風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

おしゃれなお店の紅茶

2006年10月31日 | UBから
レストランに入って、紅茶を注文したら。
カップにお白湯が入って、受け皿にティーバッグが乗せられてやってきます。
おもむろに、ティーバッグをカップに入れ薄めに出します。

飲み干したら、お湯を注文して二杯目、あるいは三杯目を飲みます。
はじめから、たくさん飲みたい人には、大きいサイズの紅茶が出ます。
その時は、ビールジョッキになみなみとお湯が入り、ティーバッグが一個入っています。

今日入ったレストランは、日本人経営の白いインテリアの新しい店です。
紅茶とアップルケーキを頼みました。
新しい店なので、小ぶりの白いティーカップが明かりを受けて光っていました。
日本人経営でもモンゴル風に,ティーバッグが添えられて、出てきました。
いつものようにバッグを入れて一口飲んだら、「アチッ」と言うくらい熱かった。
さすがぁ。こんな熱い紅茶は家でしか飲めない。
今までの店では猫舌の私でも悠々と飲める暖かさの紅茶がほとんどでした。それは、大体マグカップで出てくるので、熱いお湯を入れでも冷めてしまうようです。

写真にあるステンレスのャbトにも、熱々のお茶がたっぷり入っていて、保温力もかなりのものでした。
こんなしゃれたャbトでお湯をもらったのは初めてです。

アップルケーキは、いつもならお茶より先に出るのに、随分とかかりました。
外に買いにに出ていたようです。(^^♪
普通だと、「バフコイ(無い)」で済ませる所なのに。

ここで、モンゴルの正しい紅茶の飲み方。
一杯目は上に書いたとおり、二杯目を飲むときのために、ティーバッグはスプーンに紐で巻きつけ固く絞ります。
そうすると、お皿とカップの底が紅茶で汚れないからです。
そして、二杯目がほしいときは、お湯をください、あるいは、カップを指差すとウエイトレスさんは分かってくれます。

紅茶も、コーヒーと同じで、一人分が小袋に入っているインスタントもあります。
これは、とんでもなく甘い。
ですから、ティーバッグの紅茶を頼むときは、「リプトン」と言って注文ます。





二杯目を心地よく飲むために

白いインテリアがgood

アップルケーキ 1,800トグ<script language="JavaScript" src="http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=8750-1162341949-119-159"></script>
リプトン ティー 1,000トグ


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何も知らないでいること

2006年10月30日 | チンゲル亭裏日記

最近、外観の真っ白なおしゃれなレストランが我が家の近くにオープンしたそうです。
サクラよりも近い、何より道路を渡らなくて良いというのは、好条件のお店です。
サクラのような安心感があるかといえば、それはどうかな?
この、お店は日本人の経営ですが、以前同じ場所に別の外観で営業していたものです。なんだかうら寂しい感じがして一度も入ったことがないのです。
よく聞く話で、雇い人のモンゴル人にだまされて、あわや土地も建物もなくしてしまうところだったそうです。
このお店の日本人は、モンゴルでは珍しく、裁判で外国人の権利が認められ、土地と建物は、もっていかれなくて済んだそうです。
それで、思いっきり雰囲気の違う、(あれ?立て直したのだったかな?)お店に生まれ変わったということらしいです。

日本人が持ち主や、家主さんとのトラブルが多いとよく聞きます。店が軌道に乗り始めるとなんだかだといちゃもんをつけてくると言うのが通例だそうです。
今も、楽しみに通っていた日本食のお店が、休業中です。早く再開してくださいね。

そんな裏話が、2年以上も住んでいると耳に入るようになってきます。
知らなければ、ただ、「新しい清潔そうなお店ができてよかった」「今度行って見よう、おいしいと良いなぁ」で終わるところです。

そのほか、人が集まるところには、いろんな裏話があります。
いざ開いてみると、最初に聞いていたコンセプトと違う結果になっていたり、それも、当日になってみないと、あるいは終わってみて、そうだったの?なんていうのも有りで、外国人としては、油断もすきもないのです。

言葉が分からないからと、逃げるつもりはないけれど、最終的には、すばしっこいモンゴル人とその仲間にいいようにされていたなどというのでは、ほんとにがっかりします。
それが、犯罪でなければ良しとするには、あまりに腹が立つ。
こういうのって、事前によく確かめたとしても、その確かめたことが終わってみて違っていたのではどうしようもない。
ますます、懐疑的になってしまう。
知らないで居たかったとはもう言えないだけモンゴルに住んでしまったのだなぁ。
どうする?これから。。。
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アルタン ホヤグ

2006年10月30日 | UB POST から
ドンキホーテを踊るアルタンホヤグは、UBポストによると世界のバレーダンサーの8本の指に選ばれたそうです。

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10月最後の日

2006年10月30日 | チンゲル亭裏日記
今、日本は秋真っ盛りだろうなぁ。
紅葉がきれいだろうなぁ。

つい誘われて、写真のブログをサーフィンして見ようかと出来心を起こしたのはいいけれど、、、

それぞれの写真の腕のよさ、ページのレイアウトのよさ、文章の良さ、惚れ惚れするものばかり。
あー、いいなぁ。
センスの良さに口をあんぐり。

私の写真のストレートさは、モンゴルを表すにはちょうど良いのかも。
テクニックが無くても、何とか写し取ってるよね。(たぶん)

秋の京都、日本の食べ物、その繊細さを写すにはやはり撮り手の繊細さが要求されるなぁ。

せめて、ピントだけはちゃんと合わせよう、手振れの無いようにあわてないでと心に、誓うのでした。

秋真っ盛りの日本へ、帰りたいなぁ。
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オペラ座 演目

2006年10月29日 | UBから





以上の17の演目のほかに、25日に写真を掲載した「悲しみの三つの丘」、ローラン プティの栄誉を受けたアルタンホヤグ演じる「ドン キホーテ」の19のオペラとバレーの舞台の大写真がオペラ座横に掲げられています。
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散策

2006年10月29日 | UBから



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オペラ座

2006年10月29日 | UBから
暖かい日差しに誘われて、散歩に出かけました。
オペラ座の演目が一目で分かる、大きな写真の看板の写真を撮るのが主な目的です。










市街地を一人で、写真を撮るときは、なんだかびくびくしながら撮っているらしく、今日は夫の見張り(笑)付きでゆっくりとシャッターを切ることができました。
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母の車椅子

2006年10月28日 | チンゲル亭裏日記

最初は、赤いシートの車椅子でした。
デイケアでご一緒でとても気の合うIさんという方がいらっしゃいました。
母の境遇とよく似た方で、何かと話題に出て、保護者としてのIさんの娘さんと私も同じ立場として、親しさを増して居たのです。

そのIさんの使っていた車椅子をもらってくださいと申し出られたのは、Iさんの四十九日が過ぎたころでした。
一人暮らしをなさっていて、娘さんがいつものように朝、様子を見に立ち寄られたら、夕飯がきちんと食べてあって、今にも流しに持って行こうと立ち上がったら、あまりに夕焼けがきれいで、ソファーにゆったり座って眺めているうちに、静かに旅立たれた様子だったとのことでした。

Iさんの住むマンションは、ほんとに夕日がきれいに見える部屋で、しばし見とれていることが多かったそうです。
そして、その日、あまりにきれいな夕日だったので、娘さんも「あぁ、きれい、母もみとれているな」と思ったそうです。
まだ、私の母は元気で自分の足で歩いていたころです。
ただ、デイ ケアで遠出をするときは、施設の車椅子をお借りしていたことを私より先に職員の方から小耳に挟んでいたようでした。
それで、遠からず必要になりそうだと思って、貰ってくださいと野申し出でした。

Iさんも、母と同様、車椅子を常用しているわけではなかったし、その大往生の様子が、あやかりたいくらいでしたから、喜んで頂いたのです。

数年使った後に、体の状態が進行したので新しい車椅子を注文しました。
その車椅子のフレームは、母の好きな緑色を選びました。
そして、やがてその車椅子の主は眠るような最後を迎え、次の知り合いへともらわれていきました。

やがて、二人目の主も逝ってしまわれました。
まもなく2年になろうとする先日の事、大事に保管しているのを見た人から、使いたいと、申し出があったそうです。
2年もの間、場所ふさぎな車椅子を保管してくださっていたことに感謝し、また、母とそして友人のおばあ様についで3人目の重宝してくださる方が現れてほんとに良かったと思いました。

きっと、母も喜んでくれていることでしょう。
車椅子は、使い方を誤ると危険なことがあります。しっかり、母に監視してもらいましょう。私は、使われる方の安全をお祈りしたいと思います。
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花ぬすびと

2006年10月27日 | チンゲル亭裏日記

「花ぬすびと」と夫から美しい言葉を聞きました。
無くなった3個の陶器のことを話したら、その言葉が返ってきました。
むくむくと、もたげてきていた黒雲がそれで打ち払われて、いい気分になりました。

美しいとはいえない荒削りの器を、気に入って持っていってくれたのなら、それでよしとするかと言う気分になりました。

ところが、夜になって担当の方にお聞きしたら、3個の器は預かっているとの事。机の下に置いてあったそうです。
8点の作品が、3個と5個に泣き別れになってしまった原因はわかりませんが、どうやら無事保管して下さっていることが分かり、ほっとしました。

「花ぬすびと」の言葉のおかげで、いったいどいつだ!と荒げるはずの気持ちを、どんな人かなぁと想像し、お尋ねするときも、静かにたずねることができて、良かったなぁ。

大変お騒がせしました。

でもちょっとがっかり、気に入って持っていってくださったと思ったのは間違いだったので、そうか、やっぱりなぁと。
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トメン エヘで練習

2006年10月27日 | UBから
 オルティンドーの先生ビャンバジャルガルさんの所属するトメン エヘ

この中の2階に舞台があり、その横にあるピアノで、毎週先生のレッスンを受けています。

先日のオルティンドーの余韻もあって、何とか大きいだけのうるさい声ではなくて、やわらかい声を出すための呼吸法を、もう一歩理解を深めたいと思うのです。

今日は、喉の調子が良くないので、レッスンを1駒にしてもらいました。
唄の練習よりも高さを低くして、発声練習を重点にしてもらいたいと心積もりをして臨みました。

赤いドアの中は、小さめのホールになっていて、演奏が始まる(毎日6時)直前にチケットを売り始めるブースがあります。その場所には、いつもは警備員がいかめしい顔で座っています。

モンゴル人は一度見たら忘れないはずなのですが、毎回「何しに来た!」と言われます。私のモンゴル語が通じない人、聞く耳を持たない人、ほんとに分かったのかと驚くほど理解の早い人、いろいろ居て、面白いのです。
通訳さんが居ても、まず、私のモンゴル語で、「ビャンバジャルガル先生の、オルティンドーの授業に来ました。2時半から」と。

今日は、2階から降りてきた二人の踊り手さんたちが、初めて「ニホンジン?」と話しかけてきて、上にジャルガルが居ます。うえに行きなさい。と言っているようでした。
それで、時間前に上に上がりました。
授業の都合で少し遅れると言うトゥールさんの連絡は、先生にも届いていたので通訳が居なくても大丈夫始めましょうという先生の意思表示のようでした。

通訳無しにレッスンをするのは初めてです。
ここ1年、同じことを注意されている(^_^;)ので、先生が大体どんなことを言っているのか大体分かりました。

それで、初めて分かったのですが、シルシットと言うバイブレーションの手法は喉ではなくて、胸に響かせるのだと言うことが分かりました。
先生が私の手を取って、自分の胸に置いて発声をしてくれました。
心地よい体温と振動が私の手に伝わってきました。
そうだったのかぁー!!!

頭では分かりました。胸に響かせると、バイブレーションが密に細かに揺れました。
そして、あごも喉も一切動きません。

力が入っているのは、お腹だけ、ウエストにブス(帯)を巻いたその下の部分だけです。いわゆる筋肉がいくつかに割れるという腹筋ではなくておなかなのです。
息を吸うとき、肩が動いてはいけません。胸も喉もあごも一切力は入っていません。
詩吟のときの「い」は口を横一に結びますが、そうすると喉に力が入るのです。
30年以上続けてきた習慣を忘れることが、大事なことでした。
はぁーと息を吐くように、力を抜いて、そして、お腹に一杯息をためて、、、
なんとなく言っていたらしいというのが、靄の中からはっきりその姿を見せ始めました。
先生は、同じことを1年間言い続けていたことになります。
それだけ、難しいことですと、初めて先生が言ったそうです。
手を変え、品を変え教え続けてくださったことを、やっと、私の体が覚え始めました。
頭で分かると言うことは、まだ分からないと言うことでした。



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