風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

写真展当日

2006年02月28日 | チンゲル亭裏日記

風の吹いた後、ガラクタを吹き飛ばして軽くなった心で、写真展に行きました。
近くの友人を伴って、チョカさんにも一緒に来てもらって、ザナバザル美術館に行きました。
曼荼羅の展示が一昨年と違って、ずいぶんきれいになり、照明も明るくなって、こんなきれいな色だったのかと驚きました。
暗い中で見た曼荼羅はおどろおどろしかったのですが、明るい照明の下では、妙に浮ウがなくなっていた。見慣れたせいなのだろうか。

この次は、きちんと説明してくれる人とちゃんとした通訳を伴って、美術鑑賞ツァーをしましょうねと約束しました。

チョカさんも卒論のテーマが歴史なので、メモを取る様子も見られ、参考になったら幸いです。

写真展の始まる前に1時間足らず鑑賞したのですが、初めて見に来たときより疲れなかったのは、なぜかなぁ。
やはり、あの、おどろおどろしさにびくびくしてみたのかもしれません。
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SAVE THE CHILDREN 写真展当日

2006年02月28日 | チンゲル亭
 ニーナ賞1位写真        1位受賞式               2位写真



               2位取材中





トヤ先生(写真指導)                                   先生たち


ザナバザル美術館特設会場で、写真展がありました。
SAVE THE CHILDRENの写真の教室の子どもたちの写真が全部展示してありました。

1位の写真は、UBのビルの間から写したようです。
2位の写真は、どこからなのか聞けませんでした。
授賞式の写真は、器材提供をしているスイス人とセンターの責任者と通訳1位の男の子が写真に写っています。
その天井にかかっている赤い輪は、ゲルの天井になる木の枠が装飾として使ってありました。
手前に写っているのは、常設のショップの売り物の彫像で、写真展には関係ありません。

トヤ先生は、パワー一杯の方で、子どもたちをぐいぐいと引っ張ってきたのでしょう。
その期待にこたえて、受賞した二人は、センターに学びに来る子どもたちにとって、希望の星です。

先生たちの写真のうち男性は、モンゴルセンターの村上日本語教師です。
間もなく任期を終えて帰国されます。
ご苦労様でした。

2位の取材されている子どもは、初めてのことにとても緊張していました。

SAVE THE CHILDRENの顔見知りの先生4人のほかに、校長先生と呼ばれている方に紹介されました。
日本語と折り紙を二人で教えていますと、通訳してもらったら、日本語で「ありがとう」と答えてくれました。

今朝、いろいろと迷っていることを、吹っ切ってきたおかげで、あれもこれも納得。
それぞれの知り合いが見に来てくれたことがうれしく、楽しく写真展を見ることが出来ました。

小さいことにこだわらずに、助け合って、楽しく続けられたら、そして、その喜びが子どもに伝わることが、私にとって「VERY GOOD」なのです。

ドギーさん 「日本語の先生」
私     「いいえ、私は○○子さんよ」
ドギーさん 「いえいえ、私たちにとっては、先生です」

というやり取りがこれからも続きます。
心を込めて、背伸びをしないでお手伝いさせていただきます。

写真展をきっかけに、風が吹いた私の心の中に、ほんの小さな何かが生まれたみたいです。








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落ち込み解消!

2006年02月27日 | チンゲル亭裏日記

「SAVE THE CHILDRENを背負って立ってるつもり?」

その言葉で、目が覚めた。(かな?)

お風呂に入って、いい気分。
甲斐ちゃんも、豚の骨をフガフガ言いながらしゃぶっている。
そういえば、今日は、朝のお漏らしがなかったなぁ。
暖かい日だったし。
昨日もって帰った、カップは夫のお気に入りになった。
いろんなところが具合が良いのだそうだ。

肩に入れてしまった変な力を抜いたら、平和な日をすごしたことが分かる。そして、今一日が終わる頃になった。
これで、頭も少しは私らしくうごくようなるだろう。
明日は、すっきりした頭で、SAVE THE CHILDRENの子どもたちの写真展を見に行くことにしましょう。
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おととしの日記

2006年02月27日 | チンゲル亭裏日記

一昨年の日記を読み返して見ました。
2004年2月2日 初めて、一人でお友達の家を訪問するのに、大通りを渡ってタクシーを止め、行く先のメモを見せ、料金を払う。

それだけのことに、前夜から準備をして、こまごまと夫から注意するャCントを教えられ、当日は、吐き気がするほどの思いをして、それでも、日本人にあって話をしたいという強い願いが、後戻りすることは思いもしないで、ただひたすら前進しました。

タクシーを降りたとき、お友だちとそのワンちゃんの歓迎は、ほんとにうれしくて、やり遂げた喜びで一杯でした。

一人で行動できることだけで、拍手喝采だった毎日です。
たった一つの目的に向かって、迷うことなく進む毎日でしたから、私の頭は整理されていたのかも。
自分ながら、そのときの気持ちが読み返してみてよく分かる。(笑)
今は、ちょっと頭が整理されてないみたい。

今から思うと、自分の事ながらうらやましくもありほほえましくもある日々でした。

一昨々年の夏に、フブスグルの美しさに魅せられて、夏になったらまたあそこに行けるというその希望だけを胸にただただがんばっていました。

こうして、過去の日記を読み返すとは、私って、相当弱っているなぁ。
ちょっと疲れているみたいだから、休止したら?

そういえば、今はオルティンドーもモンゴル語も始めてなくて、片寄った心の使い方をしているなぁ。
昨日、陶撃ノ行って1時間しか土にさわらなかったけれど、元気になった気がしたもの。
先生、早く田舎から帰ってきて。オルティンドーを歌いましょうよ。
そのときの通訳さんは、花ちゃん、今は、大阪で勉強中です。
あれから、2年もたったのねぇ。

あのとき、命がけのような思いでやっていたことが、今は、当たり前に出来るようになっていて、「あっ、いけない!」
自分か当たり前に出来るからといって、最近UBに来た人に当たり前のように言ってはいけなかった。
反省、反省。

娘からのメール、週末を目一杯楽しんだとのこと。
良かった。元気でいるみたい。
風邪気味の母親の心配までしてくれた。
メールは、ありがたい。
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陶芸

2006年02月26日 | チンゲル亭
ろくろ第1作 といっても99%先生の手になる取っ手は一応私



    一輪挿し(ペンたて?)と手ひねりの小皿(径5cm)


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後悔先に立たずというより迂闊といったほうが

2006年02月26日 | チンゲル亭裏日記

モンゴルでは、前日に、急にどたばたと準備をすることが、良くあると聞いていたことですが、私の身にも起こるなんて思っても見なかった。
どたばたと言うのは、日本人の感覚で、彼らには何時ものことだそうですが。

しかし、ほんのちょっとでもモンゴルの人たちに係わるとこんなことも起こると心しておくべきことだったのだが、まだ、まだ、自分のことだけに一生懸命なときに気が回るはずもなく。

あとはお願いとャXターの件は、モギーさんに任せて、逃げるようにして帰ってきたのでした。

気楽にはじめたSAVE THE CHILDRENへの週一回の授業も、ここまで来ると、責任や結果を求められるようになるのだと、うかつにも、知らなかったのです。
 
そして、今日は、チョカさんの通訳を見て何かを思ったはずのウツカに、思いやる気持ちのゆとりもなく、「おぼえなくちゃね」と冷たい言葉を発してしまった。彼も、最近いろいろと考えるようになってきたようで良い兆候では有るのですが。
内気な恥ずかしがり屋の彼には、私から尋ねてあげなくてはいけないのだろうけれど、私の日本語が分からなくなると、内にこもってしまうので、言葉の接ぎ穂がなくなることがある。
ひとえに、私の余裕のなさなのだけれど。

こんな私に付き合う彼も、大変だ。
そして、最近ダルハンコート(ムートン様のもの)を着るようになった私を「モンゴル人みたい」と言って嫌がっている風がある。
せっかく、たとえ年配でも日本人と一緒にいるという得意な気持ちに水を差しているらしい。(日本人はダウンを着用だし、しゃれたモンゴル人は、ダルハンコートを着なくなっている)

唯一の救いは、チョカさんがうちに来て、卒論のお手伝いが出来たことでした。
彼女のおっとりとした、性格は私の、トゲトゲした気持ちをやわらげてくれました。
「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げて帰って行ったしばらく後は穏やかな気分でいられました。
今日は、いっぱい助けてもらって、こちらこそありがとうございました。
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SAVE THE CHILDREN

2006年02月26日 | 風のこたろう裏日記

幸せなSAVE THE CHILDREN生活が、もっともっと続くと思っていたのに。
今日は、つらかったなぁ。

金曜日の今日は、特別に請われていつものメンバープラスチョカさんとで行きました。
「スャ塔Tーと、新しい子どもたちに見せるためのャXターを書きます。
子どもたちが書きますから、日本語の間違いがあったら、直してください。」ということだったのです。
それは、たまたま昨日打ち合わせで来ていらっしゃった、日本語教師の方が通訳をしてくれました。

気楽に、何の資料もなく行ってびっくり。
子どもは、一人も来ていないのです。
ャXターを書くなんて何の準備もなく出来るはずがない、茫然自失。
いつもの授業ではないことだし、金曜日は何時もチョカさんと共に過ごすことが多いのとで、一緒に来てもらったのが幸いでした。

モギーさんとドギーさんのおっしゃることを通訳してもらいながら、青くなってしまいました。
子どもが来ないなら、私たち(私だけ)で描くしかないということが分かってきて、私の底の浅さが露呈され、落ち込んでしまう私。
よほど浮「顔をしていたようで、みんな遠巻きにしている。

あぁ。。。。。情けない。

しかも、ャXターは今日中に書かねばならないと言う。
私の、頭の中を総動員して、とりあえず題字を書き始め、その下に同じ意味のモンゴル語をウツカが器用に書いてくれました。
昨日依頼された全員の写っている写真が、唯一の彩り。
結局、鶴や鳥、花を折って飾りにすることになる。
新聞にこだわる私としては、釈然としないまま、ャXターだからねと土壇場に彩を添えてもらうことになる。
写真は、新聞でかぶとを作ったときのものだったので小さいかぶとを新聞でKさんが折ってくれました。

今、新聞を使うことにこだわるのに迷ったり、楽な道を選ぼうかと迷っているときに、ャXターを書きなさいといわれ、ゆらゆら揺れ動き、これと言う主張の出来ない自分の情けなさに、涙が出そうになる。

私の下手な絵でも描かねばならないのかと観念しかかったとき、見慣れた子ども二人がやってきた。
    地獄で仏
チョカさんに、私の思うイメージを伝えてもらったら、お安い御用と引き受けてくれました。
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SAVE THE CHILDREN

2006年02月24日 | チンゲル亭
昨日の活動日には、モンゴル日本センターの業務の引継ぎのために、MさんとSさんがいらっしゃっていました。

私のつたない授業を、見学されたり、写真を撮られたり。。。
余裕なく、なんとか授業を行なっている私にとっては、専門家に見学されるのは恥ずかしく恐れ多いことでした。
何しろ、無手勝流の授業なのですから。
少し私の気持ちが落ち着いたら、感想など聞きに行くことにしましょう。

しかし、担当の方が変わってもきっちり引継ぎをし、また、たまたまだったのか、私たちが活動をしている日だから選んでくださったのか、顔をあわせるときに来ていただいて、頼りになる方たちなのだと思ったことでした。
これからは、いろいろとお聞きしたいことが増えてくることでしょう。
よろしくお願いします。

いろんな状況を、話されて、おそらくちゃんとした教師を派遣することの重要さも感じられたことでしょう。
それは、子どもたちにとっても願ってもないことでしょう。
それは、決して、私の非力で資格がないということを卑下しているのではなく、彼らたちにも平等なチャンスを与えてあげられるなら、隠れていた能力が表に出てくるのなら、コミュニケーションを取るなどと控えめなことを言っていないでも済むのですから。

写真の教室も、コミュニケーションを目的に始めたことが、賞をとるほどの腕になったと、驚きをもってドギーさんやモギーさんが言っていました。
やはり、それほどの力をつけられたのは、その道の専門家が携わったからなのです。

気楽に、笑顔で係わるには、授業と言うのは私にとって気の重い作業です。
私の前にも携わっている方がいらっしゃると言うことですが、その方も大変な思いをなさったことでしょう。
出来るなら、プロの方たちのサメ[トと言う形で携われると、うれしいなぁ。

隣のおばちゃん感覚で、携われる方法を考えてくださいな。


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加藤登紀子さん

2006年02月23日 | チンゲル亭裏日記

NHKワールドプレミアムで、25年前の「シルク ロード」が放送されています。
25年前には、まったく興味のなかったので一度も見ることがありませんでした。
今、初めて見ても古い感じがしなくて、石坂浩二のナレーションは耳に心地よく響き、日本語の番組はこれしかないからと言うのではなくて、見入り、聞き入っています。

今日は、加藤登紀子さんがゲストでした。
初めてモンゴルに来たときは北京経由でウランバートルに列車で入ったそうです。
何年前のことか、聞きそびれましたが、そのきっかけが、彼女の顔は典型的モンゴル美人の顔だといわれてというのが面白かった。

そして、モンゴルに魅せられ、モンゴルの歌を歌うようになったそうです。
ちっとも知りませんでした。
彼女が、番組の最後に歌った「母」と言うモンゴルの歌は、1番をモンゴル語で、2番以後は日本語で歌いましたが、どう聞いても、加藤節で、モンゴルの歌とは思えないのがおかしかった。
母を題材にしたり、母という題のついた歌はモンゴルには、数え切れないほどあります。
彼女の歌ったメロディーは、まだ、私には覚えのないメロディーでした。
モンゴルにいる私の耳にも、加藤さんの歌になってしまっていると思えるのは、彼女が偉大な歌手であると言うことの証明なのだろうか。

「シルク ロード」をはじめとして、はるばるモンゴルに来て、初めて知ること見ることの何と多いことか。
一つ道筋を変えただけなのだけれど。
出会うはずもなかったはずが、今、出会ったと言うことは、やはり出会う運命だったと言うことなんでしょうねぇ。
さぁ、出会いを楽しみましょう。
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納豆その後

2006年02月23日 | チンゲル亭
大成功!と思った納豆は、それほどでもなかったようです。
糸の引きが余りなくて、おいしいとは言いがたいようでした。
私は、納豆を食べません。
ですから、良し悪しよく分からないのです。残念。
それでも、夫は食べています。一応おいしいといっているのですが。。。

第4回目を作るべく、メルクーリに大豆を買いに行きました。
1キロ、1,500トグルク
すると同じ店に納豆を売っていました。
何と、3パック組みが2,500トグルクです。

4回目がもっとおいしく出来ますように。
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