風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

曾根鷺夕先生

2019年10月31日 | 詩吟
               訃報

公益社団法人 関西吟詩文化協会 元会長 曽根鷺夕先生がなくなられました。

10年前、創立10周年記念大会の時、関吟は「社団法人」、芦孝会は、まだ「東京支部」を頂いています。
そして、曽根鷺夕先生は、社団法人 関西吟詩文化協会総本部 会長・宗範の肩書で周年大会を祝って頂きました。
昭和55年には、指導者級の吟詩権を獲得していらっしゃいます。

謹んで、お悔やみ申し上げます。

東京芦孝会の20周年記念大会にご招待申し上げた時は、どんなことをしても参加したいとの思いでいらっしゃると、野田会長からお聞きしていました。

お目にかかってお話をしたことは、一度しかありませんが、そのたった一度で、お人柄に魅せられ、後に、友人から聞く鷺夕先生の様子に、益々親しみを覚え、尊敬申し上げておりました。

大会間近になって、欠席との報に、胸騒ぎがしていました。

大阪で、関吟の大会が行われている時に、訃報が届いたとのことで、本当に残念です。

鷺夕会はもとより、総本部の先生方、皆さんどんなにか、お心を痛めていることでしょう。

今日は、末日ですから、KANGIN TOKYO NEWS 11月号の発送の作業をしました。
受取人のいなくなった封筒を手にして、やっぱり現実なのだと、実感いたしました。


謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント

ラ メ[ル

2019年10月31日 | 詩吟
詩吟を始めたばかりで、とても素晴らしい声の持ち主に出会いました。
練習を積めば、どこまで、伸びて行くのか、はかり知れません。

他流の先生のもとで、習っているのですから、私の口を差し挟む余地はないのですが、どうしてももったいないので、つい、言葉が出てしまいました。

明るい方の様にお見受けしますが、これからの、関わりの中で、どこまで言っていいのかを探っていきます。

何も、よそに行ってまで、先生面するなよと、いわれるなぁ。。。。。

あるがままで、楽しく愉快に吟じていればよいのですが、ただ声が良くて、大きいということだけに留まってほしくなくて。

もともとの能力、才能にプラスして、たった一か所、簡潔に吟じられるようになったら、どれほど素晴らしい吟詠になるかと思う。

そして、それが、かなったとしたら、うれしくて、励みになることだろう。

何かを抱えているなら、きっと、そこが突破口になるだろうから。



コメント

高畑充希

2019年10月29日 | 徒然に日々のことを


遠く離れて住むじいちゃんと孫娘がファックスのやり取りをする。
孫娘サクラの辛い気持ちを読んで、その返信がファックスでとどく。

一瞬に全文が届くメールやSNSと違って、電話が鳴り、『あ、來る』と心の準備をして、上から順に全体がゆっくりと見えてくる。
この間が何とも言えない。

力強い筆文字で大きく書かれた文字は、じいちゃんそのもので、何より力づけられるなぁ...

           テレビドラマ 高畑充希主演 「同期のサクラ」10/29放送より



さくら役の高畑充希は、歌も演技もずば抜けています。
「さくら」の一風変わった役どころを嫌みなく演じていて、好感が持てます。

それから、じいちゃん役の津嘉山正種もいい!
サクラが好きだ」というのもある。
文字だから、照れずに伝えねばならない本心が伝えられる。
達筆の筆文字だから余計にいい。




コメント

エピソード

2019年10月29日 | 詩吟
このエピソードが、三人の誰かから語られる時は、三人が揃って上機嫌の時。
もちろん、お酒も程よく入って、気持ちの良い会話だけが続いたとき。

小さいコップの底に1センチほどのビール(ワンフィンガーと称する)で乾杯をし、大きなコップには、ウーロン茶。

それが、今までの習いでしたが、この処、勧めじょうずのおかげで、おちょこが私の前にも置かれるようになりました。

本当に心地よいときは、注ぐのが難しいくらいほんのちょっぴりのお酒を、舐めるようにして頂くようになりました。

今日は、何と!おちょこ二杯が空きました。
幸せな会話のときは、アルコールの分解もフル回転するようで、今日は、胸がどきどきしたり、頭が痛くなったりはしないのです。

だから、このエピソードが、出てくるのです。

だから、この最高の気分を一緒にする人だけが聞くことのできるお話は、あらかじめ準備して話すものではなく、乞われてするものではないのです。

詩吟仲間との歴史が重ねられて、今の形が作られたことに、ことのほか喜びを感じます。

さて、あるはずがなかろうと思いつつ、ワンフィンガーのビールのフリーイラストを数ある中から探してみました。(
これは、ワンフィンガーになった絵ですから、正解ではないね。)


   飲めない私でも、なみなみと注がれて
   白い泡がたっぷりの乗っかっている
   ビールは、おいしそうだ。

ワンフィンガーのビールなんて、改めて外から見るとなんと、まずそうなことか。
こんな景色を、周りの人に強いていたのかと思うと申し訳なく思います。

それで、もう少しおいしそうなイラストを探しました。最近ツーからスリーフィンガーに成長したからね。これでご勘弁。


コメント

小西如泉先生

2019年10月29日 | 詩吟
20周年大会で、「富士山」の伴吟をさせていただいた小西如泉先生の教場へ、お礼にまいりました。

みなさんの御親切や花束をことのほかお喜びくださって、その一つ一つの顛末を語る晴れやかなあんなお顔は、初めて拝見いたしました。

お花も毎日切って、おせわをして、二週間近く愛でてくださったそうです。

そして、先生の方から、ハグをしてくださいました。
こんなに喜んでくださったのだと、改めて、嬉しく思いました。

この称賛は、20周年にかかわったみなさんが受けるものですから、私は、その代表ということで。

こんな形で、喜びが伝わってくるなんて、かつて、詩舞の手ほどきを受けた時の先生のご苦労に少しでも報いられたのかしらと思います。







コメント

お疲れさまでした

2019年10月27日 | 詩吟
20周年大会の実行委員さんたちの慰労会が行われました。

総勢30人。

これだけの人たちが、2年近くにわたって、取り組んできたのだなぁと、感慨深い。

それぞれが、それぞれの仕事に、真摯に取り組んだことで、「大成功」の記念大会となりました。


野田芦孝会長、小室幹事長以下、本当に大役をこなされて、会員全員の満足を手に、誇らしいことと思います。

剛力も非力も、互いに助け合った結果と思います。

これですべての予定終了。

        明日へ向かって、GO
コメント

夢青葉10年

2019年10月25日 | 詩吟
20周年が終わったばかりだから、「周年」という言葉に過剰反応をしてしまうのねぇ。。。

10周年が終わるのを待って、生まれた夢青葉は、だから、来年が10周年の年となります。

 夢を冠する兄弟姉妹の関係となる青葉と松風の合同練習会として計画が始まったら、とんでもなく大きな会場を借りることになって、入れ物のネームバリューで、「5周年」と認識するようになった。

20周年の印象がかなり強い今、「来年は10年」という言葉を出したら、『10周年大会』というイメージが先行してしまった感がある。


夢組メンバーが10年あるいは8年をかけて身につけたものを、それぞれが認識するためにちょっと改まった会を設けてみたらどうだろう。

大きな会場を借りるということが、当たり前のように先行してはいけないと思う。

じっくり考えて、一番良いかたちをとりましょうね。

20周年の余韻の中にいる今、「10年」を口に出すのは、早すぎたかもしれない。

本当は、会員さんの中から声が出るのを待つべきだった。

私の中に、下世話な思いがあるのだなぁ。。。。。あ~~ぁ。




コメント

左の肋骨を上げる

2019年10月21日 | 体を整える
横臥して行う、ろっ骨を上げる体操を習いました。

働いていない機能は、何の感覚もないから、トラブルの始まりであるとは、しるよしもなく、機能回復をする必要性にも思い至らない訳です。

何の問題もなくすごしていても、その無症状ということのほうがことは重大なのだと、これで何回目かの説明なのだけれど、前回より少し深いところで、理解したのかなぁ。

その無症状の箇所を指摘して、それは、どの内臓に問題があるかを探り出して、対処する体操をオーダーメイドで、ご指導いただきました。

それぞれ基本の動きは、ありますが、その人の症状によって、微調整をする必要があるから、オーダーメイドなのです。


左の腰が働いていないので、肩が落ちるて、首に負担がかかります。

その症状は、それより上に至る血流などに影響して、様々な症状を引き起こしています。

例えば、白内障とか、耳鳴りとか。

せっせと熱タオルをすればよいのに、さぼりがちでは、先生も浮かばれまい。

わかった、わかったというのは、誰にでもできること。

その次の行動を、熱心に起こしましょう。



コメント

10年経った

2019年10月21日 | 詩吟
20周年の実行委員をしながら、10年前の10周年前後のことに、つい思いが飛んでしまいました。

そのころの逆カルチャーショックといえるような落ち込みの中で、詩吟を再開し、その流れで、10周年実行委員会へ、遅れて参加することとなりました。

私は、落ち込みから立ち直ったのは、今までやったこともない「舞」に死に物狂いで取り組んだおかげと、ずっと思ってきました。

もちろん大きな理由ではありますが、それだけではなく、様々な小さな出来事や出会いも、大いに手助けがあったことが、見えてきました。

その時は、お世話になっているとか、支えられているなどとは思っても見ませんでしたが、10年を経たから、実感することもありました。

祖の感謝を温めていましたが、その節は、ありがとうと一言伝えたく、行動を起こしました。

ごめんなさいに時効はあっても、ありがとうには、時効はないよ、と思ってね。

今日、やっと、「その節はありがとうございました。」と感謝とお礼の気持ちをお伝えすることができました。

伝えられた人は、何のことやらわからなかったのではないかと思います。



コメント

つるうめもどきとりんどう

2019年10月20日 | 徒然に日々のことを
娘の精進

コメント