風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

57度目の重版!

2021年06月29日 | 体を整える

井本整体の人体力学の本
女性のモデルですから、女性用かと思われるかもしれませんが、もちろん男性にも有効です。

カバーの折り込み部分に、

 健やかに生き抜くために、体の理を知ろう
 
                         と、あります。
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光と影

2021年06月28日 | 徒然に日々のことを


梅雨の晴れ間の朝のこと。
この時期のこの時間、つかの間、出現する影。

隣の敷地のその位置にその角度で停めたとき、リアウインドに反射する日の光が出窓のジャスミンにあたって天井の梁に出現します。


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心配事解消

2021年06月27日 | 詩吟
来月のコンクール開催のための最後の打ち合わせがありました。「ひとりで計算係」という心細さを、解消されて、なんとかやれるんじゃないかな!と思えるようになりました。

コロナ禍で、いつもなら、ロビーやホワイエで、直前打ち合わせをするところを密集すること勿れと、現場での打ち合わせの禁止を申し渡されたそうです。
全員で集まるのは、今日しかないと、練習の後、かなり早めの最後の打ち合わせでした。


おかげで、いろいろと心配事が解消されました。

おかれた状態を知ってもらうこと、そして手が空いたら、一緒にするよという言葉は、「最強」の励ましです。

不安を募らせること無く、その日を迎えられそうです。


さて、今日も詩吟体操完成版を説明させて頂きました。体が覚えてくれただろうか。
胸筋を上げるということ、肺が重たくなっていること、大事なことだと、知って欲しい。
湿度の高いこの時期というだけではなく、疲れたり、気弱になったりした時も、どこか体のこわばりを取り去るだけで、改善します。
動かしながら、こわばりを見つけることもできるようになります。

そのような知識を理屈ではなく体に覚えさせて、少しでも健やかに過ごして欲しいとの願いです。
完璧な動きができなくても、自分の意志で、動かす、ほんのちょっとだけでも似た動作をすることで、必ず、動きだすものがあるはずです。
山田先生は、「本当は体は知っています」「働きかけられることを待っています」とおっしゃいます。

私のことは、嫌いでも、体操は、好きになってください。


井本整体の井本邦昭先生がおっしゃって実践していることと思ってください。
そしてそのサメ[ターが山田先生です。

それにしても、今日の芦孝先生は、連日の打ち合わせ、大会の応援など、さぞ、お疲れだろうと思っていたら、今日のお声は、力がみなぎっていて、張りがありました。

芦孝会会員が昨日のコンクールで、全国大会出場を決めたことが、刺激となったのだろうか。
誠心誠意を超えるほどの命をかけているのではないかと思える、このところの芦孝会へのかかわりは、尋常ではないとそばで見ていて思う。

強力なサメ[ターが確かにいらっしゃるから、物事が、良い方に進んでいます。
このご時世で、会員数が減ることが無かったのが、その事実を示しています。

私は、力になるより、自分が自分を支えているのにやっとだから、唐黷サうになったり、おどろいたりすると、叫んでしまうから、一会員で居るだけ。

今日の芦孝先生は、なにか、特別でした。
なにか、さらりと落としたみたい。こういうのを自由を手に入れた解脱というのだろうか。
その直接のきっかけは、何だったのだろう。

心配の余りかける「だいじょうぶ?」は、マイナス言葉だと気づく。
本当の推進力は、ともに歩くことなのだ。
        
                ともに



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左の脇腹

2021年06月26日 | 体を整える
大きなストレスがあると左の脇腹が固くなるそうです。

今日の私の体は、まさにそれ。山田先生に思いの丈を聞いていただく中から、ストレスの原因が、見えました。
今自分が気にしているその前から、静かに長く続いていた気がかりが、自分でも気づかないうちに、塊を作っていたことがわかりました。

その、自分では、気が付かないふり、表に出さないようにしていたものが溜まって、昨日爆発して、切れたということらしい。

その原因がわかったことと、操法によって体のこわばりを取れたことで、良い体を手に入れました。さらには、肩の内転なども調整されて、大満足なのです。何事もなかったかのように爽快になりました。
しかし、昨日、切れて暴言を吐いてしまった相手には、謝ることもできず、脇腹のこわばりをこしらえさせてしまっただろうか。

女性なら、失礼を顧みずさすってあげられるのだが。。。

安心安全な場であるから、切れることが出来るのですが、それは大人として、情ないことです。 ストレスをためた元凶は、採点係が一人であることから来ています。人手がないのです。入力する人と、確かめる人が同一人物ではねぇ。

一番の心配は、出来上がった計算表をPDFに変換して、メディアに転送,それをもって印刷にかけるという作業が、アクシデントを起こしやすいことから、今から準備できるものではないということです。
準備できるのは、計算表の変更追加部分を迷わず入力作業に入るかどうか、正確に数値を入力するという練習のみ。(←作成者によると、いつもの通り点数を入れるだけ、何の操作の変化はないとのことでした)

そして、昨日追加されたストレスは、入力した部屋から建物の外に出て、コンビニのコピー機で印刷しなければならなくなったということ。
予定より、時間がかかります。コンビニで、先客がいて印刷が大量だったらどうしよう、コピー機がどうにかなったら、、、と、またまた心配の種を探してしまいます。
自分ではどうしようもない。
こんな時は、臍に力を入れて深息法とは、いつもいわれることです。パニクッて、それも忘れてしまうかも。
そんな時に、連絡する人はだれか、中央会で確認せねばなりません。
印刷機の故障あるいは、長時間コピー機が空かない時を考えて、もう一つのコンビニを頭に入れておく?これは昨日の会場係さんに尋ねよう。
年に1回のことで、簡易印刷機を購入し、保管し、メンテナンスをし、運ぶという手間を考えれば、私のこの心配など、小さい、小さい。
慣れること、神経を太くすること。
しかし、今回の会場は、時間の制約が厳しいので、もしもの場合を考えて戴かねば。
私は、印刷の仕上がりの刻限をよく把握しておかねば。
もう一度、同じ系列のコンビニに行って、印刷の練習をしておこう。店員さんを当てにしてはいけない。
何があっても深息法。テンパりやすい私の試練だ。


前回までは、こんな心配をしなかったのは、入力作業に慣れるのが一生懸命で、気持ちが外に行かなかったおかげで、心配をするゆとりもなかったということらしい。

物事、知れば知るほど、経験すればするほど、心配事が増えるというのはこのこと。

さて、山田先生は、ろっ骨を上げる動きを復習しましょうと、手を添えて行ってくださいました。すでに、操法によって、脇腹のこわばりが取れていたのですが、さらに、その動きをすることで、息が入ってきます。

ということは、詩吟体操の完結編を行えば、胸筋が動いて肋骨が上がるのだね。
そうしたら、脇腹に熱タオルをすることも有効といえますね?

「具合が悪いときどこに熱タオルを当てますか?」の問いに、「体が知っていますよ」「?」「手を当ててみて心地よいところです。」
なんだ、そんなに簡単にわかわかるのだね。

コンクール前日に、私のすることは、左わき腹に熱タオルを当てること。
体に柔軟さを得ると心も柔軟になります。心配しても仕方のないことに、惑わされず、熱タオルを含めて出来る準備を完璧に行い、忘れものをしないこと。
アクシデントには、深息法で気を落ち着けて慌てず対処。特に、そばに誰も居ない時は、余計にゆっくりと、です。

するすると回答が、導き出されて、心も体も軽くなる。
よしっ、今日は予定通り、帰りは、カラオケ一人練習だ。

やっと開店したカラオケ店、「お店の方針で、みなさんにご協力頂いています。それは、飲み物と食べ物を1点ずつ注文いただきたい。」と。
前のめりに来たカラオケ店、節約したいところだけれど、「はい」と思わず答える。



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計算係

2021年06月24日 | 詩吟
来月末のコンクールのスタッフの一員として召集がかかり、会場の下見に行ってきました。

客席から、すぐの部屋が、私が担当する計算係の居室で、採点表を運ぶのにも、緊張の中で、はじめてこの作業をすることになった方には、導線が短いのでちょうど良かった。
採点中の審査員の先生方から採点票を集める仕事は、さぞ気を使うことでしょう。私自身できる限り落ち着いていて、緊張を伝染させないようしようにと思います。

すでに、何回か経験しましたから、大丈夫とは思いますが、コンクールという緊張を強いられる雰囲気の中ですから、アクシデントを招きこまないようにしなくては。
自分の持ち分をきちんとこなせますようにと、お部屋の神様に人知れず手を合わせました。

大事なのは、入力することではなく、そのデータを印刷した用紙を審査員にお渡しすることです。

そして、その入力途中のデータから、表彰状の筆耕のための順位を推測しやすくしなくてはいけません。幹事長にお知恵を頂いて、一回の人数をすくなくして、小まめな作業をしようということになりました。

この筆耕のための手順は、長年の経験で養われたカンと、決断力であると、前回のコンクールで拝見していて知りました。

今日にいたるまでの会場担当の先生の下準備は、この印刷のことにも及んで確認してくださっていました。
会場の施設ではなく外のコンビニの印刷機で行わねばならないこと、コンビニの場所、そして、店員さんがいつでも丁寧に教えてくださるということまで、調べ済みでした。

帰りに、その場所に誘導し、店員さんに繋いで下さいました。
何時も使っているコンビニとは機種の違うコピー機なので、一瞬ひるみましたが、店員さんの指指しでゆっくりテスト印刷をしました。これが当日だったら、プチパニックになっただろうと、思います。

きめ細かい事前調査をありがとうございました。おかげさまです。

そして、いつも的確な指示を下さる先生、さりげない会話の中に、あったか~いものが伝わってくる先生、明るくさばさば、それでいて気づかいの先生、久し振りに身近に接して、変わらないなぁと、思う。

ありがとう。幹事の中で、一人だけ、欠席を続けていた負い目が、薄れていくのを感じました。

帰宅したら、私の希望通りの計算表のバージョンアップがなされていました。
一か所今日の打ち合わせで、前回と違った対応をするところを、入れ直してもらって、あとは、当日まで何度か練習して使い慣れることです。

周りのみんなが、いろいろ手助けや気配りをしてくれて、苦労無しであることよ。
ありがとう。



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父の日

2021年06月20日 | 詩吟
二回目のワクチン接種終了で、一安心しました。
何かと、出かけることについては、ちょっとした摩擦を感じていたこの頃です。我が家の緊張の種が減りました。

そして今日は、父の日。
贈り物やら、電話やらが届きました。
娘たちに盛大に感謝のことばをもらって、大喜びの夫。
そして、エンジェルス大谷の22号ホームランを景気づけに、さらにもりあがりました。

会話は、珍しく詩吟にかかわる話題となりました。
「公益社団法人」の冠が付いたころから、ただのお稽古事とは違っているのかもしれないと感じたのでしょうか、興味は、少しずつました来たように思います。

「公益」となると、ただのお稽古ごとではなく公的な責任もそれなりにあるだろうね、などと、言っています。
他方で私は、「流統」としての考えに固執しているところもあります。

詩吟をしない人との会話から、公的責任という、あまり気にしていなかったことに、目覚めました。

そのほかには、数年前より、パソコンの知恵をもらっています。来月は、2年ぶりに、ャ潟hールのコンクールが開かれることとなります。
採点の集計係の入力係をしていますが、この計算式は、夫の力作です。あと少し修正を加えてほしいので、「もうそろそろ完成を」と、お願いしなくては。




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公益社団法人 関西吟詩文化協会

2021年06月18日 | 詩吟
公益社団法人 関西吟詩文化協会という大きな組織の中にいて、完全に安心しきって、のほほんと過ごしています。


関吟流の簡潔なそれでいて奥の深い吟じ方は、何よりも好きです。
大好きな先生がいて、大好きな仲間が居て、教えられることがたくさんで、常に動いている。


物事を正しく判断して、正しく伝えるということ、正しく伝わる場所で伝えるということの大事なことを目のあたりにしました。

刺激を与えられることばかりです。

不明を恥じることがあっても、そのことで存在を否定されることがない。

実に良い場所にいるなぁ。

こんなに、テキストを何冊も開いて、あれこれと眺めたことは無かった。
目的の一冊を広げるだけしかなかったけれど、ある視点を持って、眺めることも、大事だということ、今頃知りました。
「巻頭言」を、読みなおしました。

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お稽古の一言

2021年06月16日 | 詩吟
今日の練習は、12時からのスタートです。

体温も上がり、喉に滑らかさも出てくるので、声も良く出てくれます。
そして、この処、体のメンテナンスも進んで、おかげさまで、「このさきどうなる?」の不安からも解消されつつあります。

声が出ないときは出ないなりの練習をして、却って、攻撃性が鳴りを潜めていた気がします。
けれど、もともと、理論より実動の方だから、自分の喉が潤って出しやすくなると、攻撃的な練習となってしまったかなぁと、反省。

たった一点、ここさえ直せばという言葉を倹約すると、悪いか所しかないという印象を与えてしまう。

褒め言葉の省略は、98点の吟詠なのに、マイナス2点の印象を与えることになる。

私自身も褒められたら、嬉しいんだから。
これから、そうしましょうね。

そんなだから、ちょっとした行き違いや、聞き間違いで言葉が届かなかった時に、誤解したままで、「はて、そんなことを言うはずがない」と考え直してくれることは、まずない。
悪い印象のままで続いてしまって、永遠にすれ違ってしまう。

今、なんてこの図式の多いことか。たいがいのことは、それはそれなりに過ごして行けることなのだが、たった一つ「私はそんなこと言うはずがない!」と声を大にして言いたいことがある。
思いこみは、拭い去るのは、とても難しい。大事なことだから、今は、焦って動かない。



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階段

2021年06月13日 | 体を整える
きれいに整えられた階段は、以前は、土と石の情緒ある階段でした。
50段だったのが、70段になったそうです。
道理で、上りやすかったのは、膝の痛みが取れたおかげだけではなかった、すいすいと登ることが出来ました。

調子に乗って、上まで一気に登ったのはいいのですが、心臓バクバク。
膝のせいで、ゆっくりとしか歩かなかった体には、さすがに堪えました。
ドキドキが治まると、右はヒップアップした感覚がありましたが、左は、無感覚。

先日、山田先生に言われたばかりの「左は弱いですね。」の言葉がよみがえる。

体とは不思議に反応をし合い、不思議なつながり方をしているものだと思ったことでした。

詠いたいと切に思った2日後、願った時の楽器の状態は続いていたらしく、今日は、いい感じで声を出すことが出来ました。八本にもついて行けました。
ただ、高い音は出せても、最低音の「水」の音程には、不満が残りました。
声帯の柔軟性が、今一つといったところなのでしょう。

この先、どのように練習をして、ノドの調整をしたらよいのかわからない。
出来ることは、日頃の体操で、肩甲骨を寄せて、胸筋を上げる。上げただけでなく、しっかりと後ろにつなげて、安定させる。
喉を開いて、固まっているところを引きあいで、ゆるめる。そして、前に出すというような感じで、いれた力をふっと抜く。

体の動きを文字でしめすのは、難しい。きっと読んでいる人は、チンプンカンプンでしょうね。
やはり、実践あるのみ。

今日はおたがいに、声をもっと出すには、という共通のテーマで結ばれた者同志だったから、良い効果をあげたのではと思います。

何より、自分のタイミングで、声が出せたことが、このところの疑問解決になったね。
おかげさまで、自分の練習にもなりました。




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楽器が整ってきた?

2021年06月11日 | 体を整える
右膝が前後左右にずれていると、指摘を受けたのは、「自転車を漕いで、降りた時右膝が伸びない」と、山田先生に訴えた時の施術でのこと。

それ以来、足首の曲げ伸ばしと、太ももの内側を意識するようになりました。
日頃の生活の中で気が付いた時、整体体操を行うとき、先生の指示を思いだしながら、曲げる角度や、のばし具合を試行錯誤していました。

異状が起こるのは、椅子から立ち上がった時と自転車を降りる時で、必ず右膝に症状が出ます。
もし、左足だったら、大けがにつながるので、自転車に乗って膝の具合を試すことなどできないのですが、右膝のため、左足を着地してから、右足の膝の具合が確かめられました。

いろんなことがわかります。
右左同じにペダルをこいでいるつもりでも、右足は、股関節からの影響で、外に向いてペダルを踏みこんでいます。
膝が柔軟であったときは、問題なかったのが、力のかかり具合によって、膝のかみ合わせが前後左右にずれてきたと言うこと。

それで、ペダルをこぎ終わって、着地しようとすると、ひざの関節が、伸びなくなっている。

膝が外に向いているのは、特に太ももの内側の筋肉が弱いということがわかります。
問題点がわかったら、 さっそく、筋肉強化。そして、膝の曲げ伸ばしには、足首にも影響して居るので、足首からの引き合いの運動。

今まで、習い体験してきたことが、ジグソーパズルのように、組み合わさってきました。



この処、体の使い方について、自分なりに試すようになりました。教えられた通りに行っても、その時その時で、微妙に変わってくることを感覚的にわかるようになりました。

その甲斐あってか、椅子から立ち上がったとき、自転車から降りた時、膝の痛みや、伸び具合が、危険を感じるほどではなくなってきました。

そして、今朝は、少し寝坊をしたので、起きぬけの体操をしないで、いきなり起き上がってしまったのですが、右膝の違和感がなく、スムーズな足運びでした。
今日は整体の日だから、山田先生によい報告ができるなと、ほくそ笑む。

体がつながると、先生とのやり取りも、なぜかつながって、今日の操法は、おしゃべりではなく、整体について、体について「整体の話に終始し、最後には、私の思っていなかった方向へと導かれました。
私の要求と体の要求とは、違っていることに気づきました。
そして、話がそれた先の、重要なャCントと体操の教授を頂き、結果、体が浮き上がるのではないかと思うくらい軽快に爽快になりました。

そして、一番大事なャCントに近づきつつあるなと、感じました。

整体の技術は
やみくもに使えば良い訳ではなく、

効果が10倍にも20倍にも跳ね上がるような
「今だ」という使いどきがあるのですね


とは、整体から帰って、開いた受信ホルダに届いていた、井本整体のメルマガの一文です。


『使い時』を、自ら感じ取れるようになったら、最強になる

調整された体(楽器)をてにして、今日ほど、詠いたいと思ったことはない。



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