お正月のお花を活けるため、お稽古に近所の先生のところに娘が来る。
ゆっくりする時が少なく、語る時間のない此の処でしたが、珍しく時間が取れ、泊まっていきました。
何のきっかけか、詩吟の話になり、春一番に吟じる「酔うて祝融峯をくだる」のはなしになり、こんな感じの内容よと、説明すると、わたしもおなじ!と驚き二人で狂喜する。
その娘の話とは、スキーの仲間と、ゆるゆると頂上にのぼり、そこで宴会。もちろん雪山でね。
そして、程々に酩酊したころ、ゆるゆるとスキーで山を降りる。
かなりの上級者じゃないと飲んで暮れ方におりてくる楽しみ方はできないのである。娘は、それほどの腕前ではないらしいが、酒は上級者なので、スキーの上級者の仲間に喜んで迎えられて、そんな山の楽しみ方をしているのでした。
その、山頂の景色といったら、本当に美しくて、風をかんじ、空を見て、喜びを感じながら、ゆったりと楽しんでいるという。
娘は、「祝融峯」という山を想像しながら、朱熹と同じ感動を味わったのだと、目を輝かせる。
私は、家族の中で、漢詩を話題にできたことを喜びました。
娘はさらに言う、「山を下る」というフレーズに祝いの席でうたってもいいの?ひんしゅくをかわないの?と心配して言う。
応えて私は言う。「下る」という言葉にだけ反応する人が居たらそうかもね。
まして、酒は、ビールワンフィンガーの私が、「酔うて」を詠うこともね。
風に乗って豪快な峰に至り、雲の湧く山頂に立ち心をゆり動かされる。
そんな風に心揺り動かされたら、母なら、酒を飲まなくても豪快な気分になれるからね。
酒の好きな人は、飲めばよい、俗世間から意識を離すのに、酒が必要な人は飲めばよい。
飲まなくても、ウーロン茶でも感情を感じるままに動かせる母は、濁酒を三杯ものまなくても、大丈夫なのよ。と娘に私は笑って語る。
そして、高い山に登ったという喜びを分かち合い、さらに、朗吟しながら山を降りることは、更なる高みへと困難な山に登ることへの前哨戦への勝どきだともおもう。
だから、20周年初吟会にふさわしい漢詩だと思う。と。
へーぇ、何人にも、疑いを抱かせてはならぬと考えてしまう職場にいたら、祝宴には、松樗~しかないとかんがえるだろうなぁ、でも、祝う気持ちをもっとも表せるものなら、そしてこれしかないと思えるなら、こだわる必要はないと思うよとの言葉に、娘の中に何か揺り動かされるものがあったようだった。
もっとも、このように考え口にするのは、66年の歳月を過ごしてきたからだけどね。
このあと、酒と詩吟と、これからの芦孝会について、ひとくさり。
中国の漢詩「祝融峯」が、娘との会話を盛り上げてくれるとはね!
そして、アラフォーになろうとする娘が、小学生になるかならないかの頃、妹も連れて詩吟の練習に付いて来たこと。野田 芦孝先生にお菓子をもらったこと、母が洗濯機を回しながら、「やわたやまざき~」を吟じていたこと。
そして、一行だけはおぼえているよ、と口ずさんでくれたり、、、
そうだったねぇ、教えたことはなくても耳にのこていたのねぇと、うるうるしたり。
言葉少ない娘と、こんなにいい時間を過ごせるなんて、幸せとしか言いようがない。
さらにさらに、話は続き、夜は更けに更けたのでした。
≪意解≫
万理の彼方から吹いてくる風に乗って、ここ祝融峯のいただきに登ってきた。四方を見下ろせば、底知れぬ 深い谷間より湧き上がる雲は、いくえにも重なり、我が心をゆり動かしてやまない。
かくして、濁り酒を三杯ものむと、勇気が湧いてきた。得意の詩を朗吟しつつ、この名高い霊山祝融峯を飛ぶがごとく一気に下 ったが、実に爽快なことだ。
≪送り仮名≫
ようてしゅくゆうほうをくだる しゅき
われ きたって ばんり ちょうふうに がす
ぜつがくのそううん かく むねをうごかす
だくしゅ さんばい ごうき はっし
ろうぎん とび くだる しゅくゆうほう
ゆっくりする時が少なく、語る時間のない此の処でしたが、珍しく時間が取れ、泊まっていきました。
何のきっかけか、詩吟の話になり、春一番に吟じる「酔うて祝融峯をくだる」のはなしになり、こんな感じの内容よと、説明すると、わたしもおなじ!と驚き二人で狂喜する。
その娘の話とは、スキーの仲間と、ゆるゆると頂上にのぼり、そこで宴会。もちろん雪山でね。
そして、程々に酩酊したころ、ゆるゆるとスキーで山を降りる。
かなりの上級者じゃないと飲んで暮れ方におりてくる楽しみ方はできないのである。娘は、それほどの腕前ではないらしいが、酒は上級者なので、スキーの上級者の仲間に喜んで迎えられて、そんな山の楽しみ方をしているのでした。
その、山頂の景色といったら、本当に美しくて、風をかんじ、空を見て、喜びを感じながら、ゆったりと楽しんでいるという。
娘は、「祝融峯」という山を想像しながら、朱熹と同じ感動を味わったのだと、目を輝かせる。
私は、家族の中で、漢詩を話題にできたことを喜びました。
娘はさらに言う、「山を下る」というフレーズに祝いの席でうたってもいいの?ひんしゅくをかわないの?と心配して言う。
応えて私は言う。「下る」という言葉にだけ反応する人が居たらそうかもね。
まして、酒は、ビールワンフィンガーの私が、「酔うて」を詠うこともね。
風に乗って豪快な峰に至り、雲の湧く山頂に立ち心をゆり動かされる。
そんな風に心揺り動かされたら、母なら、酒を飲まなくても豪快な気分になれるからね。
酒の好きな人は、飲めばよい、俗世間から意識を離すのに、酒が必要な人は飲めばよい。
飲まなくても、ウーロン茶でも感情を感じるままに動かせる母は、濁酒を三杯ものまなくても、大丈夫なのよ。と娘に私は笑って語る。
そして、高い山に登ったという喜びを分かち合い、さらに、朗吟しながら山を降りることは、更なる高みへと困難な山に登ることへの前哨戦への勝どきだともおもう。
だから、20周年初吟会にふさわしい漢詩だと思う。と。
へーぇ、何人にも、疑いを抱かせてはならぬと考えてしまう職場にいたら、祝宴には、松樗~しかないとかんがえるだろうなぁ、でも、祝う気持ちをもっとも表せるものなら、そしてこれしかないと思えるなら、こだわる必要はないと思うよとの言葉に、娘の中に何か揺り動かされるものがあったようだった。
もっとも、このように考え口にするのは、66年の歳月を過ごしてきたからだけどね。
このあと、酒と詩吟と、これからの芦孝会について、ひとくさり。
中国の漢詩「祝融峯」が、娘との会話を盛り上げてくれるとはね!
そして、アラフォーになろうとする娘が、小学生になるかならないかの頃、妹も連れて詩吟の練習に付いて来たこと。野田 芦孝先生にお菓子をもらったこと、母が洗濯機を回しながら、「やわたやまざき~」を吟じていたこと。
そして、一行だけはおぼえているよ、と口ずさんでくれたり、、、
そうだったねぇ、教えたことはなくても耳にのこていたのねぇと、うるうるしたり。
言葉少ない娘と、こんなにいい時間を過ごせるなんて、幸せとしか言いようがない。
さらにさらに、話は続き、夜は更けに更けたのでした。
≪意解≫
万理の彼方から吹いてくる風に乗って、ここ祝融峯のいただきに登ってきた。四方を見下ろせば、底知れぬ 深い谷間より湧き上がる雲は、いくえにも重なり、我が心をゆり動かしてやまない。
かくして、濁り酒を三杯ものむと、勇気が湧いてきた。得意の詩を朗吟しつつ、この名高い霊山祝融峯を飛ぶがごとく一気に下 ったが、実に爽快なことだ。
≪送り仮名≫
ようてしゅくゆうほうをくだる しゅき
われ きたって ばんり ちょうふうに がす
ぜつがくのそううん かく むねをうごかす
だくしゅ さんばい ごうき はっし
ろうぎん とび くだる しゅくゆうほう