風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

漢詩について娘と語る

2014年12月29日 | 徒然に日々のことを
お正月のお花を活けるため、お稽古に近所の先生のところに娘が来る。
ゆっくりする時が少なく、語る時間のない此の処でしたが、珍しく時間が取れ、泊まっていきました。


何のきっかけか、詩吟の話になり、春一番に吟じる「酔うて祝融峯をくだる」のはなしになり、こんな感じの内容よと、説明すると、わたしもおなじ!と驚き二人で狂喜する。

その娘の話とは、スキーの仲間と、ゆるゆると頂上にのぼり、そこで宴会。もちろん雪山でね。
そして、程々に酩酊したころ、ゆるゆるとスキーで山を降りる。
かなりの上級者じゃないと飲んで暮れ方におりてくる楽しみ方はできないのである。娘は、それほどの腕前ではないらしいが、酒は上級者なので、スキーの上級者の仲間に喜んで迎えられて、そんな山の楽しみ方をしているのでした。

その、山頂の景色といったら、本当に美しくて、風をかんじ、空を見て、喜びを感じながら、ゆったりと楽しんでいるという。

娘は、「祝融峯」という山を想像しながら、朱熹と同じ感動を味わったのだと、目を輝かせる。

私は、家族の中で、漢詩を話題にできたことを喜びました。

娘はさらに言う、「山を下る」というフレーズに祝いの席でうたってもいいの?ひんしゅくをかわないの?と心配して言う。

応えて私は言う。「下る」という言葉にだけ反応する人が居たらそうかもね。
まして、酒は、ビールワンフィンガーの私が、「酔うて」を詠うこともね。

風に乗って豪快な峰に至り、雲の湧く山頂に立ち心をゆり動かされる。
そんな風に心揺り動かされたら、母なら、酒を飲まなくても豪快な気分になれるからね。
酒の好きな人は、飲めばよい、俗世間から意識を離すのに、酒が必要な人は飲めばよい。
飲まなくても、ウーロン茶でも感情を感じるままに動かせる母は、濁酒を三杯ものまなくても、大丈夫なのよ。と娘に私は笑って語る。


そして、高い山に登ったという喜びを分かち合い、さらに、朗吟しながら山を降りることは、更なる高みへと困難な山に登ることへの前哨戦への勝どきだともおもう。
だから、20周年初吟会にふさわしい漢詩だと思う。と。

へーぇ、何人にも、疑いを抱かせてはならぬと考えてしまう職場にいたら、祝宴には、松樗~しかないとかんがえるだろうなぁ、でも、祝う気持ちをもっとも表せるものなら、そしてこれしかないと思えるなら、こだわる必要はないと思うよとの言葉に、娘の中に何か揺り動かされるものがあったようだった。

もっとも、このように考え口にするのは、66年の歳月を過ごしてきたからだけどね。

このあと、酒と詩吟と、これからの芦孝会について、ひとくさり。
中国の漢詩「祝融峯」が、娘との会話を盛り上げてくれるとはね!
そして、アラフォーになろうとする娘が、小学生になるかならないかの頃、妹も連れて詩吟の練習に付いて来たこと。野田 芦孝先生にお菓子をもらったこと、母が洗濯機を回しながら、「やわたやまざき~」を吟じていたこと。
そして、一行だけはおぼえているよ、と口ずさんでくれたり、、、
そうだったねぇ、教えたことはなくても耳にのこていたのねぇと、うるうるしたり。

言葉少ない娘と、こんなにいい時間を過ごせるなんて、幸せとしか言いようがない。



さらにさらに、話は続き、夜は更けに更けたのでした。





≪意解≫

万理の彼方から吹いてくる風に乗って、ここ祝融峯のいただきに登ってきた。四方を見下ろせば、底知れぬ 深い谷間より湧き上がる雲は、いくえにも重なり、我が心をゆり動かしてやまない。
かくして、濁り酒を三杯ものむと、勇気が湧いてきた。得意の詩を朗吟しつつ、この名高い霊山祝融峯を飛ぶがごとく一気に下 ったが、実に爽快なことだ。


≪送り仮名≫ 
  ようてしゅくゆうほうをくだる  しゅき

われ きたって ばんり ちょうふうに がす
ぜつがくのそううん かく むねをうごかす
だくしゅ さんばい ごうき はっし
ろうぎん とび くだる しゅくゆうほう


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あの事件

2014年12月28日 | モンゴルについて
あの事件について、北海道の内田さんが、北海道民放クラブのHPに、書いていました。

あの事件とは、『 会員寄稿文 「草原の放送局」 内田 昭憲2011年5月~2014年8月掲載 』に掲載されています。


これを知ったのは、年賀状を読み返していたら、内田ご夫妻から来た賀状を手にして知ったのです。
忘れていたというより、知らなかったことにしたかったというのが、その時の私の心模様だと思います。

今日になって、文字をちゃんと感知し、さっそくHP検索をして、記事もすんなりと読み通せたので、私のモンゴルとの格闘は終わったなぁと、大げさでなく感じました。


そして、今日、ウランバートルで、その時もご一緒だった方が、再び日本語教師として、再訪されたニュースが届きました。
さらにダメ押しで、キーワードに対する忌避感がなくて、ごく普通な反応をしていました。

内田さんの記事をきっかけに、さらに明るく軽やかになっているのを発見。

そして、不思議なことに、この8年間、オルティンドーへの忌避感がなかったことに、気づきました。なんでだろうねぇ。

忌避感を抱いていたのは、幻だったのか、はたまた、ほかの理由だったのか。
いずれにしても、負の感情が一掃されたことに、乾杯だ。


チンゲル亭は、いま、こんな様子なんだろうなぁ。マイナス15度からマイナス20度くらいだろう。
歩くのは、15分くらいまで、口で息をすると肺が凍るので、マフラーでぐるぐる巻きにして、必ず鼻で呼吸をしたよねぇ。雪が積もらないから、道路はアイスバーンだ。
歩くとペンギン歩きになったよねぇ。
懐かしく思いだすことができた。


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北海道の内田さんご夫妻

2014年12月26日 | 出会った人
今年は、気持ちがなんとなく落ち着いていて、いつもは、元旦に書いている賀状を、私としては、年内という画期的に早いうちから準備している。

そのうちの一つの楽しみは、いただいた賀状を読み返してみることだと、気が付いた。

その中で、賀状の内容をすっかり忘れていたものがあった。
忘れるはずのない無いようなのになぁ。

その賀状とは、北海道の内田さん夫妻から来たもの。
内田さんは、ウランバートルで初対面の方で、夫妻で任地に赴いたという立場もあって、親しくさせていただいていました。

内田さんの同僚のKさんは夫の最初の派遣の時の同期だったという関わりもあります。
帰国後は、年賀状だけは続いている数少ない方です。


その内容とは、私たちがウランバートルにいたころに起きた事件のことを書き記したものが、ネット上に公開なさったということ。

まだ、自分のなかでは、帰国後に起きた心の変化が未解決のまま居座っていたのだと認識して、自分でも驚きました。
その賀状に描かれた文章を読んで、まずは、忘れたことにしたかったんだということを認識し、その次は、淡々と受け止めて、そのサイトを見つけて、読んでみるという一連の動作が、淀みなく進んだのでした。

そして、冷静に読み、冷静に思い返すことができて、やっと、この事件の後遺症から抜け出せたことを感じました。

帰国してから、いろんなことが重なり、そのために気持ちが塞いでいるのかと思っていた時期もありましたが、やはり、発端は、その事件だったのだと、認識することで、とりとめのない不安感からは解放され、ひたすらウランバートルを思いだすことを避けて避けて逃げて逃げていました。


年賀状のやり取りすら、一時期つらい時もありましたが、続けていてよかった。
そばに居て一番つらく、辛い思いをした人のほうが先に立ち直って、もっとも正確な情報をこのように公開してくださったことで、静かに受け止めることができました。
私にも大きな救いをもらいました。


モンゴルでの、追悼式、ラマ教の葬祭、荼毘、そして帰国後日本のお墓にお参りをして一連のことは、流れに沿って参加しています。
感受性の回路を遮断して影響を受けないようがんばっていたのだろうか。
それとも、その時は、無理をしていなかったけれど、帰国してから、家族環境の変化があって、
平和な環境になってシールドを不用意に解いてしまったからかもしれない。
もう8年にもなるし、不安定な時の、心は、思いだしても正確ではないと思う。

それにしても、心からお見送りをしていなかったので、いつかは、きちんと思いだしてあげなくてはと思っていた気持ちのつかえを、今日、解決することができました。
心からお悔やみもうしあげて、道半ばで行かねばならなかったことの無念さを思いました。

たくさんの人に慕われ、思いだしてもらって、手を合わせてもらって、七回忌も過ぎた今頃は成仏なさっていることでしょう。
遅ればせに、心から手を合わしました。

『北海道民放クラブ 公式サイト 内田昭憲 「草原の放送局」』に、掲載されています。

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東京芦孝会12月

2014年12月23日 | 詩吟
今年最後の中央会。
納吟会でもあるので、一応の吟詠を準備していかねばなりません。
今日の練習は、和歌なので、野田 芦孝先生にお聞きいただいて、了承を得るために、家持の
「あらたしき」を持っていきました。

自信のある吟ではなく、一番不安を抱える吟を選ぶことになったのは、今年は、和歌の練習が多くて、四苦八苦の一年だったからです。
漢詩については、八段ですから、おかげで人様の指導をさせていただいていますが、和歌については、勉強不足、発声不足で、毎度悩まされていました。

漢詩が八段であれば、和歌もそれなりの腕と、みなされるのが、ちょっと苦しいのでした。
しかし、漢詩と和歌とは、別のものと認識し、「和歌は初心者。うまいわけがない、懸命に練習しなければ、謙虚になって、漢詩以上に人様の吟を慎んで聞かせていただかねば」と、当たり前のことを、自分の中で認識ができたら、すっかり楽になって、下手さ加減をお聞きいただいて、チェックしていただくのを楽しみにしている自分を発見。

今日の練習のお題は、明治天皇御製「さしのぼる」
自画自賛になるけれど、月に一度の練習でも続けて学ぶと、自分なりに上達したと思う。
誰も言ってくれないけれどね。

漢詩とはいえ、八段所持の私に、「上手になったね」とは、失礼で口に出せないんだろうなぁ。
逆の立場になったら、私もなんて言うかしら。私のことだから、「失礼を承知で、、、」というかなぁ・・・
そうだ、今気付いたけれど、この程度では、褒めるところまで、いってないのかぁ。。。
自分にしか気づかない程度だったんだなあ。精進、精進。すすめー


練習が、お稽古ではなくバトルの場である教室が一つでいいからできるといいなぁ。
漢詩で、めった切りした人が、次に和歌でめった切りにされるという場面が、目に浮かぶ。


一通りの流れが終了して、納吟になり私の番が来た時、時間節約のためご挨拶だけにしようとしました。(午前中の和歌の時間に家持の吟をさせていただいたので、)ところが、うれしいことに私の吟を聞きたいといってくださる方がいて、挨拶をやめて、漢詩の吟詠に急きょ変更。一瞬で決められる吟題は、大好きな「海を望む」。

春先から、喉の不調が続き、発声方法を試行錯誤、喉に負担をかけない発声は、本当は正しい発声法だから、喉が悪くなって正解だった。

その代わり、迫力に欠けることになっている。今の発声法を体得すれば、迫力も戻ってくる。

そして、オルティンドーの練習が始まったのも、良い経過をたどっていると思う。

先生がいなくなって、練習していないからと、遠ざかっていたけれど、練習していた時のカセットを聞き、CDを聴いているうちに、体が乗ってきた。
チャンスを下さったIさん、ありがとうございます。
来月の懇親会でのかくし撃ナご披露させていただくのが楽しみだなぁ。

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江戸川詩吟道場

2014年12月21日 | 詩吟
このところ、欠席がちだった江戸川の練習に参加。

いつものメンバーで、いつものように発声練習から始まる。

丁寧な発声練習なのだけれど、なかなか、私の楽器が整ってこない。
春先から、喉や鼻の不調が続いて、自分の吟詠ができずに来た一年でした。

思いがけずオルティンドーの自主練習を始めることになって、いい感じで音が鳴ってきたとの実感があったのだけれど、反応が鈍い。

オルティンドーの発声をすると、詩吟には良い影響があったのを思いだしているのだけれど、今回は、オルティンドーのほうだけにしか効果が上がらない。

確かに、このところ詩吟の発声について、試行錯誤を続けているのが、いまいち、効果なし。

方向性はわかったのだけれど、自分の楽器の奏かたがつかめないでいる。

まぁ、ゆっくりね。
詩吟で遊んだ時の豊かな気持ちを忘れないで、あせらない。

最近気が付いたこと。
先達のCDをいつも聞いているのだが、気が付くと、上の空。
ただ、耳にしていたというだけでは、うっかりと、自分もそのように吟じられているとの誤解を生じているだけとわかる。

本当に、そのCDの吟詠を参考にして上達するためには、その場で、自分も声を出して、確かめる必要がある。

シャワーのように浴びるのも、別の意味では、良いことだけれど、細かい技術的なことは、聞いているだけでは、上達しない。

幼児の耳に届いたものはすべて、反復表現できるように柔らかに脳が反応するなら、聞き流すのでもよいのだが。

うっかり、耳に慣れてくると、すでに自分も吟じられるようになっているかと大いに誤解をしているのが、わかった。

耳になれる、聞き取れることになって初めて習得できるのであるが、その時間が長すぎると、誤解が生じるのだ。

ある日、耳になれたフレーズを吟じてみると、耳に入ってきている通りには吟じられないことを発見した。
「何度も聞いている」と、「その通りできる」つもりになって、大いに誤解とわかった瞬間でした。

少し、「聞いていればよい」方式に休暇を与えてみよう。

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勇の会 はじめの一歩

2014年12月18日 | 論語と
勇の会とはじめの一歩。

はじめの一歩は、新しいメンバーを迎えました。詩吟の経験ありの存じ上げている人でした。

漢詩の読みについて、「偶成」「川中島」「春日山懐古」を須藤先生の説明で、レ点や一 二を付けていく。

漢詩を読み下し文ではなく、元の漢文で読めるようにとの願いからです。

その分、詩吟のスタートが後ろになりますが、これも大事なこと。
その時によって、詩吟の時間が変わりますが、それについての異議はいまのところない。

吟詠の時間が少ない中で、「初めの一歩」初参加の彼女は、どう思ったのか、気になるところでした。

どうやら、彼女は、一番前に陣取っただけあって、吟詠の時間の長短よりも、尺八の伴奏で行われた模範吟詠にとても興味を持ってくださったようでした。

「どこで息継ぎしているのか、必死で見たけどわかりませんでした!」と、目を輝かせてのの感想に、うれしい思いでいっぱいになりました。

超初心者向けの教室に、3年目になる彼女が練習に参加して、果たしてどうなるのか。
前向きの彼女には、それぞれの場所で、自分に引き寄せた学習の仕方ができるのだなぁと、その彼女の姿勢に感動。

「どんな時、どんなところでも学ぶところはある、たとえ、自分のテーマと違うところが取り上げられた練習であっても。」
いつもそう思ってきましたが、それをそのまま実践する人が初めて、私に向けての言葉を言って頂いた。ありがとう。

飲み会でも、いろいろと夢が語られて、実現するといいなぁと言って終わった忘年会モドキの集まりでした。




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夢松風 12月2回目

2014年12月17日 | 詩吟
今年最後の青葉教室。
ゲストさんを迎えて、5人で、行いました。

律詩に取り組む時期が来たので、まず最初は、「関西吟詩文化協会会歌」です。

特に難しい吟法はなく、時間のかかるものはないので、特に正しく吟法を心がけての練習です。

今年は、80周年にはじまり、昇段試験、15周年記念錬成大会と、大きな行事が重なり、何かと気ぜわしい一年でした。

今振り返ってみると、気持ちが雑に上滑りになっていたのに気がづきました。
反省を込めて、気を入れて吟をすると、やはり、会員さんたちの気の入れ方が違うように感じるものです。
単なる、自己満足の思い入れかもしれませんが、気を充実しているだけ、帰ってくるものが大きいのです。


少し慣れが出てきたかもしれないと、大反省。

今日は、練習の後、お茶会の予定でしたが、よんどころない用件で、来年へ先送りさせていただきました。

申し訳ありません。
お正月は、たまたま、時間が10時から12時なので、ランチで新年ということになりました。
寒いので、明るいうちに帰れるメリットがあります。




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詩吟で遊ぶ

2014年12月10日 | 詩吟
最寄りのカラオケで、遊ぶ。
詩吟をテーマに、こんなにゆるりとした時間を過ごしたのは、はじめて。。。

詩吟を始めてまだ1年が来ていないが、人生では先輩の吟友と2時間があっという間に過ぎ、1時間を追加するほどだった。

はじめは、1時間で十分と思ったのだけれど、方針を変えたため、特訓ではなく、語らい、相談、仕上げ、納得の時間。

人生の達人との時間は、「ねばならぬ」思いを払しょくし、穏やかに暖かく、有意義だった。

教える気満々で出かけた私は、大きな学びを頂いた。



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論語 知の会 仁の会

2014年12月04日 | 論語と
先月の第三木曜日の勇の会と始めの一歩が、会場の都合でお休みとなった。

すっかり、タイムスケジュールに組み込まれているので、お休みになるとなんだかひもじい思いがする。

1日に、2月の予約を入れたので、予約表見領収書を須藤先生にお渡しして、ほっと一息。
早めに行って7階のレストランさくらでのランチをいつものこととしていらっしゃるので、のぞきに行ってみました。
入り口から生徒さんの顔がみえて、とても楽しそうに話が弾んでいらっしゃる様子だったので、話の腰を折ってはと、入るのをやめました。

そっと5階へ降りてきたら、すでにベンチで座ってまっている方がいて、その方とのおしゃべりに花が咲いた。

次回から、もう少し早くいって、同時に食事が始まるようにしましょう。

足利学校刊「論語抄」を素読して、須藤先生の資料とでお話を聞く。

論語抄の15ページ「子日く、君子は、器ならず(子日 君子不器)」
君子は「器」であってはならない。その器を使いこなす人であれと。
老子の大器晩成は、4つの熟語の一つであって、晩は、遅いという意味ではなく「不」と同義であると説かれた。

先生のおっしゃるところの意味は、頭の中で限りなくイメージとして広がるのであるが、未消化ゆえに、言葉としてならず、ましてや、文章にして,他に伝えることがかなわないのである。

この章句についても、何度目かであるけれど、そのたびに私のイメージが膨らみ、遠くにあった言葉が、そのたびに近くなってくるのは感じるのですが、いまだ、近接ならず。


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夢松風

2014年12月03日 | 詩吟
今日の吟題は、「爾霊山」
出だしの言葉は、爾霊山そしてその言葉についている吟法は「平引き揺り上引き」
言葉の終わりの母音は「あ」その音程は3半。その音を維持して3に下がり6にあがる。
そして、7⇒6と下がる。三つのャCントが、大事。
つまり、一つ一つの音程を確かに、そして、下げる、上げるのタイミングは、耳を働かせて、覚えさせる。

七山が上手にできるようになったのだが、承句(二行目)の中山の3から5に上がる音程が、惑わされるようになった。

今までできていたのに、なぜ?とかんがえてみる。
今までは、忠実に私の真似ができていたのだが、自分で歩けるようになったら、音程が不確かになったのかな?

これは、進歩だ。この進歩を喜びつつ、さらなる進歩をつまり、正しい音程を自分で歩いて行けるように、なれば良い。

楽しみ、楽しみ。

順調に、育っている。

さて、新人さんは、音のつかみが良いので、助かっているのだが、最初に楽をすると、初めてのスランプがつらいもの。
みんなどこかで、苦労をするものだから、その時をたのしもうよ。
その時を、親の目で的確にとらえられたら、山越え、丘越えは、スムーズにいくだろう。


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