風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

関吟東京 会津吟行

2011年10月29日 | 詩吟
恒例の吟行、今年は、会津方面にいってきました
紅葉を楽しみながら、猪苗代湖西側に沿ってバスは、快調に走りました。

          ☆= 行程 =☆

10月29日(土)
  東京駅 丸の内北口出発 ⇒ 会津藩校 日新館 ⇒ 野口英世記念館 ⇒ 旅館

10月30日(日)
  飯盛山(白虎隊士の墓) ⇒ 鶴ケ城 ⇒ 大内宿 ⇒ 東京駅


今回のメインは、白虎隊士の墓まいりをして、詩吟「白虎隊」佐原盛純作を奉納することです。
ことさらバスに看板は上げませんでしたが、福島復興応援の意味もあって、この地が選ばれました。


飯盛山で自刃した白虎隊士20人のなかで、飯沼貞吉は、特別でした。
戦いで利き腕に怪我をし、それでも戦い続けた末、飯盛山で、他の19人と自刃するに至ったのだが、左手では十分に力が入らず、絶命する寸前に、ハルという人に助けられたとガイドさんが説明していました。

あの時勢に、生き残ったという事実は、どれほどの苦しい思いの只中に突き落とされたのだろうか。彼は、生きて帰るなと送り出されたはず、母親は、その言葉をどのような思いで言い放ったか、そして、命を永らえたことを聞いたとき、どのように思ったろうか。

彼を助けた同い年の息子を持つハルさんは、息子を案じて飯盛山へ向かったため、絶命寸前の貞吉を助けることとなった。その息子は、助かったのか。その一つ一つの事実にドラマがあり、それぞれに深い葛藤があったろう。

彼のエピソードを検索して読むにつけ、彼の持つ資質と、日新塾で受けたであろう武士としてよく生きる教育との賜物であろうか、なんともさわやかな賢いイメージがどんどんと膨らんでくる。

彼の英国でのエピソードに、背が高かったので、「英国電信顧問と並んで歩いていても、まったく引けをとらず英国人が二人並んで歩いているといわれたという」くだりがありました。

背が高いというのは、重要要素ではあるけれど、武士としてよりよく生きることを学んだ彼だからこそのエピソードを思えるのです。

そこから魔驍ニ、日新塾での教育は、切腹の作法まであったと聞いて、最初驚いたけれど、いかに死ぬのかは、いかに生きるかと同じ作法であったのではないかと、想像できるのです。

また、先ほどの英国という場所柄だったから、武士道と騎士道とを極めたものは、同じ彩を持っているということなのではないかと、決して、背が高いというだけでは物語れないものではないかと思ったのでした。

道を究めると、それが、どの道であっても、至る先は同じであると。
よりよく生きて、死んだ飯沼貞吉は、きっと涼しい目元をしていたのだろう。
きっと、姿勢ただしく、まっすぐに見詰める人だったのだろう。
きっと、うまい酒も呑んだことだろう。


さて、吟行はその名の通り、バスのなか、旅館の夕食後、朝食前にも、吟じる、吟じる、吟じる。
吟題は、奉納をする「白虎隊」佐原盛純作と、奉納はしないが「野口英世」松口月城作を、何度も繰り返し、はては、コンクールの指定吟題に至るまで、練習をしました。
あいだには、譜名についてやりあったり。

全員合吟ですから、”3”の高さで行います。女性にとっては、楽に出せる音程ですが、男性にとっては、かなり苦しいはずです。しかも、白虎隊は20行、英世に至っては49行もあるのです。通常4行を2分弱で吟ずるのですから、その時間たるや!
ほんとに、お疲れ様。

その練習のおかげで、私には、本当に良い喉慣らしとなり、ほどほどに揺れる車中で姿勢を保っているためには、ちょうど良い筋肉の維持訓練になったのでした。

夕食時は、お酒の好きな人が多いので、珍しくておいしい酒の差し入れもあり、それらの酒は、マイルドなので、つい味利きだけと称して舐めさせられました。そのようなお酒は、さすがの下戸の私にも、おいしくいただけました。

お酒の好きな人には、香りをかいだだけといわれるくらいのミニミニの量でも、私には、頭のコリをほぐしてくれました。
温泉で体もほぐされた後なので、饒舌になり、愉快になりました。

所望されたオルティンドーも、久しぶりでしたが、難なく声が出ました。
昼間の発声と温泉とお酒と程よい量であったため、声が出る出る出る。
しかも、気持ちが良い。
こんな発声が、誰もが出来るように、なるとよいなぁ。。。。。

もっともっと、気持ちよく伸びやかに詩吟が出来たら、細かい譜名やらアクセントやら詩情をだして・・・なんて、そんなこと言う必要はない。

聞いている人も気持ちよいはずだから、それが何よりではないか。

心地よい音が流れてきたら、聞く人は自分の好きな感情を自分なりに唄に乗せればよい。
うれしい人はうれしいなりに、辛い人は辛い人なりに聞いて、心に取り込めばよい。

それの実現に向けてのスタートを切ったばかり。
そして、ゴールに至るのは、私だけではなく、それを望む人は全員。

そんなことを思い描いていると、帰国以来悩んでいた発声についての、もやもや、イガイガ、きりきりが、消えてなくなった。

これからは、うれしいことばかり起こるだろう。

方向性が見えてきたときの、開放感、期待感。
体がかるくなり、どの方向へでも飛んでいけそうな、はるか上空に舞い上がりそうな、そんな快感は、こたえられない。
挫折感が大きければ大きいほど、辞めようかと思うのを引き止めて得られる達成感など。
これだから、やめられないんだなぁ。






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関吟東京ニュース

2011年10月26日 | 詩吟

Sさんが描いてくださった野葡萄の絵 実際の絵はもう少し渋い仕上がりになっています



関吟東京には、詩吟だけでなく多彩な才能をお持ちの方が居ます。
毎月の関吟ニュース送付のために、挨拶状を添えていますが、それにはその月の花のイラストを挿入しています。

いままで御世話になったインターネットのフリー素材の使用はいったん休止にして、11月号から、絵を描かせたらぴか一のSさんが描いて下さることになりました。

写真に撮って貼り付けようとしたら、悲しいくらいに色が悪く悩んでいたら、「スキャナーがあるじゃない」との助言があり、望みどおりのできばえになりました。

多機能好きの夫が、電話機の買い替えのときに選んだものでした。
「いろんなものがついて居ればよいってもんじゃないでしょ!」と、文句を言った私がそれに助けられることになろうとはねぇ。

パソコンから無機質に取り出していたイラストと違って、毎月お稽古で顔をあわせている人の手になるものとなると、絵の切り取り場所、発色の具合、貼り付け場所など、あれもこれも気になってなってしまうのでした。

今、一生懸命プリンターが印刷作業中。
明日は、投函です。

今月は、東京表参道付近の黄金色に輝くイチョウの絵の記念切手です。
毎月の記念切手を選ぶのも楽しい作業になっています。

偶然にも、明日は、娘と孫と表参道でデイトです。ルンルン♪~
表参道まで行ってから、投函すると言う手もあるなぁ。


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関吟東京支部 昇段試験

2011年10月24日 | 詩吟
秋の昇段試験が行われました。

夢青葉の三人が、始めて試験に臨みました。

幹事として、開会前後の会議に出席するため、三人のお世話が出来ず、自立して、受験してもらうしかないことになったのですが、仲良し自立三人組なので、手取り足取りしなくても、無事乗り切ってくれました。

予想通り、高評価を得て合格しました。


         初段合格おめでとう!

何よりもうれしかったのは、三人とも姿勢が良いという評価です。

  正しい姿勢 ⇒ 正しい発声 ⇒ 正確な発声 ⇒ 正確な詩吟

大事にしてきたことが、漏れなく三人の身体の上に現れ、それが、画一的ではなく、詩吟の上にその人らしさを表現できていました。

初段で、これだけできれば、上出来と思います。
そして、その評価をほとんどの試験官から得ることが出来ました。


全て終わって、最寄の駅に先生やその他の幹事さんたちと向かっているとき、また、その話題が出たとき、「すみこ先生のこどもたち・・・」と表現してくださった方が居ました。

暖かく、和やかな、時としてキャンキャンと叱る私の夢青葉の有り様を言い得て妙と、感動。
何よりの褒美と受け取りました。


一夜あけて、今朝は感動も新たにこれを書いていますが、初段を頂いた頃の私はどうであったろうと思い返しています。

吟詩部OGとして、鈴木先生に教えられた通りを、後輩に伝えねばと躍起となっていました。

あの頃、2年の活動で、他の四大の先輩諸氏と同じように指導しようとしていた無理が、沢山あちこちに有ったことを今頃、わかるのです。

あのときから、結婚出産を経て、ちょっぴり大人になりました。
ふるさとから遠くに離れ、関吟としては僻地であったことと、自由に泳がせてくださった野田 芦孝先生のおかげで、ちょっとしたゆとりを持ち、ともに喜び合える教室を実現できたことを、心からうれしく思います。

来月の夢青葉が楽しみです。
その前に、整体のセミナーを二日間受けます。
そのテーマの中に、整体の山田先生によると、私の最も学びたい、そして、今一番習って欲しい呼吸法があるそうです。

その成果を持って、次の夢青葉で何処まで実践できるか、楽しみです。

知りたいときは、知ればよい。
知りたいのに、どうせ私は、、、と考えるのは、やすむににたりです。

年を重ねると、望みと反比例して、実現しない恐れが膨らみます。

望みは、叶えようとしなければ叶わない。
あがくのは良いけれど、あがく振りをするのは、よそう。


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体を整えること

2011年10月15日 | 徒然に日々のことを
体のゆがみが直ってくると、あれほど難しかった住所シール貼りが、ガイドなしでも難なく水平に貼れるようになった。

届きにくかった竿に、手が届き、大物の洗濯物が干しやすくなった。

出かけた先で、ふと気がついてみると、背中をまっすぐにして座っていた。

駅からの帰り道、いつもは追い抜かれる人を、追い抜いた。足音は同じリズムで刻んでいるのに、どんどん後方に離れていく。
気がついたら、膝の痛みがなくなって(ただし水平歩行のとき)足がまっすぐに振り出されている。

何よりも、詩吟の声が、山口先生による発声法のレクチャーにあった支えられた声に、ぐっと近づいている。
そして、肺活量が変わらないのに、四行目の結句の大山が最後まで息が続いている。

昨日は、声がかれなくて、いつまでも吟をしていたい、心地よさに包まれている感覚を覚えました。

講義をする山口先生の声は、ほんとに心地よく響き、先生は、朝、昼、夕、夜と練習をしても声は嗄れませんとおっしゃっていたのが、このことかと、体がうなずいた。

長い長い間、詩吟をすると声は嗄れるものだとおもっていました。
学生の頃の「声が嗄れなくてなんぞ詩吟であろうか」、との教えは、スメ[ツの部活としての教えであったこと。
時が流れて、つぶした声ではなく、開かれて支えられた声が基本となり、詩吟は、詩吟の音色を出すことと、今は、理解しました。

”Amazing Voice”で、聞いたオルティンドーの歌手も、お腹をぺこぺこやっていませんでした。

今までの、お腹ペコペコの発声は、丹田からの力で出していた声で、前から出る音。
前から出る音は、喉を痛めます。

斜腹筋使った音は、後ろから喉を通過し,口蓋に当たって出てくる音で、決して喉を痛めることはありません。
これこそが、支えられた音。大音量でも、うるさい音ではない。

穏やかに体を整える技法は、誰にでも出来て、年を重ねてるほど、その健康へと導く良い結果として、声も出るようになるのでした。

この爽快感は、年を重ねた人にこそ、知って欲しい。

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発声法講習会その2

2011年10月10日 | 詩吟
発声法八箇条のその四について

斜腹筋と臀筋について
斜腹筋とは、タケシがテレビで行うところのジェスチャーの「コマネチ!」の位置がちょうど、斜腹筋の位置にあたるそれが背中まで続いて背骨にいたるつながりの筋肉を緊張させることが寛容とおっしゃった。
いわゆる丹田ではなく、重要なのは斜腹筋なのだ。

丹田に力が入ると、私の吟じているところの力吟になってしまい、喉の奥からではなく前からつまり喉を痛めてしまう発声になってしまうのです。

整体で習った正しい姿勢をとる時その筋肉を感じる。
その正しい姿勢を取れたとき、山口先生のおっしゃるところの支えられた声がでる。

そして、上半身の脱力が上手に出来たら、喉が開いて、後ろから前に向かって声が出る。

これでは、誰にもいいたいことは伝わらないね、いったい前に向かってとか、後ろからとか、いったい何?

そして、前から出す音が何故いけないのか、お手本を示せば一目瞭然。

文字の伝える情報量は、格段に少なく、それを補う想像力は、ある程度の体験があって始めてなされるもので、ゼロの人に、わかってもらうには、完璧なお手本を示すしかない。

あー、無理だ。

伝えようとする前に、自分が練習をしてマスターすることだ。

そんな当たり前のことを、何時までも学生のように、ちょっとでも知りえたことを他に伝え押し付けようとするのは、やめねばならない。

お稽古として、そして師範としては、口に出すべきではないことを、やろうとしているから、悩むのであって、知りえたことを今は温存して、熟成させるべきなんだろうなぁ。

でも、質問されたら、結局は、わからないのに、しゃべってしまうんだよね。





今回大阪まで、研修を受けにいけたのも、夫がせっせと出張に行き、太っ腹の会社からその溜まったJALのマイルを私用に使ってよいということだったからです。

時差の有る出張でも、帰国の翌日にはちゃんと出社するので、家に帰ってきてまで、お出かけのしたくない夫なのです。いきおい、溜まったマイルは、私専用となる。

ありがたや、ありがたや。と、私は夫に形だけでも感謝をする。


そして、夫は、旅に誘い出そうとせず、黙ってマイルを一人で使ってくれることに対して、きっと、ありがたや、ありがたやと思っている筈。

せっかくの大阪だから、友達に会うなり姉の家にいくなりの楽しみはあっても良かったのだけれど、翌日の午後からの便は全て満席のため、日帰りとなったのでした。

先月の五似ん会では、なんて楽なんだろうと思ったのですが、遊びではない上に狭い席で自由を奪われた一日は、さすがに疲れました。

発声のノウハウを教えてもらえると,喜び勇んで出かけ、すばらしい構成吟を見て聞かせてもら、かなりの興奮状態で、目を見開き、頭はフル回転していました。
会場に居るときは疲れは感じなかったのですが、帰宅して始めてどっと疲れに教われました。

こんなとき、お風呂は疲れを癒してくれて、仕上げは、姿勢を整える体操。

深夜にもかかわらず、疲れがほぐれると、甘いものが欲しくなって、ぱくぱくしながら、そうだ、もう一つビッグプレゼントがあったのだ。


吟詩部の後輩で、今は、鷺夕先生の門下で大活躍をしている女性に会えたこと。
ほんとに偶然に、すれ違ったので、思わずむんずと腕を掴んだのでした。

やっと連絡先の交換をして、二言三言話しただけで、当日は指定席のため会話らしい会話もせず、分かれてしまったのです。連絡先がわかっただけでも、幸運でした。

しかし、学生の頃は、鬼と呼ばれた私のことだから、彼女は、本当は再会したくなかったかもね。
かわいそうに・・・・・


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発声法講習会

2011年10月09日 | 詩吟
待ちわびていた「発声の基礎」の講習会に行ってきました。
浜松で講習を受けて以来、ICレコーダーに入れた音を何度も聴きなおし、そのたびに、発見があって、山口先生もおっしゃっていたように、上達とはらせんを描いていると言う言葉を、なるほどそういうことかと、思っていました。

チャリティー吟詠大会 吟詠大会・研修会 
         「悠久の燦き(きらめき)」

吟詠普及推進事業の一環として、吟詠をまだ知らない人に吟詠のよさと楽しさを知ってもらい、会員には更なる技能向上を目指していくことを願った大会でした。

また、収益金の一部は東日本大震災で被害にあわれた方々に役立てて頂くこととして、チャリティー吟詠大会としたそうです。


          =プログラム=

第一部  講演 「ものづくり・人づくり」♂F宙に鰍ッた夢ー
                   東大阪宇宙開発協同組合理事長 稻榮錥佗


第三部の構成吟は、若手精鋭グループ総出演のすばらしいものでした。
特に、和歌が多いのは、これからの関西吟詩文化協会の将来を暗示するものでした。

去年から、師範の昇格試験に和歌も課題に入るようになり、漢詩だけではなく和歌にも積極的に取り組むと言う「和歌元年」なのだと、ひしひしと感じました。

何よりも、吟者が、和歌を自由にこなされるようになり、それが、関西吟詩文化協会らしい力強さをもちながらたおやかであると言うことに目を見張るものがありました。

和歌を避けて入られないと、お尻に火が点いた思いでした。

第二部の山口先生のおっしゃる発声法が、体得できたら、簡単なことなのです。

それこそ、自由に舞うようにそれで居て力強い吟、理想の形が現れます。

さて、どうしよう。
どうしたらいいんだろう。


そんなときに、オルティンドーのブログを呼んだ中に、こんな一説がありました。

  息を飲み込んで漏らさない内向き意識と、口蓋の奥と舌の奥に無限ともいえる柔らかい頼もしく自由自在な空間があるのを活用すること。動きをコンパクトにするほど安定。苦しいときほどそこに逃げ込めば絶対安心。そんなものが得られたならいつだって落ち着き払っていられるじゃないの!


本当に、惜しいときに熊本に言ってしまったわがオルティンドーの師匠の三枝彩子さん。
しかも、合宿のチャンスまであったのに、逃してしまった。
ビャンバジャルガル先生に、一度だけ褒められた声の出し方を、忘れてしまいそう。
今は、どんどん頭でっかちになっているので、フスラーの言うように「自由にときはなす」ことをするといいのよね。

さて、その方法は。



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オルティンドーの番組

2011年10月05日 | 徒然に日々のことを
NHK BSプレミアム  http://www.nhk.or.jp/amazing/

  「アメイジング ヴォイス 驚異の歌声」 にて モンゴルのオルティンドーが取り上げられます。

 10月12日 水曜日 午後8時より


番組の宣伝では、故ノロヴ パンザトの写真がありましたから、すばらしい歌声が聴けると思います。

その前に、YouTube にて お楽しみください。


      モンゴル民族衣装を着た、ナムジリーン ノロヴバンザト
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夢青葉 10月お稽古

2011年10月02日 | 詩吟
             
                10月のお稽古

課題吟は、大田道灌
先月から、テキストはご自身たちの希望で、それぞれが1冊を持つことになったので、解説その他は、読んでくださっているものとして、進行する予定です。

有名な逸話のあるものは、今日のように、思わずその話になりますが、なかなか上手にお話が出来なくて、歯がゆいのです。

下手な話はせず、ひたすら声を出すと言う方針は、なかなか、実行出来ていないのが、全ての面において中途半端な気がしてきました。

Nさんは、男性にしては、高い声が出るのですが、高音になるとどうしても力んでしまって、出るはずの声に伸びが無くて、ほんとにもったいない。

あくびをするように、喉は目いっぱい開けて、お腹から空気を押し出すというのは、言葉での説明では、わかりにくいようです。
練習の始めにする体操の要領を体操のときだけでなく,吟じるときも思い出して、体を解き放ってくれるように、頭ではなく体にいいきかせましょう。

実際に、良い例と、悪い例を間近で実践して、目と体で覚えてもらう方法をとってみました。
実際にできる出来ないは別として、何だかわかったような気がするところには届きました。

目が見て覚えたこと、聞き取れて違いがわかってくることは、重要な進歩の証です。

それぞれが、いろんな場面で、あれっと気づくことが、喜びに繋がります。

来月の昇段試験に向けての、練習をしましたが、十分練習をなさったようで、特に直すところも無く、満足。

当日は、間近で控えている試験官や見物人の前で、あがってしまうだろうけれども、最後まで吟じ終えることが一番。
もし、間違ってもやり直しをすることは許されているので、自分を信じて吟じましょう。





体に言い聞かせましょうと、いいながら、矛盾した練習法になっていることが、今後の課題です。

個人レッスンではないので、男性用に「3」の高さで 女性用に「5」の高さで、練習を行っています。

男性はつい声が出るものだから、「5」で合吟に加わりますが、覚えなければならない吟法に注目しながら高い音を出すと、声ではなく音を出していることになります。
音と声とはまったく違うもので、高い音を出そうとして、のどを締め付ける結果となっています。

勢い、自分の「3」の高さに戻っても、喉を絞める発声を体が覚えてしまって、出るのが声ではなく音になってしまっているのだと、私は解釈をしました。

「3」の高さで、高音も伸びやかに出せるようになってから、音を高くするかどうかを考えましょう。

頭と心と体で覚える音が、始めて「声」となって、自分を楽しませることが出来ます。

発声の癖は、速いうちに直さねばなりません。

関西弁に多い「わたり」は、ながーい宿題になりそうです。

標準語のアクセントで詩吟をするようになってから、関西のアクセントで吟じることが封じられ、「わたり」は、いけないと言う評価を受けるに当たって、お国訛りの懐かしさを、否定されたような気がして、寂しいのです。

その人らしい吟をしつつ、関西吟詩文化協会の吟法や決まりから離れすぎない吟は、いかなるものなんだろうか。
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