すゆとりもその気も無かった。

私のように、専業主婦をしているのは、私だけで、皆さん忙しく働いていて生活に動きと流れがあるのでした。
私にも、目に見えなくても流れがあるとは思うのですが、淀んではいないよね。

おいしい料理と、楽しい会話で、ひと時を楽しみました。
娘の職場が近いので、残業を終えた娘がレストランに駆けつけてくれました。
友人と食事を終えた後、娘と一緒に帰宅する。いいね。

その前日の31日の夜は、近所のおうちに用事のある娘に誘われて、一緒にお邪魔しました。
そのお宅での、お茶を飲みながらのおしゃべりもたのしかったのですが、往復のそぞろ歩きも、かけがえの無いもののように思います。

こんな、何気ない優しい時間は、いつまでできるのかなぁ。
娘は結婚しても母の元に帰ってくるとは聞くものの、やはり家庭を持ったら様子が異なってくる事でしょう。
とはいえ、まだ、具体的に結婚がきまっているわけではないのだから、そのように思うのはまだちと早いね。
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