風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

2分間ささえる

2016年05月28日 | 詩吟
山口会長の、一駅(約2分)おなかをへこまさないで、支えてる練習をしなさい。

「山口会長の2分」は、おそらく、整体生活をするうえで、大事な深い呼吸法として教えていただいている「深息法」と同じなのだと思う。

そして、ボイストレーナーも、かつてオルティンドーを教えてもらったビャンバジャルガル先生も同じようなことをおっしゃっていた。

ジャルガル先生のお腹と腰に手を当てて、息を吸いこんだ時の動きを実際に感じさせていただいたとき、お腹は当然としても、腰までもが広がったときの衝撃は、今でもこの手が覚えている。

あれから、私の呼吸法の悩みが始まったのだねぇ。
ついさっきまで、帰国して、和歌に出会った時からと思っていたのだが、その前から始まっていたのだ。


求めると、次々に情報が入ってくる。
ネットと言う在りがたいものから、要らないものまで入ってくるから、選択が難しい。

体は楽器だと思ったら、とっくの昔に誰かが書いていて、がっかりしたり。

ちっとも力を入れない、発声法にたどり着いて、清水の舞台から飛び降りるつもりで、三か月の予約金を払ったとたんに、義母の件で、忙しくなり、2回レッスンを受けただけで、その授業料は当然かえってこなかった。

それ以来、暇ができても、そのセミナーへ復帰する決心が付かないまま、あれこれと試行錯誤しているうちにその理論はこのことかと、想像できるようになり、深息法へと舵をとりました。


その神髄にまで達するには、きちんと指導を受けたほうが良いのですが、そこまでしなくても、その考え方とちょっとしたコツを身につけたら、どれだけ自分自身の楽器を最大限高めたチューニングができて、自己最強となることかと、想像するだけで、楽しくなってくる。

心と体は、繋がっているから、呼吸だけをとりだしたり、筋肉だけをとりだしたり、数百の理論が成立するくらい、呼吸の話は、尽きないものがある。

ボイストレーニングにしても、トレーナーの数だけ、理論があるといっても良い。
それは、表現方法や、アプローチが違うだけで、本筋は、同じことを言っているはずです。

そんな大きなことを振りかざすより、今の私にできること、伝えられることをコツコツと積み上げていくことに専念しましょう。


此の処、夢組以外でも言葉にする機会があって、できる限りの言葉で、表現しようとしましたが、おいそれと、簡単に会得できるものではないから、歯がゆい思いもします。
機会あるごとに、話をさせていただくことにして、せいぜいうるさがられるようになりましょうかねぇ。


   ☆実践するには☆

良い音を出すには、背筋と腹筋の支える力がバランスが取れていなくちゃいけないということ。
体幹を整えるという言葉を良く聞きますが、これかなぁ。

そして、マッチョな筋肉がいるわけではなく、その人に必要な支える力は、まずバランスが取れていれば、ほんの少しで良いということがわかってきた。

バランスが取れていないと、強い方に合わせようとして、無理が生じて、体が傾き、余分なところに力をさらに入れてしまう。つまり、力みが入る。

すると、バランスが崩れてまたさらに、力が必要と勘違いして、必要のない無駄な労力が消費されるという、マイナスのサイクルが始まってしまう。
こうなると、疲労蓄積となって、疲れ果てることが最大に頑張ったことになって、ちょっと、違うかなぁと思う。

バランスの良い体は、簡単な体操を、日々怠りなく続けることで、手に入れられる。
あまりに、簡単なので、ほんまかいなと思うだろうねぇ。

マッチョな筋肉は決していらないということ。そして、バランスが取れたら、力はいらないってこと。
そこから、良い循環が生まれ、楽に楽しく良い声が伸びやかに出てくるのです。

これを、実現するのに、どう伝えたらよいのだろうか。
これが問題。
機会あるごとに言葉にして、そのたびに、反応を観察し、どこまで体の上で実現しているかを確かめる。


「山口会長の2分」 自分なりにまずお試しあれ。
マッチョな筋肉や、大汗はいらないってことを、頭に置いてね。
疑問が出てきたところから、初めてなにかが始まるよ。そして、動き始めたら、早いよ。

そしたら、教え合いましょうか。さらに、理解に加速が加わる。


2分間は、絶句の所用時間、そして、2分ができるようになったら、4分はすぐ。
4分は律詩の所用時間。

今私は、4分に取り組み始めました。
いざ!あとにつづけ!         


と、言っていいのは、もう少し先。
もっと、ましな柔らかい音が出せるようになってからだね。
強弱、剛軟を自在に操れるようになるぞ。




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五月だねぇ

2016年05月28日 | 徒然に日々のことを
静かな住宅街を行くと、薔薇のアーチの手入れをしているご婦人がいました。

ハサミで、やっと手の届くところまで、背伸びをして満開を過ぎた花を切り落としています。

そして、落ちた花をはき集めるために家の中に入ったとき、ちょうどその場所に到着したので、すかさず写真をとりました。




写真をとらせてもらったとお断りをしたら、会話が延々と続く。
珍しく、早めに出たので、時間はたっぷり、心を込めて薔薇のお世話をしている話を聞きました。


この時期の外の心地よさは、立ち話も却ってうれしいくらい。
薔薇の散り敷いたところで、もう少しいたいなぁとおもってみても、勤勉な主婦は、おしゃべりをしながら、手早く曹ォ寄せてあっという間に地面のアスファルトがむき出しになった。

こうなると、気分を害さないタイミングで、辞去しなくてはね、訪問時間に遅れてしまう。


今朝は、朝も、コタロウさんが、いつものナイスな対応で、洗面所の入口で、身支度が終わるのを待っていてくれたねぇ。

コタロウさんは、何が良いのか知らないが、身支度の様子を見るのが好きで、朝のお出かけの支度は、邪魔にならないところで、お行儀よく待っている。

それがうれしいから、終わると、いつもより甲高い声で、「お待ちどうさま、ありがとね」と声をかける。「ウニャン」と答えて、次の作業に取り鰍ゥるのだ。

考えたら、この時、ご褒美の鰹節を上げるわけでもないのに、気が付いたら、いつでも、お利口さんなのだ。

まっすぐに見つめる目が、ストレートに心に刺さる。キューピットの矢と言っても良い。ウフフ。


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夢青葉5月2回目

2016年05月27日 | 詩吟
爽やかなこの季節は、出かける支度も早々と済ませて、少しでも早く外に出たいと思うものです。

前回のお稽古の時に見つけた、しっとりと落ち着いた珈琲店に行ってみたくて、それもあって、たっぷりと早めに出ました。

初めてのお客さんにそっけないくらいの年配の夫人と、今日は、そのゆかりの方らしい女性とが店にいて、いらっしゃいませの声で迎えられました。

覚えていてくださったようでしたが、やはり、さり気ない応対に、「好ましいメーター」が振れました。

どっしりとした黒い木のテーブルと椅子、窓から程よい光が入ってくる。
黒のイメージなのだけれど、暗くはない。

食べ物は、トーストと手作りケーキだけ、コーヒーの種類は5種類ほどあって、看板は「珈琲」と漢字であるのがうなずける店。


コーヒーとトーストを頂いた後、速やかにトーストの皿を引き下げに来てくれました。
客の様子をさりげなく見ていてくれたのが、嬉しい。

同時になぜか、モンゴルの呼べども呼べども気が付かないウエーターのことをふと思いだす。
そして、モンゴル語でウエーターは「ゾフチョー」と言い、ウランバートルで、封切りの映画チンギスハーンの映画を見たとき、ハーンが「族長」と呼ばれるシーンは、シリアスな場面なのに、モンゴル人観客が思いっきり笑ったことを一瞬のうちに思いだした。


広いテーブルに本やノートを広げて、ちょっとしたダメ押しの調べ物とメモをとるうちに、タイマーが鳴って、センターへと向かう時間になりました。

お勘定の時も、あなたのこと覚えてますという声のないメッセージを受け止めながら、ちょっとした質問にも、シンプルに穏やかな御返事でした。

古き良き時代の喫茶店の店主の反応でした。


これからの詩吟のお稽古に向かうのに、とても良い時間を過ごせました。



今日は、見学の方がいらっしゃるとのことでした。

落ち着いたご婦人で、詩吟の経験はほんの少しとおっしゃりながら、中音の響きの良さは、ほんの少しではないことがうかがわれました。

今日は、初めて、和室でした。
このご時世ですから、和室用ローテーブルに合わせた椅子が十分な数用意されていて、ありがたかった。

いつものように互礼ののち、体操から始まって、今日は「春望」が課題です。
譜№18に、丁寧に説明を加えました。五で終わる音が、はずみで、三半 三と下がりたくなるのを、いかに五の音で止めるかの説明は、チャルメラ。
そして、良く体にしみこんだ音の連なりと新しい音の連なりとを二つに分けて、行うと理解が届くようでした。

次の音階に気をとられるあまりに、今まで、気楽に出していた音が、中途半端になったり、七の高さが、次の六に下がるのを心づもりするあまり、六の音程に引っ張られて、七の音が低めになったりが、防げます。
七の音は、あくまでも美しく伸びやかに高めにだしましょう。

そのためには、やはり、丹田を意識したおなかを維持しなくてはね。




一通り、練習を終えて、コンクール出場の会員さんの練習。
せっかく頂いてきたばかりの助言が何だったのかお聞きして、その部分がクアリアされたかどうか、聞かせてもらいました。

努力した部分が、努力の分だけ報いられるかどうかは、等価ではなく、聞く側に立つとまだまだの時もあります。
そんな時、その会員さんの吟に対する考え方が、明らかになるときでもあります。

そして、そこから、また、テーマを選び取って、どう展開していくが、大きな宿題もできました。


聴いているメンバーからの感想は、的を射ているので、これだけのきく耳が育っているのかと、驚く。

一時的に後退したかに見えたり聞こえたりすることも、進歩への足鰍ゥりだったりするもので、
ジャンプする前に体をかがめるような、時もありますよね。

そんな感想を忌憚なく言葉にして出してもらえたら、「それはね、、、」と話が充実して来て、みんなの財産となって、心に積み重なります。

これは言っていいことか、これは言ったら叱られるかなとか、考えずに、言える雰囲気をどんどん作っていきたい。

そして、褒められることより、何かの指示をもらえること、叱られるようなことが、平気で出せるようになったら、良いなぁ。

         「夢の夢」?
            だって、私たち夢組だよ。

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メール復旧

2016年05月27日 | 徒然に日々のことを
        
           おしらせ2 & お願い


メール復旧するも、24日から26日のメールを取り戻せませんでした。
返事の必要なメールでなかったことを、祈ります。

もし、頂いているのに、返信のないときは、再度送信願います。
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メール受信不能

2016年05月26日 | 徒然に日々のことを

        お知らせ

24日よりメールが一通も届いていません。
試しに、携帯より送信してみましたが、届きません。

原因究明は今夜になります。



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夢松風5月2回目

2016年05月25日 | 詩吟
夢松風、今日のゲストさん二人を加えて参加は5人。

一通りの始まりのルーティーンが終わって、前回終了した「元二を送る」を全員合吟しました。
いつの間にか、習ったばかりの漢詩でも、こわごわと吟じている様子がなくなって、堂々としてきました。

今日の吟題は「春望」
律詩に入ったときから、まず、譜の説明をして、軽く、音を確かめることにしました。
律詩の余情を出すには、譜をある程度浮ェらないで、吟じることが大事です。

素読をしても、頼りなげなおっとり刀の風情がなくなって、論語の素読のような、力強さも出てきました。


このように素読ができるなら、何度も繰り返す必要はなくなります。



一節ずつ、二行ずつ、音程を変えて、と、練習が進む中で、合吟のこえも、濁りがなく、たまに不確かな譜のときも、あきらめず、コンダクターの音をしっかり聞こうとしているように見受けます。

こんな風に育ってきたので、思いがけず時間がかかってしまうということがほとんどなくなってきました。

以前は、どうしても、このまま中途半端で終えられないという気持ちが強かったので、納得いくまで、今日の練習を切り上げることができませんでした。

せっかく来ていただいたゲストさんに、独吟をしていただく時間がないままに終わったりすることも多々ありました。
そのような状態でも、ゲストとして来てくださる方がいるというのは、ありがたいことです。

この頃は、私自身も時間の配分を考えるようになって、2時間の内終わりの30分は、発表の時間として、タイマーをセットして、注意喚起を行うことにしています。

今日は、独吟発表に、律詩が加わるようになり、頼もしい限り。
昇段試験で頑張ったおかげです。


このように確かな手ごたえを感じて、私もうかうかしてはおれないと、思うのです。
次回は、春望を終了で着るはずですから、いよいよ、私の詩歌指導のデビューです。
みなさんには、俳句の載っているCDをお配りして、できたら予習をして来るようにと、漢詩の時に入ったことのない「予習」の言葉を使いました。

その気で習い始めたのは、数週間前ですから、同じようなスタートを切ります。
先生は、音源と言うのも寂しいものですが、腕のないコーチは、致し方ありません。

ドキドキ。

自分がやっと、和歌への思いがスタートしたのが今年だったのだから、あまりないものねだりをしないで、コーチに徹しようと思います。


今日の練習は、初めて、3時から5時の時間帯でした。
すぐ後ろにも、詩吟の会の練習があり、階段ですれ違った時、軽くご挨拶をいたしました。
夢松風の名前がステキとほめていただきました。

ここ松戸では松戸市の詩吟連盟があると聞いていました。
関吟関東支部連盟は、東京芦孝会と哲皚会松戸支部の二つがあり、そのもう一つの哲皚会松戸支部の恭皚先生がご活躍なさっています。

連盟所属の会が多くて、文化祭なども、あまり一つの会に対して時間を頂けないように、漏れ聞いたことがあります。さぞ文化祭では、盛況なことでしょう。


夢松風が始まって4年。今まで、詩吟の会はあると掲示板で知るだけで、今日のように、前後の時間帯で、お稽古があったのは、初めてでした。
気持ちよくご挨拶ができて、良かった。









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漢文学窓『里仁』新越谷

2016年05月23日 | 論語と
12人の思想家について、4月からの学びが始まっています。

今日は、墨子   
     須藤明実著 漢文学窓『里仁』教科書  
           『仁の里』古代中国の思想家たちのお話


先生の著書を教科書に、読み進めます。

今日の学びは、墨子の「非攻」と「兼愛」
  戦わないことそして、人を愛すこと。
 
チャップリンの映画「殺人狂時代」で訴えたかったことは、非攻。
兼愛とは、博愛と違い、平等に愛し合いお互いの利益のために尽くそうという考え方。


孔 猛 老 荘に比べれば、無名に近い墨子を良く読んだ、チャップリンとトルストイ。
トルストイは、兼愛について、繰り返し読んだそうです。

墨子は単なる平和主義者ではなく、行動する人だったそうです。
その様子をあらわすて、「墨子暖席なし」といわれ、現代の席の温まる暇もないとの言葉へとつながっています。

もう一つ、「墨突黒まず」(墨子の家の煙突は、黒くなるときがない)という言葉も生まれ、生涯戦いと、行動の一生だったそうです。

憎めば憎まれ、愛せば愛されるという、兼愛の思想は、今こそ学び生かされるべき思想哲学と言えるのではないかと思えてならないのですが、いかがでしょうと、先生は結びました。


今、まさに、思い悩んでいることも、兼愛の思想を深く学び、自分なりの結論に導くことができたらと思うことがあります。

しかし、愛しきることもできないのに、憎み切ることもできず、憎み切ったら、愛に変化するだろうか、それとも、戦うしかない方向に行ってしまうだろうか。

その戦いを憎む人がいて、何事も、穏やかに、納得して事を進めていくとなると、凡人には悩みが増えてしまう。
ただ、戦いに発展しない方を選ぶことは、とても難しいのですが、大事なことのように思います。

戦いと言っても、私の生活圏では、賛否を問うということくらいなのだけれど、これさえしないという出来事がありました。
決裂を避け、歩み寄れるまで、考え抜くという姿勢は、尊い。
戦うよりも、辛く長い道のりになるのだろうねぇ。


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東京芦孝会5月中央会

2016年05月22日 | 詩吟
中央会では、野田 芦孝先生が本部からの最新情報を届けてくださいますが、今日は、まさに、夢組の指導者のためにあるようなテーマ「和歌」でした。

和歌の伴奏集が発売され、その最新のCDをかけながら、今日の吟題は、啄木の「たはむれに」。
何度か練習してみて、やはり、発声練習をしないまま、和歌の発声をすると、喉の負担をかける度合いが高く、吟詠の後の普通の会話に、相手方に気づかれたかどうか微妙なところですが、喉の滑りが悪くなっています。

幸い、音の取りにくい箇所はなかったので、伴奏を聞きひたすら、和歌の発声に集中しました。

前回の練習で、丹田に力を落とす工夫をして、少々改善されてきたとはいえ、まだまだ、足りません。

大好きな辰巳先生と、その吟題「幾山河」を選んだのは、ちょっと冒険だったとは思うのですが、何度も何度も聞くのですから、やはり、吟じやすいということよりも好きだという方が練習に励みになるだろう吟題ではありました。


こんな風に、テキストを見ながら、重箱の隅をほじくるようにして、吟詠を聞くのは、なんて無粋なことか、もっと楽しんで余韻をもって聞くのに取っておいた方が良いのではないかと思ったのです。

辰巳先生の「幾山河」は何度聞いても、新しい発見があり、楽しんで、楽しんで聞くことができています。
これは、多いなる誤算でありました。
おかげ様で、すこしずつ、すこしずつ、前進しているはずです。


吟詠発表も、手連の会員さんからの御指名から始まるので、とても2回の練習で、手を挙げるほど私も子供では無くなっています。
上級者の模範吟を聴きながら、思ったこと。

失礼ながら、耳年増になったなぁってことを感じました。
これで、天狗になるほど子供ではなくなったことも、感じました。

惨憺たる私のその気になって最初の和歌の吟詠は、ICレコーダーの中にあります。
恥をかいて、発奮するのは、もう少し先のことにいたしましょう。

我が会員さんたちには、早いうちに恥をかきなさいって、言っているのに、いざとなると、わたしは、意気地なしです。

和歌への気持ちの変化を、見事に、タイミングよく掬われて、救われました。

教室で、和歌、俳句を取り上げる機会に、素直な気持ちで、臨めると期待しています。

それを考えると、いかに、漢詩の吟詠について、傲慢であったかを、反省。

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ほのてその2

2016年05月20日 | 体を整える
前回「ほのて」の意味を聞きそびれたので、いの一番にお聞きしました。

補の手⇒おぎないあい、手を添える、あるいはてをあてる。
お互いにもたれ合わないで、補い合う知恵を出しあう、一人ではない、そして何より、体温の感じる温かさのあるのが良い。


ほかの分野で「補の手」という用語があるそうですが、山田先生のひきいる「ほのて」は、上記の意味を込めての命名だそうです。

補ってあげるのではなく、補い合う。
そして、手は、井本整体で手技と言われている操法であり、ママが子供に手を当てて、やさしさと暖かさとを与えあうことが、大きな意味をもっています。

深い意味のある命名で、説明を聞いて、いつもお世話になっている先生の深い思いを垣間見て、それだけで、ホカホカと体が温まってくるようです。

もうすぐお母さんの整体塾 第一回目が来ます。
どうか、お母さんたちが、心の安定を得て、お子さんたちがさらに幸せになるように、願いつつ、ひそかに応援しています。


今日は、私への施術のほかに、夫の咳についての質問にも答えていただきました。
以前モンゴルで、咳が三か月くらい続いたことがありました。
医者にもかからず、井本整体の知識もないときでしたから、それでも、自力でなおした治癒力には、感心します。

あれから、10年が経っています。

先生によると、滞っているところをほぐして、悪いものを輩出しようとする力が働いているので、心配はないとのことで、安心しました。

先生のあれやこれやで忙しく、責任のある作業を継続する中で、困難を乗り越えていらっしゃる様子が漏れきこえてきて、共通する体験もあるものだと、共感したりしています。

ありがとうございます。
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はじめの一歩

2016年05月19日 | 詩吟
4月にお休みだった去年からのメンバーも、出席となり、一挙に4月から初めて詩吟をする人と合わせると7人の大所帯になりました。


「江南の春」様々な要素満載の絶句です。情景にしても、色にしても、詩を楽しんで、読み、声を出して、それぞれのテーマを目に浮かべられるようになると、楽しい吟詠になります。


今日は、二度目にして、大冒険をしました。
先輩の声を応援を一時中止して、新人さんのみで、練習をして見ました。
こんな早い段階で、手を引くのをやめても、臆することなく、声を出すことができて、驚き。
新人さんと行っても去年からのメンバーのお二人もいらっしゃるからなのか?

そして、あと15分になったとき、みんなで連続して、合吟をして見ました。もちろん先輩方も一緒です。

声が途切れること無く、12分間5回くらい続きました。
皆さん、お疲れの様子もなく、笑顔で終わりの互礼となりました。

ありがとうございました。また来月。
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