風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

イルミネーション参り

2009年12月19日 | 徒然に日々のことを
ともだち5人と、イルミネーション見物に誘われて、新宿に集合。

出がけの鼓太郎行方不明のおかげで、遅刻してしまったけど、幹事さんの手際の良い采配で、集合場所を変えるということで、ほぼ、同じ時刻に6人集合となりました。

新宿を皮切りに電車を乗り継いで、新宿、原宿、東京ドーム、丸の内とまわりました。
一番豪華だったのは、ドーム、原宿は思ったほどではなく、初めてライトアップされたときの感激を少々忘れたみたい。

新宿のライトアップは二色で、清潔感があり、ドームはカラフルでした。
丸の内は、ミレナリオのときに行列して以来だから、何年になるのかな。
そのころは、大手町が勤務先だったなぁ。
丸ビルの中のツリーの前では、サンタ帽子をかぶって記念撮影をする人の行列が続いていました。

わぁー、きれいだねぇ、ほらほらあれを見てといいながら、いい年をしておじさんおばさんが、若い人に混じって楽しんできました。

イルミネーション効果で、人出は結構たくさんで、経済効果も上がったのかな?

仕上げは、丸の内の居酒屋さんで、一杯。
飛び込みで入ったお店だったけど、おいしくて安くて、みんなご満悦。

乾杯の前に、彼らはホンジンガー ライブのメンバーでもあったので、言いだしっぺが欠席したことを詫び、10周年の本番は無事終わったことを報告し、ご心配いただいたことを感謝させていただきました。

細かいことを気にしないふるさとメンバーだから、終わりよければすべてよしとさらりと流されました。
その後本番の様子から、そのときの気持ちから、酒を飲みながらしゃべりにしゃべる。

そして、このメンバーの一人が来年からの詩吟教室の場所提供者になってくれることを、改めて、確約し、また、その中の一人も習うことを名乗りを上げてくれ、もう一人は見学させてほしいと言ってくれました。

お二人は、来年度の会員登録もしてくれるとのことで、明るい見通しが立ちました。

イルミネーション参りは、私の門出の日でもありました。





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出窓王子

2009年12月19日 | こたろう
温室のように暖かい南向きの出窓は、僕のお気に入りのひとつ。

最近寒いので、障子が閉まっていることが多く、僕は困っていた。

障子の紙は、それほど強くないことを発見した僕は、ちょっとだけ敗れていたところから、グイット頭を入れたらちょうど良い大きさの出入り口ができたので、もっぱらここを鼓太郎専用口と認定しました。

そのことを気がついてなかった母は、出かけるときに僕にいつも「いってくるね」と挨拶してくれるんだけど、まさか閉まった障子の向こうに僕が転寝をしているのを知らなくて、泡を食って探し回っていたらしい。

待ち合わせに遅刻するといって、友達に電話したり、集合場所を変えたり大変だったらしい。

もしやと思って、出窓に近づいたとき、僕が動いて障子に僕の耳の影が写って、発見されてしまった。

母は、ちこくだぁーとい居ながら僕を発見して安心して出かけましたとさ。

僕は、外に出たことがないからねぇ、出たら帰ってこられないと思っているから、外出のときは必ず所在を確かめて、挨拶してから出かけていくんだよね。

この写真は、翌日になって撮ってくれたものだけど、ここは、ほんとに暖かいよ。

僕専用のカーペットにはない、お日様のにおいがあって、外が眺められて、最高だよね。
ただ、毎日、こんな具合ではなくて、時に寒くて仕方がないときがあるんだよね。





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母と娘とぼく

2009年12月14日 | こたろう
母は、このところ詩吟の神様の思し召しって何?   と、考えているみたいだけれど。どうやら、見つけてくれた人が居たみたい。



           ☆ 母と姉さんとの会話 ☆

母 「『詩舞も詩吟も完璧な出来だったら、天狗になっていただろう?』と、言ってくれた人が居たよ。それが神様の思し召しではないの?ってね」

姉 「関吟だからでしょ?」

母 「そうだよ」

姉 「うーん、いいねぇ、うるっときた」


姉さんって、母の詩吟への思いをすべてわかっているみたいだねぇ。

それを知って、母はうるっとしてた。

僕は、そのようすを眺めて、背中を丸くしてうれしくしていた。


母は、B型で、姉はA型で、正反対の性格らしいけど、こんな様子を見ると血液型なんて、違ってない?と、僕は思う。
あっ、これって性格とは違ったところの話か?

近来まれに見る、母と姉の気持ちが寄り添って微笑みあった瞬間でありました。

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僕のつぶやき

2009年12月03日 | こたろう
一大イベントが終わり、ホット一段落。12月になり、仕事のお休みの日は今日で2回目。

母は、着物の片付けをはじめとして、もろもろの整理と、何よりも気持ちの整理をつけたようです。

後姿で、母にがんばったなぁと言っている私は鼓太郎。

母は、自分で感じていたよりももっと強いストレスがあったことを、師走の声を聞いてから急に、いろんな現象が、好転することで、感じているようです。

このストレスは、悪者ではなく、大いに自己啓発になり、新たなエネルギーを生んだことを思うと、母にとって大切なものだったと、僕はおもっています。

負のエネルギーを、前進のエネルギーに変えられるのは、五似ん会のメンバーと戦った2年間に養われたものらしいです。
僕は、その頃のことは、母の思いを読むことで、しっかり分かっちゃったんだけどね。

まぁね、僕なりに、そばに寄り添っていたことがストレスを軽減して、応援になっていたと思うけど、わかったかなぁ・・・・・


最近読み始めた小説に、松山気質を書いてあったのを読んだ母は、自分のことすごく納得したみたいなところがあって、瀬戸内海をはさんで、松山と倉敷の気候風土が、もともとの、<のほほ~ん>なところとが程よく混ざっているのかなぁ。

なんにしろ、月が替わっただけで、すっきりリセットできる母は、たいしたものと誉めてよいのか、もう少し悩んでいてもいいんじゃない?と言ってよいのか。

母自信も、こんな短時間にすっきりさっぱりしてよいのかなぁ、と、戸惑っている節もあって、おかしいものです。



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五似ん会

2009年12月01日 | 徒然に日々のことを
11月28日29日に一泊旅行
行く先は、岡山県の吉備路

重要文化財の備中国分寺五重塔のそばに宿を取ってくれて、五似ん会のメンバーが全員揃いました。

詩吟の同期の仲間です。

卒部して40年未だに、その仲がつづいています。

それぞれが、それぞれの個性を今でも持ち続けてそのだれも似たところが無い。
それが「五似ん会」の命名の所以です。


相変わらず歯に衣を着せぬ言い方で、いいたい放題の2日間ですが、不思議と険悪にならないのは、なぜだろう?

出発前は、この1年の苦労をしゃべってしゃべろうと思っていたけれど、顔をあわせてにっこり笑えば、その憂さはふきとんでしまった。

いつもながら、一番のほほんと暮らしているのが、私だからねぇ。
皆それぞれに、大車輪でうごきまわっている。

具体的な愚痴をこぼす人たちではないけれど、会話からこぼれてくる物を大切に拾ってみると、その、大変さがうかがい知れます。


おいしいものを頂いて、温泉に浸かり、気遣いなしに思ったことをしゃべれるって、いいなぁ~。

すっかり、心身をほぐされ、エネルギーを注入されて、帰って来ました。

また、来年ね。
楽しみに待ってる。

私の帰国と、還暦を迎えることで始まった子の小旅行は、今年で、3回目。

それまでは、それぞれが生きていくことに、子育てに、介護に懸命に戦っていたときだから、互いを思い合うだけでいたけれど、やっと、ゆとりが持てるようになったと言うわけ。
還暦とは、いろんな意味での節目になるものと、改めて思う。






写真は、珍しく行きの車窓から見えた富士山(さい先いいぞぉ)
寄せ植えの葉牡丹 (こんな可愛い小さな葉牡丹!)
吉備マラソンのコース中にある五重塔(仲間の一人と、元詩吟の先生が毎年挑戦中)
宿で、飼育している丹頂鶴
鮮やかな、もみじ 南天、椿



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