風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢青葉8月のお稽古

2012年08月31日 | 詩吟
夢青葉の練習日は、金曜日になりました。

今日は、久しぶりに4人もゲストをお迎えしました。

女性二人、男性二人。

それだけでにぎやかです。

バスの時間の関係で、開始時間に遅れるほうのバスで来ていただく様にお願いしました。
その、到着までの時間に、青葉お二人の近況を聞いたり、昇段の申込書に書き込んでいただいたりしました。
そして、前回の課題について、仕上がりを見て、復習をしなくても良いという判断をしました。

ちょうどその頃到着した4人と、今日の課題「偶感」に早速取り鰍ゥりました。
自己紹介は後。
2時間の練習時間を有効に使うためです。

ゲストのうち3人は、初心者ですから、青葉の二人は先輩ということになります。
その二人に、リードされて、充実したお稽古となりました。

身体は楽器ということもかいつまんで、話をしますと、良く理解されて、何かほかの事で、充実した時間を過ごされていると感じました。

一通り練習の後、青葉のメンバーが気にしている練成会の吟題について、聞かせてもらい修正を行いました。

モデル吟を勤めることになったので、そのことを頭において、4人のよき観衆を得て模擬練習のようなことにもなり、よい下準備になったのではないかと思いました。
いつもよりしつこく手直しをしたので、驚いたかもしれませんが、山口先生にどのような切り口で、モデル吟の後の指導があるかが、わかりませんから、私なりに、気になるところを、ぼかさないで、言わせていただきました。

ちっともへこたれないところが、彼女のよいところ。

もう一人は、怪我で自主練習を遠ざかっていたとのことでしたから、どうかしらと思っていたら、ちゃんと声が出ていて、不具合を抱えているとは感じさせない吟でした。

たまには、観客がいるのも、背筋が伸びてよいものです。

彼女たちに言わせれば、「ゲストさんが居る居ないは関係ないです」なのでしょうが、いずれにせよ、同じ姿勢を続けるのが辛かったらしいのですが、一言も愚痴をこぼさず、きちんと最後まで座っていらっしゃったのには、驚き。

ゲストに影響されなかったお二人に、練習を重ねてきたことを実感して、練習を終了しました。

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みかえり猫

2012年08月30日 | こたろう語録


           駐熕イ鳳の「斑猫」 
                      見返り猫ともいわれてる
栖鳳が出先で目が会って、京都に連れ帰って、それ以来、モデルに徹していて、たくさんデッサンをものしたという。

何処か高貴で、野良とは思えない風情だったとか。


それで、「斑猫(まだらねこ)」という近代日本画のさきがけとなる作品になった。

日本画の特徴の線描と墨絵との技術を使い、実際に猫がそこにあるように描いた。
それまでの日本画は、流派によって描き方が違い、「絵に描いたような」のたとえのような絵ではなく、決まった様式で描かれていたから、この猫は、画期的なのだ。


しかし、この絵のなぞは、実写ではこの姿勢はかけないそうだ。
でも、いかにもそのような、猫のやわらかさや、背骨の曲がり具合、毛のふわふわ感がよく描写されていて、圧巻。

それに、その当時、まだ、日本猫は、金色の目をしていて、西洋種とのこうはいはなかったはずだから、緑色の目は無かったらしいのだが。

その猫は、栖鳳のために使わされて猫ではないか、その証拠に、栖鳳が東京に出かけた留守に、忽然と姿を消してしまったそうだ。

あっぱれな猫だねぇ。僕は、まだ、母さんのそばに居てあげなきゃいけないからね。姿を消したりしないよ。母さん、あんしんしてていいよ。
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関吟CD その2

2012年08月29日 | 詩吟
関吟のCDの二枚目を受け取りました。

さらりと聞き流していても、耳に入ってきたのは、やはり松野春秀先生の「志士平野國臣」
HPで同じ吟を聞くことが出来ていましたが、今回の新しいCDの吟はさらに、いろんな技術が整理されて、簡潔に美しく最後まで響きを失わない吟でした。

ここまで、修練なさった先生でも、年を重ねても、伸びやかな声で8行の詩吟をさらに熟成なさるんですねぇ。
終わりがないんですねぇ。感動。

HP収録の時から今回のCD(吟詠による和漢名詩選(ニ)制作・監修 公益社団法人 関西吟詩文化協会)収録までの道筋をお聞きしたい。
どのように、修練をなさったのだろう。
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珠響(たまゆら)

2012年08月28日 | 徒然に日々のことを
珠響第3回東京公演に行ってきました。
テーマは「念」
珠響は異なるジャンルの同世代のアーティストが、自らの意思で集い、お互いの音色を競い合うように始まり、五年目を迎えるそうです。

稲本 響(ピアノ) 
村治 佳織(ギター)
藤原 道山(尺八)
英哲風雲の会(和太鼓)
亀井 弘忠(能楽師太鼓方)
田中 傳次郎(歌舞伎囃子方)  以上珠響メンバー

  ゲスト
市川 猿之助(歌舞伎)
坂口 貴信(能楽観世流シテ方) 

1部は、ガラコンサート的に。 それぞれの一番を演奏
2部は、鉄輪(かなわ)を題材に、ハッピーエンドに書き換えた演目

一見して、この異質な言葉の無い音楽を奏でる人(楽器)たちが、どうコラボするのかとおもうのだけれど。
お互いを尊敬し、お互いの音楽が好きだ、お互いの音が好きだ、そう思うことが出発点となっていることが、お互いにどんな音楽が出来るかという楽しみを持っていることらしい。

上質な音楽なんだけど、音楽とだけ表現するのでは違うやわらかくて大きな広がりを持った作品でした。

コラボのもつ力強さというのだろうか。言葉では、表せなくて困ったなぁ。




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東京芦孝会8月中央会

2012年08月26日 | 詩吟
いつもの理事会に始まって、中央会ならではの、長い漢詩の新しい詩吟を教えてもらいました。

午後からは、野田 芦孝先生担当で、ワンャCントレクチャーを受けました。

基本に立ち戻ってという趣獅ナ、知っている人は知っているけれど、知らない人は知らなかった部分が浮き彫りになりました。

私は、イメージで、先生の指導なさったように吟じていたつもりでしたが、果たして、指導する立場になったら、何処まで、正確な伝達が出来たかというと、疑問。

耳で聞き習わしたぶぶんと、音符や、譜名表表で、習った部分と、はたまた、自分で思いこんでいた部分と。。。

五線譜に置き換えて、詩吟を指導し覚える方向に向いているのだったら、確かに正確かもしれないけれど、ちっとも魅力を感じない。

それぞれの持ち味が、生かされて、幅のある詩吟を習ってきたのだけれど、、、
楽譜を多用することによって、広く指導するには、便利で効率的ではあるが、型にはまってしまってから、自分らしさを出すには、一度亡くしてしまう作業が必要となり、自由に羽ばたいた吟は、コンクール向きではないことになる。


ライブ参加で、音符の良さを便利さを目の当たりにしたばかりだけど、こと、詩吟となると二の足さんの足を踏んでいる。

古い時代の懐かしい頃の詩吟にこだわっている。


こんなことを考えねばならないことが起こると、「何処まで、どのように」とまた迷ってしまう。

コンクールの審査についての研修が先週あったのですが、興味が無くて受けなかったのです。
教室を運営するようになったら、興味が無くても、研修は受けたほうがよいのだろうか、心のあるままに、詩吟を教えていくということは、無理なことなのだろうか。

会が大きくなると、幹事の負担が大きくなり、それにつれて風当たりも強く受けてしまう立場も増えてきた、どこに、我がの満足を持って行っているのだろうか。
意見を言えば、そのことに腐心せねばならず、少なからず夢組にも影響が下りてきそうだ。

詩吟って何?




穏やかに練習をしたい。あれこれと心を亡くしてしまうような練習はしたくない。


これから、何処に向かって行くの?





昨日書いたのを読み返してみると、何だ、自分の力の足りないところを背伸びしようとしているから起こる悩みじゃないかと、深刻ぶるのはよそうよと思える。
眠りとは、すばらしいものだ。

この夏の暑さは、珍しくこの私を深刻にさせている。


今ある力で精一杯って、日頃自分で言ってるのにねぇ。




さて、31日の夢青葉は、2年ぶりに、ゲストを4人もお迎えです。
気張らず、淡々と。昨日の、世迷言は忘れて。
自分らしさを失わない。

幹事会に出ると、どうも、自分を足りないほうへと頑張らせるのを、やめにしようね。
持ってないものでは、頑張れないんだから。


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ナチュラルカフェ コンポステラのライブ

2012年08月24日 | 徒然に日々のことを
川嶋信子さん 薩摩琵琶の弾き語のライブに行ってきました。http://blogs.yahoo.co.jp/ken55ken1010

すっかり告知を忘れていました。こんなところまで、コンクールストレスの影響がのこっていたとは! なさけない。

1、耳切れ芳一
2、嵐が丘
  休憩
3、十六桜
4、音戸の舟歌
アンコール

すっきり美しく、青い色の着物を着て、髪は1本の乱れも無くまとめられて艶やかでした。
あのような、きりりとした姿は、何から出来上がっているのか、確かめたい思いでした。

にもかかわらず、休憩の前の演奏は、はんぶんこっくり。
休憩後の演奏では、背筋が伸びて、聞き入ることが出来ました。
あの違いは、何だったのかなぁ。

どんな考えのどんな指導をなさる先生に師事て、どのような思を持ってここまでこられたのでしょう。

ずっしり重い物を頂いて、帰路に着きました。
残って、お話を聞きたかったなぁ。。。




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夢松風8月2回目

2012年08月23日 | 詩吟
暑い中、汗をかきかき午後1時から練習が始まる。

この暑さだから、一人ぐらい欠席があるかもと思っていましたが、元気に全員参加でした。
それだけで、めでたい。

体操、 心を込めて、楽器の手入れ。はぁー、と大きな息をはくと、すっと新しい空気で肺が満たされる。

今日は、ご本人の申し出で、高さを1本あげ、錬成会合吟の出だしの交代をしました。

初めて、三人の真ん中で吟をなさったKさん。
両方から声が入ってきて、とても気持ちがよかった。とおっしゃった。

いつも、同じ並び方の三人。
一人は、右から。一人は、左から。一人は、両方から。それぞれの声がきこえていたのだ。
いつも、いつも、最初からずっと同じ。

三人できちんと横一列に並んでの練習だっただから起きた現象。

はぁー、その立場になり、そのご本人の言葉があって初めて気がついた。

今日の、大収穫。

次は、並び方を変えてみよう。

三人の合吟の息はぴったり合っている。伴奏が始まって、作者を言うタイミング、出だしの音のとり方、大山へのつなぎ、初心者の合吟で、こんなにいい感じに吟じられるのは、不思議に思うのだけど。
初心者は,合吟をすると、間合いを取りすぎ、隣の人の始まるタイミングを聞きすぎたり、間延びするものと、きめてかかっているけれど。。。。。
前回から、タイムを計りたくて仕方が無かったのだけれど、我慢に我慢。
最初から、時間を気にする吟をして欲しくなかったので、タイムを計るってこと本とは、まだ知って欲しくなかったのだけれど。
どうしても我慢できなくて、測ってみた。1分58秒!なんてことかしら。
ちょうど良い時間だなんて。とてもゆとりのある吟だったので、2分をしっかり超えるかとおもったのだけど。驚き。
私って、感覚鈍いかも。

練習はいつも三人の合吟だからね。いつもの通りやればよいのだからとは、私がいつも言っていること。

はぁー、この三人って、すごいんじゃない?
前回の練習でも、完成度は初心者にしては、十分と思っていたのだけれど。
さらに、試してみて、良い合吟に仕上がった。迷わない出だしのすごいこと。

教える快感以上のものを頂いて、空恐ろしくなった瞬間。

手放しで、喜んだ。

今日の課題は、「富士山」石川丈山作

大中山を、白板にマグネットで、表示しながら、説明。
それよりも、聴いて、聴いて、聴いて覚えてもらったほうが良かったか。次回は、聞いて、聴いて、聴いてもらおう。



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訃報

2012年08月21日 | 詩吟
去る7月30日東京芦孝会所属のYさんが、亡くなられました。

ご自身の専門職で、会の催しでは、大きな協力をしていただき、詩吟では、7段準師範まで精進なさった方です。
お忙しい仕事の傍ら、中央会に通われ、いつも穏やかで、優しい方でした。

体調を崩され、このところは、休会中でした。

お元気になられたら、身体慣らしに、住まいから一番近い夢青葉の詩吟の練習にお越しいただけたらと、思っておりました。

残念です。

ご冥福をお祈り申し上げます。
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スケッチ トラベル

2012年08月20日 | 徒然に日々のことを
わくわくして待っていた本が、届いた。



テレビで放映されたのを2度も見た。


世界のアーティストに手渡しで、スケッチブックを渡し、書き上げるのを待って自ら受け取って。

気の遠くなるような長い時間、それ以上の心を載せて、スケッチトラベルは、完成した。
私のものにするのではなく、オークションにかけて、収益金は図書館を作るのに当てられた。

最後から2番目の絵を描いたのは、フレデリック バック。




最後のページは、宮崎駿。



その作業をやり終えたのは、堤 大介。










しかし、私は、早まったのかもしれない。
その書かれている文字は、英語。久しぶりに英和辞書の東條となるが、何処まで理解できるやら。

気を取り直して。
これは、絵のほんだから。
字にたよることはない。
録画した番組をみなおせば、事足りるのだ。

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日本の漢詩

2012年08月19日 | 詩吟
オルティンドーのライブにゲスト出演したときに、宿題が出来た。

それで、身に引き寄せて実感できる詩を選んで吟じることを切実に望むようになって着ました。

今までは、すべてテキストに沿った流れしか考えていなかったのです。
テキストのNo.1には、唐代の、古の作が出てきます。

漢詩から入って、詩吟にいたる人にとっては自然なことです。
詩吟をまず始める人にとっては、やはり日本人の詩を、共感しながら吟じるのが自然の流れかもしれません。

女性にとっては、情景詩には、思いを共感することはあっても、男性上位の時代の栄達を望む人の詩は、通り一遍にしか吟じられないと思うのです。

想像力を豊かにして、演歌やャbプスの男性歌手が女性の歌を歌うように、しかし、これも、女性が男性の心情を歌うのも少ないのではないか、あったとしても、男性が女性の歌を歌うほど、魅力的に感じないかなと私は感じるのです。
最寄のではなく、在住の区立中央図書館に行って、「日本の漢詩」で検索したら、3件ヒットしました。

そのうち、1件しか私の欲しい本はありません。
書棚には、あんなに漢詩の本が並んでいるのにねぇ。

そして、そのたった1冊の本のたった15ページに、女流の詩という項目が有りました。
江戸後期の代表的な女流詩人三名の作品、10首が選ばれていました。
探し方によっては、まだ、他の図書館に他の本があるのかもしれませんが、まず、書を紐解こうとしたばかりの私には、十分だと思いました。

相変わらず、文字からの情報を頭に納めるのは、困難を極め、何度読み返しても如何せんの状態。

漢詩の解説を読み、思いを重ねながら、作譜をしてその詩を吟じることが、その詩を知る早道かと思いました。

その昔、張り切って買った唐詩選は、開かれないまま、置かれているのを忘れている振りをしている私のことだから。

この際、私にあった、漢詩を嫌にならない方法を、見つけることだ。

はぁー、道は遠くながーい。はぁー・・・・・


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