風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

米田和(よねだ かず)陶芸展

2024年10月09日 | 徒然に日々のことを

黒地黒描花図壺

会期=2024年10月9日(水)⇒14日(月祝)
会場=日本橋高島屋S.C. 本館6階美術工芸サロン
時間:午前10時30~午後7時30分


         

「米田 和」 さんより案内はがきが届きました。
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歌声ひろば

2024年10月02日 | 徒然に日々のことを
誘われて地域学習センターの歌声ひろばに参加。
童謡や昭和歌謡を貸し出される歌集を見ながら、ピアノの伴奏で次々に、
歌って約2時間。
似たような年代の99パーセントが女性の顔ぶれにぴったりの選曲でした。
そして、声楽の専門家と想像される美しい先生から、一曲終わるごとに、
「ありがとうございます」何かを付け加えてコメントされるたびに「ありがとうございます」がついてくる。
「上手」とか「いい声」ではなく「ありがとうございます」のことばに不思議
な気分になっていきました。

そして、ピアノの伴奏で歌うという贅沢も味わいました。

地声で詠うことを続けていて、いつしか、歌謡曲や唱歌などの柔らかい発声を
忘れてしまっていた私は、苦手意識に包まれていました。

ところが、今日は、比較的高い音程であるのに、裏声モドキも出せて、中音の
声の変換点も何のその乗り越えて詠っているのに、おどろきながら、どんどん
いい気分、いい声になっていきました。
 歌詞を見ながら、ほとんど間違えずに歌えた19曲!


この処、和歌、俳句、静かな漢詩を吟じる練習をし、柔らかくてしっかりと
支えられている音色を練習していた成果をそれとわからずに手にしていたのか
なあ?
不思議。不思議。
誘われると断れない友人が隣に居て、「楽しいねぇ」というと、嬉しそうな
笑顔が返ってきました。


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今朝の虎に翼

2024年06月12日 | 徒然に日々のことを
かねてより気になっていたことの公正な情報がもたらされました。
どちらよりでもないこのような情報がどれほどあり難いことか。
あがいている時は、私に寄せた好意的感想が欲しかったので、少し落胆したの
ですが心を落ち着けてゆっくりその言葉をかみしめてみると、心から有り難い
と思いました。
何よりの情報をでした。感謝。


順番が逆になりましたが、
     ー今朝(6月11日火曜日)の寅子さんー
寅子さんの上司の言った言葉を思わずメモを取りました。
    「君も正しい、オレも正しい。わかりあえないことはあきらめる」

それは、餓死した裁判官を「馬鹿だ」と言ったその人の言葉である。

「あきらめる」 「馬鹿」を発したその言葉の後ろに何が潜んでいるのか。
彼の初登場の時、名前に添えられた将来の肩書に、今は議論のそばで居眠りを
していびきをかいている彼がただ物ではないと言う事を暗に匂わせる演出に、
身を乗り出す。
ここから、寅子さんは何を得て、「はて?」と行動を起こすのだろう。


どんなに議論をしても、思いの丈を話し合っても、違う土台に立っているのだ
から相いれる要素はないような今の様子である。

彼は、成し遂げるらしいけれど、先ずは顔を赤くしての飲み会となるのは、
その翌日のエピソードでありました。
寅子さんは呆れているが、、、飲ミニケーション真っ盛りの時代であります。

ちっちゃなことだけれど、この私にも煩わされることがあり、伝わってくる
情報もないままに振り回されていました。
ところが思わぬ筋からの情報により、静かにしていたほうが良いとわかりました。
ドラマのような劇的なことは起こらないし、起こさない方が良いでしょう。
私の件は静観ではなく、「諦める」が良いと思う。

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文学座アトリエ講演 アラビアンナイト

2024年05月18日 | 徒然に日々のことを
          
       

文学座アトリエは、大劇場と違って手を延ばせば届くところに俳優たちが。
生の声が体を包み、ささやきごえがはっきりと聞こえる。

いいなぁ。
娘が高校生の時、何度か足を運んだことがあるの小劇場の様子を思い浮かべ
まさかの時のために、クッションを持っていったのだが、ちゃんとした椅子が
有ってその必要はなかった。
せっかくだから、背中を丸くしないように、背中に当ててみた。
なかなか良い具合。

俳優は全部で10人。 王様と后と后の妹とその父親の4人が狂言回しになって
五夜の物語を演じるのです。すべての物語に10人の俳優たちが総出て演じます。
48人の盗賊もその10人で遜色なく演じるのですから、そのパワーたるや
一人五人力!以上です。
役が重なるとタスキの名前をくるくる回して、今の役を示します。
わかりやすくユーモアたっぷりで。子供も一緒に楽しめる演出になっています。
最後まで楽しみました。

ヒロインの妹役をはじめとして、その偶話ごとに別の役で、出演する私の知り人
は、生き生きとしてそれぞれの役を楽し気に演じていました。

開演前の待ち時間に宮崎からはるばるいらっしゃった人が、どうやら市民劇場
の関係者で、周りには、4~5人の知り合いあるいは関係の方、一人は島原
からいらっしゃったと。

事前調査だったのでしょうか。
東京にに二から三泊して、いろんな劇場をはしごしてリサーチしているようです。
気楽に観劇の出来る私のことを羨ましく思ったようです。
地方の演劇事情を垣間見ました。
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味方出現!

2024年05月08日 | 徒然に日々のことを
嬉しい限り。

仁義を切る。
礼節。
 
同じところで共鳴する。ほんとうに嬉しい。

えっ! SOS キャッチしてくれたの?
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見つけた!

2024年04月28日 | 徒然に日々のことを
なんて素敵な人なのだろう!
この方のこの貌は、こんな素敵な面もお持ちだったのだと知る。
自分で勝手に作っていたイメージはかなり違っていました。
垣根が一瞬で取っ払われて、視界が開けました。
羽目を外さない程度に、ゆるゆると近づきましょう。

私は、肩ひじ張っているところがあるからねぇ。
私の気持ちがほぐれたとたんに、相手も、和やかになった気がする。
特別反発していたわけでも、反目していたわけでもないが、ちょっと距離を
置きたい人だった。
いまは、もうない。こんな発見は、嬉しい限り。

今度共同作業をすることがあったら、きっと滑らかに進むことでしょう。
期待に溢れる。
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伝わらなかった?

2024年04月16日 | 徒然に日々のことを
「伝えておきたいこと」のタイトルでありながら、結局自分の胸の支えを
取りたいがための発言だったことに気がついて、失敗したと思う。

   「辞は達するのみ。」

物事をきちんと把握すると、伝えたい言葉は、どんどんわかりやすくなる。
言葉の周辺を飾らなくても、平易な言葉こそちゃんと伝わるものなのだと思う。

人は「話を聴くときは、言葉そのものだけではなく、相手の話かたや空気にも
心を研ぎ澄ませる。 」ー今日の朝日新聞コラムよりー

これと同じ内容の言葉をつい先日もよんだなぁ。
内容よりも、話し方や空気を相手は読むものだと。
その時私は、どんな空気を纏い、どんな話かたをしたのだろう。
きっと伝えねばという強い空気で持って言葉を発したのだろうね。

晩年の母は耳が遠くなっていたので、大きな声で岡山弁で話をしていると、
夫が喧嘩しているのかと驚いて部屋から出てくることがあった。
例えはちょっと違っているが、内容よりも、声の強さだったり、やる気の
あり無しでも、伝わり方は違ってくるものです。
我を忘れて一生懸命になりすぎないことかな ・・・反省・・・

あ、その逆も、伝えたい思いの強さに反比例して控えめのパワーしか載せられ
無かった時も、耳に届いてない時もあった。そんな時、かけた情けも届いて
無くて何も言ってあげなかったことになったことも。ちょうど良く届くとは
とても難しい。
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田村仁美 令和6年のカレンダー 3月4月

2024年02月29日 | 徒然に日々のことを
        ―よろこびを描くー  田村仁美

                 
                              幸せな日々  ポピー・テントウ虫

今朝のテレビに黄金の稲の間を縫って、お米をついばむ雀の様子が。
あぁ、こんな一瞬をとらえて描かれるのですね!と、感動が走りました。
今月の絵と、全く関係のない映像に突然「田村さんって!」と感じたのは
その雀の無心な表情がそうさせたのかと。。。


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夫の考える「詩吟と私」

2024年02月12日 | 徒然に日々のことを
帰りの空港までの車の長旅で、体調を崩しました。
その苦しさと言ったら、もう勘弁してと言いたかった。
不肖の嫁に対する天罰だろうか。
半年だけお世話をさせてもらって、後の10年は、義妹に任せっきりでした。
その間詩吟にうつつを抜かしていた私に対する戒めだろうか。
いやいや、夫も義妹もお母さんでさえも詩吟を続けることを応援してくれて
いましたから単に、私の後ろめたさでしかない。

何度も車を停めながら、のろのろと行く山道は、果てしなく続き、飛行機に
間に合うのだろうか。遅れたら次の便に空席はあるだろうか。
もしかしたら、どこかのホテルを取らねばならないかもしれない。
連休のただなかに空き室はあるのだろうか。
同じことを夫も考えていたようだ。

そんなことを考えつつも、いっぽうでは、苦しんでいる私に向かって、夫は
「もし、詩吟に合流するとしたら、具合が悪くならなかったかもしれない
ね」と、冗談ではなく本気で言うのです。
当初の予定より一日前倒しになったので、鹿児島から名古屋に飛んで当日参加
という手があったと夫は言うのである。
まさか、家の片づけがしたいがためだったと思うのだけれど、そんなことを
思っていたのだろうか?
もし、元気だったら名古屋行きの飛行機に乗っていたのだろうか。
いやいや、衣装もあるからそれはない。こんな時に、何を言ってくるの?
苦しみながら頭の隅で、感心しあきれていました。


私には、法事もそこそこに飛び立つなんて、思いもしないことでした。
それに、「喪」を纏った体で記念のめでたい大会に出席するのははばかられます。

思いがけない場面で、夫の感じている「私の詩吟への思い」を知ることに
なりました。

今は、そんな無理をしなくても、お願いしますと心おきなくバトンタッチする
人材が育っています。
東京芦孝会は益々大きく発展していますねぇ。

淡々と過ごす夫婦二人の生活では、こんな出来事でもないと、その心の中を
伺いしることはなかった。おかげ様と言うのだろうか残念と言うのだろうか。

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名古屋ではなく鹿児島へ行く

2024年02月10日 | 徒然に日々のことを
家族の大事と関吟の大会が重なりました。
という訳で、2月12日の「公益社団法人 関西吟詩文化協会 創立90周年
並びに公益社団法人設立12周年記念 全国吟道大会 東京・東海地区大会」には
欠席せざるを得なくなりました。
それがわかったのは、12月のこと。
欠席のための手配も無事終えて、2月10日を迎えました。

家族の大事とは、夫の母の四十九日の法要と納骨に鹿児島空港に降り立ちました。
お母さんは、始めてなのではないだろうか、息子に背負われるのは。
そして、機内では膝に抱かれて生まれ故郷に帰ってきました。
母を背負う夫の後姿を見て急にいろんな思いが駆け巡りました。
息子に背負われた母は、夫の胸中は、日頃の淡々ととした接し方からは伺い
知ることが出来ません。
夫は、ずっと私の目の前では何事もなさそうにすごしていましたが、一人の時
間は、心のままにしていただろうか。
それとも、納骨まではと、心を決めて居たのだろうか。

仏となったら、自由に行きたいところに行けるようになるのだから、お墓は
きっといつも留守にしているよ。
だから、思い出したときに手を合わせればよいのよ。
たぶん、思い出して手を合わせたとたんに、そこへ飛んでいくのだと思うよ。
正に「千の風に乗って」の歌のとおりです。

浄土真宗大谷派の和尚は、とても響きのある安定した声であった。
乱れることなく読経をする。
お若いのだけれど、今まで聞いたどの声よりもお経らしいと思った。
思わず、経典を読みながら自然と唱和できるほど誘い込まれる読経だった。
これが見送るということなのかなと思う。

お母さんの最期は、少しずつ食が細って行き、最後となったお昼ごはんの後、
好物のプリンに「あ~美味しかった」と言って手を合わせたそうです。
その食休み中に誰も気が付かないうちに、逝ってしまったという。
一人で潔く逝ってしまったのは、夫によるとそれこそ母の選択なのだと。

その静かな逝き方とお経の声は、実によくあっていると思う。
浄土真宗では、その瞬間に仏になるというので、霊を送る読経ではなく
お仏がより仏になるための読経ということになるのでしょう。
仏になったお母さんは、息子のところでも娘のところでもなく、
70年も待たせていた一目ぼれの夫のそばで笑っているのかもしれないね。
だから、誰にも看取らせずに一人きりで逝ってしまったのだろう。
生前、骨身を惜しまずできる限りのことをしたお母さんです。
それをじぶんでももう十分でしょと思い、孫に至るまで、してあげたいことは
もう無いよ、あとはお好きになさいませ。
すべてに納得したその時が旅立ちの時だったのだと、ちょっと寂しそうに
夫は笑って言う。

和尚の声を聞きながら心が落ち着いてくる。呼吸が楽になる。
この声を聞くためなら、はるばるやってくる気になるだろう。

お母さん、満足して旅立たれたのですよね。          合掌                            
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