風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢松風

2017年11月29日 | 詩吟
松風会員さんは、昇段が終わり、次は昇格試験の受験資格が整いますが、当分、ゆるりと練習をいたしましょうと言っています。

新しく手に入れた新A-2のテキストを、全部習い終えてから、次のテーマを決めていきます。

今日も、前回の練習で満足できなかった「芳野に遊ぶ」を、また、次回の三回目の練習をしたいとのご希望です。

この、ゆるりと進める練習は、夢組特有のものです。

こういう教場があってもいいよね。

その方針で進めていると、新人さんで、ゲストの方がとても楽に練習に参加できるので、喜ばれています。

基本をしっかりと、音階譜名表のガイドの手助けがほぼ必要なくなるまでは、あまり余計なことを考えずに、体に覚え込ませましょう。





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審査員

2017年11月28日 | 詩吟
音階譜名にこだわることと、審査員のさいてんにこだわることと、どうちがっているの?
という場面に遭遇。


関吟の会派に所属している人は、関吟の音階譜名を正しく吟ずることが、当たり前のこと。
お茶にしてもお花にしても、その流派の型というものがあり、その流れや、型から外れたものは、流派の者であるとは言わない。


その「型」をきちんと身につけたかどうかを審査するのが、昇段試験であり、「型」を踏襲し伝える能力があるかを問うものであると思います。
自ずと、コンクールとは違う審査基準で審査されます。


流派としての最低限の守るべきことを、守れずして「関吟」を名乗ることは、いかがなものでしょう。


「型」を納めて初めて、その先へと発展していけるのですから、こだわるなといってもこだわるのです。


コンクールで、求められることは、それぞれのコンクールをどこが主宰するかで、見解が違います。
それを勝ち残って、上り詰めたい人には、そのコンクールの求めるものをしっかりと見据えて、作戦を練ることから始まります。


昇段試験は、作戦はありません。
ただ愚直に、会派の約束事を忠実になぞることです。
しかし、素直に、のびやかに、競わず、そして、礼儀正しくあることです。


約束事に縛られているのは、どちらも同じというかもしれないけれど、全然違う次元の話なのです。

こうして並べて、語ることではない。
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開眼したかな?

2017年11月26日 | 詩吟
いろいろと迷い、調べ、確かめしながら、自分の吟詠を模索していた人が、ここに一人いました。

模索中だったけれど、進む方向を見つけられたように思える私には、その悩みは、とてもよくわかります。明るい方だから、そのようには見えないのですが、今日の中央会に久しぶりに参加して、偶々私の隣の席に座ったことで、彼女のいろんなことがわかってきました。

いろいろと悩んできたから、語りたいことや質問がいっぱいあったから、短い時間で、今の様子が手に取るようにわかりました。

そのおかげで、とても良いチャンスがありました。

辛口のコメントをもらったからこそ、その打開のための試みが、功を奏して、求めていた発声を手にしました。

それまでに、あれこれ試していたことが、なかなか、彼女の求めていたこととつながらなかったのが、今日、私の目の前で、繋がりました。

よかったねぇ。「開眼」したかな?

彼女のぴかっと光った表情で、今まで低迷していたところから、脱出したのだろうと思いました。

一言が、効いたのだけれど、それが、その一言で効いたのは、それまで、できる限りの努力をして、悩んだから、たった一言が理解できて、体を反応させることができたのです。

手がらは、辛口のコメントをしてくださった方のおかげでもありますが、何より、手にしたいものイメージをはっきりと持っていた彼女自身です。

良かった、良かった。


そして、ニュースのその2、夢青葉に練習に来たいとおっしゃる方が中央会に参加なさって、ご挨拶を頂きました。

西のほうで、すでに関吟の詩吟を始めていた経験者が、夢青葉教場の近くにお住いになったことで、こちらでも続けて詩吟を練習したいと希望されています。

12月8日に、夢青葉初参加予定です。
最近ゲストで居らっしゃっている方とも、隣の席だったので、ご挨拶ができました。

              ようこそ!

      楽しんで、練習いたしましょう。
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肋骨が下がっている

2017年11月25日 | 体を整える
此の処の冷えのせいなのか、膝への鈍い痛みが、刺すような痛みに変わってきたので、そればかりを気にしていましたが、今日の施術により、肋骨が下がっているとの指摘を受けました。

そう言われて体に注目すると、確かに、先週から、脇に違和感を覚えていたのを思いだしました。
そして、右肩が上がり、左肩が下がって前に巻いているのが、わかります。

先生に指摘していただくと、はっきりとその不調がわかるのですが、特に因果関係のわかるものでなければ、なんだかおかしいと、意識下で感じているだけに終わってしまっています。

その違和感を、きちんと受け取って、その対処を自然のうちに行えるようになるのが、「整体」です。

今のところ、指摘されれば、認識できるところまで来ているのですが、指摘されてもその違和感を認識できない体もあるそうです。

操法を受け続けているおかげで、少しずつ体の不調を認識できるようになりました。
この先は、不調をだよと言う信号を受け止めて、それを、自然に改善するように慣れるまで、頑張りましょう。

その自然のうちに治すというのは、寝相の悪い子供が顕著に表しているそうです。

子供が、エネルギッシュなのは、この寝相の悪さで、解消しているのだそうです。
大人でも、寝ている間に体を動かせるのは、解消できているんだそうです。
寝相が悪いのは、決していけないことではないのですねぇ。

眠りに落ちた時のままで、目覚めるのは、とてもお行儀のよいことと受け止めていましたが、体の不調を治すのには、良いことではなかったのです。

布団が落ちても、恥ずかしくないのだ...


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夢青葉

2017年11月23日 | 詩吟
ゲストさんお二人。
夢青葉メンバー一人。

ただ、練習が始まる前に、お忙しくて休暇中のメンバーも訪ねてきてくださいました。私がお願いしたものをとどけてくださるのと、会からお渡しせねばならないものの伝授のため、ご足労願いました。

久しぶりの彼女は、とてもお元気そうで、美しくなっていて、ほっとしました。

お休みに入ったころの様子は、とてもお疲れのようで下から、今日は、お目にかかるまで、どのような様子でいらっしゃるのか、心配でした。

その心配を吹き飛ばして、はつらつと登場でした。

そんな様子でしたから、ついお願い事もしてしまいましたが、気持ちよくお受けくださいました。


また、お時間のある時に、会いに来てくださるとの言葉に、喜びました。


練習は、前向きさんのゲストのおかげで、とても充実した練習ができました。

いつも、ここにいらっしゃるゲストさんは、「こんなに私に時間をかけてもらってすみません」
とおっしゃいます。

「そのおかげで、どれだけ、復習や予習になっているのかと思うと、はかり知れません。こちらこそありがとうございますなのですよ」と、お答えします。


特に、昇段試験を控えていて、そのための吟題の練習の方は、わが夢青葉さんにとって、垂涎の種です。

いまさら聞けない質問、いまさら取り上げてよいものかと思う項目、ある程度進んだ人にとっては、耳を引っ張ってねじ込むような教え方はできませんからね。
教える方にも、教えられる方にも、大きな贈り物を頂いているようなものです。

どなたかが、教えてもらっているのをすぐそばで、聞いているときのほうが、身になることがあります。

今日も、とても良い学びがあったと思います。
ゲストさんも、よく質問をし、録音をし、宿題として持ち帰られました。

次回もぜひ、お出でください。

夢青葉は、時間もたっぷりありますからね。

来年度の予約を入れるころには、月の練習日の方針が決まるとよいのですが、ゲストさんが定期的に来てくださるなら、日数は減らさない方向に行くことでしょう。

それぞれが、ご家庭のことで忙しいのは、年代的に無理のないことで、何かの形で、時間が取れるようになったら、また、考えればよいことです。

あまり先のことを思い煩わないで、できることをできるようにいたしましょうね。

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個人レッスン

2017年11月22日 | 詩吟
高い声は、出ないんです。と言っている人。

ちょっとしたコツをお伝えしたら、すいすいと、七の高さが出ました。

「気持ちよいですか?」  「はい」
「たのしいですか?」   「はい」  GOOD! VERY GOOD!


それが実感できたら、今日のレッスンは、終了です。


自分の思いこみと、実際とこんなにも違うものかと、思う。
そして、それが、事実ではなくて、思いこみだと見破って、助言がヒットすると、とてもうれしい。

この、見破る作業は、やはり、個人的あるいは少人数でないと、私には、出来ないから、声がかかれば、いつでもどこでもOKです。

遠慮は、なしよ。


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「ようこそ 素読と詩吟の会へ」

2017年11月16日 | 論語と
平成29年11月16日(木) 野田市 古民家レストラン たるふじ に於いて

「ようこそ 素読と詩吟の会へ」が、開かれました。

かねてより、須藤明実先生の念願の会です。
8月に体調を崩されて療養中でしたが、この日を目標に、順調に回復されて、予定通り開催することができました。

暖房が十分でない古民家なので、11月のこの時期の気温には、ハラハラしましたが、お天道様も味方をしてくれて、天気予報を裏切って、明るい日差し風もない暖かい日となりました。

大幅に遅れたバスを降りて、しばらく行くと、先に行っていた方が、通りで手を振って待っていてくれました。「通り過ぎそうだったから」と。

古民家らしく、少々荒れた趣の庭にむかえられます。
良寛の話をするにはうってつけの、場所です。
きれいに整えられたいかにもの茶寮ではなく、須藤先生の好みのたたずまいです。
そうでなかったら、わざわざこんな遠くまで来て、須藤先生理想のお話の会を開こうとは思わないでしょうねぇ。


3か月振りの須藤先生の語りはじめは、嬉しいのが一番でした。
そして、いつものように、先生の言葉に引き込まれていくのです。

私は、午後からの詩吟の練習が、気になって、不甲斐なくも気もそぞろでした。



先生の今回の選択は、漢詩を4題です。
漢文を良くするためには、漢詩に親しみましょう。
漢詩の奥深さを知ると、中国文学や思想を身近に感じることができるでしょう。

「春望」「偶成」「勧学」と読み解いて、最後に、「仁」の文字のある論語を巻紙にしたためて、常に懐に持ち歩いていらっしゃったという良寛のお話と良寛作の「可意」。

詩吟で詠われる可意の前には、とんびとスズメのくだりがあります。

鳶は、雀に雛の世話をさせて、雀は、鳶にカラスから身を守ってもらう。鳥でさえ、お互いに守りあっているというのに、人間はどうだろう。と、人の世を観察する。

そして、「可意」へとつながっていく。

良寛は、清流に耳を洗い、要らない言葉は洗い流して、日々を穏やかに過ごしています。

仁を大事にしている良寛と、「里仁」を主宰する須藤先生の共通点を見付けました。


良寛の「てまりとこども」のイメージは、だからこそ「仁の人」だったのです。

オーガニックの材料で作ってくださるお昼ごはんは、人数の関係で、お弁当形式になっていましたが、これで三度目の食事も、おいしく、期待通りでした。
絵的には素朴を絵に描いた盛り付けですから、私のカメラの腕では、その良さは、写しきれませんでした。
けれど、みなさんの満足な様子が、本当の力を物語っています。

ここにも、良寛に通ずる須藤先生の思いが実現されていると感じます。


午後からの吟詠をいたしましょうが始まるとすぐに、その場にいる30人余りの人たちが、とても良い笑顔を私に向けてくださいました。

心から湧き上がる笑顔は、須藤マジックです。
その、マジックにかかった人たちが、体操で調整した体から、声を伸びやかに出しているのですから、その30余りの笑顔を、見ているのは、相対している私だけというもったいない状況でした。

その笑顔から発する声は、なかなかのもので、超初心者が半分以上のものとは思えない、爽やかな声でした。

そして、最後に、4つの漢詩を、芦孝会会員のいつもの須藤論語素読教室メンバーそれぞれが吟じて、みなさんにお聞きいただきました。

みなさんがあまりに気持ちよく声を出してくださっているので、1時間みっちり「偶成」のお稽古ができました。
バスが1時間に1本と言うまばらな運転のおかげで、予定時刻を30分オーバーしての、吟詠の時間でした。

四題の独吟は、それぞれが個性たっぷりで、初めての方にも、楽しんで聞いていただけたと思います。

やはり、練習の後で、吟詠をお聞きいただいたのが良かったと思います。

30人余りの大人数のお客に慣れてなかったのか、それとも、どんな時も変わらないもてなしをなさるのか、きっと後者でしょうが、おかみさんの淡々とした様子が、近所のおばちゃんにもてなされたという感じで、押しつけがましくないので、好感を持ちました。

今日の先生のお話とのギャップの無い会場でした。


帰りのバス停までの道すがらの、おしゃべりも楽しみながら、渋滞で時間通りに来ないバスにも、腹を立てること無く、さらに、遅れた来たバスの到着を待ちました。

誰一人、異を唱えること無く、終始和やかに、時が過ぎました。

第1回の、「素読と詩吟の世界」は、須藤先生の病からの復帰を心から喜びました。
そして、第2回へとつながっていくようでした。


先生、そしてみなさん、お疲れ様でした。

この人数で、トイレが一つ、この時代に、お座敷で正座という会場は、この先、どのような感想をもって、迎え入れられるか、入れられないのか、興味が尽きません。

須藤先生のお話は、数字とは無縁の世界にあり、頭で考えるより、感性で、受け止めるものと思います。
この会場で良いんだろうねぇ。


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間もなく誕生

2017年11月12日 | 詩吟
夫曰く、「言わなくても、ずいぶん良かったらしいのがわかったよ。」と。

昨日の私の帰宅は、それはそれは上機嫌で、鼻歌が出そうな雰囲気で帰宅をしたそうです。

宵っ張りなのに、早々に、就寝してしまったので、今朝になって、昨日のセンター祭の話題をなげかけようとしたのですが、(昨夜の帰ってきた時の様子で、)わかったから皆まで言わなくていいよ、と言われ、 しゃべり始めた口を閉じざるを得ませんでした。

こんな時、娘がそばに居てくれたらなぁと、思うのだけれど、子育てに、仕事に忙しいのだから、思うほどにはつきあってはいられないよねぇ。


昨日は、今までそれぞれの教場のまつりなどへの参加の中で、観客の多い三指に入るのではないかと思います。

しかも、ご家族もお友達も巻き込んで、身近な人たちからも期待されている未来の指導者さんでもあるのです。

ここまで、しっかりと準備されて、物事や人を大事にされる教場で、学び始める会員さんたちは、きっと豊かな音を奏でることでしょう。

それは、出身教場の指導者さんから、受け継いだノウハウもあることでしょう。
それを当たり前のこととしないで、感謝して受け継がせていただくという姿勢は、見習うべきところです。

こんな時、指導者として先輩として冥利に尽きることですねぇ。



そのような、教場が誕生する場面に居合わせられるなんて、めったにないことです。
生まれて、ハイハイをし、そして立って歩く。

伸びやかに、礼節を尊ぶ吟者になられることでしょう。




間もなく誕生のタイトルに似つかわしい絵が最近届きました。田村仁美さんの来年のカレンダーの表紙です。
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池上文化センターまつり

2017年11月11日 | 詩吟
第34回池上文化センター

2017年11月11日(土) 12日(日)の両日行われます。

一日目のプログラム5番目に、吟詠池上サークルが初めて出場しました。

芦孝会の正式教場として、エントリーのため、時間をかけて、ゆっくりと温めている最中の吟詠サークルです。

十分に力を備えているのだから名乗りを上げればよいのにと、浅はかに思う私ですが、それぞれの矜持を外野からの雑音に耳を貸さず、保ち続けているのは、さすがと思います。

今日の、すばらしい発表を聞いて、ご覧になって、興味を持った方がいると思います。
その方たちが、会員となったその時は、吟詠池上サークルが、いざ出陣の時となります。


プログラムには、私もメンバーとして加えていただきました。
しっかりと温められた卵から雛が孵り、大空へと飛び立てと心から願う気持ちを十分に汲んでくださって、もったいない位置での出番を頂きました。

これは、私へのエールであると受け取りました。

そして、そのエールへのお返しは、力の限り吟じること。

最近、吟詠に迷いに迷っている私へ、宿題を頂いたように思い、何時になく、熱のこもった練習へと駆り立てられました。

本番では、マイクのアクシデントもあり、「マイク恐い」の私が、ちゃんと高さ調整ができるのか、間に合うのかとハラハラさせたようでした。

出だしの「仙客」は、とても良い滑り出しでした。長くなりすぎるのを抑えてコンパクトに吟じると、伴奏にぴったりとはまります。すると、「雲外の」の大山の七の音がきれいに響いて、ほど良く収まります。
そして、だん下がりへと下りていき、キチンと伴奏を聞くと、「神龍」の低音部が、慌てないで発声できるので、響かせることができます。

吟法のうちで好きなものの一つの大中山は、少し時間をとりすぎたかもしれません。
遅くなりすぎない程度のタイミングで、転句へとつながり、「雪は」の「あ」そして、次の「煙は」の「あ」の音は、気持ちよく解放された音を出し、大山も完結することができました。

昨日の整体の施術でも、胸が上がって来ているとのことでしたから、肩が内側に巻いているのが、治ってくれば、ずっと体も、発声ももっと楽になるはずです。

加えて、少しでも良い材料を頂いて、体のコントロールをし、思いを十分に鰍ッられる対象を見つけたら、『気』を込めることがたやすくできます。

落ち着いて、伴奏の音を確認するのは、息を吸う前に一瞬はいて、脱力をするテクニックと同じ効果がありました。

さて、私はそのように吟じたと思っているのですが、録音した音を聞かせていただくときは、どのように、聞こえてくることでしょう。
ドキドキ。

「あ」の音は、得意だったこと、思いだした瞬間。

そして、そのまま引き上げようとする私たちに、総合司会の方から、思わぬ質問が投げかけられ、今回初出場の詩吟の会への興味と期待感を感じて、想像以上の成果を上げられた発表であったことがわかりました。

意気揚々と引き上げる私たちに、大きな拍手。

      吟詠池上サークルの飛翔あれかし

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青葉個人練習

2017年11月09日 | 詩吟
ゲストさん一人の個人練習になりました。

自分は不真面目だからとおっしゃるが、せっかくの良い声なのだから、もう少し、詩吟をやって、面白いところを見つけてほしいと思った。

今日の課題をするつもりで居らっしゃったが、そんなことはしなくても、自分のやりたいものをやりましょうと、通常の、会歌から始まる一連の、儀式から始まる。

一人なので、会歌の合吟をするだけで、ゲストさんの問題点が、聞こえてくる。

そして、お口の体操に至っては、いつもの教室では、早すぎてついて行けないという。

ご自分のペースでと言ったら、「それでいいのですか?」と言う。

これは、儀式ではなくて、訓練なのだから、自分のペースで行うことが大事ですと、言うと、
驚いている。

せっかくの訓練の一環が、人数が多くて、それぞれのペースでは行われなくて、早く言える者が主導で、早い人が勝ち組のようになっている。

ついて行けない人は、劣等感を持ち続ける。

誰のペースで行えばよいのだろうか。

今日は、もちろん一人しかいないゲストさんのペース。

そんなこんなで、ゲストさんはゲストさんなりの、私には、私なりの練習に関しての発見がありました。

今日の課題は、ゲストさんのリクエストの吟題で、みっちり行いました。

音の取りにくい人には、やはりこのペースで、繰り返し、サメ[トしながらの吟詠が不可欠。

この大事な部分を、省略すると、いずれは吟じることへの興味を失ってしまうことだろう。

義理でメンバーで居続けるのは、もったいない。

飛び切り上手にならなくても、楽しんで吟詠ができたら、そして、せめて、四季の移り変わりに合わせた吟題を揃えられたら、いいね。
それは、ゲストさんも思っていたことだった。
祖の吟を、ゲストさんの活躍し輝いている場で、ご披露したら、こんなに楽しいことはないと思う。

四季の吟題をあるいは、自分の好みの漢詩を見つけたら、やみくもの練習ではなく、ある期待をもって取り鰍ゥれるような練習をしましょうよ。

今日の練習は、剥がれかけた私が、またもとの位置に戻ってきたような感覚でした。

二つの感覚を、楽しみながら、練習できることを見つけて、益々、詩吟が面白くなってきた。


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