恒例の吟行、今年は、会津方面にいってきました
紅葉を楽しみながら、猪苗代湖西側に沿ってバスは、快調に走りました。
☆= 行程 =☆
10月29日(土)
東京駅 丸の内北口出発 ⇒ 会津藩校 日新館 ⇒ 野口英世記念館 ⇒ 旅館
10月30日(日)
飯盛山(白虎隊士の墓) ⇒ 鶴ケ城 ⇒ 大内宿 ⇒ 東京駅
今回のメインは、白虎隊士の墓まいりをして、詩吟「白虎隊」佐原盛純作を奉納することです。
ことさらバスに看板は上げませんでしたが、福島復興応援の意味もあって、この地が選ばれました。
飯盛山で自刃した白虎隊士20人のなかで、飯沼貞吉は、特別でした。
戦いで利き腕に怪我をし、それでも戦い続けた末、飯盛山で、他の19人と自刃するに至ったのだが、左手では十分に力が入らず、絶命する寸前に、ハルという人に助けられたとガイドさんが説明していました。
あの時勢に、生き残ったという事実は、どれほどの苦しい思いの只中に突き落とされたのだろうか。彼は、生きて帰るなと送り出されたはず、母親は、その言葉をどのような思いで言い放ったか、そして、命を永らえたことを聞いたとき、どのように思ったろうか。
彼を助けた同い年の息子を持つハルさんは、息子を案じて飯盛山へ向かったため、絶命寸前の貞吉を助けることとなった。その息子は、助かったのか。その一つ一つの事実にドラマがあり、それぞれに深い葛藤があったろう。
彼のエピソードを検索して読むにつけ、彼の持つ資質と、日新塾で受けたであろう武士としてよく生きる教育との賜物であろうか、なんともさわやかな賢いイメージがどんどんと膨らんでくる。
彼の英国でのエピソードに、背が高かったので、「英国電信顧問と並んで歩いていても、まったく引けをとらず英国人が二人並んで歩いているといわれたという」くだりがありました。
背が高いというのは、重要要素ではあるけれど、武士としてよりよく生きることを学んだ彼だからこそのエピソードを思えるのです。
そこから魔驍ニ、日新塾での教育は、切腹の作法まであったと聞いて、最初驚いたけれど、いかに死ぬのかは、いかに生きるかと同じ作法であったのではないかと、想像できるのです。
また、先ほどの英国という場所柄だったから、武士道と騎士道とを極めたものは、同じ彩を持っているということなのではないかと、決して、背が高いというだけでは物語れないものではないかと思ったのでした。
道を究めると、それが、どの道であっても、至る先は同じであると。
よりよく生きて、死んだ飯沼貞吉は、きっと涼しい目元をしていたのだろう。
きっと、姿勢ただしく、まっすぐに見詰める人だったのだろう。
きっと、うまい酒も呑んだことだろう。
さて、吟行はその名の通り、バスのなか、旅館の夕食後、朝食前にも、吟じる、吟じる、吟じる。
吟題は、奉納をする「白虎隊」佐原盛純作と、奉納はしないが「野口英世」松口月城作を、何度も繰り返し、はては、コンクールの指定吟題に至るまで、練習をしました。
あいだには、譜名についてやりあったり。
全員合吟ですから、”3”の高さで行います。女性にとっては、楽に出せる音程ですが、男性にとっては、かなり苦しいはずです。しかも、白虎隊は20行、英世に至っては49行もあるのです。通常4行を2分弱で吟ずるのですから、その時間たるや!
ほんとに、お疲れ様。
その練習のおかげで、私には、本当に良い喉慣らしとなり、ほどほどに揺れる車中で姿勢を保っているためには、ちょうど良い筋肉の維持訓練になったのでした。
夕食時は、お酒の好きな人が多いので、珍しくておいしい酒の差し入れもあり、それらの酒は、マイルドなので、つい味利きだけと称して舐めさせられました。そのようなお酒は、さすがの下戸の私にも、おいしくいただけました。
お酒の好きな人には、香りをかいだだけといわれるくらいのミニミニの量でも、私には、頭のコリをほぐしてくれました。
温泉で体もほぐされた後なので、饒舌になり、愉快になりました。
所望されたオルティンドーも、久しぶりでしたが、難なく声が出ました。
昼間の発声と温泉とお酒と程よい量であったため、声が出る出る出る。
しかも、気持ちが良い。
こんな発声が、誰もが出来るように、なるとよいなぁ。。。。。
もっともっと、気持ちよく伸びやかに詩吟が出来たら、細かい譜名やらアクセントやら詩情をだして・・・なんて、そんなこと言う必要はない。
聞いている人も気持ちよいはずだから、それが何よりではないか。
心地よい音が流れてきたら、聞く人は自分の好きな感情を自分なりに唄に乗せればよい。
うれしい人はうれしいなりに、辛い人は辛い人なりに聞いて、心に取り込めばよい。
それの実現に向けてのスタートを切ったばかり。
そして、ゴールに至るのは、私だけではなく、それを望む人は全員。
そんなことを思い描いていると、帰国以来悩んでいた発声についての、もやもや、イガイガ、きりきりが、消えてなくなった。
これからは、うれしいことばかり起こるだろう。
方向性が見えてきたときの、開放感、期待感。
体がかるくなり、どの方向へでも飛んでいけそうな、はるか上空に舞い上がりそうな、そんな快感は、こたえられない。
挫折感が大きければ大きいほど、辞めようかと思うのを引き止めて得られる達成感など。
これだから、やめられないんだなぁ。
紅葉を楽しみながら、猪苗代湖西側に沿ってバスは、快調に走りました。
☆= 行程 =☆
10月29日(土)
東京駅 丸の内北口出発 ⇒ 会津藩校 日新館 ⇒ 野口英世記念館 ⇒ 旅館
10月30日(日)
飯盛山(白虎隊士の墓) ⇒ 鶴ケ城 ⇒ 大内宿 ⇒ 東京駅
今回のメインは、白虎隊士の墓まいりをして、詩吟「白虎隊」佐原盛純作を奉納することです。
ことさらバスに看板は上げませんでしたが、福島復興応援の意味もあって、この地が選ばれました。
飯盛山で自刃した白虎隊士20人のなかで、飯沼貞吉は、特別でした。
戦いで利き腕に怪我をし、それでも戦い続けた末、飯盛山で、他の19人と自刃するに至ったのだが、左手では十分に力が入らず、絶命する寸前に、ハルという人に助けられたとガイドさんが説明していました。
あの時勢に、生き残ったという事実は、どれほどの苦しい思いの只中に突き落とされたのだろうか。彼は、生きて帰るなと送り出されたはず、母親は、その言葉をどのような思いで言い放ったか、そして、命を永らえたことを聞いたとき、どのように思ったろうか。
彼を助けた同い年の息子を持つハルさんは、息子を案じて飯盛山へ向かったため、絶命寸前の貞吉を助けることとなった。その息子は、助かったのか。その一つ一つの事実にドラマがあり、それぞれに深い葛藤があったろう。
彼のエピソードを検索して読むにつけ、彼の持つ資質と、日新塾で受けたであろう武士としてよく生きる教育との賜物であろうか、なんともさわやかな賢いイメージがどんどんと膨らんでくる。
彼の英国でのエピソードに、背が高かったので、「英国電信顧問と並んで歩いていても、まったく引けをとらず英国人が二人並んで歩いているといわれたという」くだりがありました。
背が高いというのは、重要要素ではあるけれど、武士としてよりよく生きることを学んだ彼だからこそのエピソードを思えるのです。
そこから魔驍ニ、日新塾での教育は、切腹の作法まであったと聞いて、最初驚いたけれど、いかに死ぬのかは、いかに生きるかと同じ作法であったのではないかと、想像できるのです。
また、先ほどの英国という場所柄だったから、武士道と騎士道とを極めたものは、同じ彩を持っているということなのではないかと、決して、背が高いというだけでは物語れないものではないかと思ったのでした。
道を究めると、それが、どの道であっても、至る先は同じであると。
よりよく生きて、死んだ飯沼貞吉は、きっと涼しい目元をしていたのだろう。
きっと、姿勢ただしく、まっすぐに見詰める人だったのだろう。
きっと、うまい酒も呑んだことだろう。
さて、吟行はその名の通り、バスのなか、旅館の夕食後、朝食前にも、吟じる、吟じる、吟じる。
吟題は、奉納をする「白虎隊」佐原盛純作と、奉納はしないが「野口英世」松口月城作を、何度も繰り返し、はては、コンクールの指定吟題に至るまで、練習をしました。
あいだには、譜名についてやりあったり。
全員合吟ですから、”3”の高さで行います。女性にとっては、楽に出せる音程ですが、男性にとっては、かなり苦しいはずです。しかも、白虎隊は20行、英世に至っては49行もあるのです。通常4行を2分弱で吟ずるのですから、その時間たるや!
ほんとに、お疲れ様。
その練習のおかげで、私には、本当に良い喉慣らしとなり、ほどほどに揺れる車中で姿勢を保っているためには、ちょうど良い筋肉の維持訓練になったのでした。
夕食時は、お酒の好きな人が多いので、珍しくておいしい酒の差し入れもあり、それらの酒は、マイルドなので、つい味利きだけと称して舐めさせられました。そのようなお酒は、さすがの下戸の私にも、おいしくいただけました。
お酒の好きな人には、香りをかいだだけといわれるくらいのミニミニの量でも、私には、頭のコリをほぐしてくれました。
温泉で体もほぐされた後なので、饒舌になり、愉快になりました。
所望されたオルティンドーも、久しぶりでしたが、難なく声が出ました。
昼間の発声と温泉とお酒と程よい量であったため、声が出る出る出る。
しかも、気持ちが良い。
こんな発声が、誰もが出来るように、なるとよいなぁ。。。。。
もっともっと、気持ちよく伸びやかに詩吟が出来たら、細かい譜名やらアクセントやら詩情をだして・・・なんて、そんなこと言う必要はない。
聞いている人も気持ちよいはずだから、それが何よりではないか。
心地よい音が流れてきたら、聞く人は自分の好きな感情を自分なりに唄に乗せればよい。
うれしい人はうれしいなりに、辛い人は辛い人なりに聞いて、心に取り込めばよい。
それの実現に向けてのスタートを切ったばかり。
そして、ゴールに至るのは、私だけではなく、それを望む人は全員。
そんなことを思い描いていると、帰国以来悩んでいた発声についての、もやもや、イガイガ、きりきりが、消えてなくなった。
これからは、うれしいことばかり起こるだろう。
方向性が見えてきたときの、開放感、期待感。
体がかるくなり、どの方向へでも飛んでいけそうな、はるか上空に舞い上がりそうな、そんな快感は、こたえられない。
挫折感が大きければ大きいほど、辞めようかと思うのを引き止めて得られる達成感など。
これだから、やめられないんだなぁ。