風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

やっぱり子供が好き

2019年01月31日 | こたろう
大きな声を出して、履きやすい靴を履き、姿勢正しく歩く。

その光景が、何度も表れる。

まだ、そこには、私の姿はないけれど、山田先生と連携を取って、できる限りのことをしたいと思う。

先日の授業参観で、急に、姿勢のよくなったお子さんがいて、それが、何日も続いているという。

支えられた声は、優しく響くし、耳の敏感なお子さんも逃げ出すことがなかった。

すべて、素人考えだけれど、子育ての頃の周りの子供たちのことを思いだすと、心と体が結びついて、お互いに影響を与えあい、支えあっているのが、よくわかる。

運動はできなくても健やかな体を持つ子供は、伸びやかで、可能性が有ると思う。
運動ができたら、健やかであるかというと、そうでもない。

あの子たちが、困難を感じていることを、体を整えて、豊かな表現力をつけることによって、前進するだろうか?
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ちょっかいをやめる

2019年01月27日 | 詩吟
20周年に向けての委員会は、部長のおかげで、スムーズに進んでいます。
他の部会も、いろんな難しい局面を見せながら、一歩一歩。


自分の、足元は、なかなか見えるものではないのですが、あれこれとちょっかいを出すのをやめてみることにしました。

自分から、やり始めたことですが、おんぶにだっこはいけません。
そして、それがいつしか当たり前になり、おんぶにだっこにぶら下がりにと、果てしもない現象が起きてきて、これ以上は、お手伝いの限界を超えていて、私の許容力の限界を見たので、きっぱりと決断をしました。


だったら、なにもしなければよかったのに、今なの?と言われてしまいますねぇ。

これを、身のほど知らずというのでしょうねぇ。


身軽になってみると、今、しなければならないことが、はっきり見えてきて、予想以上に重いものを支えていて、辛かったのが、わかりました。


あと一つだけ、残っている予定が終われば、夢組のことにだけに注力をして、その先に20周年ありと考えることが、一番私には無理のないことと、結論をしました。

お互いに踏み込みすぎないで、伝えあうことをしなければと思う。
その手加減は、これから試行錯誤。

「子供は、飾りの材料にしないほうがいい」
              一切なりゆき ~樹木希林のことば~




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あ、わすれてる

2019年01月26日 | 体を整える
山田先生が添えた手が、多くを語り、多くを感じさせてくれる。

ところが、手が離れると、とたんに手に取るようにわかったつもりだったのに、すーっと消えてなくなる。

なかなか、真髄がとらえられなくて、試行錯誤もできなくなる。

困ったことだ。

一瞬わかったと思ったことが、逃げていった。




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授業参観

2019年01月25日 | 徒然に日々のことを
孫の授業参観ではなく、アラフォー女子職場の参観でした。

授業のお手伝いの一環として、ゲストとして教室に来てほしいとの要望があり、子供好きの私としては、二つ返事で、お受けしました。

と、同時に、娘が職場でどのように過ごしているのかを、拝見できるのも、まず、有り得ないことなので、二つ返事が二つ揃っての出番です。

子供たちは、可愛い。歌を歌い、調べたことを発表し、それぞれが、その持てる力を十分に生かせるャWションにいて、精一杯を見せてもらいました。

休憩時間には、それぞれが、好きな遊びをするのですが、三つの内の一つが、私の詩吟を聞くになっていて、ほとんどの子供が、手を挙げてくれました。

「大好きな先生のお母さん」というフレーズが、何をするのかもわからないのに、行ってみたいと思ったのでしょうねぇ。

詩吟をすることを取り上げてくれるかどうかは、昨日の時点で、決まっていませんでしたが、詩吟の出番ありのつもりで、準備しました。

今日のテーマに関係があるのは、海でしたから、「海を望む」が一題。
そして、子供たちにわかるのは、「兎と亀」を、口語に直しておきました。

「油断大敵」の言葉は、残したかったので、伝える工夫として、今、ブームの「ぼーっといきてんじゃないよ!」を取り入れて、みんなに、言ってもらうことにしました。

それを入れるところは、子供たちの反応を見ないと、わからないので、ぶっつけ本番です。

先の授業で、コミュニケーションができていたので、子供たちはリラックスしています。
そのため、普通にしゃべったのでは、声が届かないので、不要なしゃべりは、なしにして、いきなりスマホを取り出し、「吟トレ」の音を出すと、みんなが聴き耳を立てました。

ヨシッ、好感触。正統の「海を望む」を詠いました。
みんな、私の声に集中。一人、耳の敏感なお子さんは、耳に手を当てていましたが、不快では無さそうでした。

そして、次に、「カメさん、カメさん、どうしておそいの?
        ウサギは、先に行って、ひらひらと手を振る
        油断大敵(ぼーっと生きてんじゃないよ)←子供たち 
        おひるねのあいだに
        カメさんは、頑張って、一等賞」


子供たちは、夢中でした。初めてなのに、チャンと音を取って詠える子供もいました。
もう一人の耳の過敏なお子さんは、もしかしたら、教室を出ていくかもしれないと危惧したそうですが、そんな気配もなく、聞いていたそうです。
10分はあっという間に過ぎました。

あぁ、なんて幸せなんだろう。
二つの、二つ返事は、今も豊かな余韻を残して、部屋を満たしています。

ありがとう!
まだ、残る余韻は、近来稀でした。

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臨時練習

2019年01月23日 | 詩吟
夢松風の臨時練習が、行われました。
通常練習が2時間、その後、続けて部屋が取れたので、初めて、定例会に加えて、お稽古をいれることにしました。

いつもの2時間では、話しきれないことや、個々の課題や質問にお答えをしました。
全体にお話したいことが終わると、ちょうど一人10分の時間ができました。

せっかくの参加ですから、時間切れにならないように、時間を図りながら、少し気を引き締めて、行ったら、10分という時間は、ちょうど良い長さでした。

日頃、時間配分を公平に都は考えないで、今、言っておきたいことの優先で、勝手な采配をしていますが、こういう、公平の取り方も、悪くはないと、思ったことでした。

問題点を明らかにするのではなく、良いところを理解していただいて、今ある自分に自信を持ってもらいたいと、切に願っています。

皆さん優しくて、お稽古後のねぎらいの言葉が、暖かく、嬉しいものでした。

そして、今まで、わからなかったことがわかってきたという言葉は、独善的であったと思いますが、思いのままに、続けてきてよかったと、思いました。

ただ、みなさんがどんどん成長してくると、このままで、よいのかな?と思いますが、私なりの方法は、それ以上も、以下もないと思うしかなく、今まで、会員さんに押し上げられていたのが、それだけではいけないよねと、思い始める。

この処、先輩のお二人の吟詠に、迷いが吹っ切れたように感じます。
年を重ね、ある程度の上達を見て、それで、落ち着こうとしたちょうど良いときに、後輩さんたちが、入会したことも、良い影響かと思います。

たまに、雰囲気を変えて練習をするのも、いいですね。




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ガツンと一言

2019年01月18日 | 徒然に日々のことを
「うわついてんじゃないよ、足元を見ろ!」

一言、昨夜の楽しい語らいのなかでの、私への言葉は、そんな衝撃的な内容だったのだけれど、暖かく身に染みて、去年以来、あがいていたことへの、単純明快な答えに導くものでした。
(その方は、決してそんな乱暴な物言いをしたわけではないことは、ここに明記しておきたい。)

いい訳なんて、あろうはずが無い。

そのことを、命をかけて、実行するのみ。

一夜明けて、その言葉がどんどん染みてきて、たった一つのことに力を注ぐ勇気が育ちつつある。

まだ、清らかに静かに落ち着いた日々は、先送りにして、心に銘じたことへと、あがけ、進め!
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日々是好日

2019年01月17日 | 論語と
素読の会の須藤先生のお話は、今年の干支についてと、映画「日々是好日」から、鰍ッ軸の言葉についてのお話でした。

亥は本当は豚だったという話。

誠実に考えすぎて、行動が遅くなる豚と、猪突猛進の亥。

なんて面白いのだろう。

どういう訳か、間違った方が面白いのは、世の常で、面白いからこそ、ずっと、訂正されずに伝わったともいえるのかなと、思う。

須藤先生のいつもの新年は、家持の「あらたしき」の吟詠から始まります。
そして、今日のお話の中に、先生のお好きな梅の花が出てくるので、「寒梅」もそれぞれ参加メンバーにお願して吟詠していただきました。

須藤先生の別の会場の論語の会の方が、新しく三名参加でした。




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新春はじめの一歩

2019年01月17日 | 詩吟
須藤先生が復帰準備の足慣らしが先月より始まりました。

1年前の3時ごろ開始に戻りました。

新入会の方三人が、はじめの一歩にも来て、見学なさいました。
その内お二人は、とても乗り気で、楽し気でした。会場へは、自転車で来ることができるようで、強力なメンバーになるかも?と、今から期待しないで、期待する思いになります。

新越谷は、北千住からの引っ越し組ですから、全員電車で通っています。
これから、入会される方は、近隣の人が増えることになるわけです。

はじめの一歩は、詩吟が好きで来てくださっていて、論語の授業がなくてもこの一年参加してくださったので、遠いからと言うマイナス面は、なさそうですから、自転車組に格別の期待をするのは、失礼なことだったかもしれません。

サメ[トの厚いはじめの一歩ですからねぇ。

さて、今日は、「結婚を賀す」が課題でした。
皆さんすんなりと、しかも、見学さんたちも大きな声を出しておられました。

いきなり、「一節ずつの練習は、詩の意味からすると、途中で切れて、納得がいかない」との質問が出ました。
初めてのことで、驚きましたが、ブレスの必要があって、一節と呼んでいる箇所で、切って、練習をするのが、習いとなっていることをお伝えしました。

この質問は、新鮮ですねぇ。

さすがに、須藤先生のもとで、学んでいらっしゃる方だと、感心しました。

まず、何も考えずに、詩吟の声が出せるようになりましょう。
テニスで、素振りをするように、自分の体を十分に調整して、良い音色を出せるようになったら、自ずと詩の意味が伝わるように詠えますから。

         ♪無心に声を出す🎶




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古希偶感

2019年01月14日 | 詩吟
毎年、善い友人を増やし、毎日のように詩を作って楽しみ、静かに吟じ続ける。
始めから終わりまで、生涯一貫して常に美しい心を持ち、汚れもせず、世間に染められもせず、清らかな心を持ち続けたい。


宮崎東明先生のように、生きたいなぁ。

あくせく、じたばたしてしまうのは、持ち分以上のことをしているからと思う。
だから、何か驚くことが起こると、慌ててやみくもなことをして、墓穴を掘ることになる。 
今までは、体力頼みで、なんとか、不細工でも穴を埋めてきたけれど、、、

今度も、墓穴を掘ってしまったような気がする。
どうして、助言に従って、たちどまれなかったのだろう。
やみくもに走るのは、肝っ玉が据わってないからだ。
はたして、穴は埋められるのか。


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袴の着付け

2019年01月12日 | 徒然に日々のことを
和歌に合わせて、舞う方が、袴を着用なさるとのことで、お手伝いをしました。

10年前に、見よう見まねで袴の着付けを、覚えました。
詩舞を舞うためでしたから、しっかりと紐を締めねば、舞の動きに耐えられません。
だからと言って、着物に紐をたくさん使えば、それ良しとはいかないのです。

そもそも、慣れない私一人で着るのだから、紐を一本でも減らして、着付けにかかる時間を減らし、尚且つ最大の効果をあげるべく工夫が必要でした。

ご近所の先生の所で習うときは、家で着ていきましたから、時間はいくらでもありましたが、頼る人はいません。

小西先生のおけいこの時は、周りに着替えをしている人たちがいましたが、(今では、吟仲間でもある人たち)お目にかかったばかりでしたから、「お願い」と言えませんでした。

このお願いと言えないかわいげのなさは、周りに、手助けを拒んでいるように見えたことでしょう。
この、性格は、とても問題だ。
心では「助けてよ」と言っているのになぁ、、、


さて、話がそれました。
袴に関しては、一人で、さっさと着られるようになり、今では、これで三度目の手助けとなりました。

その方が、借りてきた袴は、するすると結び目が滑ってしまう生地でしたから、最初は戸惑いましたが、小西如泉先生が、お弟子さんの舞台用の着付けを手伝っている時に「指先が痛くなるの」とおっしゃっていたのを思いだして、締める度合いと結び目の様子を思いだしてみたら、思いのほか、きっちりと着付けられていました。

後姿が、きりっとしてましたし、袴の丈も、足を延ばした時の袴の裾からの足袋の白の出具合が、私の好みの通りでした。
舞姿も、袴の裾捌きも決まっていました。

終わった後、何も言ってなかったので、危惧したゆるみは、なかった模様。

これで、本番も安心。

次は、着物を短く着ることから始めて、着付けをさせていただきましょう。

本番は、名古屋。
関吟創立85周年関東・東海地区記念大会の構成吟の関東連合の担当部分の吟詠と舞の一つです。




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