風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

何しろチンゲル亭にいないもので

2004年11月19日 | チンゲル亭過去日記

「チンゲル亭便り」も、帰国してしまうとネタがありません。

もともと、ページにかかれるのを嫌がっていた夫のことをモンゴルから帰ってしまったら、これ以上書き続けるわけにはいかず。
当然ページに登場させられるのが嫌な娘のことを書くわけにはいかず。

さりとて、特別なことの無い私の生活は面白くも無く。
さて、さて、これからどうしたものか思案中です。

これから、日記も滞りがちになることが予想されます。
帰国したおかげで、とても元気にしています。
急な環境の変化にも、耐えているようです。

日記の更新が無いのも、元気で代わりの無い証拠と思っていただいて間違いはありません。

長らくの間、チンゲル亭便りを楽しみにご覧になっていただいてありがとうございます。
 
とりあえず、チンゲル亭からの便りは、これで終了にいたします。
UBでの生活にかかわることで、公表しても差し支えの無いことがありましたら、随時アップしていこうと思います。
コメント

みんな留守 オーストラリア出張

2004年11月17日 | チンゲル亭過去日記

あちこちに帰国挨拶の電話をしました。
とりあえず、10人まで電話をして、なんと!本人は一人もいない。
留守電1件、ご家族が一人、あとは全部呼べども答えぬ。

みんな忙しいのね。
聡恚@をかけている人もいたかも。
がっかり。
今度は、かける時間を変えてみよう。

                ☆

夫が今週末、オーストラリアへ出張です。
ゆっくりしたいと言っていたのですが、声をかけられると喜んでいってしまうのです。
仕事の内容は、企業秘密だそうです。

留守をしていた間に、心配をおかけしていた方たちに心ばかりのお土産を届けたり、食事会にお招きなどと考えていました。
帰国後のもろもろの手続きやら何やらが終わったと思ったら、もう、打ち合わせが始まり、それどころではなくなりました。
どうするのぉ?
私一人で、と言うわけには行かないでしょう?

出発は21日。
当分使わないし、古くなったからとモンゴルの欲しい人にいろんなものあげたり、捨てたりしてきたのです。
あの中に、早速必要だったものがあって、買い物にも行かなくてはならないようです。

モンゴルの物価に慣れてきた私たちに、果たして、日本での買い物がちゃんとできるだろうか?
「たかーい!」と言って、二人で口をあんぐりして、買わないで帰ってきてしまうかも。
幸い、これから夏に向かうオーストラリアだから、必要なのは、現場靴かなぁ。
コメント

帰国後

2004年11月16日 | チンゲル亭過去日記

昨日は、ハローワークに行きました。
念のため、離職票を提出してみました。
今日は、国民健康保険の手続きをし、ちょうど良いタイミングで夫の運転免許の更新の時期だったので手続きをし、都民として、復活をしました。(笑) 

少ない荷物でしたが、2年の不在の間はそれなりに生活していたので、収めるのに一苦労です。
こんなとき、UBのひろーいアパートが恋しくなるのです。
スーツケース2個を全開にしておいても、まだゆとりのあるスペースは、こちらでは望むべくも無い広さです。

無くなったことを惜しんでも仕方が無いのです。

何よりも、狭い我が家でもお蔭様で全員元気で、再会を喜び合えるということが嬉しいです。
10ヶ月も不在であったことが嘘のようだと、口々に言います。
鼓太郎も態度でそれを示していて、家族って良いなぁとおもいます。

娘達は、仕事から帰ってきたらすぐにご飯が食べられること。
朝は、父の淹れるコヒーが飲めることが嬉しいといっています。
私は、作っても作っても空っぽになるお鍋が嬉しいのです。

家族元気で、みんながそろっているのが、一番いいですねぇ。
コメント

新宿御苑

2004年11月14日 | チンゲル亭過去日記

次女と3人で、新宿御苑に行ってきました。
貴重な週末を、私たちのために空けてくれたのです。

夫の仕事柄、不在が多く家族で散策なんていうことはなかなかチャンスが無くて、だうからこそ今、家族でのんびり出かけようと言うことになったのです。

長女は、友達の結婚式で前日から、準備で忙しく、今日は3人です。
モンゴは、すっかり冬でしたから、緑の葉が茂っている様子は、嬉しい光景でした。

まだ、紅葉には早く、もみじが色づいたり、イチョウの並木がまっ黄色になるころにもう一度来てみたいです。

娘達に、いたわられ、娘達のやさしさを感じて、嬉しく思います。

                   ☆

年末へ向けての片づけを兼ねて、持ち帰った荷物を使いやすく収められるように昼から、頑張っています。
何処まで、使いやすくなるだろう。

夕飯は、全員そろう予定です。
この次は、いつになることでしょう。
10ヶ月も不在すると、万障繰り合わせて、時間を作ってくれるんですねぇ。
コメント

日本の雨

2004年11月12日 | チンゲル亭過去日記

見る景色がみんな雨にぬれて、木々のみどりがあざやかになり、みずみずしくて、物がみな優しさを増しているような景色が、目の前にあります。

乾いたモンゴルから帰って見る、もしかしたらこれが一番日本らしい景色なのかもしれないと思います。

外出から帰って手を洗ったら、あら、流れた水がきれいだ。
ぱちぱちの静電気が起こらない。

はぁー、懐かしい感覚。

雨上がりを歩くと、すがすがしく気持ちが良い。
役所の手続きの帰りに、公園のベンチに座って、話をする。
こんなゆっくりする時間は、いまだ嘗て無かったような気がします。

帰国後のほんとは、あれこれと忙しいはずの時にこんなゆったりした時が過ごせるとはねぇ。

道路を歩いても、穴ぼこやマンホールの穴を気にすることなく、
貴重品のバッグを神経質に守ることなく、
問い合わせにはしっかり正しい情報をくれて、途方にくれることなく、
横の連絡が取れていて、物事がスムーズに進み、時間を無駄にすることなく、
神経が逆立つことなく、

よく水をくぐったなじみのシャツを着たかんじ。
はぁー、住み慣れた場所だ。
コメント

帰りました 日本の良いところ

2004年11月11日 | チンゲル亭過去日記

我が家の、なじんだ椅子に腰鰍ッて、日記を書いています。
日本はいいなぁ。

昨夜は、秋刀魚の塩焼きと垂フ物とやっこと味噌汁の夕飯を作って待っていてくれました。

魚がうまーい!夫と、舌鼓を打ちました!
野菜がうまい、お茶がうまい。

久しぶりの娘の笑顔は、幸せをくれました。
心配した鼓太郎も、パニックを起こすことなく機嫌よくしてくれています。
早速、いつもの足元で、眠りました。

今日は、一日荷物の片づけをしていました。鼓太郎は一人でお留守番ではないので、なんだか変だと思っているのか、それとも、喜んでいるのか、よくわかりませんが、、、
へ い わ だぁー

                ☆

UBと違うところ

車は左
信号が青になったら、安心して渡れる。
日本語の看板(あたりまえ!)初めてのところでも買い物が短時間に出来る。
タクシーのドアが自動であること。
タクシーは、左のドアから乗る。
暖かい飲み物を売っている。お茶のペットボトルを買いました。
電話で、用が足せる。言葉の問題もさることながら、情報がしっかりしている。
暗くても安全に買い物が出来る。
貴重品のバッグを、神経質に気にしなくて良い。

電車が走っている。
席を取るのは、モンゴルと同じ我先にだけれど、取られるとなんだか腹が立つ。
タクシーは、所番地で行く先に連れて行ってくれる。
モンゴルは、住所では無理。大きな建物で行く先を指示。判らないときは、行く先のいる人に電話をかけて、運転手に説明をしてもらうのである。
タクシー料金が高い。

                ☆

今日は、4人で、念願のお寿司を食べに行きました。
友達のおすし屋さんは定休日で残念でした。
明日、あさってとそれぞれ用事が入っているためそれ以上待てなかったからです。      
おいしかった。生の魚がこんなに美味しかったとは!
ほっぺたが落ちるとはこのことです。

JICAからの、残念なニュースも聞きましたが、それを吹き飛ばす楽しい会話が続きました。
コメント

送別会その2

2004年11月09日 | チンゲル亭過去日記

朝から、いろんな場所へ出たり入ったりの用事があるので、お友達のタクシーを頼みました。

JICA、銀行、郵便局、お友達のうち、大学とUB中を駆け巡りました。
その間に、教授が待っているからすぐに来てという電話。
帰国のための、あれこれをやっているところで、急に言われてもこまるので、いけるようになったら電話をすることにしました。

そして、約2時間後、やっと、大学に行くことが出来ました。
それで、教授の言うのには、「○○さんも、モンゴル人になりましたねぇ。2時間もまたせたのだから」と言われたそうです。(笑)

何とか、今日の予定を終わらせて、協力隊員さんたちが開いて下さった送別会へと向かいました。

心づくしの会に、ちょっと涙腺が緩んでしまって、夫に続いて挨拶をするところを一言もしゃべることが出来ませんでした。

初めて、出席する2次会はカラオケ大会。懐かしい唄を唄い大いに憂さを晴らしました。最後だからと無理やり誘った夫も、楽しげに歌っていましたので、安心しました。

最後の「サライ」は,大感激。

2次会に向かうときに降り出した雪が、3センチほど積もっていました。
モンゴルには珍しい湿り気を含んだ雪でした。

明日、あまり降りすぎると、あさってのフライトに影響が出そうです。
北京での乗り継ぎ便に間に合うかどうか。

                  ☆

明日は、最後の事務所挨拶のあと、大学へ行ったり、お寺へ行って、頂いた線香を燃やしにいきます。

そして、最後のお昼を作った跡、残った食材をお友達にもらってもらい、夕食はその人と、レストランへ行きます。

10日は、朝6時に家を出ます。
このパソコンも、仕舞って、荷物の取りまとめの完了となりそうです。

ですから、少しの間、メールチェックも出来ません。あしからず。
コメント

花ちゃん末キる

2004年11月09日 | チンゲル亭過去日記

TV5の放送のビデオを見ながら、花ちゃんに末オてもらいました。
せっかくのチャンスだったのですから、どのように話されたのか、知りたくて、花ちゃんに家に来てもらったのです。

その傍らで、私たちはせっせと荷造りでした。
送るものは、ほとんど無いと思っていましたが、みかん箱の大きさの箱が3箱出来ました。

明日は、郵便局に送りにいきます。
コメント

送別会

2004年11月07日 | チンゲル亭過去日記

ボクト山国立公園内にある、キャンプへいきました。
総勢13人、子供一人、日本人二人。
私たちの送別会でした。

ゲルに入るとまず、ストーブを燃やし始め、傍らでは、スーパーで買ってきたヒャム、きゅうり、パンを薄切りにしています。

お皿にオープンサンドにしたパンを盛り付け、コップにはアルヒを注ぎ、酒盛りが始まります。

愉快な人たちのさざめきの中にいると、言葉はわからなくても心地よくなってきます。
参加した女の子は、10歳。日本に住んだこともあり、私のちょうど良い話し相手。

ほどほどに、食べ物とアルヒがお腹に収まると、挨拶が始まります。

夫も、今日はいつに無く饒舌で、一人一人の思い出をお目にかかった順番に話し始めました。
そして、懐かしがりながら、感謝を述べるのです。

それぞれの人への、そのときの苦心談やエピソードはその人の笑顔を誘い、わっと笑い声が上がり、その人への愛着を感じました。

この2年間の、夫の様子が良くわかった瞬間でした。

ノゴトイシュルのランチ後、後ろの丘にのんびりゆっくり休み休み登るのです。
冷たい空気が、ほっぺを赤くします。

三々五々頂上を目指し、おしゃべりが弾みます。
話が盛り上がると、私と女の子は、取り残されました。

ゲルに帰ってからは、スーテイツァを頂きながら、今度は、それぞれの主人への送別の思いを述べてくださいました。
私には、オルティンドーが所望され、前よりも上達したと褒めてもらいました。

それぞれ、暖かく、夫のことをよく理解して下さっている言葉に、思いがけない気がしました。

一人の言葉が終わるごとに、アルヒで乾杯。
夫は、かなり飲んでいるようでした。

帰りは、明るいうちに帰宅できるはずでしたが、車に五寸釘が刺さってパンク。
予備タイヤを載せてないので、もう一つの車にはずしたタイヤを乗せ、修理に向かいます。
やはり、モンゴルでは、2台を連ねて、出かけるのが安心です。

真っ暗になるまで待ちました。どうやらそれらしい車のヘッドライトが見え、ほっとしたのもつかの間、そのライトが忽然と消えました。
しばらくして、又、忽然と目の前に現れました。

平らと思っていたのですが、乗用車が隠れるくらいの高さの起伏があったのです。
無事、タイヤを取り付けて、帰宅できました。
それにしても、寒かった。
コメント

オルティンドー

2004年11月07日 | チンゲル亭過去日記

3日、最後のオルティンドーの練習がありました。
1時間のあいだに、音階練習と4曲のうたをもう一度先生ガ録音してくださいました。
そして、帰国後も練習できるように、質疑応答をしてくれました。

親切に、もう一度音を入れてくださるとは思わなかったので、驚きました。
その日急に昼過ぎから、雪が降り温度が下がったので、喉の調子が悪かったので、声が出にくいので、ちょうど良かったのです。

いつものように、練習の後、お茶しながら色々とおしゃべりをしました。
こんな楽しい時間が、これで最後かと思うと残念でした。

一つ一つ、終了のマークがついていきます。
コメント