風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ぼくはこたろう

2025年05月01日 | こたろう

                    2007年7月16日撮

             

       僕の名前は、こたろう。           
           詩吟を習っている母と名コンビです。               
僕は、今年も21才のまま。   
     母は、とっくに還暦を過ぎ古希もあっという間に過ぎました      
僕と母のつれづれを、きままに書いています
よろしく
 

 

コメント

こたろうさんの椅子

2023年10月17日 | こたろう
鶏のゆかへ上がりぬあきの暮れ   
                                         正岡子規
(「子規365日」  夏井いつき より)

朝ドラが終わるころ東の窓の障子にやっと朝日があたりはじめる。
今日はその窓の前に椅子が置いてある。
いつのまにか鼓太郎専用となった椅子である。。。。。
  今も専用のままなんだから上がっておいでよ。
      鼓太郎さん。。。。。。。。

亡くなる日の最後のアクションは、南向きの出窓に飛び乗ろうとしたこと。
あさのひかりを浴びながら、日課のうたたねをしようとしたこと。
音がしたので、いってみると、この椅子の下に倒れていたこと。
数年前から、直接出窓には飛び乗ることが出来なくなったこと。
この椅子が窓のそばに移されて、手助けが必要にになったこと。
その数日前から、この椅子の下で「アーン」と呼ぶようになったこと。
最後の日は、なぜか呼ばれなかったこと。
にわとりの句から、去年のことが突然思い浮かんできました。
「どたっ」今もその時の音が耳に残っています。

抱き上げて、出窓のお昼寝用の籠に横たわらせました。
弱弱しくはあっても、頭をもたげて私と視線を合わせてくれました。
頭をなでながら、娘にいよいよかもしれないと告げました。
思い出話をして、感謝をして、褒めたたえて、一緒に泣きました。

  
     
     朝日の入るりの東向きの窓・こたろうさんの椅子 
コメント

蝉の声

2023年07月20日 | こたろう
今年初めての蝉の声。
去年は、胸の中をカラカラと鳴っていた。
今年は、溺れそうになる。

鳴蝉や得意げな猫(コタ)の口中
                       

年に一度の狩りの季節。蝉を捉えて得意げに持ってくる鼓太郎であった。
いつもは可愛げに寄ってくるのに、蝉の捧げものの時は、テレビで見た
雄ライオンの雄大な歩き方だったねぇ。
そして、鼓太郎の口の中から聞こえるのは、ジジジと言う哀れな声だが、
私には、鼓太郎の得意な気持ちが合わさって、立派な「鳴蝉」と聴けるのだ。
鼓太郎は時に「コタ」とも呼ばれます。


23日(日)中央会の日、特に感情の動いた日でした。鳴蝉について、思いが
溢れて、傑作がうまれました!

     鳴蝉を咥えて吾子はのしあるき

吾子は、鼓太郎のこと。人間でいうと100歳に近い齢でも私にとっては、
鼓太郎は、吾子。居なくなってしまった今は、どうしようもなく吾子。

 

コメント

そのころ我が家では

2023年07月15日 | こたろう

   

去年一年間は、娘が遠慮して、預けてこなかったので、
久し振りの来訪です。

すっかり大人になって、真夜中の運動会はなくなりました。
そして、こんなリラックスな表情を見せて、初日から香箱座りを
見せてくれました。

白餡のあんちゃんと、はちわれの福ちゃん。
コメント

5月1日は命日

2023年05月08日 | こたろう
「風のこたろう」ぬし消えて 1年の立夏

ブログを始めるにあたって「風のこたろう」とブログ名を決めて
悦に入っていた時、こんなに長く続くとは思いませんでした。
まして、こたろうが、居なくなることがあるなんてことは露ほども
思わなかった。
見送って1年が経ち、いまだによろよろとしています。



こいのぼり いまは 揺れの感知のみ

我が家のお手製地震感知計は、鉛のおもりの付いたタコ糸が天井の梁からぶら下がっています。
その中間には、おもちゃのちっちゃなこいのぼりがついている。
日頃は鯉が揺れを増幅して伝えてくれます。
五月だけは、「鼓太郎のこいのぼり」として「お祝の仕事」をしていました。
その大事な仕事がなくなって、感知計としての仕事だけになりました。



鼓太郎の居なくなったブログ「風のこたろう」は、今年の五月一日をもって
終了のつもりでした。


この処、嬉しいことや書きたいことが出てきてしまったので、どうやら、
終われないようです。
それで、こたろうの写真のあるトップの記事の日付を2023年から2024年に
かき替えました。


終わりなんて決めるものではないなと思いながらの作業です。
鼓太郎は、自分で決めて逝ったのかなと思っていましたが、どうもそうでは
無く、自然にあるがままに枯れるように逝ったのだとわかりました。

「こたろう」の名のついたこのブログも、名前のぬしはいなくなったけれど、
何も決めないで、自然のままにすごして行くことにします。

こたろうの亡くなった日からの哀切涙ぽたぽた日記は、下書き保存のままです。
コメント

2023年04月24日 | こたろう
声  のこる 千翔の講座は枯山唄

「9分あたりにこたろうの声 10分あたり千翔吟詠」メモにある。
古賀千翔先生のzoom講座の音源。

「本能寺」の音源探し中、手が停まる。
   (山口華雋吟詠 山口華雋愛吟集・藤本曙洌吟詠 和漢名詩選(六)
     の二つがみつかりました。)
   (松野春秀先生の声で、「本能寺」と言うのが頭にこだましている
    けれど、記憶違いだった。)
昨日の武勇伝を書こうとして思わず聞いてしまったら腰砕けになる。

鼓太郎の声は、昨日のことは昨日のこととして強制終了する力あり。

いろんな思いを抱えながら、飲み会の更に二次会の(なんねんぶりだろう?)
少人数の締めでは、思いがかけない先生から、お褒めの言葉を頂き大満足を
得たこともあり、その「幸せ」を思い返してそのままにしておこう。



コメント

まだいるよ、もう、いない?

2023年03月27日 | こたろう
年明け、鼓太郎の体の無い誕生日が近づいてくる。
どんどん強くなる悲しみ制御できないときがある。
誕生日当日は、第4日曜日。
中央会、しかも、昇段試験の日です。

何かをきっかけに、泣き崩れるのではないかと言う思いに囚われていました。

案ずるよりも生むがやすし、いままでもこれからも、詩吟には休むことなく
足を運べるのがわかりました。
気持ちがくるりと切り替わって、憂さを忘れることが出来ました。

少々過激になったのは、主のいない誕生日のせいではなかったようです。

無事、今年のこたろうの誕生日が過ぎ去り、嵐にもまれることなく、終了。

これで、鼓太郎は、無事三途の川を渡ったのだろうか。
無くなりはしないけれど、少しづつ薄らいでいくんだろうなぁ。
就寝中にこたろうの重みを感じることは何時の間にか無くなったなぁ。
一時、胸の上で眠ったことがあり、その頃は体重が5キロくらいあったので、
もう少し私の体力が落ちたら、心臓に悪いなぁと思ったことがありました。

そんなこと思わなければよかった。
無くなる前は、2キロくらいに体重が落ちていましたから、胸の上でも
一向にかまわなかったのになぁ。時々、湿った鼻の先の冷感を感じて
嬉しかったのになぁ。

鼓太郎は、私の気持ちをよくわかっていて、嫌だと思うことは、叱らなくても
すぐに止めたからなぁ...

鼓太郎の重みがなつかしい。

お前の変わりなんてないから、もう、誰もつれてこないからね。

本当にありがとう。幸せを一杯もらいました。

  猫の吾子母の宝であった青嵐
          (夏木先生の句をまねて)

  こたろうのきたるらし 落ちたお供え 麦の秋
        (孫の折った折り紙のお供え、風もないのに落ちました。) 

  薫風に聴く かすかなニャーン まだいるね
        

コメント

風になった鼓太郎

2023年03月26日 | こたろう
2001年3月26日(月)鼓太郎 三浦半島の漁師さん宅に産まれました。
ネット上でもまだ珍しかった里親を探すボランティアさんの手で、はるばる
高速を走って乳離れしたばかりの小さな猫(こ)が届けられました。
ボランティアさん宅では、ゴンザレスと呼ばれていたそうです。
次女の命名になる「鼓太郎」は我が家の三番目の子供として登場。

2023年3月26日(日)の今日は、鼓太郎の22歳の誕生日をむかえるはずでした。
21歳の誕生日は、スリムになりながらも、元気で、先の異変など想像も
出来ないくらいの、元気さで、出窓やベッドに飛び乗り飛び降りていました。

ところが、去年2022年5月1日(日)夕刻、静かに私の腕の中で身罷りました。
身罷るいう漢字は、身籠るという漢字とよく似ているんだねぇ。。。


食欲が落ち、大好物も半分、三分の一になり、そっくりそのまま残ってる。
やがて水も飲まなくなる。
スポイドで、口に水を含ませるまでとなり、ついには、スポイドを持つ手を
やんわりと退けました。
最後まで自力でトイレに行くことをやめず、粗相をすることは一度も
ありませんでした。
最後の日の二日前まで、ベッドに自力で飛び乗っていました。
翌日、ベッドからの飛び降りが負担になると感じ床に布団を下ろしました。
床に置いた布団でも同じように布団の裾の方で、私の足に体重を
感じさせながら夜を過ごしました。
位置が変わっても、私の布団であればよいのだねぇ。あぁ、良かった。
一晩だけ床に敷いた布団で過ごし朝を迎えその夕刻、枯れるように、静かに
私の腕の中で逝きました。

骨壺に収まったのに、そばに居る時のように、いろいろな信号をいまだに
送ってきていました。


「もういいかい?」と言っているのか、「いつまでもそばにいるよ!」と
言っているのか、時により感じ方が変わります。

私は、「もういいよ」と言えないでいました。

コメント

白梅

2023年01月06日 | こたろう

     

        梅ふくいく あしおとのひそやかに
コメント

みどりがまぶしい

2022年08月06日 | こたろう

                   

    ネギ オクラ ナス キュウリ サトイモ アスパラ

 

        おとなりさんの畑の緑がいっぱい

            緑がまぶしい

コメント