風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

忘年会

2018年12月25日 | 詩吟
二つの忘年会に出席して、今年の忘年会は、すべて終了。

そのどちらも、ゆっくりと楽しめて、指導者の懐の深さを感じるつどいでした。

また、来年も、よろしくおねがいします。


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はじめの一歩 この一年

2018年12月21日 | 詩吟
今日の吟詠は、先生のリクエストで、『苧「館」王維作
そして、せっかく論語の方も加わるので、詩吟の今日の課題の「名槍日本号」を今様入りでと、準備していたのですが、お聞きいただいたのは、「苧「館」だけでした。

その代わり、詩吟の初めの一歩の方たちには、しっかりと今様入りで聞いていただいて、独吟の発表も今様入りで吟じていただきました。

今年は、先生の時間も頂いて、いつもの倍の時間を練習することができて、大きな収穫を得ました。

関吟の新Aその一を終えることにこだわりを持って、れんしゅうをつづけていましたが、今日の「名槍日本号」を終えたら、あと二題を残すところまで、漢詩の数を増やしてきました。

26年に初めて、5年目。のんびりゆっくり月に一時間で続けてきました。
テキストに載ってないのも数題ありますから、20題の詩吟をこなしてきたということです。
この積み重ねがあったから、急に、三時間の練習をしてもばてること無く、続けられたということです。

先生に頂いた時間は、一番良いタイミングだったわけです。

こんなメリハリをつけられるのも、メンバーが、私たち指導陣を信頼してくださったからのことです。

今年最後のメンバーさんの言葉は、「頑張りました!」でした。

まさに、静かな闘志で頑張って、練習に取り組み、その到達点がたくさんの人の前で発表という願ってもない、場面を頂きました。

そこでは、いつも接して居る先生がたの吟詠のほかにも、たくさんの素敵な吟詠をなさる方がいらっしゃることも見て聞いて知っていただきました。


この簡素な一言が、ぐっと胸に来る今年の一年の締めくくりでした。



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復活

2018年12月20日 | 論語と
第三木曜日、新越谷サンシティーの「素読の会」 須藤先生復活

        おめでとうございます!


今日は、試運転です。このまま、3月まで、体の調子を見ながら、進めていかれます。

そして、いよいよ、平成31年4月から、公式に発表し、再出発となります。

この講座は、論語だけの方と、詩吟もなさる方とがいて、今日の論語だけの出席者は、7人でした。
7人も増えると、30人定員の会議室は、賑やかいなりました。


先生も、それに力を得て、いつもの7割くらいのパワーで、お話をなさいました。
ほんのちょっとだけお話をなさって、お帰りになる位と思っていた人もいましたが、いつも通りのお話が、2時間余りも続くとは!

やはり先生は、みんなの顔を見ながら、話をなさるのが、とてつもなくお好きなのだと、思いました。


今日は、復帰第一日目の先生のお話は、どんな感じなのか、ドキドキしながら、席につきました。

愚にもつかないことを思いあぐねていたものだから、忘れ物をしたり、気持ちが行き届かなかったり、復帰された喜ばしい日に、もう少しなんとか、それらしいコメントで、お迎えできなかったのかと、反省。

言い訳をするなら、須藤先生は、いつもと違うことを好まれないので、いつものように、始まって、いつもの様に終わるのが、良かったはずと、思うことにしました。

思ったよりもお元気で、予定時間を過ぎても衰えること無く、お話が続きました。

10円硬貨をつかっての「易」は、表裏の解釈、でき上がった卦の解釈など、いわゆる占いとは違う、人生のとらえ方を、示唆されます。

それぞれがどうとらえるかによって、大いに違ってくるから、「当たるも八卦当たらぬも八卦」という表現をするのだなぁと、思う。

さて、私の卦は、何だったでしょう?

そして何を占ったのか、それは内緒。



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実は、、、「夢」の字

2018年12月19日 | 詩吟
「夢松風」の会員さんたちは、教室名をとてもよい名前だと、このところ何度か耳にします。

「夢」と「松」と。

男性でも、そのように感じるのですねぇ。

教場の名前についての話が出るのは、ちょっと、ゆとりができてきたということなのかしら。

まっしぐらに走っている時は、名前の話どころではなく、今、目前の課題に懸命に取り組むことだけに躍起となっていましたから、まっすぐ前鹿剥いていませんでしたねぇ。

創立メンバーのお二人が、根気強く教室を支え、それに加えて、無欠席の熱心なゲストさんと、しっとりとした落ち着きを見せてくださるゲストさん、そして、来るとその場を明るくしてくださる三人のゲストさんとが中心となって、とても良いハーモニーを奏でています。

先輩がいるということは、何よりのことです。
まだ、赤ん坊の時は、邪魔と思っていたお兄ちゃんやお姉ちゃんが、しっかりとその役目をはたせるように育ってきたのですねぇ。

今のその時の赤ん坊が、お兄ちゃんお姉ちゃんとなって、優しく見守り手助けができるようになりました。

そのような、おだやかな環境で、新人三人さんも、すくすくという感じでそれぞれの個性を見せながら、育っています。

まだ、半年しかたってないのですよ!

今日の、何度目かの忘年お茶会は、みなさんが溶けあっていたので、「えっ!まだ半年?」と驚いたものです。

いいメンバーに恵まれたものと、思います。

おかげで、このところ、ほっとしているものだから、いろんなことにボロが出てきます。
あるがままの姿で、足りないところは足し合って、強みは惜しみなく出して助け合っていきましょうね。

今年最後の練習は、こうして締めくくりです。




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剣舞

2018年12月18日 | 詩吟
小西如泉先生の剣詩舞の教場では、すでに、舞と吟を合わせる練習が始まっています。

10周年の詩舞のおけいこでは、お世話になって小西先生ですから、先生の伴吟をさせていただくのは、この上もなくうれしく、興奮いたします。


ちょっとしたきっかけから、ひばりが丘の自主練習会場へと導かれて、広々とした本番に近い広さの会場で練習できるだけでも、幸運と思っていたのに、死に物狂いで、教えてくださる先生と出会えて、なんて、幸運だったことだろう。

それが、10年後の剣詩舞の舞台へと広がっていくなんてことは、想像すらしていませんでした。

もし、膝を痛めなかったら、今でも剣詩舞を習い続けていただろうか。
そしたら、今、練習している方たちと舞うことになっただろうか。

伴吟か舞い方かと問われたら、即座に「舞」と答えただろうか。

一つのことしかできないのだから、もしかして、詩吟をおろそかにして、剣詩舞に没頭しただろうか。
そのころは、教室を持っていなかったので、選択肢は限りなくありました。

もし、たら、は、これくらいにしておきましょう。


いつも練習に参加すると、優しく心遣いをしてくださる剣舞の達人は本番にとても強い!

そのIさんは、私が年上だから言わせてもらうと、ご自身の実力を見える化して差し上げたい。      伴吟練習風景

「だめだめ」というのは、「だめだめ」なのですよ。
あなたの素晴らしい剣舞は、自信を持ったら、もっと迫力が出るのになぁ。
舞の素人が、言うことではないけれど、つい言葉に出てしまいます。




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道場

2018年12月15日 | 詩吟
いつもは、一吟のない教場だから、うっかりした。

今までは、どんな時も、必ず一吟は用意して居たのに。

それで、今年のテーマ吟を吟ずればよかったものを、所望されたからと、練習もなくいきなり吟じました。
もう、無謀なことになったなぁ。

若いときは、声が伸びやかだったから、練習不足は補えていたのだけれどね。
だからこそ、どんな時にも、出向くときは、一吟を用意せねばねぇ。



三行目の低音は、転句で高い音を出したばかりだから、ことさらに意識して、低い音だからねと体に言い聞かせてねと、直前に助言したばかりなのに。

その、発言したことへの責任は、うまくいってもいかなくても、自分でもそのつもりでやらねば、失礼なことでした。


ただ、その女性は、特に声が高いので、低音の発声を工夫せねばなりませんでした。
一言で、理解して、体が反応してくれたのには、驚きました。


もっと、今の自分の声に自信をもって、「○○じゃないから」という否定形を発しないで、言霊から良い影響をうける言葉遣いをしましょうね。

その言い方は、謙遜とはまたちがうのよねぇ。

私も、ここで、否定形の表現を用いては、書きなおすことが、多いから、気を付けることにしましょう。


今日は、出かけるのに、なにも用意しなかったわけではありません。
終わった後で、おそらくカラオケに行くだろうから、その時歌う歌を準備していました。

なんじゃらほいですよねぇ。

始めて聞いて、歌手にも歌にもほれ込んで、歌いたいと思った初めての曲は、「阿吽の花」歌手は、島津亜矢さん。

「あうん」とか、「馬鹿じゃなれない馬鹿になる」というフレーズに、どうしようもなく惹かれました。

何とかものにしようと、あがいていますが、カラオケも演歌も詩吟の二次会で行くくらいだったし、最近、一人カラオケで詩吟の練習に行くようになって、やっと、自分でタブレットを操作するようになったところです。

去年何度か行ったときは、一切詠わなかったものだから、タブレットを手にすることもなかったし。

今は、音を追うだけだけれど、自分なりに詠えるようになりたいなぁ。

迂闊な、今日のゲスト参加でした。
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浅草 ギャラリーef

2018年12月13日 | 徒然に日々のことを
ギャラリー エフ

という面白いところに娘と行ってきた。

古い蔵がカフェとコンサートスペースになっていました。

一階でやっている演奏を二階の囲炉裏くらいの大きさに切り取っている穴からも覗きながら聴くなどという、前代未聞の試みをしていました。

藏という空間の下の階で行われているトークと歌と演奏が、思いのほか間近に聞こえてきました。
木の床と高い天井が、音響効果をあげているのでしょうか。

その面白さを更に面白がろうと思って、男女2人であるはずのコンサート風景は、上の穴から覗くことをしないで、赤い漆塗りの床に重ねた座布団に足を投げ出して座り、太い構造柱に持たれて、音だけを聞いてみました。
単に、居心地よく足を投げ出して座ってしまったら、立ち上がる気にならなかったということだったのかも。

コンサートが終わって下に下りてはじめて、声の主の姿かたちを目にしました。

その鑑賞の仕方を娘は大いに面白がっていました。娘は、熱心に覗いていましたから。

敢えて、二階で鑑賞を選んだ人は、私を入れて5人。
床に腹ばいになり、覗き込む人、胡坐をかいたまま微動だにしない紳士、膝を崩して、少し窮屈そうに聞く人。。。

それを後ろの壁際で眺める私。

終わった後で、あの音はこんな楽器だったの? 尺八と思ったのは、サクソフォンだった。
こんな音がでるんだねぇ!楽器のせい?それとも、奏者の演奏の仕方?

楽器を奏でた男性は、想像通りの姿でした。
ボーカルの女性は、ちょっと違っていました。
この声って、どんな風にどこから出ているのか、歌声の割には、トークの声が届いてこなかったりするのも、興味深く、楽しんで、聞けました。

この建物で、詩吟をしたらどう声が響くのだろう。
二階で聞く声はどう聞こえるのだろうと、想像をしてみた。




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川間公民館

2018年12月11日 | 論語と
初めて、川間というところに行きました。

車待ち合わせ駅から、車で、延々と30分以上走って、目的地にやっと到着。


バス停は、見えるのだが、すれ違ったり追い抜いたりしたバスは、一台とてない。

免許を返上して、フットワークが悪くなった私には(あれ?ペーパードライバーだった私のセリフでは無かったね。)ことさらに、困難を感じてしまう距離でした。

このあたりで暮らすには、車は不可欠だなぁ。

今日、車に乗せてくださった方がいなければ、電車とこれから調べるバス路線に乗る必要がある。
待ち合わせをしたうえで、どなたかにお世話になるのは、苦手だなぁ。
気楽に、「ありがとう!」で、済ませられない性格というのは、可愛くないねぇ。

 
住民の意見を取り入れて、新しく建ったばかりの新しい公民館は、平屋建てです。
階段の上り下りがなく、さらにバリアフリーの設えは、良いねぇ。

しばらくの休講して、再開したのは、ここが一番早かったそうです。
長い歴史があって、しっかりとお世話をする人が育っていて、お留守でもみなさん自習をなさっていたようです。
そして二度目の今日の講座は、ずっと続けてきたかのようにスムーズに始まりました。

新しく参加された方がいたので、須藤先生は、新入生を大事になさって、いきなり難しい話をしたりなさらない。
いつでも、優しい語り口で、含蓄のあるお話をなさるので、何年にもわたって、受講している方にとっても、常に、新しい風が吹いてくるような語りをなさいます。

この魅力に、惹きつけられて、かなり遠くて、通いにくいのを承知で、とうとう、今日だけ、一日だけと宣言して、見学に来てしまいました。

そして、参加すると必ず一吟を所望して、その漢詩の解説をしたうえで、こちらに振ってくださる。

「詩吟を聞いたことがない人を一人でも減らす」という目的は、達せられた。

来月もと言ってくださったが、すぐには、お応えができませんでした。
当分保留です。





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女性との合吟

2018年12月08日 | 詩吟
11年前のこと、10年ぶりに詩吟に復帰して、すっかり声の支えがなくなっていました。

休止状態に入る前は、野田先生のご指導する教場にだけ参加していました。
それが、普通のことと思っていましたから。

10年の休止期間を経て、復帰した時は、練習量を増やして、元の吟詠に戻すには、他教場へお邪魔して、練習を増やす以外にはないと、可能な限り、お世話になることにしました。

自分のための練習として始めましたが、10年前のことですから、今は、成長して、問題ない吟をなさっている会員さんも、そのころは、初心者だった方が多く、女性の吟詠にもう少し力強さが欲しいと感じました。

それで、その時の自分にできることは、その女性たちと合吟をする機会を持つということでした。

隣で並んで、吟詠をしていると、女性は感覚的に受け取ってくださり、馴染んでくると、いろんなことを尋ねてくださったりもしました。

教えるなどという大げさな形ではなく、自然と育ってくるものがありました。

今日は、お誘いがあったので、急遽久し振りに谷中教室へ、行ってきました。

一人一吟ですが、人数の増えた教場では、コメントも含めるとかなり時間がかかりそうでした。
私も、上に書いたことと、谷中の女性がまだ初心者だったころのことも思い出として語り、私の今年のテーマとなっている「母を奉じて嵐山に遊ぶ」の吟詠を発表しました。


あの頃の準師範で、教場を持っていない私の「並んで吟詠」の時と、今のなまじ上師範となり、教場を持ってしまっては、思いの伝わり方や、言葉の伝わり方、技術の伝わり方が、思っていもいない方向へと、飛びはねてしまうことを感じました。

お互いに素直に、接していたのに、「伝えたい」が「教えたい」「いうとおりにしなさい」に変質改悪してしまっていると思いました。

教場で、「初心に戻る」が、らいねんの抱負になりそうだねぇ。


それは、さておき。

楽しい忘年会が繰り広げられ、真摯に吟のことを、話すときもあり、楽しい時を過ごしました。

誘ってくださった会員さん、おかげで楽しい時を過ごし、気づきもありました。

これからは、20周年へGO!!頑張りましょう。




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須藤先生

2018年12月07日 | 論語と
久しぶりに須藤先生に会う目的で、野田の画廊翠光舎に併設されている画廊喫茶コスモスでランチをしました。


今月は、内藤隶先生と私(須藤明実)展の開催中でした。

その絵の鑑賞が目的ではなく、(もちろん鑑賞はさせていただきましたよ)お休みして居た講座のこれからのとっかかりについて、先生のお気持ちと、今の体調とを聞かせていただきました。


お休みしている間に、いろいろと、イメージがわいて、先生の頭と胸の中は、一杯になっている様子でした。

無理をせず、体の回復を一番に、出来そうなところから始めて行きましょう。

すでに、講座を始めているところは、私がうかがったことのない会場ですから、イメージがわいてこないのです。


新越谷の会場では、第三木曜日の講座が、いつでも再開できるようになっていますから、まず、そこがとっかかりになります。


全員に告知する正式復活はもう少し先に送るとして、12月20日(木)には、「里仁」の本と、十円玉6個を持っていくことになっています。

さて、何を?

論語の前には、何があって、どうつながってきたかというような話になるのかな?

どんなものにも、親・ルーツがあり、突然に降ってわいたものではないのよという話らしい。

そして、その日の吟詠鑑賞の吟題は、「苧「館」王維作 です。吟詠担当の先生には、すでに依頼をしています。

療養中に思い至ったこの漢詩への思いなども聞けるのでしょう。



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