風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ゆるやかに

2017年04月28日 | 詩吟
夢組のお稽古の帰りは、ゴロゴロと鞄を引っ張りながら、乗換の駅ビルをウインドショッピングをしてからあと一駅電車に乗って、帰宅するのが、長年の習慣となっていました。


寄り道をどうしてもやめられないダメな私と思った来ましたが、最近その必要がなくなったなぁと、気が付いて、なぜかと考えてみると、どうやら、クールダウンの役目もあったんだと、気が付きました。

そうか、そうだったのね。




夢青葉教室は、今年はめでたく初めての師範代受験資格を得るまでに成長しました。

ここまでくると、もう今までのような、前のめりの暑苦しい教え方は、おしまいにしてよいですね。
それぞれの様子を一歩二歩離れてゆるく観察して、自由に練習する方法へと切り替えるときとわかりました。


中央から離れて、あえて、少人数の教室運営を選んだのは、私の、性格を考えてのこと。
おかげで、7年間無事に過ごしてきました。
今、違った局面を迎えていますが、これからの夢青葉は、今、留学中の会員さんがいずれは帰ってくるでしょうから、その時、きちんとお帰りなさいと迎えてあげられるようにしておくことかしら。



このブログを書くことで、とてもよかったと思うことは、だれか私以外の人が読むことを意識したら、冷静に物事を捉えて、書くことができたということです。

ですから、書きながら、多くの気づきがありました。

これは、大きな収穫で、一人、ノートに向かって書く日記では得られないことだと思いました。


詩吟に関しては、HPもできたし、だれに頼まれたわけではなく勝手に思っていた広報の役目はすっかり終わりました。


私自身は、これから、自身の吟力アップと、技術面だけでない勉強もしなくてはと思います。

やむに已まれぬ思いで、書き始めましたが、今は、少し惰性になっているような気がします。

少し、ペースを落として、簡潔に書く、そして話題は、自分のこと。
うんうん、それがいい。

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原点5月号

2017年04月28日 | 徒然に日々のことを
原点5月号が届きました。

症例詳解の記事を読んでいたら、ぼとぼとと涙が落ちてきた。


すごいなぁ。

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告知

2017年04月24日 | 徒然に日々のことを
                   
         = 告知 =
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須藤先生からご案内を頂きました。
そして、漢詩と吟詠について時間を1時間下さって、ご自由にお使いくださいとの提案です。

展覧会開場の前1時間を使うことを許された、と、いうことは、この画廊恵風でも論語の勉強会を開いていらっしゃって、そのお弟子さんたちが、聞きに来て下さるはずです。
詩吟や吟詠関するお話をしますが、論語の生徒さんたちが、どれだけ興味を持ってくださるか。
先生は、漢詩が大好きで、その勢いで、詩吟も好きになってくださいました。

だから、須藤先生は、漢詩を題材にした絵も描いていらっしゃいます。
そのテーマとなった漢詩を二題ほど取り上げて、お話と吟詠とを組み立てます。

素晴らしいチャンスをありがとうございます。
詩吟仲間と、構想を練りたいと思います。



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だるまさんがころんだ

2017年04月24日 | 徒然に日々のことを
「だるまさんがころんだ」子供の頃、こう言って良く遊びました。
達磨のお話を聴くチャンスがあって、そう言えば、父の残しただるまさんがあったなぁ。

今日まで忘れていたけれど、取り出して、手を合わせよう。





最近のヒットは、イアホン収納。以前、目薬ケースとして登場したちっちゃな巾着が、目薬を携帯する必要がなくなって、今は、イアホンケースになりました。
くるくると巻いたコードを丁寧に入れて、このように、頭の部分を外に出して、ひもできゅっと締めると、鞄の中で、どんなに暴れても、からまずとりだせて、さっと使えます。

イアホンのヘッドが、スヌーピーのように見える?見えない?





そして三つ目は、マルダイ窯の陶器。洗うたびに、心豊かになり、作者の穏やかな控えめな様子が目に浮かぶ。いいものが家に来てくれたと思う。



まずは、夫の作るたっぷりのサラダが器が見えないくらい盛り付けられる。
だから、その器を実感する時は、洗うとき。
心を込めて、洗う。 明日もよろしくと。

控えめな器なので、私のカメラの腕では、その良さが、写しきれてないのが残念。
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春の集い

2017年04月23日 | 詩吟
平成29年春の集い 
総会の懸案「関吟東京芦孝会創立20周年記念事業の件」も、すんなり可決されて、懇親会は、和気あいあいと進みました。

 
            野田 芦孝先生を筆頭に男性全員合吟
 
今年の春の会は、昇段、昇格、そしてコンクール入賞などで、昨年活躍なさった方たちの吟詠がプログラムを飾りました。

自作の漢詩を独吟なさった方、得意の舞をご披露した方、懐かしい思い出の吟題で合吟した方など、どんどん多彩になって来ています。

我が夢組もきちんとかくし撃フ持ちネタを考えねばねぇ。






会の三つの柱は、楽しく魅力のある教室
        組織の強化と会員増強
        吟力増強

野田先生は、「向上心」をもって20周年につき進もうとおっしゃいました。


わたしも、今年は自身の吟力アップを目標ときめました。
たまたま、二次会で、野田先生の隣に座ることとなり、吟力アップとは、という会話になり、そもそも、吟力って何?と宿題を頂いて、お開きとなりました。
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「しゅうや」と「よもすがら」

2017年04月22日 | 徒然に日々のことを
「しゅうや」は、ふと、かたすみに「よもすがら」が、ひっそりと佇んでいるのに気が付きました。

なんて、美しい。

こっちを向いてほしいなぁ、と思う。

長い間、その存在に気がついてくれなかった「しゅうや」に「よもすがら」は、そう簡単に気を許すはずがない。

「しゅうや」は、思う。

『しゅうやねむらず どくぼうのうち』の世界にどっぷりと浸っていたのだからねぇ。

「よもすがら」に惹かれるものを感じたからと言って、『よもすがらねむらず』と、置き換えることは出来ないね。

元来、「しゅうや」と「よもすがら」の混在するはずの世界にいるのだから、その両方を自在に使い分けているはずなのに、「しゅうや」しか意識になく、「よもすがら」にいまさら気づくなんてねぇ。



「よもすがら」は、当分、私のことをすねて許してくれないだろうけれど、少しずつ、暗いところから、「しゅうや」と同じあかるいところへお誘い申し上げ、並んでいただくことにしよう。


そうしたら、「しゅうや」のうしろに「よもすがら」がしっかりと存在する深みのある「終夜眠らず独房の内」を詠えるようになるだろう。

そしてさらには、「よもすがら」の代表として「夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり」 俊恵法師(85番)も、柔らかに詠えるようになるかもしれないなぁ。

さぁ、懐かしい佐藤鷺照先生の「母」松口月城作を聞きなおさなくちゃ。

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姿勢が整うと

2017年04月22日 | 体を整える
施術を受けて、姿勢が整うと、心まで、整理されて、自信なかったことに、自信が持てるようになります。

行きは、うなだれていても、帰りは意気揚々。

今日は、特に、肩が後ろによりましたねと、喜んでくださいました。

纔かずつでも、肩が、広がってくると、うなだれた残念な姿勢が、シャキッととなる。
すると、胸が開いて、呼吸が楽になります。

そして、臍の下へと力が下りていって、程よい支えができるので、いままでより、声が伸びやかに出てきます。

この、仕上がりを教えてあげたい人がいます。

そして、膝の裏を延ばし、関節の隙間を作りだす体操のワンランク上のやり方を習いました。

これをした時は、寝転んでいるため、見ることはできないのです。
だから、体の感覚として、体操の効果を感じるのですが、足が10センチくらい伸びた気がします。
そして、体操をした側が床に沈んでいるような、感覚になります。

そして、もう一方も同じ体操をすると両足が揃って、腰のアーチがより高く形成されます。

朝起きた時も、体操が、正しい動きをした時は、おき上がったとき、腰が痛かったり、ふらついたりしません。


体の芯が通り、緩んでくると、すべてが、滑らかに、明らかになってきます。

そうなると、なんでもこい!と言う気になります。


すると、詩吟の練習をすると、いつまでも続けたいと思うくらいに、快調です。

こんな時、声が出るからと油断をすると、ひどい吟詠になるので、今日は、録音をしてそれを聞きながら、タイムを取りながら、やってみました。

声の出るまま気持ちよく吟じると、2分越えするし、急いで短くしようとすると、短すぎるし、まるで、バランス感がない。

これでは、伴吟は、惨憺たるものになってしまう。まして、今回練習中の吟は、小西如泉先生の伴吟だから、狂いは許されません。

練習あるのみです。


そして、今一つ、コンクールに出場するとなったら、コメント頂けるのかなぁという件を、堂々巡りで、考え始める。
自分の吟じている本当の吟詠は、どうしたら、わかるのかなぁ。



そんな迷いを、山田先生は、ちゃんと見抜いて、螺旋を引き合いに、上昇すればこそ、そして、必ず、螺旋の裏側に来ることはあるのだからと、おっしゃる。

「螺旋の裏側」か、螺旋は、どこも表と思っていたけれど、螺旋の裏側ねぇ。
初めて、聞く言葉。
奥が深い。
先生も、いろんなことにぶつかり、悩んで、乗り越えていらっしゃるのだなぁ。。。


そうよねぇ。。。




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はじめの一歩

2017年04月20日 | 詩吟
須藤先生の菜根譚のお話に続いて、はじめの一歩

新年度の課題は、リクエストのお応えして、「偶成」

先月は、昨年度二度目の独吟の疲労をしていただいたので、少し自信が付いたのかもしれません。

質問も出るようになり、まずは、順調な新年度の滑り出しでした。


菜根譚の前の今月の吟詠は、梁川星巌西岸の「芳野懐古」をお願いしました。
4月は、私たちが吟題を選ぶ伴なので、4月は桜、桜は、芳野三絶。
月に三回の吟詠の機会を頂いているので、たまには、日替わりで、お聞きいただこうと、三つの「芳野」を選びました。


菜根譚は、日々の生活により密着した言葉なので、弱っている時は、厳しく鞭を当てられるような気分になることがありますが、幸い、その時は、そのようであっても、よく忘れるので、程よい刺激となっています。

繰り返し語られる言葉が、奥の深い意味を持っているのが、わかり、そしてちょうど、その言葉は、今の私にぴったりの内容だと思えることもあります。

そして、集中しすぎた後は、小休止をしながら、お話を聞いたり、素読をしたり。
変化を持たせたおはなしに、心が緩んでいきます。


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吟道大会

2017年04月15日 | 詩吟
高校の先輩のご縁で、さる流派の吟道大会を拝聴してきました。

驚くことがたくさんありました。

まず、マイクを一歩横に外して吟詠する女性吟者がいらっしゃったこと。


         これはその方の独吟風景です。


着物の方が三人いらっしゃいましたが、そのほかの方たちは、白いブラウスに黒のロングスカートの服装でした。

何か違うと感じました。

しばらく考えて、わかったのは、オーバーブラウスにしたブラウスのすそのラインがすべてそろっていて、統一感があること。

お手洗いで、お目にかかった女性に、思わず質問しました。
「みなさん横に並んで、ブラウスの下のラインをそろえるのですか?」と。
答えは、「いえ、スカートの中にいれるとみなさんそれぞれですからねぇ。」とのお答え。

それ以上は、突っ込んで聞くことができず、さらに、考える。

そうか、手首のラインにきっちりとあわせた袖丈に、その袖のラインとブラウスの裾があっているのだ、そして、その位置は、ヒップの一番張った位置で、そこから、きれいにスカートが裾に向かって、すっと落ちている。

なんて、きれいなんだろう。

それぞれが、お召しのブラウスは、個性的なのに、統一感があるのは、そのラインが一番美しく感じる位置であるということなのだろうねぇ。



さらに、驚いたのは、特別番組として、大正琴、詩舞とは、普通にあることですが、フラダンスが、あったこと!
可愛い子供たちから、素敵なお嬢さんまで、幅広い年齢層のチーム編成で、それは楽しそうに、素晴らしい笑顔で、踊ってくれました。

さらに、これは私の知識不足なのかもしれませんが、写真のような渋い色のスレンダーなワンピースで踊るフラもあったことです。

あとで、お聞きしたら、そのワンピースの色は、グレーだったそうです。照明の関係で、緑と紺とが混じったような色で、ビロードのような落ち感と手触りを思い浮かべる様な布でした。

強いライトを浴びた時、あんな上品な光沢を帯びる布って何だったのだろう。
舞台の衣装は、光を吸いすぎても地味すぎるし、反射しすぎても派手になるし。

心躍る、驚きばかりの舞台でした。


会員さんの独吟は、熟練の順番で、落ち着いて聞いていられました。
そして、何か違うと感じたのは、吟詠が、出だしよりも後半に行くにつれて、魅力と味を出してこられるということでした。

出だしの一声が肝心なのだと言ってきたけれど、ほとんどの方たちが、あれっと思うほどに、出だしでイメージした時よりも、転句から結句にかけての吟詠の趣が、まるで違う人であるかのように変わっていくのです。
吟力とかそういうのではない、それだけでは表してはいけない吟詠のすべてのことが、クレッシェンドなのです。

静かに入って、豊かに終わっていくというか、何か表現しがたいものが、胸に迫ってくるというか、インパクトなんていうものは、求めていないというか、自然の流れでそうなっていくというか。


まるで、重いトロッコが、ゆっくり滑りだして、気が付いたら蒸気機関車のように、風を切って走っているように、そして、重々しく停車して、存在感がまるで違うものになっていたというような。

こんな吟詠もあるんだなぁ。
きっと創始者の吟詠そのままを、写し続けてきた結果なのだろうと思う。
その創始者の音源と人となりをもっと知りたくなります。


そして、吟詠の長さが、それぞれが、とても違っているということ。

キーボードの伴奏付きで、その人の吟詠を尊重して、自由に詠わせる優しい奏法でしたから。

あまりにテンモ竰キさが違うので、思わずスマホの「吟トレ」を出して、時間を測りたくなりました。

測った10人の内、長い人は、2分17秒、短い人は、1分42秒でした。

最近、この流派では、CD伴奏の「カノン」を使い始めたそうで、ちらほらとCD伴奏の方も居らっしゃいました。

ゆかりの方たちの吟詠を聞き、最後まで都合で聞いていることができなかったのですが、驚きの連続の吟詠大会でした。

お招きありがとうございました。

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小石原焼

2017年04月14日 | 徒然に日々のことを
松崎芙美子と仲間たち
 ~小石原焼(福岡県)の若いふたりとともに~





福岡からいらっしゃった小石原焼の作家さんの三人の展覧会のご案内を頂いたので、行ってきました。

はがきを手に上ばかりを見て歩いていたものだから、地下にある画廊の入口の道路際に置いてある看板を見落として、うっかり通り過ぎてしまいました。


このままだったら、30分は彷徨って、銀座駅に戻ってまた、一から探しなおすなどというようなことが、行われたはずですが、はがきをひらひらさせながら、探している様子ありありの体だったので、お声をかけてくださる方がいらっしゃいました。

それが、この三人の作家さんたちが画廊へ向かっているところに出くわしたのです。
そしてその声の主は、後で知る梶原日出(ひずる)さんの奥様でした。

おかげで、初めてのところへ、すんなりとたどり着きました。

たくさんの作品が並んでいて、飛鉋の作品(太田万弥かずやさん)や、ガラスを思わせる作品(日出さん)、そして白磁の一見洋風だけれど、和のテイストたっぷりの作品(松崎芙美子さん)がありました。

はがきの写真にある藁灰釉皿に使った白い「藁灰釉薬」は、稲藁を真っ黒に焼いて、それを水に浸して灰汁を取って作るのだそうです。
稲藁は、焼くと真っ黒、漆黒になるのは、幼いころのおぼろげな記憶に残っています。
その、真っ黒い釉薬を器にかけて、窯で焼くと白くなるというのは、説明してくださった梶原さんでさえ「本当に不思議」とおっしゃるほど、不思議な現象です。

藁を焼いていると、顔に火の粉が降りかかってやけどをしながら作るのだそうです。
買うこともできますが、太田万弥さんは、どんなに大変でもご自身が手鰍ッて作るとのことでした。

日出さんの、ガラスを思わせるような作品は、ゴージャスなのですが、嫌いな豪華さでは無かったので、気持ちは動きましたが、予算オーバーでした。

もともと、心づもりしていた、家にあるお茶椀や、片口の小皿のシリーズで、サラダやにものを盛る鉢を購入いたしました。
これは、その藁の釉薬を使ったものです。

マルダイ窯の作品は、茶房武蔵野文庫と言う喫茶店で手に入れたのが、初めで、その時のいきさつは、大きな思い違いをしていました。
二度訪れているのに、それが一度にドッキングして覚えていました。
そして、名物の焼リンゴは、食べてないと思っていたのですが、一度目は、リンゴの時期では無かったため食べることができなかった記憶が、強烈で、とてもおいしかったはずなのに、食べていないとの記憶になっていたりして、そして、別の機会に頂いた湯のみを、武蔵野文庫で買ったと思っていたり。

記憶違いも甚だしく、それを、万弥さんがとても静かなたたずまいで居らっしゃるので、私が一人でしゃべってしまいました。

にぎやかにしゃべったおばさんが帰っていったら、ほっとしたことでしょう。

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