風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夏休み最終日

2004年08月31日 | チンゲル亭裏日記

月曜日の昨日、夫は、9月からの締めくくりの仕事に向け、間に合うように今まで使ってなかった通訳の面接に職場に出かけた。
めでたく、一人目で決定しました。

昨夕は、安心しておやすみ最後の日を過ごせるといっていたのですが、朝起きたら、パートナーが決まって仕事モードがスイッチオンしてしまったので、さっさと職場に行ってしまいました。

今日は、夏休みの間、ご飯中心のさっぱり食を続けていたので、元気いっぱい食の材料がほとんどありません、買出しに出かけるつもりだったのに。

仕事に、頭が向いてしまうと、何も考えられなくなるのは、いつもの通り。
さて、今日から、私は仕事ウィドウだ。

オルティンドーの練習が始まらないと、手持ち無沙汰になるところだったのですが、カイちゃんがママの出張で、家にとまりに来ています。

ほんのちょっとのあいだに、たくましくなっていました。
ただいま1才と2ヶ月。
相変わらず、寂しがりやで、とぼけたご愛嬌も変わっていません。

運動不足の、夫を外に連れ出す格好の材料でした。
今回は、本気で、2時間おきに連れ出しています。
実は、おしっこを漏らしがちなものですから。

今日で、3日目ですが、今回はう○ちのほうは完全セーフ。おしっこは、3回の失敗ですんでいます。
今朝は、夜のうちの粗相は無くて、ほんとにおりこうさんになったね!

お気に入りのぬいぐるみの、キャッチアンドリリースは、こちらがくたびれるほど、あくことなく続けたがります。

ちょっと、ひまそうにすると、すかさずぬいぐるみを咥えてきて、期待に満ちたまなざしで見つめられるのです。

パソコンを始めると、ひざの上に上がり、今は私の腰と椅子の背の間にもぐりこみ、いびきをかいています。
私は、私で快適な暖かさに、うっとりしつつ、キーをうっています。

そして、お友達の便りを見ると、わたしが帰国したときの献立が決まったと書いてありました。
「お稲荷さんと肉じゃが」だそうです。
うれしいーい、早く食べたーい。

こちらでは、油揚げは手に入りません。
レトルトのお稲荷さんは、ノーサンキューです。
そして、肉じゃが用のお酒は持っていったほうがいいのかな?(これは、彼女にだけ通じる冗談です)

一人モード オン!

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台風接近と寒さ到来

2004年08月30日 | チンゲル亭過去日記

日本では、戦後最大といわれる台風が接近通過し、なくなった方までいらっしゃるというニュースを聞き、知り合いや親戚の様子が心配です。

台風のほんとの浮ウを知る夫と、テレビでしか知らない私との心配の度合いは天と地ほども違うことでしょう。
それを、「心配です」とあらわすとまったく同じになるのが、ほんとに不思議でおかしく感じます。

ニュースで知らされているよりは、知り合いの住むところはそれほど被害はないという返事だったのですが、その後の、風の進路でどう変わったでしょうか。

今年は、モンゴルでも雨が例年に無く多いようです。
はるかかなたの、台風がモンゴルの上空にも影響すのでしょうか。
地球上で、みんなそういう傾向なのでしょうか。
気象予報士さんにお伺いしたい。

今日はかなり冷えます。19度に近づきました。
2~3日後にはまた温度が上がるとのことですが。
つい2~3日前までは、頑張って半袖だったのに。
今日は、綿入りのジャンパーを着て外出です。

巷には、長袖Tシャツ、Gジャン、ロングコートと色々の服装の人が歩いています。
アパートの、お世話係のバイガルさんに尋ねると、暖房は10月から入るとのことでした。

今季は、お湯の温度が低くても、補助の電気湯沸かし器を取り付けてもらっているので、いつでもお風呂に入ることができるのが安心です。
体を冷やさないように、けれど過保護にならないで、寒さに体を慣らすように。
まるで、赤ん坊の世話をするように自分の体をチェック観察です。
今は、体調をくずさないように、帰国後に疲れを出さないように。
ほとんどの友達は自分の体調をさておいて頑張っているのに、贅沢な生活 です。

    感謝!
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ウンドルドブ再訪

2004年08月30日 | チンゲル亭過去日記

ジャララガンさんの運転で、ウンドゥルドブへいきました。

朝から雨もよい。素敵なドライブ日よりです。
キャンプにレストランはあるのですが、営業しているかどうかわからないので、念のためおにぎりを作りました。
彼女は留学経験があるので、梅干が大好き。しかし、魚類は一切だめなのです。
彼女用に梅干2個、私に梅干と鰹節。
おやつに、黒砂糖と黒飴。それから、何はさておきお水。

迎えに来た車を見て驚いた!リアウインドにはビニールが張ってある。
駐車している車では、良く見かけましたが、自分が乗ることになるとは思いませんでした。

空港に向かう白い門の手前にある目印のガソリンスタンドが視野の中に2つあります。
視野の中に、ガソリンスタンドが2軒というのは、モンゴルでは珍しいのです。
彼女は、日本でよく車に乗っていたので、スタンドで道を尋ねれば判るはずと降りて行ったのですが、残念そうに帰ってきました。

遠いほうのガソリンスタンドを左折した先に、通行料を払う(500トグルク)検問所で尋ねるしかないと進みました。
こちらのほうで正解でした。

そこから、約30キロ先。家を出て、約1時間すこしで目的地到着。
6月に尋ねたときは、ナーダムになったら冬営地からやってくると教えられていたのですが。。。
今年は、ツーリストキャンプの2階建てレストランの大きな窓から見えるところにはゲルを示す白い点が見当たりません。

念のために、キャンプの受付で尋ねると、いつも来ていたのだけれど、今年はもっと遠い所に夏営地を張っているとの答え。

あともう一息で確実に探し当てられるのは判りました。
けれど、忙しいジャララガンさんをこれ以上拘束するわけにいかないのです。
日本で免許を取った彼女は、礼儀正しすぎて、モンゴルでの運転はかなりストレスと伴うものになっているようです。
その上バックミラーが盲目状態ですから、運転の限界と思えました。

写真だけを持って、名前のわからない(ほんとは、忘れた)人たちを、こんなに広いところで探し当てられるのはモンゴルならではのことです。

来年、写真の主が、冬営地からまた帰って来たとき、検問所の人、キャンプの人から、写真を届けに来た日本人がいたことが伝わるでしょう。

それでよしとしよう。



キャンプの受付の人に、
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ラクダの涙

2004年08月28日 | チンゲル亭過去日記


http://www.klockworx.com/rakuda/

娘からの情報で、日本で映画がはじまるそうです。

私も見てみたいのですが、帰国したときはもうやってないでしょうね。
ビデオになるといいのですが。



映画の説明をよんでみました。
唄の儀式をする人がいるようです。
私は、オルティンドーを唄うと聞いていたので、ちょっと違っていますので、調べて見ようと思います。

シャーマンのような人がいるのかもしれませんし、それ以外で、専門の人がいるのかもしれません。
少々お待ちください。
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長唄《オルティンドー》

2004年08月28日 | チンゲル亭過去日記

9月になったら、オルティンドーの先生もUBに帰ってきて、練習が始まります。
オルティンドーのCDを聞いていると、元気なときは作業が進み、元気の無いときは気がつくとぐっすり眠ってしまいます。

         オルティンドーには、不思議な魅力があります。

春は、牧民達にとって、最も忙しい時期です。それは、家畜の出産が始まるからです。ですから、もっとも楽しい毎日でもあるのです。
悲しいことに、出産で、親を失う赤ちゃんもいて、そんなときは、別の親に抱かせるのですが、なかなか難しいのです。

そんな時、牧民達は、オルティンドーを唄ってやったり、馬頭琴を聞かせてやったりするそうです。そうして、親馬や牛や駱駝の心を和ませるのです。
すると、徐々に別の子に対しても乳を飲ませてやるようになるそうです。

オルティンドーや馬頭琴の調べは、人だけでなく馬や牛や駱駝の心も癒し、慰め、元気付けてくれるのです。

オルティンドーを唄うときは、大草原にたった一人でいるつもりになってうたいましょうと、音楽大学を卒業したばかりのオルティンドー歌手に教えてもらったことがあります。

そのような気持ちに、どうやったらなれるのか、いまだに良くわからないのです。
わたしのは、一生懸命なだけで、心を落ち着かせるのは私のほうで、心騒がせる唄なのですが、いつか心和ませる唄を唄いたいなぁ。

                ☆

8月はやはり秋でした。今朝から、温度計の針は20度の線上から動こうとしません。ややもすると下回りそうな勢いです。
厚手のTシャツを着、やはり足らなくて、ベストを重ねました。
冷えるはずだ、正午ごろには雨が降ってきた。

チンゲル亭の庭の深い緑にも茶色が混じってきました。
アルタン・ナマル(黄金の秋)と呼ばれる時期です。
この時期は、もう一頑張り家畜を肥やし、厳しい冬のための草刈に精出す。
チーズやバター、干し肉を作り、薪を集め牛フンを集める時期なのだそうです。
草原では、忙しい毎日を送っているのです。

明日は、去年の8月に行った、ウンドゥルドブへ、連れて行ってもらいます。
牧民さんたちは、写真を届けてもらうのを何よりも喜んでくれます。
その写真は、見る人が皆、あまりに私がその牧民の家族になじんでいるのに驚いたものです。
さて、去年の場所にいるでしょうか。
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安全対策連絡会

2004年08月27日 | チンゲル亭過去日記

年に2度行われることになった連絡会の昨日は、交通編でした。

モンゴルの道路交通規則が追加改正されたことが、警察庁から報告されました。
なるほど、それで、最近横断歩道で、車が親切になったなぁと感じたのはそのせいなのだろうかと思い当たりました。

信号の有る横断歩道を青で渡ることが恐浮セなんて、日本では考えられないことでしたが、アテネのオリンピック情報の中でも青信号を安心して渡ってはいけませんと放送されていましたから、モンゴルだけではないようです。

歩行者優先を守る人と守らない人がいるのが、一番浮「。
どうぞといわれて渡っていると、その後ろから車が進入してくることがあり、やはり、道路横断は自分の責任において、信号はあくまで参考にしながら、渡る必要があるようです。

急激な車の増加に、警察側の対応が間に合っていないようで、自分の身は自分で守ることが肝要です。

会場のホテルを出るとき、アメリカの兵士が二人車から降り立ちました。
ロシアのテロの報道について、私達のロシアへの任地外の旅行は避けるようにとJICAからのお達しが有ったところだったので、兵士の姿を見るのは、何か、不安がよぎりました。

モンゴルでは、テロなど起こりようが無いという状況ですが、米兵がそれとわかる衣服で移動するのは、何の目的なのでしょう。

            ☆

このようなあつまりがあると、同期の者が食事会というのが通例です。
若い人たちは、若い人で、どこかに流れて行ったようです。

その若い人たちの中に、風邪を引いているといううわさの隊員がちゃんと出席していたので、一安心。
いち早く、様子を見に行くべきかどうか迷ったのですが、UBでは、隊員達が密接に連絡を取り合い助け合っているようなので、静観してSOSが来たらいつでも出られるようにと心積もりをしていました。よかったね。

ただいま午前6時40分。珍しく、夜明け前に目が覚めて、あさひを待っています。
昨夜は、夕食後、8時30分にはもうあたりは暗くなっていました。
そして、急に冷え込んで、フリースが欲しいなと思いました。

健康管理員さんからも、十分に衣服を着けて外出をするように、暑ければ脱ぐくらいの気持ちでこれからは過ごすようにとの、アドバイスがありました。

これからは、上着を入れたリュックを持って外出です。
秋です。
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首都ウランバートル

2004年08月26日 | チンゲル亭過去日記

モンゴルというより、ウランバートルはどんどん変わってきています。
店は、日本の銀座並みの物が出現して、超高級品がならべられ、それだけ首都に住むモンゴル人の生活水準が上がってきたのでしょう。

街を走る車も、ランドクルーザーやベンツのジープといった高級車で、しかも新車がじゃんじゃん走るようになりました。
あいかわらず、その隣をぼこぼこにへこんだり、ガムテープでミラーを取り付けたり、果ては、馬も一緒に走っていたりはするのですが。

レストランは、町を歩くたびにあちこちに新築開店です。
新築と言っても、アパートの1階の歩道に張り出して、レンガや材木でちょいと作るのですが。

しかし、昨日見たビルは本格的に建設されたものでした。
郊外には、どんどん、マンションが建ち、その回りにさまざまな生活用品を扱う店や食堂、レストランが開店するのです。

恐ろしいくらいの、発展の様子です。
すこしずつ、首都の物価はあがりつつあり、地方との格差がどんどん広がっているように思えます。

テレビでの宣伝も日本と変わらない高級品や生活様式が展開されています。
ウランバートルはモンゴルではない、別の生き物のように、成長しいろんなものを取り込んでいます。

去年からの1年間のかわりようをみて、更に、今も激しい変化を遂げているのを見ていると、来年がどのようになっているのか想像もできません。

私はこちらでは、何も生産しない消費だけの生活です。
このままの生活でいいのかなぁ。と、ふと、気がついてしまったのです。

まだ、気がつきたくなかったなぁ。
帰国まで、76日、お気楽生活のままで居たかったなぁ。
とことん、楽しむだけのつもりで来たのだから、そのままでもよかったのになぁ。
何で、今気がついたんだろう。
気がつかなかったふりをしようか。
それも、まだ、今ならできるなぁ。。。う~~~ん。
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ウインド ショッピング

2004年08月26日 | チンゲル亭過去日記

文字通りの気楽なウインド・ショッピングのできるところが、我が家からモンゴル日本センターへのちょっと遠回りの通りに新築されました。

昼寝の夫を置いて、出かける先と言ったら、モンゴルセンターくらいかな。
そう言えば、今月に入って一人で出かけるのは、初めてかもしれない。
「非日常」だなぁこれこそ。
何か面白い本はあるかなぁ、一人で歩いていても随分リラックスしているなぁと思いつつ歩いていたら、ひげのモンゴル人に脅かされた。

はぁー、おどろいた! 悪気は無かったのだろうけれど、飛び上がった。
だから、油断はできないのよ、ちょっと気持ちが引き締まった。

あら、見慣れぬ風景。大きなガラス張りの新築の高級感の有る商店が、ならんでいる。
準備中から、ダンボール積み上げたところ、商売の始まっているところと通りに面したところでこれなんだから。
みんなで、いっせいに開店なんてことは考えないのはモンゴルらしいよ。
入り口が2箇所ある大きなビルだな。

東西に伸びている通りだから、日当たりが良く明るいのはいいのだけれど、商品に日差しがあたって、心地よさそうだが・・・
商品が動かなかったら、生ものでなくてもちょっと浮「ものがある。

ビルの中に入ると、まず、やっぱりSONYだ!サムソナイト、ラドーやロンジンの高級腕時計店、イタリア製らしい靴の店が並んでいる。
腕時計店以外は、ナランショップで見かけたものであったが、商品もちゃんとディスプレイされている。

腕時計がすごい、一番高いので、100万トグルク以上の値札がついていた。
こんな高い値段のものは、車以外で始めて目にした。
しかも、店員の教育が行き届いていて、ずいぶんモンゴルにしては礼儀正しい人ばかり。体をかわして、行く先を譲られたのは、はじめてだ!

今までは、店に入っても、食事をしていたり、友人とのおしゃべり優先で無視されたり、商品の運び込みにつきとばされたり、最初のうちは随分気分を害したり、浮「思いをしたものだった。
最近、それにも慣れてきて腹を立てなくなって、買いたいものを意思表示すると店員達も乗ってきて、最後はやっと笑顔になるのだけれど。

それが、今日は笑顔はまだ無いにしても、店に入ったとたんに好意的態度を示されるとおかしなものでかえって気持ちが悪いのである。
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ご近所さんおかえりなさーい

2004年08月24日 | こたろう

モンゴルの西の果て、ウルギーまで、車で旅に出かけていたご近所さんが、昨夜帰宅なさいました。
三菱デリカで、ご夫妻と子供のようにかわいがっているハナと通訳と運転手との旅です。

ウルギーから遠来のお客様を迎えた18日のこと

                ☆
彼の住まいに、私達のUBでのアウトドア好きの知人が、奥様と犬を連れて車の旅の途中で、立ち寄られたそうです。
知人の念願の、国境に行きたいと言う願いを彼の同伴で叶えられたそうです。
奥様も犬もお元気でしたと聞き、胸をなでおろしたのでした。

UBを出発して、2週間余り。お好きで出かけるご主人は、嬉しくて仕方ないでしょうが、奥様は、初めての体験をどう乗り越えていらっしゃるやら、と、明かりのつかない窓を見る度に思っていたのでした。

2週間過ぎて、お元気なら、旅を完結なさって、お帰りのことと思います。
よかった、よかった。
                ☆

と、日記に書いたのでした。

今日は、まだ、奥様は家のお片づけが大変なようで、ご主人様にしかお目にかかりませんが、3人とも元気ですと、いい色に日焼けして、ひげの伸びたお元気な笑顔で聞かせていただきました。

奥様から、3週間の車のたびの感想を聞くのが楽しみです。
今日ばかりは、窓から散歩するハナの首の鈴の音が聞こえてこないか、耳をそばだてています。

さて、今日私達は、民族歴史博物館に行ってきました。

紀元の頃から、続いてきたモンゴル遊牧民の生活と、1921年の人民革命後の首都ウランバートルでは生活が一変しているのが良くわかります。

そして、驚いたことに、魚を採る網や、農業の道具が展示されていました。
遊牧だけが、モンゴルの生活ではないと頭ではわかってきているのですが、現実に魚や農耕にかかわるものが展示されていると、驚いてしまうのです。

それと、もう一つの驚きは、少数民族の女性の民族衣装が、ほんの狭い地域で、少しずつ違って、それぞれに美しいことでした。
これらの情報が、もっと広く行き渡るといいのにと、ほんとにもったいなく思います。

そんな思いがあったせいかどうか分かりませんが、私達は、最初で最後の、ゲストブックなるものに署名しました。
二人の連名と、感想の欄に、今日の日付を記入しました。
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広い空

2004年08月23日 | チンゲル亭過去日記

窓に区切られた狭いはずの空。

お昼ごはんの頃に、窓から見えていた雲は、グレーの雨雲で、一度だけ稲光が見えました。

その、雲がみえなくなり、青い空が見えるようになった頃、上空で雷が鳴り、パタパタと音を立てて、雨が降ってきました。
今、4時半。
 チンゲル亭の上空には、12時頃の南向きの窓の下のほうに見えていた雨雲がやってきたのです。

窓からの空は、ずーっと先のボクト山に区切られつつ、更にその先までの数十キロあるいはもっとそれ以上先の方まで見渡すことができます。

窓から見渡せる空は青い空。
べランダに出て、真上を見るとグレーの雲が広がっていました。

ちょうど、でかけようとしていた夫は、かまわず出かけていきました。
モンゴル人は雨が好きなんだ、と言いながら。
すぐにあがってしまったので、雨にぬれることはできなかったようでした。

フブスグル湖にいったときは、叔父が喜んだちょうど良いお湿りでした。
馬方さんと話していたとき、馬にとって、雨は草を生い茂らせる恵みの雨だけれど、馬方にとって、稼ぎ時の観光シーズンに降られる雨は、お客さんが馬に乗ってくれないから、困るんだと言っていました。

私達は、馬方さんと約束した時間には、雨が上りかけていて、ほんとに気持ちの良い乗馬ができたのです。

ただし、雨の間、鞍はしまっておいたのですが、鞍の下にかけてあるフェルト素材の布は、馬にかけたままだったようで、Gパンの鞍から外れた部分の太ももから下がぐしょぐしょに濡れ、靴のかかとが真っ黒に汚れていました。

モンゴルの風に乗って舞う土は、ほんとに細かいので、パタパタと払い落とせるので、乾いている限りにおいてはちっとも衣服を汚さないのです。

けれど、雨にあうと、その土は真っ黒に汚れをつけてしまうのです。

フブスグル湖の雨は、UBと違って、さすがに湖のそばだけあって、長く続くし量も多いのです。
知ったかぶりをして、「雨だねぇ、うれしいねぇ」と、語りかけたのに対して、笑顔を期待した私は、ちょっとがっかりして、申し訳なく思ったことでした。

あの馬方さんは、5センチくらいの大小2頭のヤクの彫り物をくれました。
青いTシャツを着て、満面の笑顔の馬を引いた少年のお父さんでした。
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