風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ことば選び

2020年12月29日 | 徒然に日々のことを
伝えたいことがある時、自分の独りよがりの言葉を使わないで、相手が理解して、思いが伝わる言葉選びをしなければ、伝わらないどころか害になる。


自分では、ローカルではないと思っていても、実は、ローカルな言葉を、知らずして使っていて、意味不明なことを言っていることがあるらしいことに気が付く。

伝わらなかったら、二度重ねるのではなく、違う表現をして、別の角度からアプローチせねば。

良い、指導者、助言者というものは、相手に近づいて身を低くできる人のことを言うんだなぁ。

わかり切った事をやっと最近、身に染みて、分かりかけました。

吟詠について、感じたことを伝えたかったのですが、言葉選びに失敗をして、届かなかったなぁ。。。

その問題点について、これ程ぴたりと表現している言葉はないとの思いは、自己満足だったなぁ。

その言葉を使うことで、意味不明になってしまったことは、残念としか言いようがない。


「良かれと思って、、、」「そのままでは、もったいないから」とは、私の口癖ですが、それこそお節介。

どんなにもったいないと思っても、尋ねたいと思うことにしか人は反応しないものなのだよ。

でも、、、あぁ、勿体ない。

永遠に気がつきそうにないときは、ヒントだけでも上げちゃいけないかな?
あぁ、だめだめ、それこそ、お節介。

命にかかわることでも?

そうだねぇ、だからこそ余計に、自分で気が付かなくてはね。

それで、命を落とすことになっても?
人って、そんなに馬鹿じゃないから、大丈夫。

桃の木の下で、待ち合わせしたとして、それが梅と思っている人とは、決して巡り合えないのだよ。                                                                    
                このふたりはめぐりあえましたねぇ。おめでとう!


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卒業した夫は

2020年12月28日 | 徒然に日々のことを
家人は4番目の仕事を12月いっぱいで、退職となりました。
25日は、その出社最後の日。

コロナウイルス感染防止のため出社日が週1日からやがてすべて在宅勤務となりました。

出張が多く、長ければ何か月も、短くて1週間の不在が続くため、「肝心な時にいつもいない人」でした。
そんな人が、最後を迎える時になって、ずっと家のパソコンの前にいなければならないという状況は、想像に難くない。

この半年近く、在宅のため、退職後、お家に居る人御一名様のリハーサルと思って、過ごしましたが、大人が一人増えると、いちいちめんどくさいことがあります。伸縮性の網の中にいる感じがしていま~す。


二つのグループ人たちからそれぞれに思いのこもったメッセージと記念品を頂いて、にこやかに、うれしそうに、帰ってきました。

会社のことは、ほとんど話さない夫です。
記念品を頂くという事態になって初めて、お品に添えたメッセージから、夫の職場での様子が見えました。お世辞半分としても、シニアとして好感度が高く、仕事も結構できていたことを知りました。

記念品も、一つは希望したもの、一つはおもいがけず、夫の好みを言い当てた品で、嬉しさもひとしおだったよう。
会社に勤める人は、家族よりは、長い時間ともにすることになるため、妻の私よりも理解してもらっているみたい。
その方の、記念品チョイスは、夫のツボにはまったようです。

終わりの日が、このように、幸せに締めくくれたことは、家族にに取ってもうれしいことでした。

今日は、あちこちで、「ごちそう?」と尋ねられましたが、31日までは、在籍なのだから、お終いではないのです。
そういうところにこだわるオットであるというのはわかっていて、不機嫌になるはずなので、25日は、普通の夕食でした。
「今日はまだ終わりじゃないものねぇ。」と、先手を打っておきました。
生真面目さもここまでくれば、上等ですねぇ。

さて、これからは、どういう過ごし方をするのか、辞めて一段落しなければ、次のことを考えることをしない人ですからねぇ、、、、、

夫に関しては、急かしても動じない、頼んでも脅しても変えられない人だと長い年月で十分にわかったので、「ご苦労さま」の次の言葉は、飲みこみました。

私は、こたろうを見習って、自分のペースを守って、日々を過ごします。。。




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体の真ん中の空洞を意識する

2020年12月25日 | 体を整える
両手を下げて立ち、その手を様々に動かしてみる。
ラジオ体操のような、振りあげたり、下ろしたりの大きな動きではなく、ほんの少しの上げ下げ、ねじり、肘を曲げるなど、果ては、親指と小指をくっつける、または、親指と人差し指をくっつけるというような、微細な動きでも、しんとして静かに立っていると、体の真ん中の空洞が、様々に変容する。


その微細な動きを感じることが出来て、コントロールするようになると、もっともっと、体は、軽やかに動き始める。

そして、その空洞にひずみがなければないほど、豊かな音色を奏でることになる。

一瞬、ストンと落ちたような感覚があり、真っすぐな筒が体の中に立ち上がる。これが、理想の形。
















捕まえたと思ったら、あそこにもここにも引っ鰍ゥりができて、重みを感じてくる。

その場所を的確につかみ、腕の角度、引っ張り加減、捻り加減を調整して、理想の形に近づける。

ほんの一瞬、一瞬に魅せる体の反応が、面白く手、興味が尽きない。

手首のちょっとした動き、腕の捻り加減。
「自在にコントロールできるようになる。」と、心に訴えかける。


「原点」のバックナンバー 井本先生の巻頭言から、心と体の繫がりのエピソードを読んだばかり、心が決めるんだなぁ。


井本整体東京本部 03-3403-0185
    HP     http://www.imoto-seitai.com/
   メール gentej@imoto-seitai.com




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”KANGIN TOKYO NEWS”

2020年12月25日 | 詩吟
”KANGIN TOKYO NEWS”のPDF版が届きました。

中央会に向けて、本日、A3・両面・長辺とじにて印刷しました。

東京芦孝会には、HPもあります。
そして、毎月欠かさず発行されていて、新年1月号は330号となる”KANGIN TOKYO NEWS”と二本立ての情報機関を持っていることになります。

「ネット社会なのだから、云々」と言うことも聞かれますが、それぞれの、形式の情報源は、それぞれに意味合いと役割を持っていますから、どちらも大事です。

紙ベースの情報は、お届けに、手間がかかります。
毎月の中央会で、教室単位でまず配られます。
その際、欠席の教室があると翌日郵便でその他の配布物と一緒に指導者へと、送られます。
そして、直近の教室開催日に、指導者あるいは教室幹事から会員に配られます。

手から手へと体温のある伝わり方をしている、まさに、これがいいのです。


さて、そのKANGIN TOKYO NEWSの記事の、「きらり!道場トピックス」の今号は、101回目を迎えました。
表題の下に、つつましく、上品に「101」が、入りました。

令和3年(2021年)1月号は、第330号 そして教場トピックスはNo.101の背番号が付きました。

令和2年(2020年)6月から、「イラストで漢詩を楽しむ」が新企画で始まり、No.8となっています。

冒頭の季節だよりには、「コロナ克服の先に・・・」の書き出しで始まり、

「寒さに負けず、この初春月、お元気でおすごしください。のだ ろこう」と結ばれています。 

季節だよりのペンネームが「のだ ろこう」と入るようになったのは、2012年5月からです。

発行部数も、紙面もコンパクトでありながら、これ程丁寧に、完璧に作られている機関紙って、有るでしょうか。

中心で、作、構成&校正などの重責を担っている方たちは、寡黙なので、端近にいる私が、声高に、えっへん!と、自慢の図でありました。


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大原美術館・クラウドファンディング

2020年12月20日 | 徒然に日々のことを
    公益財団法人 大原美術館





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#岡山県
#アート
#地域文化
#観光
#伝統文化
#絵画・イラスト
#晴れ!フレ!岡山
一般公開なくして大原美術館ではない。
作品との出会いを守るご支援を
        ↑クリックしてリンク先へ

       プロジェクトは、成立しました。


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たわごと

2020年12月20日 | 詩吟
お休みしている夢松風のみなさんへ手紙を書きました。

「お休みの間に、自主練習をして、腕を磨く」と言う攻めの自習は、求めないことにしました。
時節柄、大きな声を出すことへの抵抗があります。

そして、音源の資料を送って、吟詠を聞くというのもねぇ。
たった2分の吟詠を、隅から隅まで、聴くのは、とんでもない集中力が必要です。
その集中力は、別の時に取っておくとして、今は、守りの自習をして頂きましょう。

① 楽器(身体)のメンテナンス
② 朗読
③ 呼吸を意識する

この三つを、要求して見ました。

①については、何時もやっている詩吟体操を丁寧に数回行う。

② 関吟のテキストは、他流からも絶賛されるほど内容が充実しています。
  よく読みましょう。
  テキストから得た知識から、その詩への自分の思いを胸に、
さながら演劇をするかのように、朗読します。
  アクセントに気を付けて、言葉をはっきり言いましょう。
  何度も、覚えるくらいに。

③ 息は、胸ではなく骨盤に貯める感じで。 
  吐くときは、口を閉じて、シューと音がするくらいの勢いで。 
  長く、ながーく、細く、ほそーく。
  息を口から吸うときのコツは、息次ぎをする前の母音の口の形のまま。
  お腹で、捉えます。そして、骨盤に貯めるかんじで。
  そうすると、ヒップアップします。

ちょうど、詩吟体操をし終えた時の姿勢になります。

詩吟体操で、身につけつつある基本姿勢は、すべてに通じています。

こんなことを、文章で書いてどれだけ通じるのだろうか。
日頃は、体を動かしながら、目と体とで、行っていますから。

その事を、文字にした時、どうなるのかな?

お稽古のできない時、何ができるのかなぁと。


嬉しいことに、続々と、返事が届く。
それなりに、私の思いを受け止めてくださったようです。

文字は、読むとき、咀嚼する時、祖の内容を使う時、いろんな場面で、化けます。
化けても、「ん?」と言う反応が、起きれば、しめたもの。
「ん?」と言う心の動きが、必ず次へとつながるはず。

次に、会って練習する時、大間違いを発見しても、大丈夫。
修正する作業の方が、大きなものを産むはずだからです。

いつになるのか、その修正を認識して、それぞれに行う作業を想像すると、腕が鳴る。

練習再開までに、自然落下をしてしまったものをすばやく発見して、糧にしようぞ!

どんなに練習して居ても、上昇するものばかりではない。
声でも、技術でも、思想でも、すべてのものには、引力がかかっていて、自然落花するもの。

それを、忘れないで、浮力を与え続けるのは、至難の技。

だから、自分で見つけやすいようにしてあげることも、私の大事な課題。

いつもよく言うことは、「七の音が連続する時は、はっきりと浮力をつけて持ちあげるように二番目の七の音を高めに出すのよ、三番目はさらにね、四番目はもっと浮力をつけてあげて」と。それで、初めて、七の高さが揃います。

声の高さだけでなく、すべてに、あてはまるこのことを、「七」の連続音になぞらえて説明し始めたのは、発見だった。

ただ、黙って、放物線を描かせてはいけないよ。

詩吟教室なのに、声を出してない教室のお話。

  


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2020年12月19日 | 体を整える
人体力学・井本整体のフシギ vol.126 に首を温めましょうと、あります。

首とは、『首、手首、腰首、足首』を言います。

足湯や熱タオルで、温めるのです。

最近寒さをあまり感じなくなってきて、丸首のセーターでも平気でいますが、マフラーをすることにしています。
暖かくて心地が良いのです。

そして、家では、足湯や、熱タオルで、要所要所を温めています。

そして、帽子も、髪の問題だけでなく、暖かいのです。暖かいと、脳内のパンパンという音もなくなって、首の違和感が、無くなります。


今朝、股関節の可動域が広がっていて、日頃手間をかけずさぼっていたところの聡怩ェ楽になっていました。

まだしっかりと足が組めないのですが、胡坐の形を取った時の膝の位置もかなり床にちかくなり、何よりも痛みが無くなりました。

胡坐をかくことが無いので、この姿勢が取れることを認識する機会がありませんでした。
やった!うれしい。

そういえば、前屈をした時、腰回りに板が入っているかのような違和感がなくなっていました。腰椎3番の可動域が増えたということなのでしょう。

そういえば、歩行時の足の振り子運動であることを感じ、膝で歩かなくなったことを認識したなぁ。

腰のあたりが柔軟になり、前屈が深くなり、股関節がより動くようになっている。

そういえば、壁の下の方を拭くのが格段に楽になったなぁ。

ついで拭き聡怩フ範囲が広くなって、年末の聡怩ェ、駱駝、ラクダ、🐪。。。楽だね。

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解約届け

2020年12月17日 | 詩吟
本来ならば、「はじめの一歩」としての詩吟教室最後の日。

特別なプログラムはないとしても、須藤先生への感謝とともに、何かの形のけじめをつけたいと、思っていました。

その、内容を描き始める前に、コロナ第三波の襲来で、教室の中止の決定を止む無くいたしました。

解約の手続きには、どうあっても窓口に行かねばならないので、出かけるために、ひと悶着ありましたが、これは、せねばならないことですから。

コロナに起因する解約なので、昨日までの申告なら、使用料免除だったそうです。

使用料の支払いは当然と思っていたのですが、特別の計らいで使用料の免除をして頂きました。ありがとうございました。

最悪のことを頭において、物事を考える夫と、楽観的に、自分の望みを叶えたいと思う私との、深ーい溝は、長いこと連れ添っていても埋まろうはずもありません。
平和な時は、そこに頑丈な橋が架かっていて、自由に行き来して、好きに過ごしていました。

この事態は、私と詩吟にとっては、ハリケーンのようなもので、地下室へと退避して、自分自身へのダメージを無くすしかありません。
いつかは去っていくハリケーンですから、そのときに、素早く行動をとれるように、慌てず見送るのが、賢明かと思っています。

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退却?

2020年12月13日 | 徒然に日々のことを
何かあったら命にかかわることだけに、使命感だけで、事を行うことは、慎むべしと、夫は強硬姿勢を貫いています。

承服しかねるのだが、冷静に、他人となって考えてみると、自ずと結論は、出ました。

やはりここは、感染云々の前に、大人として、しっかりと状況を見据えて結論を出さねばならないと、思う。

それで、12月6日に書いた通り、夢松風と新田の2月あるいは3月までの練習中止を決めました。
と言うことは、その時点で、他教場へのビジター訪問も慎むべしということですが。

うかうかと、夢松風の練習は、16日、その決定をする前に約束した12日のビジター訪問は、決行するつもりでしたが、、、
当然、夫は、何をか言わんやと、反論してくる。

私「約束したから…」
夫「子供みたいなことを言うんじゃない」

と、珍しく、温度の高い強い言葉が返ってきた。

これは、明らかにレッドカード。
詩吟を続けることに支障が出てくる瀬戸際に来たことを知る。

これまでの、夫の芦孝会への絶大なる信用と支持を揺るがしてはいけません。
こんな時こそ、流石にと思える行動をして行かねば。

一旦、ノーと言ったら、テコでも動かない人だから、退却必死。

夫は、理不尽なことを言っているわけではないのだから、退却というのは、ひどいかも。

正論を振りかざされているように言ってしまうのも、違うなぁ。

私が、夫の言うことに従ったというのでもない。

お互いに、勝ち負けになってしまってはいけないし。

家族内では、阿吽の呼吸でと言うことで。

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胡隠君を尋ぬ

2020年12月13日 | こたろう
  「胡隠君を尋ぬ」 高啓

 水を渡り 復 水を渡り
 
 花を看 還 花を看る

 春風 江上の路

 覚えず 君が 家に到る



麒麟が来る 今日の一場面

詩を詠い、このようでありたいものと、光秀に文を差し出す正親町(おおぎまち)天皇。

春うららの詩という印象のこの詩が、詠い方と相まって、まったく別の顔が加わりました。

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