風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

新越谷論語

2015年12月29日 | 論語と

漢文学窓『里仁』の表紙今日のテーマは、表紙、裏表紙の言葉の学びです。

混沌、 成さざるなり、能わざるに非ざるなり、人間 万事塞翁が馬、譲は礼の主(おも)なり、など・・・


一つ一つの言葉は、はじめは知識として入ってくるが、須藤先生は、決して、たくさんの知識を与えようとしているわけではなく、知恵として心に残り、それが花開くことを心から願っていてくださる。
たくさんの言葉を知っているというのではなく、上手に使えて、初めて、学びが生きてくる。

詩吟も、数多く知っていることよりも、一つの漢詩を丁寧に学んで、存分に吟詠できるのを楽しみにしています。

先生と学び教えられながら、心の響く章句に感動し、心が働かせられるようになり、思い溢れて、語るようになる。

天の命之を性と謂う
性に率(したが)う之を道と謂う
道を修めるこれを教と謂う         (中庸より)


らんちのあと、須藤先生の御主人さまの車で、越谷市の花田苑にご案内いただきました。
残念ながらお休みでしたが、隣接の能楽堂の見学ができました。

公園内は、能楽堂付設のお部屋の大きなガラス戸から、見渡すことができました。
日本庭園のたたずまいと、能舞台の静かな空気が、シンと迫ってきて、何かがあふれそうな気がしてきました。

先生のメールには、「実踏」という言葉が使われていました。
先生には、その言葉を使う目論見があったようです。
のほほんと、構える私への、最小限のことば。春風だ。
この春風は、どこに連れて行ってくれるだろうか。私は、どこへ行きたくなるのだろうか。



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東京芦孝会納吟

2015年12月27日 | 詩吟
今日の課題は、「母を路上に送る短歌」
頼山陽三つの母を歌った詩の一つ。
朗読あり。

詩をさらった後、長い詩は、二行ずつ分担して発表していますが、今日は、珍しく女性の参加が多く、七人。
この漢詩が、14行。丁度過不足のない人数です。
今日は、女性からとの指示で、いつもは、男性が先に一通り吟じてから、女性が吟じるというのを順番を逆に、指定されました。

敬意を表したんだよと誰かが後になって言ったのですが、今日は、過不足ないから?
急にどうして?

詮索してもしょうがない。いつも出たとこ勝負の練習をしている私は、こんなこと日常茶飯事。

さて今日は、納吟でもある。
一言コメントして、吟詠。

私は、何時も一言で済まない。どうしても饒舌にしゃべってしまう。
今年後半の私のテーマは、「春風が氷を溶かす如く」そして、吟は「山中問答」

今年は、指導を始めて5年。指導者としてやっと5才なのだ。
至らぬ、私を、会員さんたちは、良く支えて、良く育ててくれたと思う。
春風は、氷をその温かさで、溶かす。しかし、私は、氷を発見すると、アイスピックで突き刺す。

私は、瞬間に反応して瞬間に言葉を発するから、気が付いたら言葉が先に出ているから、それが、凶器となるのだ。
それを、私は、アイスピックと表した。自分ながら言い得て妙だと思いながら、しゃべる。

春風でありたいと思いつつ、そのままではもったいないと思う気持ちが、先行している。
論語に、「言葉は、いざ発せられると四頭立ての馬車も追いつかない。」という章句がある。
当に、そうだ。

だから、凶器となる。

愛の鞭という人もいるが、やはり、師弟関係でもない人に対して、使うべきではないだろう。
反省しても、反省しても、習い性は、改善されない。

私の隣に来る人は、何時も被害者になり得る。

私A 「でもね、もったいないんだものぉ~。だから、言ってしまうのよ~。」
私B 「ダメダメ、弟子をとっているわけではないんです! そんなちからもないんです!」
私A 「はーい」
私B 「よし!」
私A 「たかがカルチャー、されどカルチャーなんだよね」
私B 「そうだよ。分際をわきまえよ」
私A 「・・・・・」


李白は、俗人に対して、答えているが、俗人の私は、李白に問いたい。
そして、自分自身にも、問いかけをする。

「山中問答」を、須藤先生の解釈でお聞きした時から、そして、「絶句」を解釈して頂いたときから、その次に「静夜思」を解釈していただいてから、どんどん、漢詩が身近になってきて、漢詩とは、遠いもの、私には、寄り添えるはずのないものと距離を保っていたのが、変わってきた。

長年吟詠に携わっていたのに、漢詩に対してこの、扱いはないよねぇ。
こうと決めたら、その枠から決して出すことのない、私の習い性は、少しずつ変わってきています。「いいことよねぇ。」
「うれしいよねぇ。」このことに関しては、私Aと私Bは、お互い笑顔を交わしあうのでありました。

こういう機会が増えたことで、私の内なる「凝り」が、ほぐれていく。
それで、きっと、「春風」の章句が目に止まり気持ちに留まったのだなぁと思う。

気が付いたねぇ、よかったねぇ。

・・・・・ただ、気が付いた今からが、学びの始まりで、道は遠い・・・とおもう

なぜなら、気づいたことと、出来るということの間には、長ーい道のりがあることが、わかったばかり。

今日のうれしかったことは、最近入会したばかりの女性会員さんが、中央会に見えて、誘われるままに吟詠発表もなさったことです。
隣席の先輩の控えめな吟に支えられて、正確に吟じられたました。
中央会デビューおめでとう。初々しいなぁ。
その方の、指導者さんは、さぞ教え甲斐があることでしょう。
また、お目にかかるのを楽しみにしてますよ。



 今日の、収めの飲み会は、ことのほか楽しかった。
また、来年への英気を養いました。



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夢青葉今年最後

2015年12月25日 | 詩吟
今日の特別授業は、都合で、日延べになりました。

昇段試験が、例年4月だったのですが、3月に繰り上がりました。
それで、ちょっと焦っている気持ちを見透かされたみたいで、特別授業が日延べになったような。。。それはないか。

3月には、神戸留学さんを入れて三人が四段に挑戦します。
律詩と、絶句一題ずつが課題です。

二人の選んだ、吟題を、復習する時間にあてました。

習うのも二度目ともなると、気持ちにゆとりがあって、ちょっとのアドバイスで、ワンランクアップの吟詠になる面白さを、みんなで体感しています。

螺旋の論理である。


1月、2月は、会場提供してくださっている方ご本人とご家族の体調のケアのため、お休みをしたいとの申し入れで、会場を別に動かして、練習です。

考えてみると、5年以上の長きにわたって、会場提供をしてくださり、何の不都合もなく過ごしてこられたことは、ひとえに彼女の善意に寄りかかっていたのですねぇ。
我が家に来たお客さんの如く丁寧に遇してくださるのを、ここは、会場としてお借りしているのだから、お客扱いは無用と、何度告げたことか。
それでも、気づかいをしてくださって、教室の母親のような存在です。


3月あるいは、4月には元に復帰するのですが、将来、お店の継続か否かを考える時が来るわけで、その時に慌てないように、公共の施設をお借りしてみるのも、良い機会となりました。

公共の施設となると、今までのように、気持ちの赴くままでは、許されなくなりますから、時間厳守で、練習を行う必要がでてきました。

一つずつ、テクをたかめつつ、あくまでも自由に、明るく行きたいものです。







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初一人お泊り

2015年12月24日 | 徒然に日々のことを
20日から、5才の孫娘が一人でお泊りに来ている。
いつもは、お兄ちゃん、妹、ママが一緒だから、果たして一人のお泊りはどうなのだろう泊まる前に帰りたがるかと心配していた。それで、娘と私は、あれこれ作戦を練ったのだが、すべて杞憂に終わりました。

最寄り駅に迎えに言った私に、ばぁばーと飛びついてくる孫娘。
心配はどこへやら飛んでいって、毎日ママのこと、大好きなお兄ちゃんのことを口にすることもなく楽しく過ごしていた。

一日楽しく過ごしても、寝る時になると寂しくなって、何事か、起こるかとの心配も、布団に入ったら、ストンと眠ってしまって、寂しがる暇はなかったようだったのです。

今日は、帰る日。

ママと待ち合わせだからねと言うと、急に里心が付いたみたいで、そわそわし始める。

家族のことを忘れたかのように、毎日を楽しんでいたのだが、実は、寂しい気持ちもあったのだとわかる。

思いっきり、ジィジとバァバを楽しませてくれて、孫にだからこそできることをさせてもらって、クリスマスとお正月が一度に来たような我が家でございました。

symbol1感動の御裾分けは、5才孫娘の手紙symbol1

バァバが洗濯・聡怩ナ、相手にしてくれないので、アイパッドに楽譜を出して、ピアノで遊んでいるうちに、手紙を書くことになったようです。
いつもだったら、アイパッドの取り合いになって、結局は、お兄ちゃんに譲ってしまう彼女でした。
前回は、まだ、文章にする能力がなかったせいもあるでしょう、あれから4か月で、キーボードを使って、文章が書けるようになったのです。あの時は、まだ4才。
11月で5才になった、孫娘。
もうこんな文章が書けるのですねぇ。



書き上げたら次々とアイディアが浮かんできて、封筒を選び、はじめはママだけに渡すつもりが全員に渡したくなって、しかも、同じものを二通ずつ、コピーして、、、、

五才の女の子の、発想の次々にわいてくるのを、片手間につきあいながら、ウルウルしたり、感動したり、ママが読んだらどんな顔をするのかなぁ。

そして、彼女は、こんなことも言うのです。
「ママとあったら、バァバとバイバイするでしょ?さっちゃんは、泣いてしまう」と、ウルウルしながら言うのです。

そんな先のことを想像しながら、感情も移入して、なんて、そんなこと5歳児であるの?
娘の子育てに感服しきり。

ただ、これには落ちがありました。

ママとの再会で、嬉しすぎて、嬉しすぎて、はねながら、改札に消えて行きましたとさ。

やっぱりね、ママとの再会がうれしくなくてはね、バァバと別れたくないと泣かれるのも、なんですよねェ。。。と、強がってみる。

すごすごと、帰宅ラッシュの始まる時刻に、逆向きの電車に乗るバァバでした。

まっすぐに帰りたくなくて、ルミネのある乗換駅で、ちょっとぶらついてしまう、寂しいバァバでした。




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夢松風今年最後

2015年12月23日 | 詩吟
夢松風今年最後のお稽古。

「華城春望」 二度目の?おさらいをして、独吟発表をしました。
何となく中途半端だった時間の使い方を、声を出すのを専らにしました。

やはりこれが、充実感ありです。

今までは、先輩がいらっしゃれば、引っ張られて吟詠ができるという段階でした。
自立して習い終えたばかりの詩を吟じられるようになったため、何回か繰り返したり、高さを変えての連続吟が達成感を与えてくれます。

詩吟の数が、増えて、ある程度自信をもって吟じられるようになって、連続合吟のうまみが出てきます。
それができるようになったわけです。


今日は、得意な詩とあまり好きではない詩のやる気の入り方が格段に違ってきたのを発見。
あれとこれとを吟詠をするということがなかったから、この発見はありませんでした。
今までは、独吟発表なしの日もあったりして、今日の課題の詩を吟じるのが精一杯という状況だったからねぇ。

久し振りに来てくださった先輩の質問は、お互いに有意義で発見があり、先輩も後輩も実りある練習になりました。

一つの吟を何回もかけて練習しているため、吟歴の長い先輩ゲストさんには、飽き足りないお稽古ではないかと危惧したのですが、また、基本に戻って、わかったつもりになっていたことを、再確認したとおっしゃっていただきました。

そして、その質問に答えているのを、後輩さんたちも、十分理解できて、自分のものにできたことが、喜びです。

今日は、祭日のため、施設を使うグループが少なくて、私たちの教室のあとが空いていました。
それで、あと少し、時間が欲しいと思っているのを、幹事さんが察してくださって、時間延長を申し込んでくださいました。

乗りかけているところを、時間で断ち切られるのは、もったいないのですが、今日はみなさんがのりのりで、おまけの1時間を前のめりで、たっぷり練習しました。

こののりのりの気持ちを、2時間内で、盛り上げて、まとめるテクニックを、身につける宿題ができました。


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O脚は、改善する

2015年12月18日 | 体を整える
山田先生の施術の日。
今日は、施術だけでなく、体操のャCントも教わりました。
この体操のおかげで、ひざがくっつかないほどのO脚が、改善してきていて、まだ、さらに、よくなっています。
姿勢もよくなってきて、膝歩きがなくなると、膝の痛みも少なくなって、登りの階段はかなり楽になってきています。

ほんのちょっとの体操ですが、大事なャCントを指摘していただきながら、体全体も整って行く、まさに『整体』です。


これは、先生の力と私自身の気持ちが相まって、なせる業で、日々のちょっとした時間を体操にあて、さらに、自分自身の「その気」が大切です。いわゆる私の名付けた「まえむ気」です。



ちょっとした事件があって、驚きましたが、自分を否定して落ち込まなかったのは、此の処の整体へ向かう私の気が高まっていたことに、要因があったのかと、感じます。


ご挨拶のあとは、まず先生が体の確認をされるのですが、その瞬間、「何か良いことがありましたか」と、尋ねられました。
肩に置いた手が、緊張やこわばりを一瞬に察知してしまうのです。

いいえ、実はねと、思いっきり最近の出来事を話すのですが、ここだけで思いっきり話す吐き出すというのが、大きな、精神的支えとなっています。
とびっきりのカウンセリングを受けているようなもの。

先生も、井本整体で修業をしながら、思い、迷い、精進を繰り返すうちに、感じることや考えることが、私の感じることと、よくシンクロしていると感じます。

聞いていただけること、うなずいていただけることが、何よりの支えとなっています。
そして、自分の本当の気持ちを察知して、自分で、解決する方向に向かいます。


今日、お話したことで、先生が珍しく力を込めておっしゃったことは、先日ご紹介した二冊の本について、「井本先生は、ここまで、惜しげもなく深い話を書いていらっしゃるのかと、驚きました。このようなノウハウ本は、一回読んだら捨て置かれることが多いのですが、くれぐれも、何度も読み返してほしい、そのたびに、学び気づくことがあるから。」おっしゃっていました。


先生と体のことを話ながら、いつの間にか、人生についての大事な話に、及んでいることがあります。このような会話はだれとでもできるものではありません。
施術していただいているときは、先生に体を全面的に預けきっていますから、脱力し、無防備ですから、そこで繰り出される言葉は、包み隠しのない本心です。

コントロールのない言葉からは、やはり、まっすぐな返事が帰ってくるはずです。


おかげ様で、自分を信じることが出来て、今ある自分をあるがままに受け入れることができているように思います。
おかげさま。



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菜根譚・はじめの一歩

2015年12月17日 | 論語と
今日の菜根譚

第三木曜日の菜根譚とはじめの一歩の講座は、大きな声を出す詩吟が組み合わさっているため、隣の教室に迷惑がかかるようです。
詩吟を切り離せば簡単なことですが、須藤先生の考えと、詩吟を楽しんでくださっている方たちもいらっしゃるので、大きな声が大丈夫な部屋を借りるために、あれこれ、試みることになりました。

今日は、学びピア近くの住区センタ―に来ています。

この部屋は、隣が学童のような活動をしているので、逆に大きな声がしますよと施設が側から申し入れがあるくらいです。
願ってもない部屋ですが、菜根譚のみ受講される方たちと先生は、どのように感じられたでしょうか。

先月の復習の一つに、耳の痛い内容がありました。心して、須藤先生のお話を聞きました。
何とかなりそうなものや、遠くて手の届きそうもない章句は、心動かされませんが、今、自分の中で、問題視して、届きそうで届かない章句が出てくると、未熟な私は、腹を立てるのです。

そして、自分の心の癖になっているところに、かかわってくると、渦を巻く感情が波立ち泡立ちあふれてしまいます。
それでも、二度、三度と重ねてお話を聞いているうちに、「前回は、はらをたてたねぇ」と、客観視しているところも出てきて、少しずつ、てなづけていっている気がします。




「菜根譚」の書名は、宋の王信民の『人常に菜根を咬みえば、則百事なすべし』によると言われています。

最初の二字 「人常に」と書いてあるのは、菜根を咬む貧苦の生活に堪えうる人物と読み。
      「人能く」は、菜根の味を味わいうる人物という意味になります。


漢字の一時に込められた意味は、計り知れないものがあり、それにかかわる漢詩は、絶句の場合たった28字で、いかに、奥深い意味を表せるのかと、驚きます。

日頃何気なく、吟じている漢詩は、もっと深い意味を持っているはずだから、心して、鑑賞し、それから吟じたら、どれだけ、表情が表れてくるのかを、いまさらに思う。

通り一遍の解釈ではなく、自分の今までを詩の意味に織り込んで、行けたら、すごいことになるなぁ。

そして、今日は、詩吟のほうではなく菜根譚の授業の中で、二つの漢詩の解説と伴奏付き吟詠をご披露するチャンスを得ました。
菜根譚を読んでいると、どうしても、漢詩がよぎり、その漢詩の表現する思いや、情景を自分だけでなく、みんなと共有したいとの須藤先生の思いで、吟詠をと所望されました。

これから、授業の中で、二吟ほど、毎回鑑賞いただくことになりました。
今日の吟題は、「江雪」柳宗元作と「寒梅」新島襄作をお聞きいただきました。
いずれも、東京芦孝会の名手の男性二人で、尺八の伴奏も河下先生にしていただけます。

豪華版の吟詠鑑賞ができるのも、須藤先生のお話と人柄のよさが、意図せずとも人を集めてしまうからです。

拍手喝さいのすごかったこと。
また、来月をお楽しみに。



今日の初めの一歩は、再度32番の音の連なりを白板に五線を引いてマグネットを置いて、確かめました。

先輩の声の支えがあったら、何んとかできるけれど、まだ、一人では不安という状態。
いつも熱心なお二人は、音をとらまえてきつつあります。
その次に、いつも、面白い感性で、質問をしてくださる方が、先輩三人の模範吟を同じ詩でそれぞれの高さで吟じてもらったら、全然感じが違いますと、驚かれました。

吟詠だけでなく、鑑賞ということも念頭においていらっしゃる須藤先生の意にかなった、展開にもなります。

あちこちと、飛びながら、なるべく吟をしたくない人と、声を出したい人と、面白い織りなしで、1時間半の講座が、終わりました。


今日は、面白い感性で、目を開かせてくださる方が他のお三人が、事情で、今回限りというニュースを聞き、がっかりしました。
それも、致し方ないですねぇ。

先輩がたの吟詠を楽しみにしていてくださった方たちでもあるので、残念です。

これで、はじめの一歩から、詩吟を始めた方は、三名残りました。

来年度4月から、新越谷へ教室を移動することになるのですが、この三名の方は、いらっしゃれるでしょうか。
逆に、新越谷だから、来ることができる方も居て、悲喜こもごもになりそうです。

1月と3月は、ここ住区センタ―、2月は学びピアと、ジプシーです。
皆さん、お間違えなく。


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能オペラ

2015年12月14日 | 徒然に日々のことを
Nopera Aoi 日本の伝統と最先端クリエーションとの出会い
    http://www.hakujuhall.jp/syusai/39.html

青木涼子 能アーティスト
池上英樹 打楽器
斎藤和志 フルート
馬場法子 作曲
山縣良和 ファッションデザイナー

12月14日 白寿ホールにて



すべての意味において、年を感じたこのコンサートでした。

7時開演の10分前には、ほとんど空席、ぴったり7時には、満席となり、5分ほど遅れて開演。
観客は、ほとんどが、仕事帰りの若い人ばかり、たまにご年配の方がいても、若々しく年を感じさせない人ばかり、その中で、頭の白い私は浮いていたかも。

プログラムをさぁ読みましょうと、取りだして、眼鏡もかけたのだが、開演前の照明は暗くて、小さすぎる字は読めなかった。

駆け込んできた人は、事前にネットで、プログラム、チラシにある情報は入れてきているらしい。
私は、それと知らず、読めないことに躍起となっていたのだが、帰って読んでみたら、HPでもうすでに仕入れていた事実だった。

周りがあまりに若い人ばかりで、ちょっと臆してしまって、しかし、青木さんの登場で、そんな気持ちは飛んでいった。

なんだろう?フルートといっても、私のイメージするフルートの音は出てこない。
知識不足なのか、新しい音なのか。
強いて言えば、おそらく、幽玄とかそのあたりの表情をあらわしたのだろうねぇ。

私の座ったF≠Wの席は、ど真ん中に立った青木涼子さんの姿が、すっきりと見通せる席だった。
Fの列から前の席と半分ずれて設置されていたため、肩と肩との間からまっすぐに見えたということ。

おかげで、一番の興味、能の声がどのように出てくるのか、全身を見ることができた。
袴の紐が十字に結ばれた華奢な腰からどうしてあのような、低い良く通る声が出てくるのか、結局はわからなかった。

ただ、まっすぐに私のところに届いて来る声を、一身で受け止めた、感じたというところだろうか。


駅から、ホールまで、偶々ご一緒だったご婦人は、当日券を買うため別の場所に並ばなければならなかったので、ほんのの二言三言しか言葉を交わせなかったのだが、とてもお疲れの様子で、初対面であれこれ聞ける雰囲気ではなかった。

そのご婦人は、終わって、エレベーターに乗ったとき、別人かと見まがうほどの穏やかな表情になって、うしろの方から乗ってこられました。思わず声をかけそうになったのだが、周りは、静かで穏やかな人ばかり、数人の肩越しに声をかけられる雰囲気ではなかったので、それっきりになりました。

私も、あんな穏やかな表情になっていたのかしら?
それなら、嬉しいのだけれど。


声の響きは、やはり、空気に乗って届いて来る声でなくちゃね。
訓練された声は、美しく、漂ったり、あるいは、まっ直線に、届いて、凝った心をほぐしてくれた。

能の微細な動きに焦点を当てられたと言うこの舞台は、辛うじて、前衛「ん?」という感覚にはならなかったのは、能の青木涼子さんの伝統を守って正しく発せられた芯のある声の響きの賜物でしょうね。

揺るがないということ、迎合しないということ。自分を信じるということ。
ぶれないってこと。その上で、コラボの相手を十分理解し、取り込んで、この形できあがる。

コラボって、並大抵ではない。

来春はフランス講演もあるとか。ぶれない、伝統券\と自在な洋楽とのコラボを、フランスの人もきっと楽しむことだろう。






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井本整体 新刊本二冊

2015年12月13日 | 体を整える



薬に頼る前に、まず家でできることがあります。
症状別に紹介されています。









一回たった数分、特定の部位を「ある方法」で熱するだけ。
しかもどこの家庭にもあるものしか使わないので準備もお金も不要。いきなり効果を実感できます。








井本邦昭著の二冊の本が相次いで、発刊されました。

この二冊が家にあれば、健康に過ごせること間違いなし。

呼吸のこととか、体を温めることの意味とか、分かりやすく書かれていて、その症状に合わせた簡単な体操も出ています。


もし、熱によって治すことができなければ、
       それは不治の病だろう    ヒャNラテス



と、熱の本の冒頭に記述があります。

兎に角、お試しあれ。


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夢青葉12月1回目

2015年12月11日 | 詩吟
朝は、強い雨で、さぞ寒かろうと思っていたら、午後出かけるころには、気温が23度にまで上がって、コートを着ているのが暑いくらい。

ゴロゴロと鞄を引っ張っていくのが、雨だと億劫なのだが、晴れておかげ様です。

いつも、にこやかにお迎えしてくださる、会員さんは、此の処いろんなことが重なってお疲れのようです。

練習が月に2回となり、時間も長くなったので、お稽古の配分に試行錯誤しています。

前回の律詩「桜花の詞」のおさらいをし、「鳳凰䑓」を合吟しました。
だんだんに、律詩に慣れていただこうと思います。

初心者20題に専念しようと、計画しつつも、いろいろの状況から、今日は、その中にない吟題になりました。

「春日山懐古」  大槻盤渓作は、コンクールに挑戦しようとしている会員さんの課題吟です。

何かのために練習するという形にどうしてもなってしまう。
しっかり、練習して、そのため込んだ吟の中から、選んで、何かに挑戦するという理想の形からは、離れていますが、今は、こうするしかないのです。

それと決めた吟題を、なるべくたくさん練習して、吟じ込んで舞台や試験に臨みたいものです。

さて、今日は、目で見て確かめながらのれんしゅうをホワイドボードとマグネットで、行いました。

聞いて聞いて身につけるタイプと、数字を追いながらのタイプの会員さんが、うまくその得意な方法が混ざりつつあり、新人さんも加わって、目で追い、指で追いながらの練習が効率よくできました。

音階表と、頭の中で鳴る音とが結びついたら、ずっと覚えやすくなります。

このグッヅは、B5サイズのホワイトボードと、二色セットのペンとマグネット、〆て300円。まだ、3%の頃に揃えたので、309円也。

大きな設備が要らないのは、少人数のメリット。

次回の夢青葉、予定していることが、めでたく実行されるか、みんなで、ドキドキしています。
早く元気になぁれ。まってるよ~。


≪お知らせ≫

1月8日の練習は、都合で取りやめになりました。

1月22日の会場変更です。
    清瀬市松山市民センター 第三会議室
    http://www.city.kiyose.lg.jp/s021/map/010/020/hpg000002639.html
    清瀬市松山2≠Q6≠T
    Tel 042≠S91≠T153
   

   
   




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