風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

遺すものと捨てるもの

2007年12月25日 | 風のこたろう裏日記
身軽な生活をしたいと、ばさばさと物を捨てたいとおもっておりますが、、、

2002年に、我が家の一大転機が訪れたとき、いろんなものを捨てました。
その一つに、夫が長年勤めた会社の給与明細関係のものもあります。

次の会社の就職は、ほぼ決まったのですが、待遇を設定する上で、夫がもっとも高待遇だったときの額を証明するものが必要となりました。

幸い、以前勤めた会社の人たちとは、良好な関係を保っているため、電話1本で退職まえ2~3年の源泉徴収のコピーをもらえそうなので、一安心。
古い記録を残してあるところでよかったけれど、残っていなかったら、夫の実力の査定は、どうなったことだろう。

若くて動いているときは、このようなものが必要になることなど思いもよらないことでした。
闇雲にとっておいたものは、ただ場所をとるからと言う理由で、廃棄してしまったけれど、それが、こんな形で必要になるとはね。

ちゃんと意味がわかっていれば、給料明細や給料袋などは廃棄して、源泉徴収票のみを残したはずです。そうすれば場所もとらず、有用だったわけなのですが。
その時はただ、働いていたときの思い出と言う判断で、処理したのでした。

預金通帳なども、ある程度古いものは廃棄しましたが、年金や保険などの引き落としに使われているものは、証拠に残しておいた方が良いのかなぁ。

年金については、夫は今月私は3ヵ月後に受給対象の年になって手続きの完了をするから、大丈夫なんだろうか。

自分のこと分かり、身の回りの宝とごみを仕分ける能力を持って、ファイリングすることは、自身の老いてからの生活を守る大切なものなんだなぁ。

公僕と言われていた人たちの誠実な仕事があったお陰で、危機管理など必要の無かったかつての生き方は、終わりを告げたと言うことなのでしょう。


昨今の、年金の不祥事などから見ても、仕事にかかわっていたときのもろもろの動きと言うものを何か書類で遺しておいた方が良かったのだなぁと感じ始めていたときです。

夫が仕事をしていたことは、厳然として残っていますが、その評価となると、誰か公の人が文字や数字で表したものが必要となってくるわけなんですねぇ。

老人力全開の時期にこそ必要な危機管理は、誰がどのようにしていくのが良いのかなぁ。
今までのように、役所の人が生活に踏み込んで助言できなくなったからね。
コメント

なんて贅沢な

2007年12月13日 | 風のこたろう裏日記
人間って、欲張りなものだ。
誰に言わせても、今一番幸せなんだよ。といわれるけど。


亡き母にも言ったことがある。一人娘夫婦とその孫と生活できて、貴方は世界で一番幸せだと。
一番の幸せは、一番の不幸と背中合わせということなんだなぁ。
あのときの、母の言葉は私を怒らせて、なんてひねくれたことを言うのだと悲しくなったものだけれど。


年老いて、孫にさえいたわられるようになった母にとっては、誰かのために何かをしてあげられないと言うことが、どんなに空虚だったか、今になって良く分かる。

辛いだけ、痛いだけと言うことには我慢をすればよいけれど、何もしてあげることが無いというのは、我慢でやり過ごせるものではないからね。


還暦は、老いへの分水嶺。
未だ、こちら側に居られるか、あちら側に行ってしまって、転げ落ちることに甘んじるか。
今、その瀬戸際に居て、ともすると暗い方へと考えが及んでしまうのを、何をもって食い止めたらと、思う。

申し分の無い夫と娘たち、そしてその連れ合いたちに恵まれ、孫までもさずかろうとしているのに、満たされない思いを抱えているとは、あの言葉を母に言ったときの私が感じたと同じように、家族を悲しませてしまうのだろうね。
コメント

高校同窓会

2007年12月09日 | 風のこたろう裏日記
関東地区の同窓会に一級下で私を姉と慕ってくれているともちゃんと、出かけました。
私の同級生とは、こちらに住むようになってから、一度も会ったことがないので、なんだか気後れして連絡をしないままの出席でした。

まぁ、行ってみて驚いた同級生は一人も来ていない。
ともちゃんの代は、当番の年と言うこともあり、8人もの大人数で出席がありました。
せっかくの再会だから邪魔をしないのには、どうしたらいいかなと思っていたら、知った名前がありました。

遠縁のお姉さんが居ました。

久しぶりの再会で、お姉さんはとても喜んでくれて、話に花がさき、おかげでともちゃんの楽しみを妨げることなく、私も、楽しい時間を過ごすことができました。
お姉さんの同級生は男性なので、親しくお話を続ける間柄ではなかったようで、ことのほか喜んで話が続きました。

その他に、たまたま話に花が咲いた初対面のAさんは、儲からない店だけど、近所の人が集まって憂さの晴らし場所になっているので閉めるに閉められないということも聞きました。

何処も、高齢になってくると、外に向けて晴らせないものをやさしく接してくれる人のところへ行って、捨ててくるしかないようになる。
そういう場所がある人は良いのだけれど、無い人は、悶々と家でくすぶっていて、ただ、命を永らえているだけの人も居るのです。

行政のサービスを受けるほどではないけれど、一人で行動するほど若く無くて元気も無いというハザマの人たちが、悶々と暮らしている。
年の離れたお姉さんも、当分は、一人で電車に乗ってこられるけれど、人の手を借りなければならなくなったら、もう、来られなくなると心配していました。

縁側と庭のある田舎の家であれば、そこに行くとはなしに行って、おしゃべりをすることもできるのだけれど、ドアの閉ざされたマンション住まいであったり、スペースはあっても人の出入りがあったりする都会暮らしは、一見、目的もなく、意味もなく、漠然と、といった行動はとりにくいのです。

縁側の陽だまりのようなところは、作れないかなぁ。

Aさんと、何か習い事をしたらよいと言う話になったのだけれど、お金の問題が絡んできて、一筋縄ではいかないということが見えてきた。
ボランティアが居れば解決という問題でもなさそうです。

自分の将来も含めて、宿題をもらってきました。
コメント