風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

僕元気

2016年12月27日 | こたろう語録


僕は、元気です。
人間でいうと、80才越えなんだそうだけど、まだ、15才だから。

こんなところにも、平気で飛び乗れるし、免許証の返納はしないよ。

今夜、甥っ子たちが来るから、母さんは、忙しい。


母さんは、霜鬢ではあるけれど、「凄然」とは、縁がなさそうな除夜がくるね。        「除夜の作  高適作」からだよ、僕も、母さんが詩吟をするから、ちょっとばかし、漢詩のこと知ってるんだよ。



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新越谷論語の会

2016年12月26日 | 論語と
第4月曜日は、第4日曜日の翌日であり、詩吟の中央会の翌日です。
一番大事で大きな集まりのあとだから、お酒も食事も進んでしまいます。
その翌日でしかも午前中という時間は、ちょっとつらいのです。

お酒を飲まない私でさえそうですから、こよなくお酒を愛して、重要な会を終えた後は、気心の知れた仲間とでは、お酒も進むことでしょう。

なんて、いきなり、今年最後の素読の会の始まりの言葉では無かったなぁ。


今月の詩吟の時間は、いつもより長い時間を下さったので、須藤先生の講義にかなり食い込んでいます。
須藤先生が好きでいらっしゃっている生徒さんは、一刻も早く先生の授業を始めてほしいはずです。

今日司会と解説は、三回目の方もいらっしゃることだし、二回目で、ぶっとんだ私見をしゃべったので、須藤先生にかなりフォローをしていただきました。ですから、短くしました。


慣れてくると、吟者さんも一吟の前に、一言おっしゃってくださるようになったので、それで十分で、わたしの出るのは、もういらないと思いました。

ただ、この、前説のおかげで、漢詩を鑑賞して、心躍らせることができるようになりました。
解説というと、テキストの文言が正解と思っていました。

漢詩を解説いただいてからというもの、詩の鑑賞することは、自由でよい、正解はあってなきがごときということを感じ取ってから、自由に膨らませて、たまには、フォローが必要になるくらい、飛んでしまう鑑賞の仕方ができるようになりました。


年明けから、奇数月は、須藤先生チョイスの漢詩の吟詠、そして、偶数月は、芦孝会メンバーの選んだ漢詩を、冒頭に吟詠するということになりました。

1月は、大伴家持の「あらたしき」です。
さて、2月の吟題は、何にいたしましょうか。
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中央会納会

2016年12月25日 | 詩吟
今年1年の、すべての最後の詩吟の会。
一言のあと一吟。

皆さん最近は、一言の時は一言で、終わりにして、さっさと吟詠に移られます。私は、予定していた言葉を飲み込んで、なんだかほかのことを言う気になってしまって、とりとめもなくしゃべり始めて、下手なスピーチになってしまいました。


私の役目として、もっと芦孝先生のことを、語らねばならなかったはずなのに、それをしてこなかった。
かといって、芦孝先生は、苦労話や手柄話を喜ぶ方ではないのは、重々承知なので、会員さんたちに話す切り口がわからなかったのです。

とはいえ、この、語るということは、私の10年のブランクがなければ、もうとっくに始まっていただろうし、こんな、スピーチをすることもなかったと思うのです。

10年のブランクの間に幹事会が組織的になり、強いエネルギーをもって前進していたから、私の出る幕はなかったのです。

それもそのはず、私は、復帰した時、精神的に不安定で、心にうるおいのない状態でしたから、そんな前向きの行動は、今思うとできなかったのです。
 
むしろ、詩吟をすることで、回復の手助けをしていただいていたようなものでした。

それを、忘れていました。

「芦」を持つ人たちよ、もっと、「芦」について考えようではないか。

享受することが当たり前の生き方ではなく、「芦」一家として、自分のことだけでなく何を考え行動しなければならないか、考えようよ。

そんなことを言いたかったのですが、全く反対の受け取り方をする人もいて、私の、スピーチは見事に玉砕でした。
ただ、ひとさまの時間を奪い取っただけでした。



私は、「照」でありながら、芦孝会に身を置き、その時間の方がとっくに長くなりました。
庇を借りて、好きなことだけをしてきた、させていただいてきたこの長い時間を振り返ると、どれだけたくさんのものを受け取ってきたことか枚挙にいとまがありません。

そのことによって、朋友を得、心に潤いを取り戻し、「ときめき」を感じるようになったことは、喜びと感謝に堪えません。


そうよねぇ、その感謝だけを伝えればよかったのに、誰かのことを励まそうとしたり、ときめいてますか?なんて尋ねたり、やはり、ちゃんと準備したコンパクトなことばを言わねばね。

気持ちが軽くなると、ペダルも軽くなって、暴走するのね。


年の終わりに、大反省をしました。新年を迎えたら、謙虚に飛ばねば。

来年は酉年。酒と言う字に似ているねぇ。
酒と、朋友。いいねぇ。



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夢青葉 納会

2016年12月23日 | 詩吟
おかげ様で、今年一年、何事もなくお稽古ができました。
ひとえに、会員みなさんの、やる気と、幸運と、ゲストさんがきてくださることで、多いなる刺激を頂いたおかげと思います。

今年は、師範代昇格に向けて、いつもとは違うお稽古の進行をいたしました。
師範代を頂いてすぐに、教室を持つという方向には、行かないと思いますが、何時機会が巡ってきて、指導をする立場になるかもしれません。

受け身で進めていたのを、能動的になってほしいと願いました。

その手始めとして、他教室へ出向いて、お稽古をするという、東京芦孝会では当たり前のことに取り組んでいただきました。
最も効果的に、今までの流れを変え、意識を変えることができるからです。

詩吟の練習も、「予習はしないでください」方式を中断して、予習形式にしました。

神戸の芦神さんは、だいじょうぶかなぁ。。。来年、帰るはずが、もう1年伸びたので、神戸の先生のひざ元から受験ですから、先生の助言を頂いているでしょうか。


二人の師範代受験者は、熱心に、頑張りました。
来年も受験までは、課題の10題を、繰り返して、テーマを見つけながら、練習をしていきます。

順師範受験者さんは、もうほっておいても大丈夫です。自立して、何かあったら尋ねてくださいね方式です。

今日は、五言絶句の吟詠のタイミングを計りました。
どうしても、早く吟じ終えてしまうので、ゆっくりと吟じましょう。しかし、予定時間に吟じ終えたとしても、間延びして聞こえる吟詠ではいけませんから、そのためには、どうしたらよいでしょう。

考えてもらいました。

そして、大山のタイミングについての、問答がかなり熱を帯びて、往復しました。

声が支えられていること、高い音はあくまで高く、中音から降りる時は、慌てず、ゆっくり間をもって、下がっていけば、喉を擦らないで、美しい音色が出ます。

そして、コンクール用の吟詠では、体調不良を押して、決していい訳をせず、前向きで、吟自でくださいました。

彼女の良いところは、いい訳をしないところ、潔いところです。
助言に対しては、すぐに、やってのけて、毎回、スキルアップをしていくのには、今までのため込みの深さを想像します。


いつもより早く切り上げたお稽古でしたが、充実していました。
質問が出る前向きのお稽古は、聞きたい知りたい思いが強く、私の思いが素早く,濃く届くように思えます。

さて、女性ばかりの納会は、お茶と、ちょっぴりの梅酒と、お菓子とで、行いました。
ノロウイルスが浮「この頃ですから、調理して持ってくるのは、中止にしました。
一番安全な「パン」とは、殿方のいないお茶会ならではのこと。

楽しくおしゃべりが続き、5時からこの部屋を使う方たちに追い立てられるようにして、部屋を後にしました。


どちらにもお誘いをしなかった納会ですが、ゲストさんがお一人お見えになったおかげで、にぎやかになりました。

そして、若い人の、「恋ダンス」今、巷で、大人気の、アメリカ大使館でも踊ってメディアに乗っていたダンスを、いち早く、覚えて、披露するなんて、さすが若い会員さんの目玉のご披露でした。
ありがとう!!!


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夢松風 今日は冬至

2016年12月21日 | 詩吟
ご自宅の庭になったゆずを頂きました。
そのゆずを浮かべながら、ほっこりとした気持ちで、今日一日を思う。


『「ときめき」いい言葉ですね。良い言葉を教えていただきました。』

今、私のブームになっている「ときめき」への思いを、とてもいい感じに受け止めてくださいました。

ときめきをたくさん集めましょうと、今年最後の松風を終えました。

今年一年で、さらに成長した会員さんたち、どんどん追いついてくる。

来年も、大きな期待をしています。



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恋のときめき

2016年12月16日 | 体を整える
今日、盛り上がったのは、「恋」の話。

詩吟をしていると、最近恋のときめきを感じることがあるんです。と言ったら、、、

そうそう、「恋」のような瞬間は、何度もありますよね。という反応が返ってきました。


「恋」という表現をしたら、すぐに、反応があって、どんどん会話がいつになく進んで盛り上がりました。
この「恋」は、誰とでも、いつでも、どこでも、何度でも、できますよね。
そのたびに感じるワクワクドキドキは、いろんなものをもたらしてくれますよねぇ。
と、とても満足の行く反応が返ってきて、やっぱりねぇ、うんうんとお互いにうなずく。


この恋は、いいですよねぇ。
初恋もいいですけど、初恋はいずれは終わるけれど、私たちの恋は、いつまでも、何回でも続きますよねぇ。

経験したことのない人は、残念で、かわいそうですよねぇ~と、果てしなく会話が続きました。


例えば、練習しても練習しても、なかなか、音がとらえられなかった人が、やっと、やっとのことで、音を捕まえた時。
わくわくしない?「よかったね」だけ?

ここまでの頑張りと、通り過ぎた時間とが、その人の笑顔とを、音を奏でる体のコントロールができた時、この上なくうれしくて、ワクワクして、恋のときめきのような感覚を覚える。
だから、そのことが「恋」。

人にではなく、その出来事にときめく。

そこに、かかわった私、私のアイディアに反応して、うまく体の反応を引き出してくれたことに心が動きます。


初級者だけでなく、上級者にたいしても、あるアイディアを提示して、それが、受け入れられて、楽器としての体の良い反応を引き出してくれた時、また、ときめく。

至るところに、恋の生まれる素地があります。

若い人は、「こいばな」(恋の話のこと)というのですが、これから、わたしも「こいばな」がじゃんじゃんできそうな気がしています。

なによりも、私の気持ちが、「こいばな」を受け入れるように、柔軟になりつつあるから、些細なことでも、大きな振幅で、揺れるのだと思います。


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菜根譚と特別吟詠

2016年12月15日 | 論語と
今年最後の菜根譚の授業の日。
まず、12月は、特別に20分の時間を詩吟の時間としていただいています。
今日は、二度目。

そのほとんどが、前回の北千住論語に出席している方たちなので、詩吟の前説を全く同じ物では面白くないと考えて、角度を変えてみました。

教科書通りの漢詩の説明は、ここでは必要がないのです。
須藤先生の漢詩の解釈をお聞きする前には、心を動かさずして、よくも吟詠をしていたものだと、あきれるくらい、関心がなかったのです。
詩を手にして、心が動くとは、こういうことか、と、次から次へと想像が広がるようになりました。
そんなわけで、ボタンを二つくらい外した、私見をご披露をいたしました。
そんな、おしゃべりを聞いて、しゃくし定規でなくてよいのだねぇと思ってくだされば、うれしい。

やはり、「除夜の作」「山中幽人と対酌す」「山中の月」では、「山中幽人と対酌す」に思いがあふれて、たくさん時間を費やしました。
結句の「思い有らば」に気づいてから、果たして李白は、わがままだったのかと思い至ったことをおしゃべりしました。

詩吟を続ける中で、いろんな、わくわくのある朋友とのかかわりを今年は特に強く感じる年でしたから、いくらでも、話をする核になるものはあるので、話には事欠きません。

ただ、そんな話は、サッサとおしまいにして、須藤先生のお話をたくさん聞きたいという方もいらっしゃるはずです。
そんな方にも、興味を引くように、漢詩に対する説明をしてくださって、ボタンを一つ外しすぎたところの穴を埋めてくださいました。

これだから、私は、安心して、漢詩への私感を心置きなくしゃべることができるというもの。

今日のお二人の三題の吟詠は、何時になくさえわたっていて、前回の上を行く吟詠のテクニックで、さりげないけれど、たっぷりの情感とで、素晴らしい吟でした。
お二人に完全に任せてしまったのが、却って、良かったなぁと思いました。
うれしくてワクワクし、期待を裏切られたことでまた、さらに、高揚感にみたされました。

これぞまさに、恋の瞬間。



そして、須藤先生の講義
最終盤に差し鰍ゥった菜根譚の中で語られた洪自誠のことば。
今日の須藤先生の読みときの中に、「あるがまま」でいなさいと。自分はじぶんでしかないのだからと。
そして、次の章では、天地の実態とは何か、それは、桜花爛漫の時ではなく、晩秋の水が乾き、木の葉が落ちて、岩や石が痩せ、崖や岸も枯れてしまったその時が真の姿だというのです。
桜花爛漫の春の景色は、幻であり、仮の姿であるという。

あるがままのとらえ方が、難しい。あるがままだからと言って、裸身のまま何もしないということではない。
欲に駆られて頑張るのは、違うのだろう。









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おもちつき

2016年12月11日 | 徒然に日々のことを
       ★ 町会恒例の御餅つき大会 ★

廃品回収など、子供たちへの物心両面で応援をしていただいている町会会員さんたちへのお礼の意味を込めて、毎年、この時期に臼でお餅をついて、つきたてを全戸に配っています。

子供会の役員さんたちが中心となって、時間のあるその他の役員さんも、お手伝いをするのです。

朝の五時から、午後三時ごろまで、行っていますから、30分でも1時間でもという要請でした。
2時間もお手伝いをすれば、いいかなと軽い気持ちで、助っ人に行きましたが、出かけていったのが、一番暇になった時間だったり、ちょっとの間帰宅していた間が、一番忙しい時間だったらしく、再度、顔を出したときは、潮が引いていて、ちょうど、最後のお餅を配る段になっていました。

大事な各戸にお配りする仕事には、間にあいました。
名簿を確認しながら、もう一人の役員さんと、台車を押して、さあ出発。

つきたての餅は、暖かくて柔らかくて、手から手へとお渡しする時は、お互いに優しい気持ちになりました。
たまにしかない、こんな機会に、つかの間の会話を楽しんでいるお年寄りもいらっしゃるので、できる限りお付き合いをしました。
仕方なく会話を打ち切らねばならないのは、申し訳なかったなぁ。

もう一年役員を務めることになっているので、来年は、一人で、のんびり時間をかけて、お配りしたいなぁと思ったことでした。
ただ、玄関先は寒い季節なので、程々で切り上げるのが、よいのかなぁ。。。


このお餅を感謝を込めてお配りする行事は、40年余り続いているのだそうです。
昨今、食べ物については、食中毒が懸念されるので、賛否両論ある中で、伝統を守り続けるのは、並大抵ではないようです。


町会会館の庭にテーブルを出して、やってきた子供たちには、きな粉餅、あんころ餅、納豆餅、安倍川を振舞い、餅つき体験もあるのです。

今年は、大根おろしのお餅は、安倍川にとってかわられました。生ものだからということで。
安倍川餅もおいしいけれど、大根おろしもおいしいのにねぇと、おしゃべりが盛ん。

関東ののしもちをのし板に乗せて、ホカホカのお餅を平らにのしていく作業は、初めてのことで、薄いところ厚いところができて、とてものしもちとは言えないものができました。
これは、上手に作った失敗作という名が付けられて、小さく刻まれて、安倍川もちの材料に回されました。

そろそろ二枚目の安倍川もちが欲しいときになっても、上手のてからは、なかなか、刻みに出してしまうのしもちは出来上がらず、海苔と醤油をつける係は、手持無沙汰となり、餡や、きな粉をまぶすところに加わったり、臨機応変に作業が進みます。

私自身はというと、枯れ木も山の賑わい、あるいは猫の手感覚で、手伝いに行ったわけで
どう考えても、役に立ったとは思えません。たくさんの若いお母さんの中で、右往左往していただけ、申し訳なく思いながら、ちゃっかりお手伝い御礼のお土産を一人前に頂いて、家に帰ってきました。

家族の中や、趣味の仲間に混じっているときは、お山の大将をしている私なのですが、その姿は露ほどもなく、今日一日実らない気づかいをして、まったくの形なしの体でした。

少し様子がわかったので、来年はもう少しは、役に立つことができるでしょうか。

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言葉と思い

2016年12月10日 | 詩吟
言葉と思いが、言葉に乗せた思いが、届くことは、恋をしているのと同じ。

伝えたいことは、なかなか届かないものだけれど、手振り身振り、そして、一生懸命をまきちらして、初めて、ほんの少しでも届くと、嬉しいものです。


こと詩吟となると、熱を帯びて、言葉を尽くして、楽器がいい音色を出してくれるまで、止まるところがない。

こんなに時間をかけてはいけないと思いつつ、あと少して届きそうなとき、手を変え品を変えて、ことばをつくし、ヒントを繰り出し、そして、一緒に声を出し、楽器よ鳴れ!楽器よ奏でよ!と、請い願う。

暑苦しいし、時間を公平に使えない。
ゲストに来てくれるとうれしいと言ってくださるのだが、果たして、教室運営となると、邪魔をしているのではないかと、心配になる。

届かない思いを、届けよと祈り、届いた時は、恋の成就の瞬間。

「そう、それ!」と、叫ぶ、さけぶ。

これがあるから、やめられない。

相手の笑顔がまぶしく嬉しい。

思いが届かなくて、言葉が上滑りしてしまったら、申し訳なくて、さらに追い打ちをかけていきそうになるのを、こらえて、どういう表現、どういう言葉が相手に通じやすいのかを、宿題にして、反省する。


これもまた、辛いけれど、楽しい作業です。まだ、いろいろなひらめきがあり、次の機会があれば、そのひらめきをお伝えできたら、きっと、必ず通じて、笑い合う時が来ると、信じられるから。

落ち込んでしまわないで、次の機会をと思える自分を見て、まだ、続けられると、思う。




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夢青葉12月1回目

2016年12月09日 | 詩吟
今日の練習は、2人の参加です。

一人の神戸留学会員さんと、あわせて三人が来年7月師範代昇格試験を受けます。
神戸さんは、チャンと練習しているのかしら?

今年は、課題吟10題を繰り返し練習しています。
少しずつ要求を高くしているので、二回目の独吟を聞かせていただいたときも、よくなっていますねとの言葉は、そばに置いて、次々と要求を繰り出しているのです。
それを、厳しいととるか、更にスキルアップできる機会と取るか、私の、器量によって、会員さんの受け取り方は違ってくると思います。
きっと、器量の足りなさを露呈しているんだろうなぁ。

要求することは、たやすいけれど、今ある力を十分認めてあげる作業がかけていて、自信とコンプレックスのはざまで、揺れ動いている様子が、見て取れます。

さて、私のこれからの課題は、やっぱり、そう、『寛容』
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