風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

仕事納め

2019年12月30日 | 詩吟
1月1日に投函する一月号KANGIN TOKYO NEWS送付の準備が終わりました。
切手のストックはたくさんあるのですが、お正月用の切手を購入しました。

毎月1日に投函の習慣の通り、お正月も1日に投函します。
この封書は、何日に、先方へ届くのでしょうか?

今年は、東京芦孝会20周年記念大会一色の年でした。

とは言え、何時も外に向けて、ご活躍のみなさんは、その活動の手を緩めること無く、却って、パワー全開となって、優秀な成績を納めて、花を添えた上での大成功。
本当に、お疲れ様でした。私も、頑張りましたよ。

その原動力は、何?どこにある?

それは、やはり、「芦孝」にありでしょう!

         芦孝会ここにあり!

更なる発展の期待を込めて、新しい一年が始まりますよう念じながら、新聞を折り、挨拶状に名前を書き、住所ラベルを張った封筒に収め、封をする。

最後に、行ってらっしゃいと、切手を貼る。

此のお役目を頂いたときは、2日がかりでしたが、数時間で完了するようになり、たまには、投函せねばならないついたちの午前中の作業でも、ちっとも困らなくなりました。

単純な作業でも、あれこれ組み合わさると、私には、意外にも大変でした。
今は、目を閉じていてもできるような単純作業となりました。

続けること、慣れることは、大事です。

いろんなことを、思い起こさせた仕事納めでした。


コメント

見て、この艶

2019年12月26日 | こたろう




最近ブラッシングの心地よさを覚えたこたろうさんは、定位置で、催促をするようになった。
世に言う、下僕と化した夫は、いそいそと聡恚@のヘッドをブラシに取り換える。

忙しそうにしている時は、決しておねだりをしないで、じょうずに夫を手なずけたこたろうに、軍配が上がった。

夫は、孫にも見せない甘い顔をして、こたろうへの下僕化指数は上がりっぱなし。

こたろうは、自分のこと決して「猫 😺」だと思っていないんだろうなぁ。
コメント

最後の忘年会

2019年12月24日 | 詩吟
今日は、芦孝会の教場の中で今年の一番最後に出席する忘年会。

去年正式発足をして、順調に成長してきている吟詠池上サークル。
名前にカタカナがついているのが、唯一の私の不満だけれど、深い思いがあって、S先生が命名したのだから、文句を言う筋合いではない。

高齢の参加者を大切に感謝して、会員としてお迎えして、その方たちが定着して居るのは、先生のお人柄によるのでしょうか。
そして、そのサメ[トをするビジターの女性会員もいて、とても暖かい。
その傍らでは、コンクールに特化した練習にも十分に対応している。

今日は、他教場のような一言一吟ではなく、最後の一時間は、新A≠Pの1から10番までの漢詩を、本数を変えての連続全員合吟。

これが、とても良く、心身がほぐされ、新人さんたちには、吟詠の構成が、ほんの少しでもつかめたかと、思われました。
経験者には、合吟の連続をどの程度楽しんだかは測り兼ねますが、こんな時間を持つことがとても大事とわかったらよかったなぁ。

喉の調子も整って、会員さんのお店へと繰り出して、忘年会。
滑らかになった喉で、カラオケを堪能、お酒もかなり酌み交わしていました。
私も、おちょこに一杯は頂きましたよ。

去年のこの会では、カラオケを不承不承お付き合いでやりましたが、今回は、チャンと準備して、私としては満足の行く歌でした。

この処、家での練習がままならなくなったので、カラオケを利用することがあり、発声練習の代わりに、適当な歌を歌っていたら、音の高さと歌う気分がわかって来て、とりあえず、楽しく歌えるようになったのは、一つの効用でした。




コメント

体を固くする

2019年12月24日 | 徒然に日々のことを
「夢をもって、花を咲かせよう」の言葉は、自分に向けてのものであった。
人から、受けるものではないと、わかってくる。

そして、一つの花を咲かせれば、その花の良い香り、優しい彩によって、周りも幸せになり、やがて、その花が寄りあって、満開になる。

頭だけで考えたこざかしい言葉であったけれど、今、体がほぐされて、リラックスして、凝り固まってしまった頭も、ほぐされてくると、自分でも気が付かなかったその先にあるものが、浮上して来て、あらたな気づきを得た。

先日の、おちょこいっぱいの日本酒に、絶妙にほぐされて、柔軟な心持ちを、体験しました。
お酒も良いものだと、過ごさないで、良いタイミングで、飲み終える術を心得たお手本となる人たちが、私の周りに居らっしゃるので、その飲み方を、見習おう。

酒とは、良きものなのねぇ。

心がほぐれると、体もほぐれてくる。
ほぐれてくると、凝り固まっていたのが、やっとわかってくる。

首のこわばりから、かなり解放されて見ると、見えてきたこと。

そして、喉を詰めて歌うことから、かなり解放されてきたら、歌も歌えるようになってくる。
そして、無理をしないで、音を下げてみると、もっと、楽で、楽しい。

こだわりがなくなってくると、気になっていたことが気にならなくなるものだ。

そして、選択をするのが、楽になる。

「何かの決断で、別れを余儀なくされることがあっても、時が過ぎ久し振りに出会った時、穏やかに目合わせができ談笑できるような解決でなければ」と思う。

そのような決断をせねばならない局面に居るわけではないけれど、かつて、短絡的に、チョキン!と切ってしまったことがあるからねぇ。

良いときに、この言葉に出会ったものだと、何かの思し召しを有り難く頂こう。


コメント

あごでひっかける

2019年12月23日 | 体を整える
顎で引っ鰍ッるようにして、のどの下、胸の上部を持ちあげる。

それが、ふっとしたきっかけで、できるようになった。
試してみると、肋骨の中が広がったような気がして、伸びやかな声が出た。

緊張して、体を固くしては、到底できないことが、よくわかります。



それを、山田先生に告げると、何も言わずに、助言が始まります。

「顎はいきなり上げるのではなく、一旦下げてから持ち上げると良く上がります。」

「そして、前だけを意識するのではなく、背中側も意識して、肋骨全体を持ちあげる」(そう言いながら、肋骨の支持を絶妙の力配分で行ってくれました)

それぞれが、力の入れ加減も、ほんの少しで、ちょっとのことだけれども、小さなそれぞれの部分の力が総合されると、目的の場所に届いた時、大きな変化をもたらしました。

「頑張らない」ことが、極意なのです。

山田先生に、たくさんのことを教えていただきながら、肝心な時に、緊張してしまうため、実現していないのです。

そのためには、もっと、知らねばならないことがあって、肝心な時に力を抜くことができるようになることです。

それが、すべてに通じます。


コメント

今年最後の中央会

2019年12月22日 | 詩吟
午前中は、通常のお稽古。

午後は、忘年練成会ということで、出席者は一言述べた上で、一吟聞かせていただきました。

特定の人ではなく、みなさんの吟詠が、格段とレベルアップして居るのを感じました。
練習熱心で、コンクールにチャレンジしている方の力量に、目覚ましいものがありました。

20周年に取り組んだことから、いつもの方たちだけでなく、それに続く方たちが、確実に影響を受け、力を付けてきたことが、わかります。  
 
  望廬山瀑布  李白
日は香爐を照らして紫煙を生ず
遥かに看る瀑布の前川に挂るを
飛流直下三千尺
疑ごうらくは是れ
銀河の九天より落つるかと

自ずと、私にもその影響がかなりあって、吟詠には、力が良い意味で入りました。
そのせいか、その吟調はいかがなものかとの、ご意見がちらりと聞こえました。
それほど、元気よく強すぎる吟詠だったようです。

席順で最後になったI先生の「両英雄」の吟詠は、圧巻でした。
日頃の甘さが消えて、吟題を行ったとき、女性なのに?祖の吟題?と思ったのは、一瞬でした。
何かの覚悟をもって、吟じられたように感じました。
思わずNの声がかかるほどの吟詠の終わりでした。

その後の、納め会は、いつもの居酒屋さんへ。

最近ワンフィンガーが少し増えつつあるビールの乾杯に、舐めるように日本酒をたしなむようになり、今日は、おちょこ一杯を飲みました。

日頃の間なくても、飲んだが如く、楽しく過ごしていますが、それ以上二、気持ちが柔らかにほどけてきて、口元も更にほどけて、言葉が、するすると出てきてしまいました。

あの言葉は、現状を伝えるつもりが、愚痴になってなかったか心配です。




コメント

忘年会

2019年12月21日 | 詩吟
神田教室の練習の後、持ち寄りで、そのまま忘年会。

忘年会では、いろんな話が出て、仲間となった実感する人、詩吟の透明な声が、出るようになった方に、思いっきり驚いたと、告げることができたり、思いだしたくない話題も出たり、
でも、理解者がいることを実感したり。

お酒が入ることで、滑らかに言葉と気持ちが伝わってきて、あぁ、よかった!と思ったり。

先生のお人柄、先輩会員のこまめな配慮。

「いい、ひじょ~に、いい。」



コメント

機杼を断つ

2019年12月20日 | 論語と
長年、機序を断つについて、「縦糸を切る」と、おもっていました。
もうこの先どうにもならないくらい大変なことだと。

改めて、「機杼」あるいは「杼」を辞書で引いてみると。
あらたいへん。機杼とは、縦糸をくぐらせて、布を織るためのシャトルだというではありませんか。
織機の付属用具の一。横糸とする糸を巻いた管を、舟形の胴部の空所に収めたもの。端から糸を引き出しながら縦糸の間を左右にくぐらせる。シャトル。

縦糸をばっさりと切ってしまうことは、もう、機織りをしない、できないくらいの意味となります。
シャトルに取り付けた横糸を切るのは、確かに布は織れないけれど、簡単につなぐことができるし、大したことではないように思える。

三選の教えをした母親が下した判断としては、ちょっと物足りない。

あれ?これって、昨日は出なかったけれど、以前三字経を取りあげてくださったときの、須藤先生の言葉ではないか!

あ~~~どうする?

須藤先生は、何でも四角四面に物事を捉えることは、なさらないから、私の頭を通り越して、直接、胸に響く言葉をおっしゃる。

先生の言葉は、かけがえのないやさしさがこまっています。
と同時に、ずんと響くような重々しい言葉も発せられます。



コメント

良き哉

2019年12月19日 | 徒然に日々のことを
はじめの一歩のあと、ちょっと一杯。

今日は、ニューフェイスをお迎えして、4人。

いつものメニューを頼んで、和気あいあいと会話が進む。

こういう会話で、知らなかったことを知り、お互いの情報交換をし、親しみを増す。

お酒の効用かなり大なり。

思いがけない、夢物語も出てきて、ちょっと、いい気分になる。

良き哉、良き哉!
コメント

須藤明実先生の「長恨歌」

2019年12月19日 | 論語と
越谷コミュニティ会館(サンシティ内)第三木曜日開講 須藤明実先生講師による「素読を楽しむ会」そして、「初めの一歩」

今日のお話は、三字経から。論語を学ぶ前の子へ教える漢字三文字で表されている教えです。

昔孟母 拓隣処 子不学 断機杼 
孟母三選の教えの続き、学を志したのに、帰ってきてしまった。その子に対して、母は、折角織りすすんできたのに、その機織りの縦糸をばっさりと切ってしまった。
もう施しようのない有様を見て、途中であきらめることがいかに大きな間違いであることかを教えた。

あーぁ、縦糸をかけるのは大変、そして織り進むのも大変。
なのに、なのに。



病気療養ながらも、尽きない東洋文化への思いが、一旦あきらめた「長恨歌」を読み解く会を、三か月をかけて行うことになり、今日は、その打ち合わせでした。

長恨歌の資料ができあがり、私たち、吟詠でお手助けする芦孝会メンバー用の4部を頂きました。
そして、吟詠を所望される箇所を指示していただきました。
これから、T先生と私とで、手分けして譜付けをいたします。
前回の資料を参考に、1月の第一回に向けて、始動開始です。


36席のあと数人の空きがあります。
満席となって、さらに、先生の後押しになればよいがと、思います。
コメント