風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ごきげんな父と母

2014年03月30日 | こたろう語録
僕の誕生日祝ってくれてありがとう。
僕は、13歳。
キャットフードも、最近種類が増えて、シニア用に10歳以上、13歳以上、15歳以上と細かくなってるらしいねぇ。

それで、母さんは、試しに13歳用を買ってきてくれたみたい。早く食べたいなぁ~~~


さて、ときは春休み孫たち(僕にとっては甥と姪三人)とその母の四人でにぎわっている。
じぃじとばぁばは、相好をくずしてハイテンションだよ。


そんなときに、岡山から神戸でお頼みしていた佐藤鷺照先生の資料が届いた。
それだけでもうれしいのに、厳照先生の親しみを込めた愛たっぷりの文言に体が震えていたみたいだよ。


何度も何度も読み返した手紙はこれが初めてかもしれないなぁとつぶやいていたよ。
恋愛時代の父さんの手紙はどうだったのかなぁ?

孫たちの相手にそうでなくても、興奮気味なのに、そこに、こんなものが届いてさぁ。
でも、今夜は、パパが迎えに来て、帰っていくからその入れ替わりの慰めなのかも。

詩吟の神様も乙なことをするじゃない?

自慢気に、手紙の全文をここにコピーしたいくらいの気分らしいよ、でもねそれは、やめておこうよね。


そして、佐藤鷺照先生のテープや資料のあれこれ、亡くなられたことをやっと認識したとたんに、そばに居て敬愛していた先生の手から資料が届いて、かあさんや、しあわせだねぇ。

80周年という大きな大会に出席するについては、気が進んでなかったみたいだたけど、がんばって行ってよかったねぇ!

今の人たちとのかかわりをさらに強くし、過去の人と思っていた人たちが今の人に浮上したって感じだね。



コメント

誕生日

2014年03月26日 | こたろう



    
     僕は、今日から13歳です
                       


 
<script language="JavaScript" src="http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=8750-1395842219-479-358"></script>


   
コメント

同窓会

2014年03月25日 | 詩吟
80周年の行事も無事終わり、興奮も沈静化してきました。

岡山からの電話で、学生時代の吟詩部の同窓会が持ち上がっているそうです。

6月のよき日に岡山で、開催の予定で計画が進んでいるのです。

80周年で、現役時代の先生のおひとりと、そして、先輩のおひとり、後輩の二人とあったので、それで十分だったと思ったのですが、懐かしい人たちに会えるとは、また、さらにうれしいことです。

いろんな偶然や因縁が重なって、詩吟とのかかわりが今に続いていて、その詩吟を囲んで話題が弾むことでしょう。

同窓会というだけで、こころうきうきなのに、今、大事にしていることが主題となって行われる楽しい集いに参加できるなんてねぇ。


        継続のご褒美

コメント

夢青葉㋂

2014年03月21日 | 詩吟
雨が上がり、暑いくらいの陽気かと思えば、白いものが落ちてきて、やがて打って変わって、固い固い寒さが押し寄せてくるような一日でした。

今年度最後の夢青葉です。

今日の、出席は三人。ゲストさんは先月の方と入れ替わりで、今年になって参加されるようになった方と今まで出席していた方との顔合わせは、また来月となりました。

このゲスト二人の顔合わせは、どんなものになるのか、興味のあるところです。

二人しかいないメインメンバーですから、参加する方たちから受ける影響は大きく、さらりと受け流すしかないことに、神経を使ってしまいます。

こんな時、二人のメンバーは大人なので、私の杞憂をいつも笑い飛ばしてくれるのが、何んとも頼もしい限り。




今年の夢青葉は、半期遅らせて来年の春に参段への昇段試験を受ける予定です。
弐段から参段への受験資格は二年の経過を要しますが、青葉さんたちは月に一回の練習のみでここまで来ていますから、半期遅らせて受験することにしました。
最初の一年は、絶句をじっくりと、取り組みました。そして、これからの1年は参段の課題となる律詩に初めて取り組みます。

もう一つの理由は、春の受験合格者は、秋の練成会の舞台の上で賞状授与が行われるので、お名前を頂けることになる要の参段の受賞の時には、晴れがましく授与されようではないかとの思いもあります。

さて、先月来律詩のいくつかをコピーしてお渡しした中から、イメージだけでよいから、好ましい詩を選びましょうと宿題を出していました。

今日は、そのなかから、○橋さんの選んだ「近江八景」に取り鰍ゥることになりました。

まず、体操。いつもより念入りに復習を兼ねてゆっくりいたしました。
お口の体操は、先日の中央会で、幹事長が提供してくださった江戸川詩吟道場の資料を使わせていただきました。


今日の私は、80周年大会で後輩だった人たちが、私が探し出す前に、会いに来てくれたことから、現役時代の練習を懐かしんでくれていて、あれはあれで悪くはなかったと知って、大いに気を良くていたのです。
実力を超えておかれた立場を全うするために、思い切り厳しく練習に臨み、傷付けた人もいたのだろうとずっと思っていました。

卒業後も順調に精進を続けて、押しも押されぬ指導者になっている人たちもいて、故郷を離れずに順調にここまで来た方、最近になって復活した方、様々な関わりやきっかけをもって、40年余りを経た今、神戸の地で再会できたことを本当にうれしく思いました。



参段受験ということは、芦孝会長のお名前を頂くこと今までは無名の人だったのが、いっぱしの吟者になること。
そして、次の4段へ進むのは、最初の指導資格の師範代をいただく資格を得たこととなり、自分の練習だけでなく、他へ教えていくことが始まる重要なャCンだと思っています。

ですから、今日から気を引き締めて練習をいたしましょうと、檄を飛ばしたのでした。
まるで、現役時代のように。

その勢いから、声出しの始めから一節ずつのブツ切れではなく、2行ずつで練習開始をしました。
そして、訂正箇所はいきなり指摘をしました。

基本の形が身についてきているので、いきなり2行のほうが、律詩に取り組むについて、繋がって流れる吟としてて覚えることができると、思ったからです。

ただ、始まったばかりのゲストさんが参加の時は、この限りではなく、一節ずつの練習をすると思います。


いきなり2行で、大丈夫かなと思いきや、ついてくる、ついてくる。小気味よいほど、戸惑うことなく、ついてくる。

そして、指摘箇所は、母音の発声のクリアでないところを、吟の途中で指摘し、出来るまで何度も声を出してもらいましたが、あまり手こずらずにクリアな母音になっていきた。

この部分で、少し厳しい指摘の仕方をしましたが、彼女は、わかっていながら放置したのではなく、今までの私との練習の中で、細かく指摘をしてきたので、指摘されなかったことは、オールOKであるとの誤解があったということがわかる。

テーマとして頂いたことは、自分なりに考えるという習慣はこれから作っていくことだと、ちょっと勇み足のような、厳しい指摘であったと、私の反省点も見つかりました。


教室を続けていくうえで、習い覚えて成長させて頂いているのは、実は私のほうであると、また、気づくのでした。


予告も準備もなく突然、叱られたようになってしまった○尾さん、ごめんね。

殿方にはいつも配慮のない言葉を吐いておりますが、青葉さんにも始まってしまったなぁ。
それは、青葉の4年の積み重ねが大丈夫と言ってくれているとの確信のもとに、出せた言葉なのではあるのですが。。。

もう少し、穏やかにいこうね。

もし、今年になって吟を始めたばかりのゲストさんの参加があったとしたら、この練習方法はなかったと思います。

こんな風に、その場その場で、直観を信じて行う練習方法をしてきたわけで、このやり方がいつまで通用するのかと思う。
今は、まだ、大丈夫.

今日のこの勢いがあると、休憩時間がガールズトークになりがちな流れをきっちり止めていました。2時間みっちり練習ができたのでした。こういう日もなくてはね。

それで、練習の後に、会費の徴収やら、連絡事項やらを行いました。
この時間の使い方のほうが、2時間をゲストさんを含めて、みっちり練習できるし、青葉のみの必要事項は、青葉さんだけでできるという両者へのメリットもありました。


コメント

夢松風㋂2回目

2014年03月19日 | 詩吟
今年度最後の練習日。来月から関吟ニュースに名前が掲載されて3年目に入ります。
そして、先月から、開催日を公式に告知するようになりました。

松風の練習日は、不定期なので、来たい人にとっては、なかなかややこしいのですが、それでもゲストさんが参加することが多くなりました。
今日は、三人のゲストさんを迎えて、机はコの字に並べられることとなりました。

前回の「舟由良港に至る」のおさらいをして、今日は「花朝澱江を下る」にとりかかりました。

新しい吟を覚えていくにも、今までの積み重ねのおかげで、かなり習得が早くなりました。
ちょっとしたャCントをお伝えするだけで、すぐに呑み込めるようになり、その、流れの中で、最近始めたばかりのゲストさんも、音感の良さも手伝って、一応の仕上がりを見せています。

そして、課題をもって参加された方も、自分の方針が決まっているため、それに沿って言葉をかければよいので、2時間の練習時間でも、結構こなしていけるものなのです。

次回の練習は、3時間が取れていますから、ゆっくり、取り鰍ゥれるはずです。

続けて、順調に3時間が取れると面白い時間が過ごせるのですが、どうやら、水曜日は、3時間をとるのは難しい様子。

今日は、3時間目の課題を解く練習は、マンツーマンで駅近くのカラオケ屋さんで行いました。
ずっと、一つの吟を合吟するという過酷なものでしたが、5本の高さのおかげで、私には、良い発声練習になりました。

こんな形で、課題を持った人には、集中してそばにいてあげられる時間も良いものだと思うのです。








コメント

80周年記念吟道大会

2014年03月16日 | 詩吟
公益社団法人 関西吟詩文化協会 創立八十周年
  並びに公益社団法人創立二周年記念全国吟道大会

            後援  文化庁
                兵庫県
                神戸市
                公益社団法人 日本吟剣振興会
                愛国詩吟総連盟

 
神戸のワールド記念ホールにて開催され、東京芦孝会も40名ほどが参加しました。
五千人余りの会員が一つに集い周年行事が行われました。
この出席は、割当制となっているため、心ならずも会場に來る、あるいは登壇して吟詠をすることのできなかった方々も多かったと聞きました。

東京芦孝会は割り当てられた人数をちょうど参加希望する人で埋められたので、幸運と言えるでしょう。

そして会員吟詠は、地区連合会として11の連合会が会員数に比例する時間の割り当てがあって、
「わが郷土と山紫水明を詠う」というテーマで、それぞれが構成吟を作り発表しました。

江戸といえば、お江戸日本橋、太田道灌、武野の晴月を選択し、ナレーションでは天下一品の芦○さんが担当して、作品が出来上がった。
<script language="JavaScript" src="http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=8750-1395031578-183-199"></script>



太田道灌は、私が詩の一節に出だしをすることを仰せつかり、少ない練習回数をものともせず、大観衆のもとに女性合吟。そして武野の晴月は芦△さんが出だしで男性合吟。お江戸日本橋は女性の歌唱で7分の持ち時間で発表でした。


<script language="JavaScript" src="http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=8750-1395031174-319-238"></script>

わたしにとって5千人を前に吟詠発表するなど前代未聞の大災害ともいえる出来事。
あがり症の、マイク大嫌いが、参加のメンバーの先導をするなど、とんでもないことをさせるものだと、拒否しつつ、「だれがするの?あなたでしょう!」と言われて、しぶしぶ承知。


練習を重ね、だんだんに責任感が生まれたころ、冬から春への体調変化がいつもより早く起こりあわや欠席かという状態になったのだけれど、何んとかとり直して、覚悟をだんだんに定めていくことになる。

そして、前日のホテルでの出来事。

転勤で東京を離れ、神戸に詩吟留学(?)をしているわが夢青葉のメンバーが陣中見舞いに訪れ、幸いにも東京の人たちに温かく迎えていただき、数人の有志が一室に集まった。

そこでは、飲めや飲めやが始まっていて、やがては、神戸の先生にどれだけ訓練してもらったか聞いてやろうじゃないのということになる。

彼は、お酒も入っているし、ホテルの部屋ということもあって、遠慮をしていたのですが、「飲めや」が「歌え」モードにスイッチして、彼は、吟じる事になった。

夢青葉から、神戸へとがんばってと送り出したときは,カラオケ調だった詩吟がしっかりと安定し安心して聞いていられるものに、詩吟モドキが詩吟になっていた。
先生の厳しい指導と、諸先輩からの良い刺激を受けて、留学が功を奏していると見受けられた。


夕食の終わるころに顔見世をして、テーブルを回り挨拶をして回った彼は一応好感を持って受け入れられたのですが、この、部屋での諸先輩のようぼうというよりも要求に従い2年間の成果を披露したことがさらに、好感をもって受け入れられた。 

それで、私も、明日の練習がてら、そこに集まっていた女性と太田道灌を吟じたのでありました。ホテルの部屋なのに。少しお酒が入っていたとはいえ、学生の頃の意気に燃えるというのが大人になっても有るところには有ることを知るのでした。


これで、彼は、仕事を終えて帰ってきても、みなさんに快く迎えてもらえることだろう。
もとより、このようなことがなくても、芦孝会のみなさんは、帰ってきたら気持ちよくお帰りと迎えてくださることは、先刻ご承知。

それにしても、心意気があることを表明したら、それ以上の歓迎を受けることは、予想されることです。

良かったねぇ。


そして、いろんな元気パワーをもらった私は、明日の合吟の先導をもっと、渾身を込めて行わねばと、密かに固く誓うのでした。

そして、大会当日の今日になって、懐かしい方たちに会いたいと思って探していたら、先方から探して会いに来てくださった。

あぁ、なつかしい。一挙に40年前にタイムスリップ。
結婚をして岡山を去る前に、現役の吟詩部員だった彼女。大変に懐かしがって、目が「先輩!」と言っている。

そして、永○先生。プログラムから私の名前を一番に見つけたのが先生だったそうだ。
懐かしい。すかさず、かねてから、知りたかった佐藤鷺照先生の資料をお願いしてみたら、快諾を頂きました。

さらには、今日は吟ではなく舞をするとのことで、広島からやってきた部活の後輩も出吟で袖に並んでいるときにやってきた。どれだけ、励みになったことか。

学生の頃は、鬼と言われた私は、後輩にはすっかり嫌われていると思っていたけれど、こうやって、はるばると出かけてきた先で、名前を見つけて、会場を探しに来てくれるのだ。

ありがたいなぁ。うれしいなぁ。

そして、東京連絡所と言っていたころに、中央会で指導をしてくださっていた先生もご夫妻で参加しているので、仲間が席に連れて行ってくれて、会わせてくれた。

そのどれもこれもが、なつかしくてうれしくて、心が大地につながれる気がしてくる。


おかげで、大観衆を前にしても、あがることがなく平常心を保つことができたのです。

私としては、できる限りのことをしたと思っているのですが、さて、客席で聞いていてくださった方は、どのような感想だったのだろう。


コメント

論語基礎講座㋂

2014年03月13日 | 論語と
今年度最後の論語基礎講座。

今日は集中力の欠如。

論語の前に、カラオケで1時間半。
花粉症モドキの風邪であちこちに迷惑をかけていましたが、何とか回復した模様。
電話の声は、だれも私とわからない声変りをして、頭がもうろうとして、集中力に欠ける状態だったので、16日の神戸には、欠席あるいは、大事な用事をピンチヒッターと交代か、という状態でした。

何とか、しゃべる声は元に戻ったので、カラオケに行って発声を確かめる。
こんな時、強力な助っ人がいることが、大きな安心。

一吟やってみて、大丈夫と思えた。

それは、私の吟に対してではなく、応援してくれる人がいるという実感で、そして、その実感が気力の充実をもたらし、当日の大事な役目をはたすことができると思えたのです。



そして、論語教室。前回の育成講座は、花粉症の全症状と冬から春へのデトックスが一時期に押し寄せて、ダウンしていました。
先生もお仲間にも心配をかけてしまい申し訳ありませんでした。

先生の講義のあとは、4月からの詩吟と漢詩の講座のコマーシャル。
一吟するほうがよかったのでしょうが、体操をして、体をほぐしてもらいました。
そして、いつも先生の言う、地球と宇宙とつながっているという言葉も入れて、素読によって慣れた発声にそのまま詩吟の法則を入れていけばいいのですというコメントをちょっと入れて、約5分。

今日は、4月からの詩吟が導入されることを聞いて参加してくださった方が、3人ほどいらっしゃったようです。

一人は、詩吟仲間、一人は論語仲間のお知り合いだった。

結局、15~6人の申し込みが須藤先生のほうに届いているとのこと。

須藤先生の論語教室のひさしをお借りしているという状態なので、先生の指示通りにしているわけで、こんな時、私は、どう動けばよいのだろうと考えてしまう。

今は、この流れに乗って、強力な手助けを得ながら行き着くところにいってみようと思う。






コメント

飛んでくるものは?

2014年03月07日 | 徒然に日々のことを
30年ぶりに、と言う言葉を発してえっそんなに長く私は生きていたのかと思う。

何を言い出そうとしたのか、そう、花粉症だ。

ここに引っ越してくる前は、杉林の隣にいて、産後に花粉症を発症して、苦労をしたのものだ。
こちらに来てからは、発症しなくなった。それで、30年近く忘れていたのに。

来るときは、突然に来るものだ。

あーぁ、ざんねんくやしい。

いろいろと予定があるというのに、詩吟教室はどうするんだ。

せっかくここまで体つくりをしてきて、薬に頼らない生活になって来たのに。
薬はやたらと飲みたくないし、でも、このくしゃみじゃあ人前に出るには、薬に頼らざるを得ないし。。。

整体の本を読み返して、免疫力アップを図るとしよう。

しかし、いきなりのどに来たので、電話に出ると一様にみんな驚く。

鼻水が出るのは、体にたまった水を出したいそうだ。そしてそれは、冬の間に冷えたからだと腎臓に難ありということ。
まず、足湯か?

足湯ってなんにでも出てきて万能だね。でも、この場合、くるぶしまで?ひざしたまで?

と、試行錯誤中。
なんとか、早めに切り上げたい。

花粉と煤煙とハウスダストと何が一番悪いのかなぁ。きっと、30年前のスギ花粉だけの時よりは、得体のしれない者同士が相乗効果を発して強烈だ。
何かを忌避できないなら、自分が強くなるしかない。


コメント

ひなまつり

2014年03月03日 | 詩吟
今日は女の子の祭、しかし、孫はいないし訳有って田舎から急きょ身を寄せていた義母も、小さいながらも庭のある義妹の家へと行きました。

この半年間の、心の嵐は、大きなダメージを与えたかに見えたけれど、吹きすぎてみると、思いのほか大したことはなく、ずっしりとした手ごたえのある置き土産が残ったのです。

今、姑は、娘との生活のうれしくてたまらない様子が電話から伝わってくるから、良い選択だったと思う。「かあさん、よかったね。」






今年は甲午。何事か、新しく始まり、変革する年らしく、いろいろと気持ちの在り方が変わったり、物事が始まったりしている。


いま、ここに書けることと言ったら、漢詩をつくる気になったこと。
詩吟仲間から、作り方のレクチャーを受けた時は、心が動かなかったのだが、確実に私の中に種が植えつけられていたことを知る。

孔子様を愛し、漢詩の美しさを教えてくださった須藤先生の愛あふれる言葉に触発され、固かった種が芽を吹きだしたようだ。


漢詩といえば、完全にこれは私の勉強不足なのだけれど、好みに合った詩がないと思っていた。
でも、そうではなかったなぁ。
そんな漢詩の良さを知らないで続けていた詩吟って、私にとって何だったのだろうなぁ。

そういう私が詩吟の先生なんて、おかしいよねぇ。

それでは、少しはましな人になりつつあり、もう少し深みのある詩吟をやれるようになることを期待するとしよう。


とりあえず資料を参考に、作った詩を先輩にみていただいて、チェックャCントをやり直し,推敲の真似事をはじめているところ。

元の詩は、あっという間にできたのだけれど、さて、見えなかった大きな壁があることを知る。

とりあえず平仄と韻を合わせて、一応の完成としよう。



詩を作り始めるにあたって、テーマとして浮かび上がったのは、佐藤鷺照先生のこと。

長く、お亡くなりになったことを知らず、きちんと送別の思いをあらわさず来てしまいました。先生のカセットテープを聞いては、存命のごとくにしていました。

ここらで、きちんとお送りせねばと思っていたので、先生を思い送る詩を作ろう。

さて、いかなるものが出来上がりますやら。



出来上がったら、関西吟詩文化協会の吟詩日本に投稿しようとしたのだが、指定の内容でないと受け付けられないと分かり、投稿は断念するか、それとも、ちょっと脇に置いて、四月の初めに締め切りが來る「夏」を主題とした詩を作り直すのか、いまだ思案中。


それにしても、孔子様を読みとく須藤先生との出会いと、吟友の種まきがなかったら、ただ声を出すだけの人として、満足しきっていたなぁと思う。
姑の置き土産その1でありました。
その2以降は、プライベートすぎる内容で、ここには書けません。あしからず。





そのような思いの中にいる先日の中央会では、野田 芦孝先生不在のため、偉そうに声の出し方を講義してしまった。

幹事長の教案をもとに、日頃思っていることを、忌憚なく表現させていただきました。
山口先生の願うみな等しく理想の発声ができるようになるためには、繰り返し飽きずに練習することという言葉が、山口先生の直弟子を訓練する言葉の中にありました。
頭や文字からの情報に頼るのではなく、繰り返し体に覚えさせる。

自分の体という楽器を思い通り操るには、メンテナンスをせねばね。
そして、さびをとったら、最高の音を奏でてあげなければ、せっかくの楽器が泣いてしまう。
せっかくの名器を持ちながら、使いきれてない人があまりに多い気がします。
この私でさえわかるのだから。。。



その願いを、どうかなえたらよいのだろう?
続けること、あきらめないことは必須で、その上にはなにが?  (3/5)



コメント